第九章 トニーの記憶
次の日の朝、フロードは露店でパンを買い、だらだらと出勤した。その途中、昨日の夜を思い出した。
寝る以外することがなく、ベッドで全く興味のない本を読み出したが、その途中で寝てしまったらしい。妻と娘がいなければ、自分はつまらない人生を送ることになるだろう、という確信が持てた夜だった。
警察署の前の警備員に、パンをかじりながら挨拶をし、中に入っていく。警察署は、玄関が無くなっていて、エントランスホールが外から丸見えだった。フロードは一応、玄関の有った場所から入った。
エントランスホールに入ると、いきなりホワイトが現れ、早歩きで寄ってきた。新品の白いマントが、大穴の開いた壁から太陽を浴び、光を反射している。眩しくて目が痛い。朝の目には刺激の強い光だ。フロードは影の方へ歩き、自分についてくるホワイトを、影の中へ誘導した。
ホワイトはいつもフロードより早く警察署にいて、フロードより遅くまでいる。休む時間はあるのだろうか。そんな疑問がフロードの頭をよぎった。
「フロード。10時に記憶解析を始めます。トニーの記憶解析にはあなたも立ち会う、と言うことでいいですか?」早口だ。
今は9時半だ。
「あ、はい……弟がそれでいいなら」
「では、10時に記憶解析室に来てください」ホワイトはそう言うと、早歩きで去って行った。忙しそうだ。
トニーがどこにいるか聞きたかったが、そんな暇はなさそうだ。多分記憶解析室で準備をしているのだろう。
「おはようさん」横から明るい声が聞こえて来た 。ティムだ。
「おはよう、お前は朝から元気がいいな」朝だけではなく、いつも元気だ。
フロードはティムの格好を見た。黒いジャケットに黒いデニム、シャツは 白。いかにもお洒落な地球人という服装だ。
「これから地球に行くから、これが仕事着ってわけだ。まあ、正直いうと、着易いだけなんだけどな」ティムはジャケットをひらひらさせた。
フロードは騎士のような格好のままだ。家に地球用の服を常備していないし、いつもは拠点で着替えている。しかし、今は拠点もない。
「聞いたぞ、拠点が攻撃されたんだってな。こいつは大事件のにおいがプンプンするぜ」
「ああ、多分お前の拠点に世話になると思う。よろしくたのむぞ」
「ああ、でも、拠点にある服は、お前には合わないだろうな。1人を除いてみんなお前よりチビだからな。買いに行くしかない。俺がコーディネートしてやるよ」ティムはフロードの格好を見ながら、背中を叩き、軽口を言った。ティムの言う通り、彼もフロードより身長は低かった。
大したことの無い話をしていると、記憶解析の時間が近づいていることに気付き、フロードは慌てて、ティムと別れた。早歩きで記憶解析室に向かうと、同じくそこへ向かうホワイトと合流した。
「メリが警察署に入れないと喚いてまして……警備員に説明してました」ホワイトはやれやれと言う顔だ。
「あいつは顔パスが効かないからな……」ほとんど地球にいるからしょうがない。
それだけ話し、あとは無言で、二人は歩き続けた。地下へ続く階段を降り、窓が一切ない石造りの廊下へ入った。明かりは壁に取り付けられたランプだけだ。
記憶解析室は、まるで牢屋だった。金属で補強された木製の扉でふさがれており、そこまでの道は狭い一本道で、部外者の進入を許さない作りだった。
扉を開けると、その部屋は、6畳くらいで、四方を石造りの壁で囲まれており、砂を踏み固めたような地面だった。中心に、床屋で使うような、高さも傾きも調節できる、バーバーチェアのような椅子があった。はっきり言って、不穏すぎる部屋だ。
その不穏な空気の中に、ヒゲとトニー、石の状態から回復した女性がいた(かなり緊張している)。そして、体がまるっきり見えない黒いマントを着て、頭を覆い隠す骸骨のようなマスクを被った、見るからに怪しい記憶解析班が二人。
ホワイトは彼らを見回し、一度頭を下げ、話し始めた。
「では、これから記憶解析を始めたいと思います。先にジェーンさん(石になっていた女性)から始めます。私と記憶解析班の方以外は外で待っているように」
フロードは来てすぐに、外に出されてしまった。フロードとヒゲとトニーと黒マントの男が、部屋の外の狭い廊下で待つ事になった。
「おい、ヒゲ、ちょっとどいてくれ。そっちに行きたいんだが」フロードが、ヒゲと扉に挟まれながら言った。
「これでもどいてるつもりなんだけど……」ヒゲの腹が道を塞いでいた。ヒゲはそう言うと、扉から離れて、ほかの三人のスペースを確保した。
フロードは、記憶解析班の男を見て「暑くないのか?」と聞いた。男は「暑いです」と普通に返して来た。変声機で加工されているような声だ。黒マントに顔を覆うマスクをしてるのだから暑いのはしょうがない。
「記憶解析班の人間は正体がバレると、犯罪者に狙われる可能性があるからな。顔は誰にも見せられないんだ」とヒゲが言った。
「それは理解できるが、俺たちが外に出される理由は?」フロードはヒゲを横目で見た。
「女性の記憶解析をしている時は女性しか部屋に入れないんです。男性の時は男性だけです」と黒マントの男が言った。
フロードは、この黒マントの男が、普通に話してくれることに違和感を感じながらも、なるほどとうなづいた。と言うことは、今部屋の中にいる黒マントは、女なのかと気づいた。
トニーは存在感を消していた。緊張しているようだ。フロードが深呼吸を進めると、それに従った。
「安心しろ、記憶を解析しても、精神に異常をきたしたりしない。むしろ解析する方がおかしくなることの方が多い」ヒゲはトニーを勇気付けようと声をかけた。すると、黒マントの男が、
「そうなんですよね〜」と、うなだれてため息をついた。
「いや、今回はそんな……精神を破壊されたような事件じゃないから、大丈夫だよ? な⁈」ヒゲは慌ててフォローした。もちろん黒マントの男をである。
フロードは思った。この記憶解析班、大丈夫かと。
女性の記憶解析は、問題なく終わった。ホワイトが扉をあけ、フロード達を招き入れた。
外にいた全員が中に入ると、入れ替わりにホワイトとジェーン(石になってた女性)が外に出た。それから、しばらく待っていた。
「思ったより時間がかかるな」フロードがぼやいた。
「ジェーンさんを、一階に避難させたんだよ。一般人をこんな地下に、長く置いておけないからな」ヒゲが言った。
「なるほど、むさ苦しいしな」フロードはヒゲを見ながら言った。
ホワイトが再度、記憶解析室に入ってきた。クリップボードの書類をめくりながら、
「次はトニー、よろしくお願いします」ホワイトはそういい、椅子に座るように促した。
トニーは「はい」と返事をし、恐る恐る椅子に座った。すると、黒マントの男が、トニーの背後に立った。
「じゃあ、椅子倒しますね〜」骸骨の仮面の奥から、床屋のお兄さんのような声がした。
男はそう言うと、椅子の背もたれの付け根あたりにある取っ手を引いて、背もたれをゆっくりと倒した。それに体を預け、トニーも背を倒していった。トニーの頭は、黒マントの腹あたりまで下がった。それを見るホワイトの背後で、女性の黒マントが、無言のまま外に出ていった。
フロードは、女性の黒マントが外に出たことで、さっきの話を思い出した。
「ちょっと待て、男の記憶解析の時は、男だけ部屋に入れるんじゃないのか? まさかホワイト……」フロードが冗談百%で聞いた。
ヒゲが素早く口を隠した。笑っているようだ。
「私は責任者なので、いてもいいんです」ホワイトはそう言うと「何が『まさか』ですか……」と言い、少しニヤリとした。。
「始めますよー」
黒マントがそう言うと、全員が黙り込んだ。黒マントは両手を広げ、トニーの頭を挟むように差し出し、触れるか触れないか、ギリギリの位置に置いた。そして、ブツブツと呪文を唱え始めた。
トニーはゆっくりと目を閉じ、眠りについた。黒マントの呪文はとまらない。黒マントの呪文に呼応するように、トニーの頭から青白い光が溢れ出し、それが空中で球体になっていった。球体が直径六〇センチくらいになり、黒マントの呪文が終わった。
「では、記憶を再生します」黒マントが言った。
球体の中に映像が映し出された。トニーの視点のようだ。ソファーに座り、テレビを見ている。見ているのは、自衛隊のヘリが暴走したという昨日のニュースだ。
「少し時間を早めてください」
ホワイトがそう言うと、黒マントは「では5倍速にします」と言った。すると、映像は早回しになった。フロードはDVDを再生しているようだと思った。
「ストップ!」ホワイトが言った。映像は通常の速度になった。
トニーがベッドに入り、寝るところだった。こんな時間に寝るなんて、生活習慣が乱れているなぁと、フロードは今更ながら思った。
トニーの視点は、ベッドの中で雑誌を読んでいる所だ。科学雑誌のようだ。ここにいる全員が、内容を理解できていない。しばらくすると、映像は暗転した。眠りに落ちたようだ。
「ここからは、本人も忘れている記憶です。夢の記憶ですね」黒マントが球体を見上げる。
球体の映像はまだ暗闇だ。しかし、何か音が聞こえる。一瞬、認識できない速度で何かが光った。今のは一体なんだ。フロードはそう思い、目をこらした。
不思議だった。何も映っていないというのに、引き込まれる。また一瞬なにかが光り、音とも言えない音が鳴る。それがしばらく繰り返された。
フロードの視界の隅になにかが蠢いている。それを確認すべく、視線を球体から移動した。そして気づいた。ここは記憶解析室ではない!
フロードは、うごめく肉の壁に囲まれていた。まるで化け物の胃に飲み込まれたように、四方八方が揺れ動き、蠕動運動をしていた。肉壁の表面は胃液でぬるぬるしており、フロードの頭や肩に、絶え間なく胃液が滴り落ちて、ジュっと音を立てた。
周りを見渡すと、人間並に大きい、虫のような化け物が、4匹いるのが分かった。体は黒光りして、背中に羽が畳まれている。胴体と一体になった頭。目は顔のほとんどを覆う複眼、口はトラバサミのようで、ガチガチと音を立てている。
化け物たちが、一斉にフロードを見た。フロードは後ずさった。化け物たちは、節足の腕をフロードに向け、ガチガチと攻撃的な音を立てた。
「動くな! 動くと撃つぞ!」フロードは叫び、手を化け物に向けた。光弾を発射する構えだ。
化け物たちは言葉が通じるのか、後ずさった。
「どういうことだ。ここはどこだ?」フロードは両手で化け物たちに照準を合わせながら、言った。
「ここは記憶解析室ですよフロード」ホワイトが言う。が、フロードには届いていないようだ。
ホワイト達は、記憶解析室にいる。なにも変わってはいない。球体に映る映像も、暗闇のままだ。ホワイト達にとっては、フロードはいきなり挙動不審になり、叫び声をあげ、光弾の照準を自分たちに向けてきたのだ。
流石に光弾を受けるわけにはいかないと、ホワイト達はゆっくりと壁に張り付いた。黒マントは動くなと言われたので、動かない。緊張しているのが手の震えから伝わってくる。
フロードが狼狽している中、ホワイトはマントの中で、手に魔力をためた。腕を上げることなく、手だけをフロードに向ける。そして、ヒゲにアイコンタクトを送った。ヒゲはうなづき、タイミングを見はからい……勢いよく伏せた。
一瞬、ヒゲの動きに気を取られたフロードに、ホワイトは直立不動のまま魔法を放った。その魔法は、白マントを通り抜け、フロードに直撃した。フロードは倒れ込んだ。
ヒゲは素早く起き上がり、フロードを見下ろし、言った。
「まさか……」殺したんじゃ……とでも言いたそうな声だ。
「さっきから『まさか』が多すぎです。眠らせただけです」ホワイトがそう言うと、フロードが寝息を立て始めた。
ヒゲはフロードをうつ伏せにした。手を後ろで組ませ「一応な」そう言い、手錠をかけた。フロードを壁に寄りかからせると、頭が垂れ、いびきをかき始めたので、結局、床に寝かせることにした。
「トニーの記憶の中に、人を錯乱させる何かがあったのかもしれません」
ホワイトはそう言うと、扉の近くまで歩き、「外の黒マントさん、私たちにもマスクを持ってきてもらえますか?」ホワイトがそう言うと、外から「了解」と言う声が聞こえた。
「中止するって判断はないんだな?」ヒゲが苦い顔をした。
「当たり前です。フロードの様子を見て、予想が確信に変わりました。続きを見て、さらに100%確定させましょう。でも、私たちもフロードのようにならないとは限りません。マスクをつけてから見ましょう」
黒マントのマスクには、洗脳や催眠を防ぐ魔法がかけられていた。精神へのダメージも最小限に出来る優れたマスクだ。効果があるかは未知数だが、ないよりマシだと判断したのだろう。女性の黒マントが、マスクを持ってきた。ホワイトはそれを受け取り、ヒゲに渡し、自分もそれを被った。女性の黒マントは再度、扉の外に出た。
『ヒゲのたっぷりと出た腹に、骸骨のマスクは似合わないな』とホワイトは思った。まあ、自分も白いマントなので、似合わないだろうと予想はできた。実際、二人には似合っていなかった。
「外の黒マントさん。私たちが錯乱した時のための準備をお願いします。安心して下さい。私たちは弱いです」
「そうでーす」ヒゲは悲しそうな声で賛成した。
扉の外から「わかりました。容赦しません」と声が聞こえた。無感情で、本当に容赦しなさそうな声だった。「容赦はして欲しいんだが……」ヒゲが呟いた。
「では、記憶の再生を再開して下さい」
ホワイトがそう言うと、黒マントは、手汗をマントに押し付け、再度、トニーの頭に手をかざした、
記憶が再生される。暗闇が横に裂け、まぶたが開く。そこには、おぞましい光景が広がっていた。そこはセカイトメントの風景ではなく、巨大な化け物の内臓のような風景だった。周りにはフロードが見たような、見るだけで嫌悪感が湧いてくるような化け物だらけだった。
トニーの叫び声が聞こえる。しばらくは逃げ回っていた。しかし、どこへ行っても化け物はいる。逃げられないと確信したトニーは、戦うことにしたようだ。手から光弾を発射し、魔法で強化した体で、化け物を倒し始めた。
「トニーって戦闘の成績は良いんだよな……」映像を見ながらヒゲがつぶやく。
化け物の吐いた液体がトニーの腕を溶かし、光弾が打てなくなった。それでもトニーは足掻いた。死にたくない、と言う気迫で溢れていた。
ホワイトはあまりにも凄惨な光景に、目を背けたかった。しかし、見届けなければいけないという義務感が勝り、拳を握りしめ、映像を見付けた。
周りの化け物たちは、次々とトニーに襲いかかる。トニーは必死で応戦する。トニーが、太った化け物になぐりかかろうとした瞬間、映像が暗転した。しばらくたち、まぶたを開けて見えたのは、フロードの顔だった。
「ここで夢の記憶は終わりですね。記憶の再生を止めて下さい」ホワイトはマスクを取り、ブハァと息を吐いた。やっと映像から解放されたという感じだった。
映像はフロードの驚く顔でストップされている。
「記録媒体をお願いします」黒マスクは、ホワイトに向けて言った。
「はい。これにお願いします」
ホワイトはそう言い、マントの内ポケットから、親指ほどの大きさの、薄緑色のクリスタルを取り出した。記憶を保存しておけるクリスタルだ。記憶だけでなく、魔力を貯めたり、マナを貯めたり出来る便利なものだ。地球でいうUSBメモリに近い。
黒マントが呪文をぶつぶつ言うと、フロードが映っている球体は、端から気体になり、クリスタルに吸い込まれていった。フロードの顔がぐにゃりと潰れ、吸い込まれる方向に頬が伸び、球体はすべてクリスタルに吸い込まれた。ホワイトはそれを内ポケットにしまい、全員を見渡した。
「トニーを起こして下さい」ホワイトが黒マントに言った。
「はい、椅子起こしますよ〜」やはり、椅子を操作する時だけ、黒マントは床屋になる。椅子が起き上がる途中で、トニーは目を覚ました。あたりを見回し、フロードが床に寝転んでいるのに気づいた。
「なんで兄貴寝てんの?」当然の疑問だ。
「フロードはあなたの記憶に、興味深い反応を示しましてね。うるさかったので眠ってもらいました」ホワイトは、手に持ったマスクをブランブランさせながら言った。少し言い訳混じりの顔だ。「では、起こしましょう」
ホワイトが指を鳴らすと(スカッという音だ)、フロードは目を開けた。
「ん、ここは……。おい、どういう事だ」そう言いながらフロードは、後ろ手に手錠をかけられているというのに、壁を利用し、器用に立ち上がった。少し怒っている。
「怒るなよ。今手錠を外してやるから」ヒゲは鍵をフロードに見せ、手錠をこっちに向けろと合図した。
「覚えていないんですか? あなた、錯乱してたんですよ?」ホワイトはトニーの座っている椅子の手すりに手をかけている。
「錯乱? あ……なんか思い出してきた……」フロードの手錠がカチャカチャを音を立てている。「まだか?」
「暗くてな……よーし」ヒゲは手錠を外し、それをベルトのフックにかけた。
フロードは、今まで手錠をかけられていた手首をさすり、「記憶解析は終わったのか?」と、トニーとホワイトを見た。
「はい、これから二人の記憶を魔力研究所(鑑識のようなもの)に送ります。詳しい事はそこで明らかになるでしょう。今回は最優先にやってもらえるよう予約を取っておいたので、1.2時間もあれば結果はでます」ホワイトはそう言い、ニヤリと笑った。「私の予想はあたっていそうですよ」
全員一階に上がり、記憶解析班の二人は別々に何処かへ行った。追いかけてはいけないらしく、その二人は今、何処にいるかもわからない。案外、いつも会っている同僚かも知れないと、ヒゲが言っていた。




