第三話 世界一可愛い妹(天使)が休日に出かける 2
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「こちらスネーク、対象は待ち合わせ場所で待機中だ」
翌日、俺は妹の待ち合わせ時間よりも前に設定した集合時間に、
「玲二玲二、ねえねえねえ、どう似合ってる? 可愛いかな? ねえ、惚れた? 惚れた?」
横で玲二にまとわりついているのは乃羽晶子。俺達の後輩で、三つ下の――『中学生』だ。
「晶子、いいかい? ひっつくなと普段から」
「あ、恭くん、今日は誘ってくれてありがとねー」
「いやいや、こっちこそ悪いね。俺は邪魔だろうに」
「そんなことないよー、玲二は乃羽と二人っきりじゃ出かけてくれないんだもん。恭くんのおかげで玲二と一緒に過ごせるんだもん。全然問題ないよ。むしろありがとうだよ。ねえねえ玲二――」
ふう、しかしあれだな、今更だが。
めっちゃ尾行に向かないな、このパーティー。俺のすぐ後ろでいちゃいちゃとするバカップルは目立って仕方ないし、俺達三人の顔は当然茜音に割れているのだ。
このロリコン、小学生の頃には何かと晶子の面倒を見ていて、俺と茜音のように兄妹がごとくいちゃいちゃとしていたのだが(ここにツッコミは受け付けない)、晶子が中学に上がり、『女性らしさ』を身につけ始めて玲二に好意を向け出した途端、掌を返したように距離を置こうとするのである。
重要な語句を抜き出すと――中学生、好意、女性、である。これが何を意味するか、もうおわかりだろう。
いや、俺のような普通の感性の人間としては、年齢にしては成長しているとはいえ、三つも年下の、中学生の好意に応える時点でアウトだが、しかしそれが、小学生の――成長前の頃にはべた甘だったことを考えれば。まるで兄妹のようにラブラブ(死語)だったことを考えれば、である。
病理は根深いといえよう。
俺と茜音は基本的に、晶子を応援している。玲二はロリコンを除けば、容姿も成績も頭脳も(成績と頭脳は別だ)社会に何ら恥じることのないいい奴だし、今は大きな壁である三つの年の差も、学生でなくなれば何の問題も無い。七つ八つの年の差なんてざらな昨今、大人になれば三つなど無いも同然だ。
そうこうしているうちに、待ち合わせ場所に明日葉が来た。連れだって歩く二人を、俺達は尾行する。
「ねえねえ玲二玲二、最近冷たいのは――」
「歩きにくい、離れるんだ。いや、違う、僕の腕を離すんだ。僕から腕を離すんじゃなぎゃぁぁぁぁ!」
「…………」
かなりの距離を置きながら、二人を尾行する。尾行対象が中身まで天使な茜音と、見た目だけは美少女な明日葉で本当に良かったと思う。見失いにくいし、周りがすこしうるさくなるからだ。
「あの、言いにくいんだがな、晶子。あまり腕を強く抱え込むと」
「あててるよ?」
「…………いや、残念ながら強すぎて感覚がもう、ですね」
「え? 残念? 残念なの、玲二」
「違っ、言葉の綾だよ」
「なあんだ、もうっ、玲二たらっ」
「無理無理無理無理! 曲がらない! そこまで腕は曲がらなぷぎゃ=)%%#&=っ!!!」
「…………」
人選、ミスったなぁ……。
む。茜音と明日葉がなにやら楽しげに会話している。さすがにここからじゃ声は聞こえないけれど(もし聞こえていたら、こちらの声も聞こえちゃってるからな)。
俺は二人の様子を――
「ご、ごめん玲二、まさかとれちゃうなんて」
「いやその文脈じゃ腕がとれたみたいですからね!? とれたのボタンだけですから!」
「縫ってあげるから、脱いで?」
「いや、そんな気軽に言われてもこの下は」
「今すぐ、ここで、脱いで?」
「話、聞こう?」
「え? 乃羽に脱がせてほしい? もうっ、玲二ってば」
「話を聞いてくださ――いやちょっとそれ本当にダメだからひぃぃぃ」
バカップル、うるせぇ……。
「ほらほらはやくっ、ふふっ、玲二、随分おっきくなってるね」
「何がっ!? ねえ、何を指してるの!? 晶子は僕の何を知っているのさ!?」
「胸板、こんなに厚い」
「ああ、うん、割と健全でよかっ――ひうっ、べたべた触らないでっ」
「ふふっ、照れちゃって。かわいい」
…………リア充、爆発しろ。
などと冗談を言っている間に、店に入っていく茜音達。バカップルを引き連れながら、店に入る。さっきから明らかに人選ミスらしいバカップルだが、この店に入るには必要だったみたいだ。女性用の服しか置いていない店に、男だけではいるのは不可能だし。
幸いこのメンツなら――
「ねえねえ玲二玲二――」
「わかったから離れてって」
バカップルとお邪魔虫だ。……泣いてない。泣いてないよ。
いくつかの服を見て回る茜音達。と、気になった服があったのか、一着を手に、試着室の方へ。遠目に見ても、随分ひらひらの多い、着るのが大変そうな服、という印象だ。そういう服をおいている都合だろうか? 試着室は一般的なものに比べると大きそうで、余裕のある作りになっている。と、言っても試着室。そんなに広くはないだろうが。
まあ二人とも見た目はいいのできっと似合う――え?
二人は連れだって、試着室に入っていった。
大切な事なのでもう一度言おう。
二人は連れだって、『同じ試着室に』二人で入っていった。
「なん、だと……?」
いやいやいや、落ち着け、落ち着くんだ矢代恭吾ッ!
女の子同士だ、何も問題はな――しかし待て。逆の立場で考えろ。俺と玲二が同じ試着室に入るか? そんなのあり得ないだろう。いや、しかし、女子の生体に乏しい俺では――、
と、俺は晶子に意見を聞くべく振り返る。
「なあ晶子」
「いや、それはないよ? 隣でしょ、普通」
即答だった。聞く前に答えられた。あとさりげなく、ちゃんと尾行を忘れてなかったことに感動した。
そして相手は明日葉だ。茜音を好きだと公言して(いや、クラスでは何故か俺の彼女という扱いになっているが)はばからない女である。これはそう、油断を誘って――。
「まずい、もはや一刻の猶予もない」
まだ、今なら試着室に入って、大して時間はたっていないはずだ。まだ間に合う。
行くしかない。
俺は周囲を窺う。幾ばくかの女性達が、店内にいる。さすがに、試着室に飛び込むシーンを見られてはアウトだ。社会的に。
迅速に、隠密に、突入しなければならない。
すべての視線を数値化する。敵(女性達)の視線はどこを向いているか。そう、これはステルスミッション。しかも難易度最高の、見つかったら即ゲームオーバーのモードだ。
ゲームのレーダーを、頭に浮かべる。敵の視界、行動予測、自らのカムフラ率。
やれるな?
タイミング、呼吸、動作のイメージ、自らの身体能力、隙。思考をクリアにする。目標は、あの試着室。
「――――」
今だッ!
疾駆。それは野生のヒョウを思わせる、しなやかな。
低姿勢からの最高速度。踏み込む足、前へ蹴り出す力、並ぶ服による視線のシャットアウト。客の位置、何倍にも引き延ばされた、スローモーションのようなそれは、しかしその実、たったの一瞬。
完璧な動作。見咎めるものは誰も居ない。
誰にも気づかれず、誰にも悟られず、何も起こらなかったかのごとく。
俺はカーテンの向こう側へと、飛び込んだ。
「――――っ!」
そこには――。
試着室の中には。
下着姿の――。
――明日葉が居た。
「んんっ?」
何で明日葉が下着姿なんだ? てっきり茜音が脱がされているのかと。
肝心の茜音は、そのすぐ横で、近くで見てもやはり一人では着づらそうな商品の服を持って立っている。もちろん脱いでいない。飛び込んだ中は当然と言うべきか、どう考えても三人入るには狭く、鏡の中には所狭しと俺達が写っていた。まあ、ほとんど一番鏡側にいる、明日葉の下着姿を写していたわけだが。
水色のレース。それは、それなりに大きな明日葉の胸を支えていた。
驚くほど巨乳というわけではないが、ふむ。結構着やせするタイプではあったらしい。十分以上に存在感を主張して、視界に飛び込んでくる。
「恭吾くん?」
茜音はなにやら震えながら、商品を力いっぱい握りしめながら、声を出す。
「なにを、してるの?」
「なにを、してるんだろう?」
茜音を助けようと試着室に飛び込んだら、明日葉が下着姿だった。うん、自分でもよくわからないな。どうしてだろう。そしてもしかすると、ひょっとして、これじゃあ俺はただ試着室に飛び込んできた変態なのではないかと、今更思った。
「どうかしましたかー?」
間延びした店員の声が、外から聞こえる。
これ、まずいのでは?
「な、何でも無いですよ!」
声を出したのは明日葉で、そのまま俺を近くにひったぱった。
二人なら問題ないけれど、三人では、よほど密着しないと、『不自然にカーテンがふくれる』。それが何を意味するのかは、語るまでもないだろう。
不審に思う店員→カーテンを開く→下着姿の明日葉と試着室に飛び込んだ男性→おまわりさんこっちです!
「(少し、静かにしていてください)」
明日葉はそう言って、俺の口を押さえて、後ろから身体を押しつけてきた。片手は口に当てられ、もう片方の手で鎖骨の辺りを押さえつけられている。上半身を中心に密着した状態だ。
おっぱい。
背中に押しつけられて、形を変える膨らみ。自分のシャツと、彼女の下着、たった二枚を通して感じる柔らかさ。
胸とか胸部とか、そんな言葉では決してない。おっぱいと呼ぶにふさわしい感触だ。
そしてすぐ耳元に感じる、明日葉の呼吸。
心臓が痛いくらい鼓動を繰り返している。
店員が動く気配を感じたのか、明日葉が一層手に力を込める。身体がさらに押しつけられ、彼女の細い指が、鎖骨の辺りを這う。
「――ぅぁ」
小さく声が漏れる。
「…………」
やがて、店員が遠ざかったのか、徐々に力は緩む。形を変えていた、その柔らかさを、今度は逆回しで感じた。
「なんとか平気だったみたいですね」
開放されて振り向くと、下着姿のままの明日葉がこちらを見ていた。そんな彼女から目をそらすように、俺は視線を落とす。そこには――さっきまで押しつけられる形になっていた胸が――。
「恭吾くん」
横から、茜音の声がする。
「な、なんでしょう、か?」
普段とは何かが違う温度感に、思わず敬語になった。
「今は、どうやら去ってくれたようだけど、どっちにせよ試着室を出るところを見られたらアウトだよね?」
「う、うん、そうですね」
「じゃあさ、恭吾くん」
茜音は手にしたひらひらの服を、俺の方に差し出した?
「どうしたらいいか、わかるよね?」
「ちょっと、わからない、かな?」
「きっとね、女の子なら、試着室に飛び込んでもまだ許されると思うんだ?」
「そ、そうですね」
「見た目、大切だよ?」
そう云いながら、鞄から化粧ポーチを出してくる茜音。
「断れないよね?」
大層怖い笑顔で、妹様が笑っておられました。