第138話 落ちぶれた元王太子
オルランドの居所は、すぐに知れた。
廃嫡されたかつての王太子は、今、王都の片隅の小さな屋敷で、ひっそりと暮らしているという。
王位継承権を剥奪され、贅を尽くした宮廷から、遠く離れた場所で。
馬車を降り、その屋敷の前に立つ。
かつての栄華とは比ぶべくもない、寂れた佇まいだった。
手入れのされていない庭。色あせた門。
落ちぶれた、という言葉が、これほど似合う場所もなかった。
「本当に、会うのか」
隣で、アルヴィスが静かに問うた。
「あの男は、お前を最もひどく傷つけた相手だ」
「ええ」
わたくしは頷いた。
「だからこそ、きちんと向き合わなければ。これが、最後のけじめです」
胸の奥に、わずかなざわめきがあった。憎しみとは違う。けれど、平静とも言えない。あの日、公衆の面前でわたくしを断罪した男。その声を、今もはっきりと覚えている。
◇
屋敷の中へ通された。
応接間は、薄暗く、どこかかび臭かった。
かつての王太子の住まいとは思えないほど、荒れている。
しばらく待つと、一人の男が姿を現した。
オルランドだった。けれど、その姿に、わたくしは息を呑んだ。
かつて自信に満ち、傲岸だったあの男は、見る影もなかった。やつれた頬。落ちくぼんだ目。質素な、よれた服。髪には、白いものさえ混じっている。まだ若いはずなのに、ひどく老け込んで見えた。
「……セレスティアか」
オルランドの声は、かすれていた。
「何をしに来た。落ちぶれたわたしを笑いに来たのか」
その言葉に、かつての高慢さの名残を感じた。けれど、それはもう、虚勢でしかなかった。
「笑いになど、来ていません」
わたくしは、静かに答えた。
◇
オルランドは、力なく椅子に腰を下ろした。そして、自嘲するように口を歪めた。
「知っているだろう。わたしは、すべてを失った。王位も、地位も、名誉も。お前を追い出してから。何もかもが、おかしくなった」
彼は、虚ろな目で、宙を見つめた。
「お前がいた頃は、気づかなかった。お前が、どれほど公爵家として、政務を支えていたか。お前を失って、初めて、わたしは、自分がいかに無能だったかを、思い知った」
その告白には、痛々しいほどの、後悔が滲んでいた。
「宮廷の食事も、お前がいた頃は、素晴らしかった。お前が去った後、どんどんまずくなった。あれは、お前が陰で、料理に心を配っていたからだと、後で知った」
オルランドは、両手で顔を覆った。
「いや、料理だけではない。お前が整えていた、宮廷の費えの差配も。地方との、交易の道筋も。お前が消えた途端、何もかもが、回らなくなった。後釜に据えた者たちは、目先の利だけを追い、国の蔵には、取り返しのつかぬ穴が空いた。——わたしは、最も得難い、宝を、自らの手で、捨てたのだ。何も知らず、ただの、愚か者として」
その言葉に、わたくしは内心で静かに頷いた。
公爵家の娘として、領地の経営も王宮の差配も、すべてを学び、支えてきた。前世の知識と合わせれば、それは、誰にも真似のできない力だった。
それを、ただ「気に入らない」という理由で切り捨てた。
彼の凋落は、その日に、すでに決まっていたのだ。
わたくしは黙って、その言葉を聞いていた。かつてわたくしを切り捨てた男が、今、こうして悔いている。けれど、それを聞いても、胸は晴れなかった。ただ、もの悲しさだけが広がっていく。
ざまぁ、という言葉が頭をよぎった。かつてわたくしを嘲笑い、辺境へ追いやった男が、すべてを失い、こうして老け込んでいる。これ以上ない、因果応報の姿だ。けれど、その光景を前にしても、わたくしの心は、少しも晴れやかにならなかった。
むしろ、わかったことがある。
本当の意味で、わたくしは、この男をとうに乗り越えていたのだ。
世界を救う旅の中で、神々の絶望に触れ、人々の飢えと向き合い、数えきれない命を救ってきた。
その日々が、わたくしを、別の高みへと連れていった。
今のわたくしにとって、オルランドへの恨みなど、もう、ずっと遠い小さなものになっていた。
だからこそ、わたくしは、彼を罵る気にはなれなかった。落ちた相手を、さらに踏みつけることに、何の意味も見出せなかった。
◇
「なぜ、何も言わない」
オルランドが、苛立ったように声を荒げた。
「罵るなり、嘲るなり、すればいい。お前には、その権利がある」
「あなたを罵るために、来たのではありません」
わたくしは、まっすぐに彼を見た。
「ただ、一つ、伝えたいことがあって来たのです」
オルランドが、訝しげに、わたくしを見返した。
わたくしは、静かに息を吸った。
これから告げる言葉こそが、わたくしの本当のけじめだった。
憎しみでも、復讐でもない。
けれど、決して、彼の罪を、なかったことにするのでもない。
かつて、わたくしを断罪した男を前に。今、わたくしは、まっすぐに、その目を見据えた。長い因縁の、最後の対峙が、いよいよ、その核心へと向かおうとしていた。
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