福音の人形 ー エヴァンジェリンの福音 ー
泣き過ぎかキスの余韻か、頭がぼうっとする。彼が何を言っているのか分からない。
「ちょっとフェイ! どうしていきなり目隠しするのよ。何も見えないじゃない」
「あれは目の毒だから。子供は見たらダメだ」
エヴァンジェリンとフェイが何やら騒いでいるようだけど、彼らの声は耳を素通りしていく。今は目の前の彼しか目に入らない。
想夜は噛んで含めるかのように、ゆっくりと言い直した。
「ヤコ。大好きだ」
しばしの間停止していた私の脳がようやく動き出し、そしてかつてない程の熱が全身を駆け巡り、私は深く突っ伏した。
「ヤコ?」
「もうだめ。死ぬ」
恥ずかしい。ひたすらに恥ずかしい。
いい年をして人前であのような、バカップルがするようなことをしてしまうなんて。
出来るものなら地中に埋まりたい。
しかもあんな熱烈な告白。もう嫌だ。この天然王子。やっぱり私を殺す気なんだ。
「ヤコ、ヤコ、ヤコ。顔を上げて」
何度も名前を呼ばれ、懇願されたので恥ずかしさをこらえて想夜の顔を見ると、こちらが申し訳なくなるほど悲しげな表情をしていた。
「ヤコは………小夜、ネイドが好きなんだよね」
「違う!」
考えるより前に叫んでいた。どうやら私が盛大に照れているのを"小夜が好きだから想夜の告白に答えられない"と勘違いしたらしい。
もう恥ずかしいなどと言っている場合ではなかった。
「私も! 好きだから!」
あ、主語が抜けた。
想夜は私の言わんとすることを察したのか、何かを待つような顔になった。
やっぱり主語は必要ですか。そうですか。
ええい! 女は度胸。エヴァンジェリンを目隠ししてなだめているフェイは置物だと思うことにする。
「想夜。大好き」
声が震えて弱々しい告白になってしまった。
顔を見られないように、抱きついてその胸に顔をうずめる。
なんなのこの羞恥プレイは。いっそ殺して。
顔色ひとつ変えずに激甘な台詞を吐く想夜は別の意味で勇者だと思う。
今の私の顔は恐らく火の海だ。
「ありがとう。ヤコ。君のこと一生大事にするから」
想夜は眩しげに笑むと、いつかのように頬に唇を落とした。
「ところで想夜。あなたいつから起きていたの?」
いい雰囲気だったのも束の間。私が問いかけると、想夜は固まった。
いつもは真っ直ぐこちらの瞳を覗き込んでくるくせに、今は目を合わせようとしない。
「本当は自力で目覚めてたのに、しばらく寝たふりをしていたのよね?」
お姉さん怒らないから正直にお吐きなさい。
この空間においてはノクターンと同等の力を持つ、とは彼の言葉だが、元勇者があの程度の魔法で永遠に眠りっぱなしになるとは思えない。不覚をとってエヴァンジェリンの術中にはまったものの、魔力耐性が高いため中途半端なかかりになり、途中で魔法は解けてしまったのだろう。
「その………ヤコがその人にお説教し始めた辺りから段々と意識が戻り始めて。でも膝枕が気持ちよかったし、このまま待ってたらヤコがキスしてくれるかと思ったから。つい」
「ついじゃありません。もう。起きてるなら起きてるって言ってよ。私がどれだけ心配したか」
"だってヤコがなかなかキスしてくれないから"と想夜は子供っぽく唇をとがらせた。
彼は滅多にそういう表情をしてくれないので、たまにされると胸にきゅんとくる。
可愛い。可愛いよノン君。しかしほだされてはいけない。
「しませんよ。キスなんて」
「どうして………」
今度は泣き落としですか。そんな悲しげで泣きそうな顔されても駄目なものは駄目だったら。
「もう! エヴァンジェリンもフェイもいるのにそんなことするわけないでしょ!」
こっちは人前で手を繋ぐことすら抵抗があるというのに。
そういえば、結婚式会場でも公衆の面前で抱きしめられたし、彼は人目をはばからずスキンシップをしてくるタイプなのだろうか。
それはかなりの問題だ。何事も始めが肝心というし、公衆の場では節度を守るように今からしっかりと教育しておかないと。
「じゃあ、人前じゃなかったらしてくれる?」
「まぁ………誰もいない所だったら」
って。何を言わせるんだこの天然は。私はそういうキャラじゃないのに。
想夜、やはり恐ろしい子。
「ほぅ。人前じゃなかったらするのか。なるほどなるほど」
きーきー叫びながら、私に飛びかかろうとしているエヴァンジェリンを抑えつつ、フェイはにやにやとしている。
「うるさい!」
照れ隠しもあって、フォークを10本ほど投げつけてしまった。
フェイはエヴァンジェリンを抱きしめると、自ら盾になってフォークから彼女を守る。
「いきなり危ないじゃないか! その乱暴なところを直さないとすぐに恋人に愛想をつかされるぞ」
「なんですって!」
拳を握って憎たらしいことを言う男を殴りに行こうとしたが、後ろから二本の腕が伸びてきてぎゅっと私を拘束した。
「想夜?」
彼は何も言わずに私の首筋に顔をつけたままじっとしている。一体どうしたのか。まだ魔法が完全に解けていないとか?
「想夜? ノン君? どうしたの」
「思い出したんだけど、ナハトで旅をしていた時、小夜………ネイドがいつも冷たかったんだ。僕はあまり人に嫌われたりしない性質なんだけど、ネイドの僕を見る目がビックリするほど冷たい時があって、なんでだろうっていつも思ってた」
私を抱きしめたまま、いきなりセレナーデの話を始める想夜。どうしてここにセレナーデの話が出てくるのだろう。訝しむ私をよそに想夜は半ば独り言のようにして続ける。
「特にヤコと話している時はすごかった。とげとげしいを通り越して殺気に近かったな、あれは」
セレナーデのヤツ。後ろで黙って控えてるふりして、常に殺気を放っていたのか。
今、あの時を客観的に振り返ると、セレナーデの私への執着度合いがよく分かる。
私にはそこまでの価値はないと思うが、彼の運命は私が握っていたようなものだから、それはほとんど刷り込みに近く、仕方がないことなのかもしれない。
「ネイドは僕に妬いていたんだね。君が僕に優しくするから。………僕は今になってようやくネイドの気持ちを理解したよ」
「話は分かったけど、どうして急にそんなことを?」
セレナーデの思い出話をしたかったという様子でもない。
胸の前で交差された腕が締め付けを増した。
「ヤコ。僕の前で他の男に優しくしないで。悩み相談にも乗らないで。僕がいるのに僕を放ってそいつの所に行かないで。お願い」
なに。
なんなのこの可愛い生き物は。
今、ものすごくキュンとした。私をキュン死させる気なのだろうか。この天然は。
好きな人にこんな風にすがりつかれ、懇願されて振り払える人間がいるだろうか。
いるわけがない。
なんかもう付き合い始める前から私は色々負けている気がする。
正直に言おう。私は恋人の束縛なんてうっとおしいだけだと思っていた。束縛されるぐらいなら別れてしまえ、とすら思っていた。
しかし想夜が嫉妬してくれるのなら、むしろ嬉しいと思う。私は彼のものなんだと思って幸せなんだと思う。
「うん。分かった。ごめんね。不安にさせて」
僕の方こそわがまま言ってごめん、想夜が謝るが、私の首元に顔を埋めながら言うものだからくすぐったい。
二人で密着したまま笑い合っていると、呆れ顔のフェイが咳払いをした。
「いちゃついているところ申し訳ないのだが、そろそろ君たちを元の世界に帰そうと思うがいいかい?」
「フェイ! 勝手なこと言わないでよっ。私はまだ想夜と」
「エヴァもいい加減に諦めるんだ。君がいくら騒いだところで、お互いしか目に入っていない二人には効果がない。見せつけられて悔しい思いをするだけだ」
フェイはエヴァンジェリンの手を引いて私たちの前まで来た。想夜は私の拘束を解くと、初めて正面からフェイと相対する。
「僕は君から夜子を奪ったりなんてしないから安心してくれたまえ。
だからこれからも彼女の友人であることを許してくれないだろうか。
それから、想夜。僕とエヴァンジェリンの友達に君もなって欲しい」
予想外だったのか、フェイの申し出に目を見開いた後、想夜はにっこりと破顔した。
「うん。僕で良かったら喜んで」
二人は固く握手を交わした。
想夜の名前を呼んで泣き出したエヴァンジェリンに彼は約束した。
「寂しくなったらまた呼んで。ヤコと二人で遊びに行くから」
「本当に? 本当に来てくれる?」
「もちろん。だって僕たちは友達だもの」
エヴァンジェリンは長い間、想夜にしがみついて別れを惜しんでいた。
少女の姿をしたエヴァンジェリンと恋人が抱き合っているのを見せつけられるのは正直面白くないのだが、想夜のように可愛らしく妬くことが出来ないし、人形相手に大人気ないのでこらえた。
「いいのか」
お姫様をとられて面白くないのはフェイも同じらしく、訊ねる声に苦々しさがにじむ。
「よくないけど………。みっともなく嫉妬するのはいやだから」
そう言えばフェイからはハンカチを借りていた。洗って返したいところだが、次はいつ会えるかも分からないので、申し訳ないがこのまま返却させてもらおう。
「ハンカチありがとう。洗えなくてごめんなさい。フェイ、あなたには思いやりがあるわ。その気持ちを忘れなかったら、もっとたくさん友達が出来るから大丈夫」
にっこり笑ってハンカチを差し出すと、ハンカチごと手を握られた。
「また来てくれよ。待っているから」
「ええ。いつでも呼んで。でも今度はお茶とお菓子ぐらい出してよね」
「もちろんだ」
目元は前髪で隠れているので見えないが、口元が優しくほころんだ。
これはもしかして。
ふと思いついた私は"ちょっと失礼"と断って、フェイの前髪をかきあげた。
予想どおり思慮深そうな涼やかな瞳が現れて、私はどきっとした。
どうしよう。けっこう好みかも。
メガネが似合いそうな知的な顔立ちだ。
「フェイ。素顔はかなりかっこいいじゃない。あなた前髪を上げた方がいいわ。友達はもちろん彼女もすぐに出来るわよ」
顔を覗き込んで目を見てアドバイスしてあげると、みるみるうちに頬やら耳やら首の辺りが真紅に染まった。インドア派らしく肌も白くて綺麗だ。羨ましいこと。
「あら。見事に真っ赤」
フェイは赤くなったまま、口を開けたり閉ざしたりしているが、言葉が出ないようだ。
「ヤコ!」
いきなり呼ばれて、腕をぐっと掴まれると、フェイから引き離された。
「想夜。顔が怖い」
彼がいつになく険しい顔をしているので、私は手を伸ばして、眉間のシワをそっと撫でる。
「はい。妬かない。妬かない。あなただってさっきエヴァンジェリンと抱き合ってたでしょ。私だって我慢してたんですからね。おあいこよ」
みるみるうちに眉間からシワが消えていき、眉尻がへにゃんと下がる。だから可愛い顔するのやめてってば。
「ごめんなさい」
「わかればいいのよ。わかれば」
しゅんとしているので、頭を撫でてあげると、気持ちよさげに目を細めて笑った。
「エヴァ。頼む」
「フェイの頼みならしょうがないわね」
ピンクのスカートをふわりと揺らし、彼女は可愛らしい声で歌い出す。
さぁお家に帰りましょう
赤いルビーの靴をはいて
カカトを三度鳴らして
唱えるの
やっぱりお家が一番!
お外は楽しいけど
やっぱりお家が最高!
まだまだあそび足りないし
まだまだ帰りたくないけど
でもやっぱりお家が一番!
手を繋いで一緒に
仲良くお家に帰りましょう!
ピンク色の空間にエヴァンジェリンの福音が暖かく満ちていく。
エヴァンジェリンやファンシーな浮遊物たちが歌に合わせて軽快に踊る。くるりと一回転して彼女がぱちんと指を鳴らすと、私の足には赤く輝くルビーの靴がはかされていた。
「まあ、可愛い靴。オズの魔法使いね」
みんながよく知っている帰還の魔法。
私は想夜に向かって手を差し出し、彼は私の手をきゅっと握りしめた。
二人して繋いでいない方の手を振ると、エヴァンジェリンは頬をふくらましながら、フェイは笑って手を振り返してくれた。
私は靴のカカトを三度鳴らした。想夜と顔を見合わせ、二人で叫ぶ。
「お家が一番!」
一瞬にして周囲の風景が塗り変わり、私たちは排気ガスの匂いのする大通りへ戻っていた。
雑貨屋のショーウィンドウに夕焼けに染まった雲と夕陽が映り込んでいる。
「無事に戻ってきたね」
「結婚式は大丈夫?」
「どうだろう。小夜がカンカンになって怒ってるかも」
「大変! 私も一緒に謝るから、早く帰りましょう。小夜におめでとうも言わなきゃならないしね」
私たちはどちらからともなく手を繋ぐと、歩き出した。
さぁ お家に帰りましょう。
夕陽が硬質なビルディングを柔らかく染めていた。
福音:よろこばしいしらせ
後書きは活動報告にて




