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第六十四話『裏切りの伯爵家』

 大陸暦六一六年、破魔の月下旬―

 ベクォン公爵領と王都直轄領テーキス地方の境にある、城塞都市シオンタは混乱の渦中にあった。港を多数の輸送船が封鎖しており、それらを率いる砲艦が大砲を撃ち掛けてきたのだ。桟橋や道路を避け、倉庫や住民の逃げ出した民家を狙っての砲撃は、多くの市民や水夫を震え上がらせた。


「港に砲撃があったと聞く。お前達の仕業か?」

「えぇ、港を使わせて頂けないのであれば、と申したはずです。ミア伯爵」


 シオンタを中枢都市にテーキス地方北部を統治するミア伯爵、ディラン・ミアの元を訪れていたキンティは、歳を重ねた猫亜人が放つ特有の老獪さを隠す事なく、琥珀色の眼光に乗せて口許を歪めた。


「ベクォン公爵の反乱に手を貸せというのか。そんな事が出来るはずがない。我がミア家は娘二人を王家に送り出した事はお前も知っていよう。姉のマルシアは王妃としてニック様とミリアム様を産んだ。妹のフランソワは六大将軍の一人だ」

「しかし、マルシア妃はミリアム様をお産みになられた後、病に没せられました。サラ妃が輿入れされたのはその直後です。フランソワ殿も政治や後宮と切り離された世界に身を置き、ここ四年はカッサーナへ派遣されていました。その間にも、サラ妃は王都にて力を付けているというのですよ」


 キンティの言葉に、ミアは思わず黙り込んだ。マルシアの死因は公には病気となっているが、武人の名門であるミア家の生まれで、輿入れまで大病一つしなかった王妃の突然の死は、幾つかの疑惑が囁かれていた。直後にサラが王家に嫁ぎ、矢継ぎ早にグレンの出産という流れだったため、国王ハロルド三世の良からぬ噂が流れるのも無理のない話だった。


「さらに、サラ妃の出自はモノゲア帝国の貴族にルーツを持ち、それは先代皇帝直属の工作員であるとも……ベクォン公爵に加担するという事は、この国に巣食う帝国の毒を抜くという事でもあるのです」


 見開かれたキンティの目は瞳孔が丸く黒々となり、琥珀色の眼光は輝きを増した。ルイスの側にもモノゲア帝国の手の者が入り込んでいる事は知られているものとした上で、強気の交渉に打って出た。


「……駄目だ。私は陛下を裏切るわけにはいかぬ。フランソワと、ニック様とミリアム様のためだ」


 拒絶の意を示したミアの視線もまた鋭かった。港から聞こえる砲声は止む事がなく、今もシオンタは砲撃に晒されている。砲弾を撃ち尽くすまでは帰らないつもりか、そう思った矢先、伯爵とよく似た声が割って入ってきた。


「兄上よ、貴方は間違っておられるぞ」

「エッカート、何を言い出すのだ」


 入って来たのはミア伯爵の弟、エッカートだった。ニックやミリアムからすれば大叔父に当たる人物で、現時点では伯爵の家督を継ぐ第一候補となっている人物でもあった。


「キンティ殿の言う通り、ベクォン公爵に付いて陛下に弓を引いてでも、帝国の毒は抜かねばならん」

「間違っているのはお前だ。ベクォン公爵にも帝国の手の者は入り込んでいるのだぞ」

「では、二人の娘の片方を殺し、片方を北方へ追いやり、孫達を死地へ向かわされてもなお、陛下に従うと言うのか?」


 詰め寄りながら放たれる弟の言葉に、ミアは顔を強張らせた。無論、王家と貴族という主従の立場から見れば、ミアの方が正しいという他ない。しかし、子孫を害された親の気持ちという点で鑑みれば、エッカートの言い分も通らないわけではない。


「その理論を通して良いのは平民だけだ……ッ!」

「そう言うと思ったよ、兄上」


 エッカートが言葉に潜ませた刃が、実体を得た瞬間だった。袖の内側に忍ばせていた短剣を、わずかな所作で踏み込み、ミアの脇腹に刺し込んだのだ。短剣は突き刺してすぐに捻り込まれ、傷口をより致命傷に近付けた。


「エッカート……お前……」


 残された力でエッカートに掴み掛かろうとしたミアの体を押し退け、短剣を引き抜く。脇腹の辺りは赤黒く染まっていた。


「まずは、このミア家に溜まった毒を、兄上の臓腑から抜かせて貰おう」


 床に伏し、ぴくりとも動かなくなったミア伯爵を見下ろしながら、エッカートは底冷えするようなおぞましい声色で言い放った。短剣を払って血を飛ばすと、鞘に納めながらキンティに目をやった。


「キンティ殿、私エッカート・ミアはこの時をもってミア伯爵家を継がせて貰う。そして、我がミア家はベクォン公爵に味方する。このシオンタの街も好きに使って頂いて構わぬ。他にも協力出来る事があれば、是非とも言ってほしい」


 エッカートの言葉に、キンティは目を細めて口許を歪める。普通の猫であれば愛嬌もあるだろうが、老いた猫亜人のそれは薄気味悪い笑みだった。


「分かりました、ミア伯爵は味方に付いた事、公爵に報告しておきます。港の封鎖と砲撃も止めさせましょう。それでは、失礼致します」


 キンティは一礼して下がった。ホールに一人残されたエッカートは、もう冷たくなり始めた兄の転がる様を見て、人間に出来る限り顔を歪ませ、狂ったような笑い声を上げた。この後、ミア家はエッカート派に従う者だけが残るまで、徹底的な粛清が吹き荒れる事となる。



 大陸暦六一六年、破魔の月下旬ー

 パッテンとマルキヤの帰還はほとんど同じタイミングだった。水陸兵五〇〇のみで守っていたアギラが襲われた形跡はなく、損害も発生していなかった。治療の終わった者から次々と復興作業に取り掛かっていたのか、荒れ果てた街中の片付けが進んでおり、資材の不足は瓦礫の中から使える物を選別して再生する事で対処していた。


「随分と派手にやられたな」

「砲艦一隻に戦闘艇二隻の撃沈、それと同じ数の中破を喰らわしてやった。そっちはどうだった」

「上手く食い繋げば、五〇〇〇人が一月半近くは食っていけるだけの物が手に入った」


 ペリブアスの被弾を見たパッテンが嘆息を洩らしたが、マルキヤはそれ以上の戦果を上げた事を強調した。見栄っ張りの気もあるが、この状況下ではとにかく戦果報告が欲しかった。仔細を知らない兵士や作業者を鼓舞するためにも、まずは結果を出したという事実が必要なのだ。損害報告と今後についての話し合いは、それからでも遅くはない。


「こちらも戦車が二輌やられたが、お前も輸送船二隻を喪うとはな。しかし、奴らも砲艦を喪えば、しばらくは大きな行動は起こせまい」

「そうだと良いのだがな、ベクォン公爵領軍には旧型のビルカ級が一隻あったはずだ。今回戦った敵艦隊は、どれも新型だった。ビルカ級は旧式化したとはいえ、乗り手次第ではハーム級にもひけを取らない」


 食糧の他に資材も調達出来て上機嫌なパッテンに対して、マルキヤは決して楽観視は出来ないという素振りだった。不意に、冬の空に雲が掛かり、言い様のない寒気が走る。


「パッテン、お前も気を付けろ。あと二月でシオンタまで進軍するという計画も練り直しだ」

「……分かった。こっちにも今後も安定するとは限らんからな」


 マルキヤの視線が鋭くなる。決まってこういう時は悪い報せが来る、パッテンはそれを直感し、深く頷いた。実際のところ、戦車隊の損傷を補修するためにも時間を必要としていたため、丸々一月は次の戦の準備に費やす事も視野に入れていた。


 シオンタから早馬が入り、ミア伯爵家での一件と変心が伝えられたのは、それから数日後の事だった。

大陸暦六一六年、破魔の月下旬ー

伯爵様のお屋敷から、何日も何日も悲鳴が聞こえたんだ。血だらけになって出てきた料理人さんを助けたけど、震えて何も言ってくれなかったんだ。

   城塞都市シオンタの住民の証言『日付不明』

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