福音の人形 ー 人形の誘い ー
※このお話はリクエストのあったif勇者エンドですが、本編とは違った雰囲気のお話の上、割と好き勝手に書いています。
すみません。ifだからとやりたいように書いたらこんな風になりました。
矛盾点があったり、魔王と勇者が平等でなかったり、ご都合主義だったり、好き勝手に書いているので、そういうのがもやもやする方は回れ右して下さい。
ヤコ、異世界トリップなんてありふれているんだよ、と彼は言った。
幼少時、何の前触れもなく、まるで路地裏にふらっと迷い込むような感覚で異世界に行ってしまったことがある。自らの意思で飛び込んだことも二度ある。
しかしいくらありふれているといっても、これはどうかと思うし、こんなデタラメな世界は慎んで辞退させて頂きたい。
今、私がいる場所は明らかにおかしい。
まず色彩がありえない。
パステルピンクを基調とした空間に、色とりどりのパステルカラーのお星さまやお花、クッキー、キャンディー、ケーキなどの甘いお菓子、きらきら光るネックレスやティアラ、指輪などのアクセサリーが浮いている。
よく見ると、フワフワのパフ。ファンデーションに口紅などの化粧品類もある。
そして裾がたっぷりとふくらんだドレスたち。レースがふんだんに使われていたり、大きなリボンがついていたりして、どれも子供っぽいデザインだ。童話の中でお姫様が着ていそうなものばかり。
いかにも幼い少女が好みそうなアイテムだ。
私をこの世界へ引きずり込んだ人形の憧れの体現なのか。
こんなデタラメな状況なのに、やけに冷静に分析しながら、周囲365度をぐるりと見渡して、脱出路を探す。
地面も床もなければ空も天井もない異質な空間になす術もなくふわふわと漂っているこの現状。自力での脱出は到底不可能に思えた。
しかし私は恐怖に取り乱すこともなく、絶望に肩を落とすこともなかった。
なぜなら私の側には………
「困ったね。久しぶりに会えたと思ったら、こんな奇妙な世界に迷い込んでしまうなんて」
「あなたはたぶん巻き込まれただけ。元凶は私にあると思う。ごめんなさい。
大事な弟の結婚式なのに、途中退場するような真似をさせてしまって」
「あいつの前で弟って言わない方がいいと思うよ。僕が兄を名乗ると、兄は俺だ!っていつも怒るから。
それよりもヤコ」
ムキになって怒る弟を想像して、くすくすと笑っていた青年は、表情を真剣なものに改めて私の顔を覗き込んだ。
「とんだ再会になっちゃったけど、改めましてお久しぶり。会えて本当に嬉しい。ずっと会いたかった。
変な世界に呼ばれてしまうところは相変わらずみたいだけど、僕が一緒だから大丈夫。心配はいらないよ」
顔立ちは全く違うけれど、ふわっと笑う優しげな表情や、自分の安否よりもこちらの安否を優先してくれるところ、こちらが恥ずかしくなるぐらい物言いがストレートなところ。
何から何まで私の知っている彼だった。
「うん。あなたが一緒だから何の心配もしていないわ。私、かなり足手まといだと思うけど頑張って着いて行くから見捨てないでね、ノン君」
かつて勇者だったことのある若者は、一瞬目を大きく見張り、次の瞬間には破顔一笑した。
「懐かしいなその呼び名。前世も現世も僕のことをそう呼ぶのはヤコ一人だけ。
君のことは僕が絶対に守るよ。だから、二人で一緒に帰ろうね」
私は不安も恐怖も全く感じていない。感じるはずがないのだ。
なぜなら私の側には現世も前世も頼りになる元勇者様がいてくれるのだから。
これは、またもや異世界に呼ばれてしまった私と元勇者様の小さな冒険譚。往きて帰りし物語だ。
私たちがなぜこんな状況下に置かれることになったのか順を追って説明しようと思う。
オーロラによって二人の魂が導かれて逝ってしまい、呆然自失状態だった私も気付けば元の世界の自分の部屋に戻されていた。
二人が私の前から姿を消して以来、数ヶ月もの間、脱け殻のようになって生きていた私は、散歩中に結婚式に遭遇する。
花嫁が投げたブーケが何故か私の頭上に落ちてきて、それをキャッチした私に走り寄ってきたのは、新郎の兄だという青年想夜。
想夜にはすぐ私が分かったみたいで、結婚式の参列者たちが居並び、こちらに注目してくる中、再会を喜ぶ彼に抱擁されてしまった。
あまりのことに硬直し、次に赤面して彼の腕から脱出しようと身をよじらせる私の頭をなだめるようにぽんぽんと叩く想夜。
「暴れないでヤコ。僕だよ、ノクターン。今は想夜だけど。あっちで花婿やってるのは、ネイド。………もしかして僕のこと忘れてしまった?」
あれだけ衝撃的な別れ方をした二人のことを忘れるはずがないし、片時も忘れたことはない。
しかし私は想夜の告げたある事実に強いショックを受けていた。ショックのあまり今もなお衆人監視の中で想夜に抱き締められたままだということを失念してしまっていた。
ー 想夜はどうしたんだ
ー あの女性は想夜の知人か
ー ただの知人にしては熱烈すぎないかあの抱擁
ー 彼女は恋人じゃないのか
想夜の唐突な行動にざわつく参列客たちを掻き分け、私の目の前にやってきたのは、花嫁を伴った花婿。小夜だった。
「初めまして。俺は想夜の双子の兄の小夜といいます。想夜の知人の方ですか? これも何かの縁だ。ブーケは良かったら貴女がもらってやって下さい。ねぇ、君もそれでいいよね?」
「もちろん。想夜君の知り合いみたいだし、そのブーケは不思議なぐらい貴女の雰囲気に似合っているわ。私からもお願いします。ブーケをぜひ持ち帰って下さい」
花婿と花嫁は仲睦まじく寄り添いながら互いに顔を見合わせて美しく笑い、笑顔のまま私を見た。
初めまして。彼はそう言った。
セレナーデが、小夜が私のことを全く覚えていないらしいのは、彼が私を見る眼差しが他人行儀だったことからも分かった。
しかも今の彼は結婚式の主役で花婿。セレナーデはもう私の知らない誰か、目の前で美しく微笑む花のような彼女のものになってしまったのだ。
それを悟った瞬間、私は想夜の腕を跳ね除けて、ブーケを小夜の手に乱暴に押し付けると、ヒールで走りにくいのも構わずに走り出した。
もう、こんな場所に一分一秒たりともいられない。
セレナーデが私を赤の他人のように扱い、私じゃない女性を大切にする姿なんて見たくない。
走って、走って、ともかくがむしゃらに走って、ついに力尽きた。
方向なんて、行き先なんて何も考えていなかった。ふと我に帰ると、私は知らない通りにいて見知らぬ雑貨屋の前にいた。
全力疾走のために息切れし、激しく肩を上下させながらショーウィンドウごしに店内を覗いてみると、童謡に出てきそうな存在感のある古時計や、猫脚の椅子・丸テーブルなどが見えた。
あそこにあるような年代もののチェストの一つでも我が家にあったなら。私の部屋の雰囲気はガラッと変わるだろう。
どっしりした重厚感のある革張りのソファに座って、ワイングラス片手にくつろぎつつ、レコードでジャズをかけたりして過ごしたら、人生観そのものが変わる気がする。
今のところアンティークものの家具を購入する予定はないので、ショーウィンドウ越しにおしゃれな家具たちを眺めて、それに囲まれて暮らす自分を想像しただけで私は満足した。
セレナーデのことがあまりにもショックだったため、アンティークな家具を眺めてしばし現実逃避していた私は、何処からかこちらをひたと見つめる強い視線を感じて身を震わせた。
何か感じるものがあって、目線をずらすと、ガラスのすぐ側にディスプレイされているビスクドールと目が合う。
心臓が大きく跳ねた。
波打つブルネットに長い睫毛に覆われたパッチリした瞳。レースのふちどりの帽子を被り、ピンクのドレスを着た少女人形が獲物を狙う獣のような眼差しを一心にこちらに注いでいた。
ぬいぐるみは大好きだが、市松人形やフランス人形のたぐいはあまり好きではない。
なぜかというと、瞳や表情がやけにリアルで目が合うと背筋がぞわぞわするからだ。
目を離したら最後、取り返しのつかない恐ろしいことが起きる気がして、私はこれらの人形をかたわらに置く勇気が持てなかった。
ビスクドールの薄い緑色の瞳が私をひたりと見据える。視線を合わせているだけで、深くて暗い底無し沼に吸い込まれていきそうな、この感覚には覚えがある。
ノクターンの手によってナハトに引きずり込まれそうになった時。
恐ろしくてたまらなくて、逃れなくてはいけない、と頭で思うのに身体はふらふらと吸い寄せられてしまう。
そう。あの感覚によく似ている。
駄目だ。これ以上この場に留まったら、間違いなく引き込まれる。
ひとまず呼吸も心も落ち着いたので、一刻も早く店から離れようと一歩踏み出した時、ぐっと腕を掴まれた。
「やっと、見つけた」
「想夜君?」
「想夜でいいよ」
彼は先ほどの私のように激しく息を切らしながらも、私の腕を逃がすものかとばかりに強く握り込んでいる。
明らかに上物と分かる仕立てのスーツがやや着崩れて、ネクタイもよれて無残な姿になってしまっていた。
それだけ必死になって私を追いかけてきてくれたのだろう。しかし今は非常事態だった。
「想夜、ここはまずいわ。早く離れて………」
焦る私の態度を逃げようとしている、と勘違いしたのか、彼は秀麗な眉をしかめた。
「逃げないでヤコ。やっと会えたんだ。ゆっくり話をしよう」
ビスクドールから放たれる威圧感がどんどん増していく。硬く握り締めた手にじわじわ汗がにじんでくるのが分かる。
ガラスによって隔てられていても、私と人形の距離は一メートルもない。
"なきそうなかおしてる
つらいことがあったんでしょう?
そんなつまらないところにいないで、こっちにいらっしゃいな
いっしょにたのしくあそびましょうよ"
動かないはずのビスクドールの口がにっと三日月を描いた。
"おとなだってにげたくなることはたくさんあるでしょう?
にげちゃえばいいのよ
つらいのはみんないやだもの
みんなわすれてたのしくおひめさまごっこをしましょう"
これは私の妄想なのだろうか。ビスクドールはまるで私の心を読んだように言葉を投げかけてくる。
"わたしはおひめさまのやくであなたはめしつかいよ"
無邪気な少女の笑い声が脳裏に響く。
全身の震えが止まらない。膝がガクガクっとなってそのまま座り込みそうになった私を支えた想夜は、私の視線を追って訝しげにビスクドールを見た。
駄目。それと目を合わせては駄目。
「だめ……想夜。逃げて」
「ヤコ? 一体どうした………」
"わあ! すてきなおうじさま
あなたもこっちにきてわたしといっしょにおひめさまごっこをしましょう"
ビスクドール本体から煙のような何かがすうっと立ち上がり、薄っすらと透けた人形の姿を形作る。物質の束縛を逃れ、自由になった人形はクスクスと少女の声で笑いながら、こちら目がけて飛んでくる。
「ヤコ!」
「想夜。駄目!」
あの時のように想夜が私をぎゅっと抱いて、人形の襲撃から私を庇おうとした。
"さぁたのしくあそびましょう"
人形の精神体に体当たりされ、私の意識は真っ白に塗りつぶされた。




