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1.仮面と恋

「殿下がいらっしゃる。一同整列し待機!」


騎士アルスターレは号令に合わせて、左手の指先を美しく見えるよう揃え、自らの右鎖骨に軽く添える。

背筋を伸ばし、なにひとつと見落とさぬようまばたきを惜しむ。


横一列に並んだ騎士隊の前に現れるのは、次期王となるゼレス・ラガルタ殿下。

騎士隊一同を端からひととおり眺め、お声を発する。


「みな、今日の客人は待望のレベスタ王国の外交官だ。安全に、気分よくお過ごしいただけるよう、力を尽くしてほしい」


高貴な身ながら気さくに声がけくださる御心の広さよ。

その麗しい(かんばせ)がきりりと笑むと星の輝きが舞うよう。

その残滓一滴も逃すまいと、アルスターレは両の瞳をよく開き、自らの瞳にその輝きを映し、心の中に汲み上げる。


颯爽と去っていくその背中もまばゆい。


この方の力となりたい。

この方をお支えする一端となりたい。


アルスターレはこの想いの元、女性騎士となり、殿下をお見かけできる仕事に当たれるほどに昇格を重ねた。


この方の導く国で生きられるだけでも幸福だが、お近くでお役に立てる仕事があり、運よくば、お声がけいただける僥倖付きとあれば、騎士になるのはアルスターレにとって自然なことだった。


・・・


「アルスターレは、本当に殿下がお好きね」


くすくすと涼やかに笑いながら言うのは、ゼレス殿下の婚約者たる、ルディア・ファーレン侯爵令嬢。

アルスターレが今朝方騎士隊へ声がけいただいた感銘を話したところ、この反応であった。


数少ない女性騎士アルスターレは、ルディアの護衛を受け持つことが多い。

ルディアの側には、ファーレン侯爵家が雇用したルディアの身の回りの世話をする侍女も、身の安全を守る護衛もいるが、国側から派遣される護衛がアルスターレだった。


今回はレベスタ王国の外交官がここ、国賓館を訪れるのに合わせ、次世代として顔見せに来ている。

こういった時に国所属のアルスターレがいると、身動きや連携が取りやすいし、機密具合によっては侍女らを連れられないこともあるので、なにかと行動を共にすることが多い。


ルディアは自らの婚約者に心酔するアルスターレと仲が良い。

同じものを敬愛する、すなわち、殿下がいかに素晴らしいかを理解しあう同志だ。


自分の婚約者を敬愛する同性を不快と言わず、殿下を素晴らしく思う人間は一人でも多い方がよいと寛大なのである。


このように心の広い方が婚約者であれば国の将来も安泰であろう、というのが一騎士アルスターレの所感であった。


しかし近年、ファーレン侯爵家を追い落とさんとばかりに力をつけている家が出てきた。

婚約当初であれば、ファーレン家は筆頭侯爵家と言えたが、現在はミストレイ侯爵家が台頭してきており、二家の力関係は拮抗してきている。


ファーレン侯爵家は、積み重ねてきた仕事の実績と信頼により、王家と貴族の信を得ているが、ミストレイ侯爵家は領地で太い鉱脈が出たことで財力と鉱山利権によって急速に力をつけている。

近年安定して産出できるようになった鉱石を売ることと引き換えに、他家の支持を集めているようだった。


そんなミストレイ侯爵家の娘、シェラ・ミストレイ侯爵令嬢もまた、次期王ゼレスを好いている。


アルスターレのように、ひと目お見かけできた幸せを噛み締めるのではなく、どうしても妃の座を手に入れたいと、あの手この手で殿下に婚約者の変更を願い出ているところは異なるが。


「シェラ様もアルスターレのように、ゼレス殿下のお力になりたいという心が強ければ良いのですけれど、ご自分の欲望が勝るのかしら」


レベスタ王国との会合では、鉱石の輸出に関する件があるので、ミストレイ侯爵当主は出席である。


しかしお呼びでないにも関わらず、シェラ・ミストレイ侯爵令嬢が現れた。

現場警備担当の騎士たちは、ミストレイ侯爵と侯爵令嬢シェラを控室に押し込み、予定外の事態に至る事情を聴取してその内容を殿下へ伝達。


今は殿下の指示待ちで待機。


その間、ルディアが巻き込まれないよう、アルスターレはルディアを別の控室へ退避させ、状況が動くのを待っているところだった。


現婚約者たるルディアが挨拶に出るなら、妃となりたいシェラはおとなしくしていられなかったのだろう、とルディアはおっとり見解を述べる。


「ご挨拶だけで会議の時間を削る意味はないと思い、本日の資料を編纂したのはわたくしなのです。不測の事態に備え、説明できる作成者のわたくしがいるのは理由が立ちますが、突然来たシェラ様はどんな名目でこの場に来られたのかしら」


ご令嬢が出てきて挨拶するだけでは格好がつかない、というのがルディアの考えだ。

よって挨拶をするとなった段階で、仕事にも噛ませるよう自ら交渉しての今日である。


「このように皆の仕事に影響を出すほどになってきたのだから、シェラ様の件はそろそろ落としどころをつけるべきだと思うのよ。それを殿下とお話したいので、アルスターレ。ゼレス殿下にご相談する時間を作っていだけるよう、伝言をお願いできるかしら」


シェラ様の目と耳をかいくぐってですよ、とルディアは穏やかに微笑む。


アルスターレは左手の指先を揃えて右鎖骨に添え、頭を下げて答える。


「承りました」


・・・


アルスターレは退避場所となった控室を一人出て、殿下の身の回りの世話をする従者に接触する。


殿下の従者もアルスターレが現在の状況をルディアへ持ち帰りたい意向を汲めたので無言でメモを渡す。

声でやり取りはしない。どこで聞きとがめられるかわからないからだ。


目を通し、頷きで了承を伝え、アルスターレ側からも従者へメモを渡す。


ルディア侯爵令嬢の要望でゼレス殿下に時間を作ってほしい旨を書き記したものだ。


従者はそれに目を通し頷く。


互いにメモを手元に戻し合う。

己のメモは、責任を持って自ら処分するのが決まりだ。

静かにその場を離れるアルスターレの背後遠くで、ミストレイ侯爵と侯爵令嬢が部屋を出る気配がした。


・・・


退避先の控室に戻ったアルスターレは、従者から確認した現状をルディアに共有する。


「シェラ・ミストレイ侯爵令嬢は、ミストレイ侯爵の補佐として来たとのことで、会議に参加することになりました」


「まぁ。事前に補佐で来られると申請されていた方はどうされたの?」


「体調不良のため、代役がシェラ様とのこと」


「せっかくご準備されてきたでしょうに残念なこと。本来補佐だった方にミストレイ家にご不満がないかお見舞いに伺いたいくらい」


頬に手をあておっとりと笑むルディアに、アルスターレは苦笑する。


「シェラ様を先に席にご案内しておき、ルディア様には後ほど、シェラ様の死角よりお部屋に入っていただくことになりました」


「ええ、よろしくてよ。シェラ様は敵が見当たらない中でどう振る舞われるかしら」


楽しみですわね、となんの不快感も見えない微笑みで言うルディアにアルスターレは薄ら寒さを覚えながら、鎖骨に左手を添えて礼をとる。


・・・


シェラ・ミストレイ侯爵令嬢は、鉱石貿易の件で会議に参加するミストレイ侯爵の補佐として会議の席についた。


レベスタ王国の外交官代表と、今回の会議をとりしきるゼレス殿下が最後に入室する。

一人一人の名前が読み上げられ、紹介される中に、ゼレス殿下の婚約者であるルディア・ファーレン侯爵令嬢の名前はなかった。


婚約者であるルディアが次世代としてレベスタ王国の外交官に挨拶する場がこの会議だとシェラは情報を得ていたが、誤りだったのか、体調を崩し不在なのか、もう挨拶を済ませた後なのか、それとも会議後なのかーー

情報がないシェラの思案は推測の域を出ない。


議題は鉱石の件以外にも複数あり、会議は粛々と進んでいく。

互いの要望は概ねすでにすり合わせ済なので、この場では条文の文面を細かく詰めている。

有効範囲や条件、それぞれの認識と齟齬が出る条文になりえないかであるとか、表現に曖昧さを持たせて例外事例が起きた時、条文に反さず事を収められるだけの余白があるか、など。

その他にも、顔を合わせて話したい事項もこの場では交わされた。


シェラ・ミストレイは積極的に発言する。

本来補佐としてくるはずだった者を押しのけて来たのだ。

働きを見せなければ、わざわざ国外の者を招いた会議に、突然お遊びで出席したようにとられかねない。


「鉱石の取引量に関しては、時勢により変動したく思いますので、協定上で具体的数値を記載せず、別途設ける補足契約に基づく、としていただきたく思います」


シェラが発言し、裁量権を持つ父ミストレイ侯爵が同意を示して頷く。

それに対して、レベスタ王国の外交官も発言する。


「協定そのものを変えるのは大きな労力が伴いますからその手法に賛同できます。しかし補足契約に関して、記載する取引量をどう表現するのかと、一度確定させた後改定する条件も検討が必要かと思います」


そこへゼレスが発言する。


「補足契約上は、年間最低取引量と最大取引量の明記ではどうか。やはり具体量を明記しては、不自由ではないだろうか。契約紙面上は取引量に幅を持たせ、ある程度自由裁量にし、交渉によって増減できる方が互いの在庫量と折り合いがつけやすいと思う。ただ、最低取引量を規定する場合は、鉱石が自然のものであるから採れないこともあれば、事故や機材入れ替えで思うように輸出できないこともあるだろう。この場合は、取引中止に関する特記事項として別途入れさせていただけると助かる」


レベスタ王国の外交官は頷きつつも要望を口にする。


「中止とまではせず一時停止とし、取引を止めるのではなく、応相談とさせていただけるとありがたく思います」


「確かに一時的な事象が要因であればそれが良いと思います。ただ、採掘量の大幅な減少が見られた場合はやはり中止とさせていただきたい。我々も自国の流通を優先させる必要があります」


ゼレスの申し出に、外交官らは顔を見合わせわずかな相談後、意見した。


「最大限取引を継続するよう尽力する、という文言をいれていただけますか?」


ゼレスは、可能な限り尽力する心積もりはあります、と答え、外交官らもそれに頷く。


「ミストレイ侯爵。この方向でよろしいか。よければ、最小取引量と最大取引量の規定にしたい数値の検討をお願いしたい。レベスタ王国でも持ち帰り、量をご検討いただき、書簡で打ち合わせでどうだろう」


ミストレイ侯爵は、しばしの勘案した後、シェラに頷いてみせた。

それを受けてシェラが口を開く。


「ゼレス殿下のご提案に添って検討を進めます」


ゼレスはシェラに頷き、レベスタ王国の外交官に言う。


「取引量については後ほどミストレイ侯爵とこっそりお話しください。国として裁可を通すかは別ですが、せっかくここまで来られたからには腹を探っておきたいでしょう」


公然の密談許可に笑いが起きる。


会議は次の議題に移り、順調に残りの予定を消化した。


ゼレスが立ち上がり、締めの挨拶をする。


「本日、レベスタ王国よりはるばる足を運んでいただき、このように有意義な時間を持てたことを嬉しく思います。予定を無事消化できましたので、ティールームで休憩、ーーもしくは担当同士で本音をやり取りする懇親会の場に移りたく思います」


部屋は朗らかな空気になり、次の部屋へ案内するために若手の事務官達が動き始めた。


外交官らは、ティールームで話したい人にそれぞれ声をかけてから、三々五々に移動していく。


一人の外交官が、ミストレイ侯爵に声がけ、ミストレイ侯爵は歓談の約束を快く受ける。

外交官は隣に立つシェラを見、言った。


「御息女はお若く見えるが、もうこのような場に出られるのですね。有能な跡継ぎに恵まれて羨ましいかぎりです」


恐縮です、と答えたシェラの肩が一瞬ひくりと強張ったことに気づいたのは、少し離れた背後で様子を見守っていたルディアくらいだろう。


殿下の婚約者になりたくて出ばって来たにも関わらず、侯爵家の跡取り呼ばわりは不満であろうが、外交官からの評としては悪くなかろう。

シェラの他に跡取りがいるにも関わらず、ミストレイ侯爵が肯定も否定もしないところは、なんともはやだが。


そのように思案するルディアは、会議中同様気配を消して壁際の椅子にかけていたが、そこにに声がけする者がいた。


「ルディ、こちらの方が君の資料を褒めてくださったよ」


ゼレスがレベスタ王国の外交官の代表を連れて、ルディアに話しかけたのだった。


外交官代表に、ルディアは静かに立ち上がって左手指先を鎖骨に添え、ゆったりと膝を沈めた礼をとる。

外交官もそれに対し、胸に手を当て礼を返した。


「この度は、心配りの行き届いた資料をありがとうございます。翻訳されたものは他国でもご用意いただきますが、あなたの資料はところどころ注釈が入っていましたでしょう。レベスタ王国側の視点で入れてくださった数々の注釈は、我々を理解いただいていることが伝わり、大変嬉しく思いました」


ルディアは控えめに微笑み答える。


「わたくしも調べているうちに、勝手に親しみを抱いておりましたので、こうしてお声がけいただけて嬉しく思います」


間に立ったゼレスは、朗らかに言う。


「彼女は私と婚約を結んでいるので、先々お会いすることが増えると思います」


「それはご紹介いただけて僥倖でした。このような方が妃であれば、ラガルタ王国への信も深まるというものです」


外交官代表はルディアにティールームに行くのかを尋ね、ルディアはゼレスと共に下がることを伝える。


「我々がいない方が話しやすいでしょうから」


と言い添えたゼレスに、

それは残念ですが、いただいた機会を楽しませていただきます、と外交官は答えてティールームへと消えていった。


その背を見送り、ゼレスとルディアは目交ぜし、同時にこくりと一度頷く。

ゼレスがわずかに持ち上げたか拳を左右にごく小さく振ると、ルディアにはアルスターレが、ゼレスには側近と護衛が付いて、それぞれ別の扉から部屋を出た。


その一部始終をシェラ・ミストレイ侯爵令嬢が凍った表情で見ていた。


・・・


「アルスターレ、わたくしが殿下と話したいと願ったばかりに、今日は勤務延長になっているのでなくて?あなたや隊の誰かの業務に支障はでていないかしら?」


国賓館を早々に後にしたルディアは、自身の家の侍女と護衛を控室に残し、国所属騎士アルスターレを伴って、ゼレスの執務室にやってきた。


「ご配慮ありがとうございます。殿下同様、今日は一日会議のために時間をとっておりますので支障ございません」


会議後は延長した場合に備えて後ろを空き時間にしていたので、ゼレスはこの時間をルディアと対話に充てたのだ。


ルディアが微笑んで頷くと同時に、執務室のドアが開き、ゼレスが入室する。


「ルディ、待たせたね。各所への指示は終えたから、夜陛下へ報告するまでゆっくりできるよ」


ルディアが座っていた執務室の打ち合わせスペースにゼレスも腰掛けた。


「お疲れさまでございます。全体を通して良い会になったと思いますわ」


そう言いながらルディアはゼレス付きの従者に目交ぜして、茶の用意を頼む。

その様子を察して、ゼレスが言い添える。


「ログリベリーのシロップが入っただろう。あれにしてくれるか。ルディはあれが好きだったろう」


「まぁ、もう出来上がってきていますのね。嬉しいですわ」


程なく用意されたログリの果実を甘く煮たシロップを冷水で割ったもので二人は喉を潤す。

爽やかな酸味とほんのり花のような香りが鼻腔をくすぐり、ゼレスとルディアに笑みが広がる。


「ーーさて、ひとごこちついた途端でなんだが、シェラ侯爵令嬢の件だったか?」


切り替えたゼレスにルディアも返す頷き一つで面差しを仕事用に変える。


「シェラ様は本日突然会議に来ましたでしょう。これまでと異なり、殿下の仕事を邪魔しかねない行いをするようになったと思えば、今後彼女をどう扱うかを決めるべきだと思いましたの」


「そうだな。仕事はしていたとはいえ、ルディアに勝ちたいばかりにやり口が過激になる手前といったところか?」


ルディアは首を横に振る。


「シェラ様はきっと勝ちたいのではなく、ご自分が好いてしまったゼレスに愛されたいのですよ。きっとあなたにご自身を見てほしくてあのように振る舞うのです」


ゼレスは首を傾げる。


「それでルディはいい案があるのかい?」


ルディアはにこりと笑んで言う。


「シェラ様を妃に迎え入れなさいませ」


ゼレスは一拍反応を遅らせた後、ルディを手放すことは考えられないよ?と首を横に振る。


ルディア・ファーレン侯爵令嬢は、ゼレス・ラガルタ殿下を、色恋的な意味で好いているわけではない。

深く敬愛し、ゼレスの志を、王に至りそこから続く道をお支えすることに、生きがいを見いだしている。


だから、婚約者の地位を譲ることで、ゼレスの治世が安穏となるならばよろこんで譲るとそう言う。


「そのように考えられる君こそが、私の隣に立つにふさわしいだろうに。しかし、国益を考えればミストレイ家をいいようにできる好機ではある。好き勝手に領地の資産(ミストレイ領の鉱山)を取り上げるわけにはいかないが、交換条件があれば交渉次第だし、親族になれば口を挟みやすくなる。鉱石が重要になる今後を考えると、ルディを失わないのであればシェラ嬢を婚約者にする利益はあるね」


椅子の背に身体を預け思案するゼレスに、ルディアは意見を続ける。


「妃でなくともお側でお支えできるなら、それはわたくしにとっては幸い。一般論は不要ですわ。わたくしの幸せは、あなたを支えるひとりとなること。褒美は誰よりも役に立つとあなたにお褒めいただくことです」


しばらく思案に暮れるゼレスを見やりながら、ルディアはログリベリーシロップを飲み干す。

ゼレスの従者が、ログリベリーシロップを紅茶で割ったものはどうかと勧め、よろこんでいただくわとルディアが嬉しげに答える。


二杯目の飲み物が用意された後、ゼレスは口を開く。


「では婚約は解消し、シェラ嬢と結び直す。しかしルディを手放しもしない。それでいいのだな?」


「ええ、今後もあなたのお側でお力になれるのであれば」


そう答えるルディアの穏やかな笑みに、ゼレスはため息をつく。


「本当に変わらず側に置くつもりだがいいのか。ルディが愛人のように見られかねないし、他のものと婚姻しにくくなる」


国の機密に近く、王の側で働き、家のことは二の次となる。その上、妃でもないのにあまりに王に近い異性ーーそれも元婚約者。


「かまいませんわ。変わらず側にいられるよう、根回しくださいまし」


さてどうしたものか、とゼレスは隣に控える側近のグロウスタに尋ねる。


グロウスタはゼレスより十歳年上で、目付け役として共に過ごしてきたため、兄貴分のような立ち位置の側近だ。

そのため遠慮のない意見を求めるには最適だった。


「国に不利益を生じさせる取引をしたら鉱山を国所有に変更させるという契約は、これで通るでしょうね。輸出販売に応じて取る税率もこちらの希望を通せるかと。ミストレイ侯爵家としても、ファーレン侯爵家を抑えて縁付けると言うのは旨味があるでしょうし、かわいがっている娘の願いが叶いますから」


後は、ルディア様が殿下のお側にいることを飲む気があるか。

そして、ルディア様を排そうとした時にどのようにするかの取り決めでしょうか。


側近グロウスタの言に、ゼレスは頷き呟く。


「どうせなら取れるところは取らねばな。ーーさて、シェラ嬢にはどんな顔をしてやるべきだと思う?」


ルディアはティーカップを片手にしながら答える。


「一般的な乙女が喜びそうな男性を演じるのが良いのでは?茶会で会う年頃の女性は恋物語に出てくる男性に憧れていらっしゃるわ」


「ふむ。ではシェラ嬢の前では、そういう仮面をつけるか。グロウ、参考資料をいくつか用意してくれるか?」


承りました、と側近のグロウスタが答えた。


この場の誰もにとっては当然のことで、この場の者とゼレスの家族以外では知られていないことだが、ゼレスは場面によってどのような人間に見えるかーー当人は仮面と表現するがーーを演じ分けている。


ある時は威厳ある王の子ども、ある時は親しみやすい次期王、ある時は非情で冷酷な顔をみせる。


それらは場面に応じで仮面をつけかえているにすぎない。


「夜陛下に会う際に、この件を相談しておく。ルディは気が変わったら言うように」


「変わりませんよ。ーーわたくしはシェラ様がゼレスの仮面を使い分ける人柄を理解した時が心配ですけれど」


側近のグロウスタは、くすりと笑って言う。


「私としては、変わらずルディア様が信を得ている姿に心を痛めると予想いたします」


ルディアは小首をかしげて応じる。


「まぁ。シェラ様も信を得られれば良いことですわ。結果ゼレスの力が増せば言うことはこざいません」


・・・


ルディア・ファーレン侯爵令嬢との婚約が解消され、シェラ・ミストレイ侯爵令嬢との婚約が結ばれた。


しかしながら、ルディア・ファーレン侯爵令嬢はゼレス・ラガルタ殿下の側近としていつでも側近くに寄り添う。

ドレスは裏方であると言いたげな落ち着いたものに変わったし、常についていたファーレン家の侍女も、行き帰り以外の護衛もいなくなったが、婚約者であった時以上にゼレスと共にいるのを見る。

その姿は、婚約者の座を降りていないようにも見えたし、公然の愛人にでもなったのかと無礼な噂も囁かれた。


もうひとつ話題になったのが、ゼレスのシェラに対する態度だ。


優しげな顔でシェラをエスコートする甘やかさは豹変といえるほどで、鉱山利権で婚約者になったと思われていたものを、愛ゆえなのでは、という風潮に変えたほどだ。


ゼレスとルディアの間では甘さなく、堂々と隣り合って立っていたものだから差が浮き立ったというのもある。


シェラ・ミストレイ侯爵令嬢は、ゼレスの変貌に驚きつつも、欲しかったものが手に入ったので喜びに身を震わせた。


シェラ自身、すでに決まっている婚約に横やりを入れる申し出を再三していた自身が褒められないことを、頭ではわかっていた。


しかしシェラ自身もどうしていいのか、心が言うことを聞かない。


ミストレイ侯爵家は、最近まで伯爵家だった。

ミストレイ領内を大きく占める山が長雨で崩落、その復旧作業中えぐれた山肌から鉱石が見つかった。

平たく言うところの火薬原料の鉱脈が見つかったーーそれも調べればかなり大きい鉱脈で、長く採掘が見込めるとなれば、国としても大きな出来事だった。


国は有事の際、過去五年の平均採掘量の半量を上限に、半値で購入する権利を得るかわり、ミストレイ家を伯爵家から侯爵家に陞爵させた。

王家、王家親族の公爵位、侯爵位、伯爵位以下と並ぶ序列を、国への貢献を約束にひとつ上げた形だ。


その叙爵の際、挨拶で間近にゼレスを見てから、シェラはおかしくなってしまったのだ。


ゼレスを見れば心が騒ぎ、どうしようもなく惹かれる。姿が見えなくとも、ふとした時に頭の中をゼレスが占める。

特別親しい間柄でもなく、ゼレスの何を知っているでもないのに、強力な好意が心を占めて仕方がない。


異常なことだと何百何千と自らの心を諌めるも、どうしても消えない、叶わぬ好意にシェラ自身も途方に暮れていた。


父であるミストレイ侯爵はそんな娘を見かねて、シェラを婚約者にできるよう手を尽くしていた。

鉱山で成り上がった一族としては王族と繋がりができれば、舐められることがなくなるという目論見もあってのことだが。

シェラも、自身ではどうにもならない思いは苦しく、いっそ完全に砕け散させてくれれば収まるだろうかと半ば自棄の気持ちだった。


それが今は、好きだった人の婚約者になり、愛されている。


鉱山関連でいくつか契約を結ぶことと引き換えに婚約者になったこと。

ゼレスの婚約者ルディアへの甘さのない普段の態度。

これらを考えれば、良くてルディアと同等の扱いで、恋人のような関係になるとは思えなかったのだ。

例え愛情が手にはいらなくても、シェラは自身の強い恋心を持て余していたので、立場を得て、ゼレスに尽くすことができれば、どうしようもない気持ちに行き場ができると考えていた。


それなのに、蓋を開ければどこぞの物語の中のような扱いで、現実であるのに夢心地になる。

婚約者の座を挿げ替えさせた分、影で何を言われるかと身構えていたが、それも最初だけで今は静かになった。


だから、ルディアが変わらずゼレスの側にいることも始めは気にならなかった。


違和感を感じ始めたのは、ゼレスの執務室にシェラが出入りするようになってからだ。


ゼレスは王城勤務希望者のための学院生であるが、単なる座学の授業は試験で早期合格をとっており免除、実習や集団で研究発表を伴う授業のみ出席している。

空いた時間で執務にあたるので、半学生といった感じだ。


特別な事情がなければ、座学を先に試験でクリアすることはできないが、シェラは婚約者になるにあたり、それが可能となった。

なので、試験を受けるのにこれまで忙しかったが、先日それらを合格で終えたので、ゼレスと共に執務にあたることになったのだ。


当然、ゼレスの元々の側近男性のグロウスタも、シェラが婚約者になったことで側近になったルディアも、その他ゼレスの護衛や従者らも同じ部屋で仕事を進める。


シェラはまだ任せられるものを探っている段階なので大した仕事がないのは致し方がない。

難しい仕事は元の側近グロウスタや、新側近で元婚約者のルディアが担う分、彼らとゼレスが話し合う姿はよく見受けられた。


それは構わなかった。

構わないし、元よりそれが前提で成った婚約だった。


しかしほんのふとした時に、目にはいるのだ。

ゼレスとルディアが眼差しだけで会話するのを。

難しい仕事をやり遂げると、いつも真顔で話し合っているのに、なぜか同じタイミングで顔を見合わせ、ほのかに微笑み合うのを。


それなのに、シェラには甘く接する。

優しく髪を撫で、じっと瞳を見つめて優しく笑む。

そうなると思考がぼうっと溶けて、感じた違和感はどうでもよくなってしまう。

確かに今、自分を見つめてくれている。

仕事も始めたばかりであるから、次第にこなせればよいと言ってくれる。

ルディアには、調べが少しでも甘ければもう一度確認し直すよう書類を突き返すのに。


「シェラ、今日はここまでにしよう。家まで送るよ」


「よろしいのですか?」


「君を安全に家まで返さなければならないからね。おいで」


差し出されたゼレスの手をシェラがとる。

他の皆は残業がなければまとまって一台の馬車で送迎されるが、シェラだけはゼレスが送ってくれた。


部屋から出る直前ゼレスは振り返り、部屋に残る側近らに言う。


「ルディ、その書類は明日中に宰相の手元にいけばよいのでほどほどに。他の皆と帰宅してもらえると馬車を二台出さなくて済むからね」


「かしこまりました。施錠確認して帰邸いたしますので、殿下もお送りの後おくつろぎくださいませ」


ルディアはゼレスの従者と目配せし、ゼレスが戻ったらすぐ気を緩められるよう準備を促す。

そして鍵を男性の側近グロウスタへ意味ありげに渡す。


それを見たゼレスが肩をすくめてみせた。


「シェラ、行こうか」


部屋を出てからシェラは鍵の意味を問う。

すると、あれは早朝来ようとしても鍵を預けたから、側近が来るまで執務に当たれないという意味だという。

実際は側近が鍵を持ち帰るわけではなく、従者に預けられるのだが。


「合鍵もあるから開けられるが、合鍵を使った日時が記録されるからね。基本は学院に出ない間を執務に充てる約束で仕事をさせてもらっているから、働きすぎれば陛下に仕事を取り上げられてしまうんだ。当然、従者も働き過ぎには厳しいから鍵を出させればどこかに記録をつける」


本当にどうにか進めたい仕事がある時は、私室の引き出しに鍵が入っているから、今日私が気になっている仕事は忘れて休んで欲しいという意図だね、と苦笑する。


「あの、わたくしにできる仕事はございませんか?」


ゼレスはにこりと笑み、シェラの手の甲に口づけ、焦らなくていいよ、いずれはお願いするのだからと囁いてシェラの瞳を見つめる。


その眼差しに心が揺れ、ゼレスが今もルディと愛称で呼んでいたことで感じた靄が消えてしまった。


・・・


しかし、そうした違和感は振り積もるもの。


シェラが仕事をこなせるようになってきても、ゼレスがルディアによせる信頼は変わらない。


付き合いの長さに差はあれど、根本的に扱いが違うのだ。

恋人扱いといえば響きはいいが、どうもシェラに一定以上任せてくれない。

ルディアには難しいことを容赦なく頼むのに。

しかも、ルディアはゼレスの思考の一歩先を読み解き、無言で仕事をしてしまうのだから、かなわない。

シェラは自分が婚約者になったのに、ゼレスの心は未だルディアにあるように感じて不安になる。

自分が妃となるのだから、シェラがゼレスの心を得たいと思う。


婚約者の座を横取りした身が抱くには不遜な願いだと思う。しかし、愛されていると感じると欲が出るものだ。


だから帰り道の馬車内で、二人と護衛だけになった時に申し出た。


「ゼレス殿下。わたくし、あなたにもっと頼りにしていただきたいと思うのです。どうしたらそうなれますでしょうか」


馬車の座席に隣り合って座り、シェラの手を取るゼレスは、首を傾げる。


「ルディ以上にという意味であれば、できないよ」


シェラは一瞬息を詰めるが、引かない。


「わたくしは、断言されるほどルディア様に劣りますか?」


ゼレスは柔らかく笑む。


「劣る、劣らないではないよ。シェラもよくやってくれている。しかし、最も私の役に立つ者でありたいというのがルディの求めだ。シェラが婚約者になったのはその願いが保証されるのであればと、ルディが提案してのことだから、君は私の役に立つ方ではなく、妃として国のために働くといい。ひいてはそれが私を助けるのだから」


シェラは口を開きーー、唇を引き結ぶ。

この先を追求するか迷い、もう覚めかけた夢だと腹をくくる。


「婚約に際する契約書に、ルディア様を重用することを認め、ファーレン侯爵家の害とならないこと、という項目があったのは」


「ルディを排除させるわけにはいかないのでね」


シェラが存命中、ミストレイ家の者がファーレン家を害した場合は、ミストレイ家は鉱山を手放すだけでなく、家格を降格させるとまで契約していた。

ミストレイ侯爵家は婚約者の座を得るため、ファーレン侯爵家への妨害活動も行なっていたから、願いが通った以上は手を引けという意図だと思っていたが、そうではないらしい。


「ルディア様を仕事で最も頼りにするとして、仕事以外の場面でわたくしがあなたの心の拠り所になることはできませんか?」


「シェラが妃でいるために必要な望みであれば、叶えたく思う。しかしそれは、どうふるまえばいい?」


ふるまう、とシェラは小さく呟く。


「ふるまいかたの話ではなく、ゼレス殿下の御心の話なのです」


繋いだ手に力を込め、ゼレスの瞳を見つめてシェラが言う。

ゼレスの瞳には揺らぎがない。


「ああそうか。シェラは私が仮面をかぶっていることを知らなかったね」


ゼレスがその場その時でふさわしいふるまいを意識して切り替えていること。

それを近しいものたちの間で仮面と表現していること。


笑み話された内容に、シェラは何を言うべきか戸惑う。


「その、仮面……をつけかえるばかりでは本当のご自身を見失わないのですか?」


シェラが細い声で問うのに対し、ゼレスは常と変わらず、明瞭に話す。


「本当というのは?」


「仮面をつけていない時です。たとえば、気を抜く瞬間はございますか。楽しいと思えることはあるのですか」


「そうだね、仕事が一番面白いけれどーーそれを除くなら仮面のつけかえは楽しく思うよ。筋書きが自由な役者のようで。とはいえ、結局はどの仮面であれ私の一面でしかないと思っているのだけど」


馬車が止まり、ミストレイ侯爵家に到着したことを知らせるベルが鳴る。


ゼレスは問う。


「さてどうする。望むふるまいがあるなら、シェラの理想の仮面をかぶって結婚しよう。悪くはない話だと思うけれど?」


シェラ・ミストレイは結局押し黙り、何も答えなかった。


シェラを屋敷内へ見送った後、馬車の行き先を城にと指示したゼレスは、騎士アルスターレに声をかける。


「アルスターレ、先ほどの出来事を私の側近達に伝えてくれるかい?」


先ほどまで馬車内の隅、ゼレスらの視界に入らないよう気配を消していたアルスターレは、礼を取り返答する。


「承りました」


行きは車外を担当していたゼレスの護衛が車内に入り、馬車は動き出す。


アルスターレは車外から随行し、馬車が安全な城内に入ると、単騎馬をひるがえして側近のグロウスタとルディアに伝言を伝えに走った。



・・・



ミストレイ家が安定して鉱山運営ができるように、ラガルタ王国は金銭、人員と支援してきた。


早く軌道に乗せたい理由があったのだ。


南に位置するこのラガルタ王国、

その北にナザリタ皇国、

さらに北のレベスタ王国と並び、

三国とも国の一部が海に面している。

現状は平和だが、ナザリタ皇国の次世代らが血気盛んな気質な上、他国を攻めて国益を上げるべしと考える過激派の教育係がついたと情報を得たラガルタ王国は、戦争に備える必要があったのだ。


国の支援の甲斐あって、ミストレイ家の鉱山は軌道に乗った。

輸出の検討ができるほどに。


ラガルタ王国はレベスタ王国と同盟を結ぶべく、交流を進めていた。

二国は昔に一度こじれたことがあったため疎遠だったが、じわじわと、それらしい理由を掲げて繋がりを結びなおし、ようやく火力ーー鉱石を貿易できるところまできた。


レベスタ王国は、火力が心許なかったが、これで有事の際に同盟を結び、挟み撃ちでナザリタ皇国に対処できる。


レベスタ王国側も、元より流通量の薄い鉱石を輸入できるのは、平時であってもありがたい出来事だった。


ラガルタ王国としては、ミストレイ侯爵家が販売益を多く得て力をつけすぎぬようにし、ナザリタ皇国と勝手に繋がりを持たぬよう、立ち回らなければならないーー


そういった状況で、ミストレイ侯爵令嬢シェラが、ゼレスの婚約者になりたいという分を弁えない願いは、渡りに船と言えた。


だが、ゼレスはそれを良しとしなかった。

ルディア・ファーレン侯爵令嬢を失う損失はあまりに大きいと考えたからだ。


十歳年上で兄貴分兼目付役の側近グロウスタ、幼少より共に学び阿吽の呼吸で通じ合う半身ともいえるルディア。

王となる時に、共に育った二人は欠かせない存在と言えた。


しかしルディアは、高位貴族として生まれ付き、高位貴族の精神を学んで人格を形成していた。


高位貴族は国の益になるよう努めるからこそ、高位貴族の地位が与えられる。


だから、ルディアはファーレン侯爵家の一員として、鉱山利権を得るために自分が身を引く判断を提示した。

ゼレスと共に教育されてきたルディアは特に国のために思考するよう育てられていたので、自身や家をさておき、国益を取ったとも言えた。


とはいえ、ルディアにとってのゼレスも失える存在ではなかった。

逆を言えば、共にいられるのならなんだってよいーー

そうして二人は次期王と側近として共に歩むことを選んだ。


そんな二人の結びつきの強さを許容し、妃として立てるか。


これが、シェラ・ミストレイの分水嶺となるーー


アルスターレから報告を受けたルディアは、瞼をおろしゆったりと呟く。


「シェラ様自ら妃の座を望んだ自覚を持ち、国の益のために動ける方であってほしいもの。そうでないのなら、ミストレイ侯爵家は伯爵家に戻るのが相応ですわ」


期待した婚姻にならないと厭うなら、一度婚約をすげ替えた以上、シェラは病んだことにするなり、看過できない瑕疵を偽装して負うなり、相応の理由なく引けない。

その上、婚約の引き換えにした鉱山利権は戻らず、目論んでいた王家との繋がりも消える。


王家、公爵に次ぐ高位貴族たる侯爵。

その筆頭ファーレン侯爵家を押しのける邁進。

そうまでして得た地位にふさわしく動けなければ、落ちる他ない。


・・・


翌日姿を現したシェラは、昨日までと変わらない様子だった。

仕事を粛々と進め、帰りはゼレスが馬車で送る。


護衛はいるものの二人きりになるそのタイミングで、シェラは口を開く。


昨晩思案した、これからのゼレスとの関係について。


「わたくし、ゼレス殿下にわたくしを慕わしく思う仮面をつけていただきたく思います。誰の目もない時も」


ゼレスが仮面をまとう、というのはシェラにとってゼレスが意識して用意した虚構に思う。


しかしシェラは虚構と知りながら現の夢を見続け、高位貴族の責務として妃の仕事を全うしなければ、表で生きる手段はない。


それを理解していなかったとはいえ、元はシェラ自身が望んだことから発している。


ルディアを押しのけた代償がなにもないわけがなかったし、恋煩う衝動を制御できず現実を確認できていなかった、それだけのこと。


そうなると、あとはシェラの心の持ち様だけだ。


「常にある虚構ならば、それは現実ですわ。ゼレス殿下が望む妃の姿を教えてくださいませ。わたくしもゼレス殿下のように仮面をまといます」


ゼレスは理想に思う妃の姿まとうシェラを得て、シェラも欲しいゼレスの姿を得る。


それが意識して作られたものでも、もう、かまわない。


他人に影響を与え、変化させることなど、そうできることではない。

自由に変えられるのは、自分の心持ちだけだ。

虚構を現実と思うよう、シェラ自身の心持ちを変えればよいだけ。

そう割り切って、シェラは悠然と笑む。


ゼレスもそれを聞いて面白そうに笑む。


「君にそういう気概があってよかったよ。そうでなければ、妃になったとていずれ潰れただろうから」


今後よろしく頼む、とゼレスが握手を求める。

おそらくこれが仮面のない本当のゼレスの姿なのだろうな、と思いながらシェラはその手を握った。


虚構も続ければ、もしかしたらいずれ絆されて真実になるーーそんな甘い夢想を心の片隅にしまい、シェラはその日以降、理想の妃の仮面をまとって生きることにした。


・・・


翌日、ゼレス、側近グロウスタ、側近ルディアが集まって打ち合わせを行った。


騎士アルスターレはその場に立ち会う。


ゼレスはシェラが妃になれると踏んだことを側近たちに伝えた。


それを受けてルディアがアルスターレに声をかける。


「アルスターレ、これまでよく私についてくれました。ただの側近になることが確定したので私の身の回りの警護は今後不要、あなたはシェラ様につくことになると思います」


ゼレスがそうなるな、と言い添える。

ルディアは優しい声でアルスターレに話しかける。


「わたくし、努力を重ねて騎士としてここまで身を立てたアルスターレのこと、好ましく思っていますの。ないと思いますが、万一シェラ様に理不尽な扱いをされたらこっそりわたくしにお知らせくださいまし」


アルスターレは一歩前に歩み出て、鎖骨に指先を添える礼を取る。


「ーー光栄です。しかしルディア様のお引き立てあっての今でございます。礼儀作法を仕込んでくださったのもルディア様です。ーー許されるのであればルディア様個人に仕えたいと思うこともあるほどなのですが」


「そうするときっと殿下が人選に困りますわ。でも、わたくしもあなたを腹心のよう思うことがあるほど頼りにしていました。あなたが重ねてきた努力にはそれだけの価値があると覚えていてくださいな」


アルスターレは表情を見せぬよう深く頭を下げた。


「アルスターレ、もし君がルディ個人に付きたいのであれば、女性騎士の後任を育成しておくれ。君はルディの信を得た分、秘密を知りすぎる立ち位置に置いたからそう異動できないが、君を育てたルディの元なら一考の余地はある」


ルディアは場を軽くするよう、くすりと笑って言う。


「アルスターレ、どちらにせよ後継は育ててくださいまし。わたくし、シェラ様からあなたを取り返したくなるかもしれませんから」


・・・


シェラ・ミストレイ侯爵令嬢がゼレスと婚約し、ルディア・ファーレン侯爵令嬢が元婚約者から側近になった。


それはミストレイ家に取り入りたかったレベスタ王国側にも驚きを与えた。


レベスタ王国側は会議の後ティールームでの懇親会で、跡継ぎを否定されなかったシェラに婿入りの婚約打診をしていたからだ。


実際の跡取りは婚姻済みかつ、一旦ミストレイ家が持つ子爵位を与えて自立していた長兄で、シェラはどこかに嫁に出すつもりだったが、ミストレイ侯爵はあえて誤解を招くような状態を作り、のらくらと情勢をうかがっていた。

結局シェラがゼレスとの婚約を得たので、シェラの長兄は次期侯爵として家に戻す予定だ。


ミストレイ家としては他国につけ入られると国内での立場が難しくなるので、娘が王家に繋がったのはありがたい盾を得たようなものだった。ーー数々の厳しい契約と引き換えではあったが。


ミストレイ侯爵は、始めは浮かれた様子のシェラを心配したが、しばらくするとひどく落ち着き、王宮で教育を施されていくにつれ、高位貴族らしいふるまいが板について、寂しいような頼もしいような気持ちになった。


それでも、ゼレスと共にいる時、シェラが幸せそうに笑むのを見ると、ミストレイ侯爵は良きところに収まって良かったと胸をなでおろす。


仮面の虚構を続ける内に真実になったかどうかは、

ゼレスとシェラ、当人のみが知るところだ。



二話完結です。

二話目は、その後ルディアが結んだ婚約のお話です。

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