第五十二話『意外な果報』
大陸暦六一五年、金蝎の月下旬―
初旬に初雪が降ったニバラク侯爵領は、一月と経たずに方々が雪の笠を被ったように白くなっていた。町村や集落の家々から伸びた煙突は常に煙を立ち昇らせ、雪雲に覆われた灰白の空に溶かしている。
アルフレッド・ニバラク前大臣の葬儀が執り行われたのは、そんな雪が降る中であった。王都ボートミールでも葬儀は行われたが、諸事情で動けなかったドネッド・ニバラク侯爵のため、改めて行われたのだった。同時に、キトリヤ軍との戦で命を落とした将兵や民の葬儀も兼ねられていた。
「ニック王子殿下」
葬儀が終わって数日後、キトリヤ軍の傭兵ゲオルギーが、ニックの元を訪れた。
今でもキトリヤ伯爵領軍の正規兵は捕虜として監視下に置かれているが、彼のように一部の傭兵にはある程度の自由を与えている。無論、ニバラク侯爵領の民との諍いを避けるため、動ける時間などに制限は加えられている。
部屋の時計は二十の刻限を指していた。冬の日暮れは早く、人もその分早く床に就く。ニックはハーム軍の総司令官として、報告書に目を通している最中だった。
「貴方はキヤスキー傭兵隊の……」
「ゲオルギーです。先日は弟のミハイル共々、葬列に加えて頂いた事、また母と弟も合わせて弔って下さった事、有難く思っております」
「元々不仲だったとはいえ、ニバラク領民もキトリヤ領民も等しくハーム王国の民だ。内乱という形で生きて争い憎み合ったとて、死後もそれを引き摺る必要はない。今後ぶつかるであろうベクォンの民も同じ事だ」
ゲオルギーの謝礼に、ニックは淡々とした口調で応じた。
「不躾ですが……ご自身の大切な方がご無体を振るわれても、同じ事が言えますか?」
「言える……というか、言わねばならない。それが、上に立つ者の勤めだ」
ニックは心の内を見透かされているようだった。ハンスの話にあった、ベクォン家にて確認されたマルシア前王妃と思わしき女。それが正真正銘、生母マルシアを生き返らせた者だとしたら、自分は冷静になれるのか、心を乱して付き従う者達を不幸にしないかー
「差し出がましい事を、失礼しました」
「いや、いい。いずれはぶつかる問題だ。ところで、貴方はこれからどうする?」
「キトリヤ領に戻り、母と弟の死を報告しなければなりません。その後、母から傭兵隊を引き継ぐという手続きを行います。新たな契約は、それからの話になるでしょう」
「そうか、分かった。もうしばらくの勾留となるが、傭兵の解放はもう少し早める予定だ」
そうですか、と返したゲオルギーは、静かに一礼して部屋を後にした。
金蝎の月も終わりに近付き、いよいよ年末という時期になると、市井には戦とは異なる慌ただしさが立ち込める。この時世であっても、一年の締めくくりと次なる準備は欠かせなかった。
「ベクォン領へ進軍する前に、キトリヤ領を押さえておきたい。現状の兵力では可能だと思う」
「私も、キトリヤを叩き、後顧の憂いを断つ必要はあると思います。しかし、我が軍を総動員した場合、ベクォン領から軍を出された時の対処が難しいと思われます」
「それだな……ナーウィン狩猟ギルドの方々は、もう戻ってしまったし、今から再召集など掛けても負担になるだけだ」
ニックとリアブは卓を挟み、地図と睨み合っていた。
ニバラク領からキトリヤ領まで移動するには、ルーテから東に進み、高山地帯を迂回するように逆時計回りに進む必要がある。その迂回路の南端はベクォン領から人間基準で目と鼻の先であり、猛禽亜人に哨戒飛行でもされていたら、たちまち察知される。
そうなれば、キトリヤ領に早馬を飛ばされて迎撃態勢を整えられるか、やり過ごされてニバラク領を攻められるか、あるいはその両方だった。
「殿下、狩猟ギルドの者達を帰してしまったのは時期尚早だったのでは」
「いや、元々彼らはニバラク領解放までという約束だ。それに、ベクォン軍が本腰を上げれば、彼らだけでは守りきれない」
葬儀が一段落して、ガロンドやシャーリーンをはじめ狩猟ギルドの狩人達は、ナーウィンに帰っていった。今頃は戦没者の葬儀も済ませ、年越しの準備に追われているだろう。現在のニックの手勢は、王都から連れてきた内の生き残り、四五〇に少し数える程度だった。
二人して考え込んでいると、ミアが部屋に駆け込んで来た。
「ニック様、リアブ将軍、見張りより報告がありました。南東より輜重の隊列が迫っています」
「隊列を組むほどの輜重?こんな時期に隊商か?」
「隊商を装った敵の可能性も否定出来ない。騎兵を出して臨検させてくれ」
リアブを横目にニックはハッとした表情になり、すぐさま臨検を命じた。
「は、ただちに」
怪訝な表情をかすかに浮かべながらも、ミアは急いで駆けて行った。
ニックはリアブに事情を聞かれる前に、前に似たような事をやった、と付け加えておいた。
二刻ほどして、騎兵に連れられた輜重の隊列がルーテの門を潜った。
「敵の密偵でも潜んでるかと思ったが、とんでもない大物が入っていたか」
ニックは一同の前に引き立てられた人物を見て、思わず感心した。
連れて来られたのはガストン・キトリヤ伯爵であり、捕縛と移送によりひどく憔悴していた。それでも、周りの者達は縄を緩めようともしない。余程の事があったなと睨んだニックの元へ、見覚えのある人物が現れた。
「ニック様、お久し振りです」
「これはどういう事かな、ロスにコリンズ」
キトリヤ伯爵を捕まえて来たのは、ニックがジリボンに密偵として送り込んだロスとコリンズだった。この状況下では大きな戦果だが、本来の目的とは異なっている。それについては、二人の後から現れた男女が説明を申し出た。
「お久し振りね、王子様」
「状況が状況です、ここは僕達に説明させて下さい」
こちらも聞き覚えのある声、その主はシャスタとポールだった。
「ニムネク商会もサミサ商会も、ベクォン家に先手を打たれてね。表立った行動がほとんど出来なくなった。いつもの裏家業も、人員もかなりやられたよ」
シャスタは飄々としていながらも、悔しさを滲ませた口調で言った。
ニムネク商会が荷馬車の二重底を利用して密輸品を売買している事は、ニックも勘付いている。
「まぁ、逆にこの状況を利用してやったさ。キトリヤ伯爵領へ運べる密輸品が減ったからね」
「キトリヤ伯爵領に?一体何を……」
「塩です、ニック様」
ニックの疑問に答えたのはポールだった。
「キトリヤ伯爵領で生産に難儀する物の中に、塩があります。北東部の海岸線で精製されてはいますが、その量は決して多くなく、他の地方と比べると高価になります。我々は以前からキトリヤ領内の闇市に塩を横流ししていました」
「つまり闇塩か。しかし、ベクォン家の介入で荷が減ったという事は……」
「えぇ、塩の密輸も減り、さらに戦による物不足で塩の値段は高騰を極めました。そして、元々キトリヤ領民は豊かではありません。そこで、伯爵家に反発する人々を焚き付けたのです」
ポールの言葉に、ニックは合点がいった。
領主たるキトリヤ伯爵が領民に慕われていないからこそ、縛り上げられた伯爵を誰も助けようとしなかったのだ。恐らく、ロスとコリンズが一枚噛んでおり、恐ろしいほどの手際で片を付けたのだろう。
ニックはその様子が容易に想像出来た事と、目の前の課題が一つ片付いた事に、思わず笑みをこぼしていた。
大陸暦六一五年、金蠍の月下旬-
事が大きく動いたのはここ一月だが、領民の不満は随分と前から溜まっていたらしい。それにしても、手土産に火焔飛竜でも連れて行きたかったかな。
ハーム軍近衛兵エドワード・ロスの手記『金蠍の月三十日』




