福音の人形 - 夜子の反撃 -
落ち着け。落ち着け夜子。
彼を王子と呼び慕っているエヴァンジェリンが想夜に危害を加えるわけがない。確かに彼女はわがままで自分勝手だが単なる子供だ。非道なことはしない…….はずだ。
ドキドキする胸を抑えて、想夜の手首を掴み脈をとる。良かった。ちゃんと生きている。
よく耳をすませると、寝息も聞こえてきた。
ただ眠っているだけらしい彼にほっと胸をなでおろす。
「王子には眠りの魔法をかけたわ」
ブルネットを揺らし、歌うようにエヴァンジェリンは告げた。
「魔法を解かないと王子は永遠に眠り続ける。王子はお姫様のキスでしか目覚めない。そしてキスされた王子は一生涯お姫様だけを愛するの。素敵でしょう」
「………それ、普通は逆じゃない? 王子がお姫様にキスするものじゃないの? もしかしてあなた、今流行りの肉食系女子ってやつ?」
眠り姫や白雪姫は王子のキスを受け身で待っていた。
それが逆に王子に呪いをかけて自分からキスした挙句、相手の心までも意のままに操ろうとは。
白雪姫をいびって城から追い出した意地悪な継母に勝るとも劣らない肉食ぶりだ。
「肉食系女子がなによ。黙ってやられっぱなしのヤコさんじゃないですよ」
何か武器になるものが欲しい。
そう思った瞬間、私の右手には数本のフォークが。左手には数本のナイフが握られていた。
どうやらこの亜空間では強く願ったことが具現化するようだ。
「私だって! やる時はやるんだから」
私は手にしたフォークとナイフをエヴァンジェリンに向かって投げつけた。
深い眠りに落ちている想夜を抱き起こし、口付けようとしていたエヴァンジェリンの頬をかすめたのはナイフ。フォークは彼女の波打つ髪に絡まって落ち、残りのナイフとフォークはちょうど彼女のすぐ横に浮いていたホールのイチゴケーキに深く突き刺さった。
「ちっ! 外したわ」
大きく舌打ちして、私はナイフとフォークを再び構える。
「危ないじゃない! 当たったらどうしてくれるのよ」
がたがた震えながら抗議するエヴァンジェリンを私は鼻で笑ってやった。
「あなた馬鹿じゃない? 当てるために投げているのよ。決まってるでしょう」
怯えているくせに想夜から離れないエヴァンジェリンに向かってナイフとフォークを投げまくる。
想夜にも当たるのではないか、と一瞬思ったが、気にしないことにした。
彼は王子などではなく元勇者だ。当たったところで死にはしない。私の勇者はそんなにやわじゃない。
雨あられと大量のナイフとフォークを投げ続ける私の猛攻に悲鳴を上げ、ついにエヴァンジェリンは想夜の身体を放り出して逃げた。
逃がすもんですか。
彼女には想夜の呪いをキス以外の方法で解いてもらわなくてはならないし、元の世界にも帰してもらわなくては。
「きゃあっ」
可愛らしい悲鳴とともに転んだエヴァンジェリンが逃げられないように、ドレスの裾を踏みつけ、数本のナイフで空間に縫い止めた。
「さぁ。お姫様。覚悟はよろしくて?」
フォークをかざして迫る私の顔がよほど恐ろしかったのだろう。
ついに彼女は大粒の涙を流して泣き出した。
「怖いよぅ。助けて。フェイ。フェイ!」
「エヴァを離してもらおうか」
聞いたことのない男の声がした。
振り返ると、見知らぬ男が想夜の身体を羽交い締めにしている。
だぼっとした野暮ったい色のローブを着て、その顔はもっさりと長い前髪で隠れて見えない。声からすると若い男のようだ。
「フェイ!」
「エヴァ。可愛い僕のお姫様。僕が来たからにはもう大丈夫だ。悪者は僕がやっつける」
ぐずるエヴァンジェリンに頼もしげに請け合う男。
「ちょっと。悪者ってまさか私のこと!?」
怒りに任せて投げたナイフは男のローブを貫通し、その向こうに漂っていた手鏡を破壊した。
「ひっ!」
粉々に砕けた鏡の破片を目にし、男は悲鳴あげて蒼ざめた。手にしたナイフとフォークを見せつけるようにして、ゆっくりと近づいていく。
「来るな! 動くな! 動いたら男の」
男の命はない、とか言い出すんだろうか。ゴキブリ一匹退治出来そうにない、小者に見えるけど。
「この男の唇を奪うぞ」
…………………。
ブルータス。お前もか。
男女を問わず好かれるところ。人どころか人形にまで執着されていることといい、想夜はノクターンの魅了をしっかり受け継いでいるようだ。
迷惑な話だが。
男の脅しは、想夜にとってはある意味命をとられるよりも恐ろしいものである。
なにせそれを実行されると、想夜が男に惚れてしまうのだから。
しかしそうなると、エヴァンジェリンの計画が台無しになり、意味がないような気がするのだが。
「……フェイ」
「違うぞ………。僕は別に男が好きなんじゃなくて、ただエヴァを助けたい一心で」
私だけでなく、エヴァンジェリンにまで白い目を向けられて、泣きそうな声を出す男。単なる馬鹿だったか。
そもそもこの男、何者?
「あなた、エヴァンジェリンの何?」
「僕は彼女を作り出した製作者だ」
自らの手でカスタマイズした人形を姫と呼び溺愛する。
彼みたいな人間は私たちの世界にも普通に存在する。恐れるに値しない。
私はエヴァンジェリンから離れると、つかつかと男に向かって歩み寄った。
途端、怯え出す男。さっさと想夜を解放して逃げようとしたが、私の方が早い。
拳を思い切り振りかぶると、男のぼさぼさの頭に勢いよく振り下ろした。
「いっっ! つぅぅぅ………」
痛みのせいか、言葉にならない呻きを上げる男。
「自分の娘のしつけぐらいちゃんとしなさい! それでも父親なの!?」
エヴァンジェリンがこんなわがままなお姫様に育ってしまった原因は間違いなくこいつにある。
どうせ意味もなく、甘やかしまくったに決まっている。
拳の痛みにうずくまっている男に正座を命じ、私は説教モードに突入した。
「まさか甘やかすことが愛情だなんて勘違いしてる? それは大きな間違いよ。本当に愛があるのなら、彼女のことを考えるなら、いつも優しくしては駄目。時には厳しくしないと」
「き、厳しくなんてそんなことしたらエヴァに嫌われるよ……」
「馬鹿! 嫌われることを恐れていたら愛ある躾なんてできないでしょう! そんなふにゃけたコンニャクみたいな……おっと」
私が投げた数本のフォークは、隙をついて想夜の唇を奪おうとしていたエヴァンジェリンのドレスに突き刺さり、彼女は腰を抜かした。
「エヴァ! きみ僕のお姫様になんてこと」
「うるさい! エヴァンジェリン。今後、ノン君に指一本でも触れてみなさい。あなたの両手両足を解体して髪の毛を一本残らず引っこ抜いた後、物干し竿に吊るしてやるから」
私の脅しに青ざめたエヴァンジェリンは、ごめんなさい! と叫んでわっと泣き伏した。
私はいまだ目を覚まさない想夜の頭を膝に乗せ、男の身の上話を聞いてあげていた。
急遽、ヤコさんのお悩み相談室by亜空間出張所の新設である。
彼はその爽やかとは言えない外見のせいで、女子に馬鹿にされ、いつもビクビクしているため男子にまで馬鹿にされていたらしい。
臆病な上に話下手なので友達も作れない。
そんな時、エヴァンジェリンの原型となる髪も目もない人形を専門店で発見し一目惚れ。家に人形を連れ帰った彼は髪を植え、目を嵌め込み、ドレスを着せて、仕上げに魔力で命を吹き込んでやった。
この亜空間はエヴァンジェリンが楽しく遊べるように男が作ってやった彼女のための子供部屋であり、私が住む世界と男が住む世界の狭間にあって、エヴァンジェリンは亜空間を使い、こちらの世界とあちらの世界を自由に行き来していたらしい。
そんな彼女に目をつけられてしまった不運な王子は、私の膝の上であどけない表情で眠っている。人の気も知らないで。軽く頬をつねってやった。その感触が驚くほど柔らかくて、しかもすべすべしていて、私はたちまち不機嫌になった。おのれ。二十代の若い肌よカムバック。
「友達がいないから全愛情がエヴァンジェリンにいってしまう。
そして対象が一つなものだから偏った、いびつな愛になる。
理解したわ。あなた、名前は?」
「フェイ」
おどおどと男は答えた。
「私は夜子よ。あなた、一人だけでもいいから、友達を作りなさい。一人でも友達が出来ればだいぶ変わるわ。今のままだと人間としてのバランスがとれていないから、エヴァンジェリンも暴走するのよ」
「無茶を言うな。自慢じゃないが誰も僕の友達になんてなりたがらない!」
「確かに自慢にならないわね、それ」
後ろ向きな上に人とテンポがずれている。
なんでここで僕頑張りますって爽やか言えないのだ。個性と言ってしまえばそれまでだが。
仕方がない。乗りかかった船だ。想夜の呪いも解いてもらわなくてはならないし、私はこういうタイプは嫌いではない。
「分かった。私があなたの友達になる」
「………君が僕の友達に?」
「なによ。私じゃ不満?」
身を乗り出してきたフェイに両手をぎゅっと握られて、上下に激しく振られる。
「いや、とても嬉しい。夜子と呼んでも?」
「どうぞ」
フェイの勢いを受け、膝からずり落ちそうになった想夜の頭をはっしと抱え込み、私はほっと安堵の息を吐いた。
「魔法を解く方法は一つだけ。エヴァの言った通りキスで目覚めさせるしかない」
「そう。分かったわ。歯を食いしばりなさい」
いきなりフェイを殴ろうとした私を涙目で止めるエヴァンジェリン。
"お願い。フェイを虐めないで"
美少女に潤んだ瞳で見つめられて言われると、いじめっ子になった気分だ。
「夜子、そうやってすぐに暴力に訴えようとするのはどうかと思うんだが」
私に殴られないように頭を両手で庇いつつ、フェイはじりじりと後退する。
「私をDVみたいに言わないで! 誰かさん達が無茶苦茶するからじゃないの!」
ぎろりと睨みつけると、フェイはあっさり謝った。
「わかった。僕たちが悪かった。だからそんなにカリカリするな。僕はエヴァにキスさせろと言っているわけじゃない。君がやればいいと言っている」
エヴァンジェリンがええ〜っと抗議の声を上げたので、フェイは彼女を膝に乗せると、髪を撫でてなだめ始めた。
「それが出来ないから困っているのよ」
「何故だ? ずっと隠れて君たちの様子を見ていたが、僕の目に狂いがなければ、彼は君を全力で守ろうとしていたし、君もまんざらではないように見えたが」
「違うわ。彼が好きなのは私じゃない。ノン君はアーラ王女のことをずっと慕っているのよ。それこそ生まれる前から」
言っていて悲しくなってきた。鼻の奥がツンとして目頭が熱くなる。
エヴァンジェリンのかけた魔法にどれほどの強制力があるか分からないが、キスすることによってアーラ王女が好きな彼の心を無理矢理私に振り向かせ、一生涯縛りつけることになったら悔やんでも悔やみきれない。
「何もいきなり泣かなくても」
堪えきれずに涙をこぼし始めた私を見て、フェイはおろおろする。
あーあ。ついに泣いてしまった。目からボロボロ涙を流しながらも心は意外と冷静だった。
「ふんだ。泣き虫」
「あなただってさっき泣いてたでしょ」
憎まれ口をたたくエヴァンジェリンに返しつつ、目を拭う。
色々とあって許容量を超えてしまったらしく涙はどんどん出てくる。
涙にはストレス物質が含まれているらしいから、こうなったらとことん泣いてしまおう。
私が本格的に泣き出したので、フェイは一人で慌てている。ローブのあちこちを探って、ハンカチを取り出すと、少しよれたそれを差し出してきたので、ありがたく受け取って濡れた頬や目元を拭かせてもらっていた。
その時。
ぱちりと目を開けた想夜がいきなり半身を起こし、私の後頭部に両手をまわして強く引き寄せた。そのまま深く口付けられる。
彼から伝わってくる熱に頭がクラクラしてくる。しばらくして唇を離すと、想夜は私の目を覗き込みはっきりと告げた。
「僕のお姫様はアーラじゃない。ヤコだよ」




