千夜一夜 ー 小夜編 ー
「 謀ったな! 想夜」
小夜の激昂ぶりはすさまじく、想夜に掴みかからんばかりだった。
謀った、という言葉は穏やかでない。その不穏さにギョッとするも、小夜が想夜に抗議している言葉の断片を拾ってまとめてみると彼の怒りの理由が見えてきた。
約束の時間になったら起こして欲しい、と頼んで仮眠に入った小夜を起こさず、想夜は一人で来たらしい。
想夜がセッティングした目覚ましが鳴ったのは、ちょうど私達が観覧車に乗った時間帯で、想夜からのメールによって自分が置いて行かれたことを悟った。
「ごめん。小夜。ヤコと二人きりで話したいことがあって」
「だからって!」
小夜が想夜の胸ぐらを掴んだのを目にし、私は慌てて二人の間に割って入った。
「小夜。やめなさい! 想夜はあなたの身体を心配して………」
みるみる小夜の表情が歪む。
「ヤコには関係ない! 黙っていてくれ」
強めの力で押し退けられ、バランスを崩して倒れそうになった身体を想夜が支えてくれた。
「小夜! いい加減にしろよ。ヤコに当たるのは筋違いだろう」
ー ヤコには関係ない
その言葉は私を激しく打ちのめした。小夜と想夜が何事かを言い争っているみたいだったけれど、私の耳には何一つ届かない。
肩に添えられていた想夜の手をそっと外す。
「帰る」
今が夜で良かった。この暗さでは濡れた頬に気づかれることもないだろう。
あまり長く喋ると声が不自然に震えているのに勘付かれてしまいそうだったから、私は素っ気なく告げると、足早に駅に向かって歩き出す。
私の名前を呼ぶ声が背中越しに聞こえても、絶対に振り向かなかった。
関係ない。関係ない。ヤコには関係ない。
小夜の言葉は一瞬で私を真っ二つにした。すれ違う人に見えないように、うつむいて髪で顔を隠しつつひたすら歩く。
早足を通り越し、半ば駆け足で改札を通り、上りのエスカレーターを駆け上がる。
すぐ後ろから焦ったような足音が追いかけてきて、私は更にスピードを上げた。
分の悪い鬼ごっこをするつもりなど毛頭ない。タイミングよくホームに電車が滑り込んできたので、人影もまばらな上り電車にこれ幸いと飛び乗った。
私が帰宅するのにちょうどいいが、彼には逆方向のはずだ。さすがに諦めるだろう。
乗車口と反対側の扉に背を預けて息を整えていると、閉まりそうになった扉に無理矢理手にした紙袋を挟んできた人物がいた。扉はガッと音をたてて止まり、再び開く。
まさか。
後ずさりしようとして、扉に阻まれた私は、駆け込み乗車をして来た不届きものにあっという間に捕まってしまった。
「離して」
「いやだ」
身をよじっても離してくれなかったので、私はせめてもの抵抗に思い切り顔をそむける。こんな顔を見られるわけにはいかなかったからだ。
しかし哀しいかな。
いくら彼が男性にしては華奢だったとしても、私の抵抗など通用しなかった。
私の右腕を片手で捉えたまま、もう片方の手で私の頭を間近まで引き寄せ、顔を覗き込んできた。
やっぱり………と呟くと、彼はそのまま私の右頬に口を寄せ、涙を舌で舐めとる。
左頬にも同じことをしようとしたので、避けようとして顔を動かしたら、横にずれて彼の口が私の口に当たってしまった。
思わず私は硬直し、それは彼も同じだったようで、しばらく二人で唇を合わせたまま固まっていたけれど、いち早く我に帰ったらしい彼が身を起こして辺りを見回す。
一秒遅れて私も周囲に目を配るが、その車両に乗っているのは、泥酔して座席に身を投げ出して眠っている酔っ払いぐらいなもので、私達は同時にほっと息を吐く。
助かった、と思ったのもつかの間。今度は彼の両腕が背中に回ってきて、ぎゅうぎゅうと私の上半身を締め付けてきた。
「苦しい! 離してってば」
「いやだ」
言葉に出しては何も言わない。でも、彼が申し訳なく思っているのが密着した身体ごしに伝わってきて、私はいつしか抵抗をやめていた。
改めて気づいたのだが、どうやら私は彼にこうされるのが好き、みたいだ。
とても落ち着くし、安心のあまり眠たくなってくる。あれほど流れていた涙は渇き、心の痛みもかなり和らいでいる。
気付いたらコタツの中の猫のように彼の腕の中でくつろいでいる自分がいた。
終電間際の上り電車に乗って来る人はほとんど居ない。人目がないのをいいことに、私達は結局、降車するまで抱き合ったままでいた。
いい雰囲気だと思っていたのも束の間。
私は再び怒りの気配をまとった彼に追い詰められていた。
一体何が彼を怒らせたのか。
私はベッドに横たわり、呆然として天井と、私に覆い被さってくる彼の顔を見上げていた。
どうしてこんなことになったのだろう。
この体制に至るまでの行動を反芻する。
電車を降りた後、自宅まで送ってきてくれた彼を部屋に上がらせた。
コーヒーと紅茶のどちらがいいか尋ねた時、部屋の隅に鎮座している電子ピアノに視線を向けた彼の顔色が変わったのだ。
そして怒った彼は容赦がなかった。
追い詰められた私はあっという間にベッドの上に転がされていて、私が身の危険に気付いた時、既に覆い被さってきた彼の身体によって抵抗が封じられていた。
「もう限界なんだ」
ベッドに倒れる寸前、ピアノの蓋の上に置かれた楽譜のタイトルが見えた。
夜想曲。
息を呑んだ。まさか彼はそれを見て。
「俺にはヤコしか居ないのに! どうして! どうして! そんなにアイツが好きなのか!」
「小夜」
私の頭のすぐ横に拳を振り下ろして、彼は叫んだ。私は動けなかった。
恐怖からじゃない。彼の一途な想いがダイレクトに伝わってきたからだ。なんて切ないんだろう。
彼を悲しませている張本人は私。そう気付いて自分をぶん殴ってやりたくなった。
「俺は! ………っ、俺は」
小夜の声が途切れたと思ったら、私はいきなり全体重を預けてきた身体に押し潰される。
「ちょっと。小夜、重い」
手足をじたばたさせるが、彼はぐったりしたままだ。
はっとなって額に触ってみるが、むしろひんやりしていた。しかし顔色が悪い。いや、悪いなんてものではない。血の気が全くなく真っ白だ。これは只事ではない。
「小夜! どうしよう。救急車」
「大丈夫だ。貧血。いつものこと。じっとしていたら治る」
目を閉じてはいるが意識はあるらしい。慌てる私にゆっくりと説明すると、小夜は小さく吐息をこぼした。
私はすっと息を吸い込むと、思い切りその身体を抱きしめた。
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。バカ小夜」
ろくに睡眠も食事も採らないで論文など書いているからだ。私は小夜の身体を抱いたまま、その背中を拳で連打した。
彼は弱弱しく呻き、俺は病人なのに、と呟いたが無視した。
本当に彼は馬鹿だ。夜想曲の楽譜があったからといって、どうしてそれだけで私の心が想夜にあると決めつけるのか。
「ヤコ。一生のお願い。アイツじゃなくて俺を選んで」
搾り出すように告げると、小夜は私の肩に顔をぎゅっと押し付ける。肩が熱く濡れて、私は彼が声も出さずに泣いているのに気付く。
「ムーンライトセレナーデ」
「小夜曲?」
おうむ返しに訊き返してくる小夜の柔らかい髪を撫でながら、私は子供にするように優しく言い聞かせる。
「夜想曲の譜面の下にある。最近よく弾くようになったの」
彼は大人しく聞いている。小夜の冷たい頬に唇を落とすと、私は続けた。
「ううん。最近どころか、あなたが居なくなってからずっと弾き続けていたの」
うっすらと瞳を開くと、小夜はぼんやりと私を見つめた。
「今ではムーンライトセレナーデがお気に入りよ」
彼の闇のような瞳にぽっと光が灯る。
「夜想曲よりも?」
「うん。小夜曲が一番好き」
青白い顔のまま、小夜は笑った。
私が見てきた中で最も幸せそうな笑顔だった。
小夜が床に放り出した紙袋の中から飛び出したバクのぬいぐるみが、優しい夜の中で一つに溶け合う私達をじっと見守っていた。
お待たせいたしました。
待っていなかったかもしれませんがお待たせいたしました。
今度こそ ヤコのお悩み相談室 は完結です。
想夜編を読んだ方はお分かりかと思いますが、まさかの魔王エンドでした。
需要あったらifで勇者エンドもいいかも(笑)
需要ないと思いますが。
しかしなぜこうなった。
プロットの段階では転生した二人と主人公が再会する予定もなかったし、更に恋愛的な意味で言えば勇者とどうこうする予定でした。
それが王道ですよね。うん。
私が想像した方向とは違う方へいきましたが、初めてオリジナルの小説もどきを完結出来て感無量です。
なんかいい設定思いついちゃった!
これで小説書くべ、と書き始めたはいいものの、色々力不足を実感しました。
設定作るのは好きですが、それをきちんと文章として破綻なく興すのって大変。
こんな若葉マークの小説作法のなっていない人間のお話を読んで下さり本当にありがとうございました。
やっぱり読む人がいると思いますと、モチベーションが全然違います。
私はご褒美がないとなにもしないタイプです(断言)
ヤコのお悩み相談室はコメディにする予定でしたが、シリアスよりもコメディの方がセンスも技もいるし、人を泣かせるのは意外と簡単ですが、笑わせるのがとても大変なのは、お笑いを見ていても分かると思います。
私は初心者でもあるし、笑いのセンスも皆無なので、早々にシリアスに路線変更しました。
んで、結果的にあんな話になりました。
次の話の構想は既にあるのですが、恐らくまたこんな雰囲気の話になるかと。
興味がありましたら、ぜひのぞいてやって下さい。
それでは改めてまして。
私のお話を読んで下さりありがとうございました。
また機会がありましたらお会いしましょう。
p.s 公衆の面前でいちゃつくカップルは全員爆発すればいいと小夜編を書いていて思いました。




