第百話『金色の園』
大陸暦六一六年、大魚の月初旬-
ニックとミリアムは、『流れる銀』のゴーレムの真の中枢へ迫る登り階段を一歩ずつ踏みしめていた。不思議と疲れは感じず、呼吸も落ち着いていた。
「そういえば、ここに来て、どれ程の時間が経ったのだろうな」
「分かりませんわ。姉上様が外壁を破ったのが九の刻限で、それから軽く半日は戦い続けてましたわ」
ベクォンの屋敷に入った後からの時間経過は数えておらず、ゴーレムの中ではさらに時間の概念が狂ったように感じられた。喉の渇きも空腹も感じない。しかし、治癒の術式による傷の治療は驚くほど早い。内部を流れる強大な魔力の影響を受けて、時間も空間もねじ曲げられていた。
「扉が見えてきたな」
「えぇ、この先にオリビアがいるのですわ」
「ベクォン公爵もな。終わらせるぞ、ミリアム」
「分かっていますわ、兄上様」
階段を登り切った先に構える大扉を前に、ニックとミリアムは顔を見合わせた。兄から見た妹は、この一年近くで大人の女に近付いたように見えた。丸みを帯びた印象の顔の輪郭線や目の形も、どこか細みと色を感じていた。妹から見た兄は、大人のさらに先に踏み込んでしまったかのように見えた。思い詰めたような憂いと、秘めた決意を瞳に宿している。
「ベクォン公、今度こそ逃げられないぞ」
「オリビアを迎えに来ましたわ」
扉が開け放たれ、踏み込む。二人の目に飛び込んで来たのは、部屋一面を覆い尽くす金色の茨だった。その茨を目で辿ると、奥の壁に磔にされる形で、オリビアの姿があった。その姿に、ニックとミリアムは表情を強張らせた。
目元から上は金色の茨冠から伸びた蔦に覆われており、その表情を垣間見る事は出来ない。一糸まとわぬ身体は歳に見会わぬ――ミリアムと同い年とは思えないほどの――豊かな稜線を保ってはいたが、それに劣情を抱く者はまずいなかった。
「オリビア……」
「なんという姿に……」
二人の言葉は続かなかった。彼女の腰から下もまた、金色の茨に覆われており、伸びた蔦は玉座の形を成している。ベクォン公爵ルイスの座する姿がそこにあった。
「驚いたよ、ここまで追ってくるなんて」
「これはどういう事だ。オリビアをどうした」
「そうしたも何も、この金色の茨こそが、私とオリビアの王座だよ。見たまえ、茨から伝わる魔力が、私に力を与えてくれる」
開かれたルイスの掌から、衝撃波が放たれる。術式ではない、魔力をぶつけただけだった。立て続けに衝撃がニック達を襲う。ミリアムが踏ん張りきれずに転がり、ニックの剣が折れた。
「私をどうにかしようという割には、大した事ないね。まだ私は、この比類なき魔力の一端も使っていないのだよ」
「その魔力は貴方のものではなく、オリビアのものですわ……!」
立ち上がったミリアムが叫ぶ。突き出された杖には紅い輝きが宿っている。連弾で放った魔光弾が衝撃波ひとつで消し飛んだ。反撃に撃ち込まれた魔光弾の炸裂を受けて、ミリアムが吹き飛ばされて床に伏す。
「いや、これは私の力だ。言うなれば、オリビアと共にある私の力だ」
圧倒的な力を得て、得意になったルイスは饒舌に言葉を並べる。
「銀の巨人のこの場所にして、金色の茨が織り成す王座。まさしく、ここは母が子に授ける安寧の座なのだよ。分かるかね、オリビアは私の娘にして、母になったようなものなのだ。あと少しで、姉と共に生きてゆく世界を創れたが……」
「黙れ!」
ニックは剣が折れているにも拘わらず、ルイスに向かって踏み込んでいた。刀身はまだ半分残っている、短剣だと思えばいい、ギラ付くような殺意が込められた剣が振り下ろされたが、やはりルイスには届かなかった。障壁の術式ではない。金色の茨がニックの剣を受け止め、絡み付いた。
「くそっ、何故だオリビア、どうして公爵を守る!?」
「何故、とはまた愚問だな。言ったように、今のオリビアは私の娘にして母。母が子を守るのは当然だろう?」
ルイスの言葉に、ニックの怒りはさらに滾った。目からは憎しみに近い感情が渦巻き、溢れ出ている。母が子を大事に思う事は当然だった。事実、王母サラも実子グレンのためにボートミールの城内を謀の園に変えた。それが原因でニックとミリアム、そしてアリシアが今の立場に置かれている。
茨に絡め取られていた剣が砕ける。いよいよルイスは喜色満面になった。
「さぁ、終わりにしよう。オリビア、二人を殺し、身体の中も綺麗にしよう。そして外の害虫を全て駆除し、ボートミールという病巣を取り払ってしまおう。この国は、私達が救うのだ!」
荒れ狂う猛獣の如く押し寄せる茨に打たれ、立て続けの衝撃波に吹き飛ばされたニックが大きく後退りし、ついに膝を付いた。鎧兜は傷に覆われ、隙間からは血が滴っている。頭を何度も揺さぶられたような感覚になり、ニックの意識は朦朧としていた。それでも、ほとんど無意識にミリアムを庇っていた。
「終わりだ……死ね、ニック!」
ルイスの掌が向けられ、茨の奔流がニックに迫る。これに呑まれれば、いよいよ鎧兜ごと斬り刻まれる。怒りを内包しながら、しかし立ち上がる力を失いつつあるニックの目の前に、見覚えのある背中が現れた。無数の茨が全て切り落とされ、思わず後退する。
「お前は……お前達は……!」
金装飾の施された銀の鎧兜は近衛兵の証、それをまとった大柄なトカゲ亜人の背中。港と海と荒々しい世界に揉まれ、逞しさに満ち溢れた男の背中。どちらも、ニックのよく知る人物だった。
「ロス……ウォーレン……!」
二人は死んだはずだ、つまり自分は冥府に運ばれたのか、そう思って後ろを振り向くと、肩で息をしながら杖を掲げたミリアムの姿があった。その傍らには、最も会いたかった人物がいる。
「この術式を使うのは、これが最初で最後ですわ!」
「そうね、あなたをこんな目に遭わせるのは、私としても辛いものだったわ」
マルシアだった。二度も反魂の術式で蘇るなど、あってはならない事だったが、水面下で何かしらの動きはあったのだろう。そして、魔力も周囲の『流れる銀』から吸収すればよい。
「いくら魔力が溢れているとはいえ、反魂の術式をこうも連続で使えるとは……過去に嫁いだベクォン家の血筋が、ハーム王家に魔法使いをもたらしたという、姉の話は本当のようだな。だが……」
魔法使いの家系は女性は魔力が高く、男性が血統の存続に適しているという。しかし、希に母子で魔法使いの血統を受け継ぐ事があり、ハーム王家とベクォン公爵家の間でそれが発生していた。とはいえ、それはミランダとアリシアの話だとばかり思っていたルイスは、ミリアムの秘められた魔力に驚嘆するばかりだった。
「ニック、まだ立てる?」
「はい、骨も筋も痛めておりません。足りないのは剣だけです」
「それなら、これを使いなさい」
ニックと並んだマルシアは、右の腰に下げた剣を抜かせた。生前のマルシアが得意としたのは、二振りの剣を操る剣術で、妹のフランソワが得意とした斧とは柔と剛の関係にあった。
「マルシア妃よ、何故そやつらの味方をなさいますか。貴女とて、あの国王に殺された身でありましょう」
驚嘆混じりの声で、ルイスはマルシアに問い掛けた。オリビアの魔力があるとはいえ、大の男二人にマルシアまで敵に回れば、形勢は決して有利とは言えない。
「残念だけど、先王への落とし前はもう着けてきたわ。あとは、愛しい子供達のために尽くすのみ」
「その首は預けておくと言ったがな、そんな姿を見たくはなかった」
「今またこうして、ニック様のお役に立てるというには、出来すぎた舞台だな」
マルシアに続き、ロスとウォーレンが前に出る。ルイスはたじろいだ。思考も意識も奪われているはずのオリビアから、狼狽の色が見える。あの決別の夜、自分が焼き殺した男が目の前にいるのだ。
呼吸を整えたニックが、剣を構えて三人の前に出た。その目は力強く、ルイスとオリビアを捉えている。
「オリビア、君を助けに来た。少しの間、辛抱してくれ」
ニックが向けた剣の切っ先が、オリビアの茨冠に向けられていた。
大陸暦六一六年、大魚の月初旬―
二度の反魂は重罪だと言う説明はした。しかし、彼女の決意は揺るがなかった。
―元宮廷魔術士長セオドア・ベクォンのつぶやき




