第一話 欲しい言葉
柳川が事故を起こしてから、半年が経った。
リハビリは順調だった。医師からも、予定通りだと言われている。
体は戻ってきている。
ただ、一つだけ思うようにいかないものがあった。
細木貴子との距離だ。
半年前。
「少し、考えさせてください」
そう言われたとき、柳川は勝手に終わったと思った。
だが違った。
理由は、母親の介護だった。
話を聞いたとき、胸の奥に溜まっていたものが一気に抜けた。
振られたわけじゃなかった。
それよりも、細木が抱える負担を軽くしたいと思った。
頭で考えるより先に、口が動いていた。
「いつでも連絡ください。男手が必要なら、駆けつけます」
少し間を置いて、
「……お付き合い、お願いします」
と付け足した。
細木は、少しだけ考えてからうなずいた。
それが、始まりだった。
休日に二人で出かけることは、ほとんどない。
細木は家を空けられない。
それでも、仕事終わりに食事へ行く時間があった。
たった一時間でも、柳川には十分だった。
くだらない話をする。どうでもいいことを聞く。
「モンステラは好きですか」
「葉の形が好きです」
「僕は好きではないです。」
「何故、訊いたの…。」
そんなやり取りでも、ちゃんと返してくれる。
それだけで、満たされる。
ただ、一つだけ引っかかる。
細木からは、何も聞かれない。
仕事のことも、過去のことも。
「課長って、休日何してるんですか」
そういう質問が、一度もない。
気にしていないのか。
興味がないのか。
考えると、少しだけ気分が沈む。
…まあ、仕方ない。
柳川は、胸の奥に押し込める。
一方で、細木は細木で悩んでいた。
半年前、自分は全部話した。
母親のこと。介護のこと。簡単じゃない現実。
内心では思っていた。
重いと思われたらどうしよう、と。
最悪、距離を取られても仕方ないと。
だが柳川は違った。
「介護に男手が必要なら、いつでも呼んでください」
その一言で、思考が止まった。
好きだとか、付き合いたいとか。
そういう言葉ではなかった。
もっと現実的で、今の自分に必要な言葉だった。頭がクラクラした。
あの瞬間、この人は特別になると分かった。
それでも、細木は踏み込めない。
柳川のことを、もっと知りたいと思っている。
だが聞けない。
独身で、一人暮らし。
それは聞いている。
だが、それ以前は。
結婚歴は。子どもは。
そこに触れることが、どこか怖い。
若い事務員の真鍋に言われた言葉が、頭に残っている。
「根掘り葉掘り聞く女、嫌われますよ」
冗談半分の言葉。
真鍋ら若い人の発言は無視できない…。
帰り道。
二人で並んで歩く。
距離は近い。
だが、触れない。
柳川は一度だけ手を出しかけて、やめた。
細木は気づいていたが、何も言わない。
ただ、その仕草が可愛いと思ったが目を逸らした。
相変わらずの距離。
相変わらずの会話。
踏み込めないまま。
「また食事、行きませんか」
柳川が言う。
細木は少しだけ間を置いて、
「誘われたら行きます」
と答える。
それ以上は続かない。
言わない。
言えない。




