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前夜

あれから武田は長篠攻めを全くしないで兵を休めていた。とはいえ、攻撃をしないと城兵に怪しまれるので、最低限の攻撃はしていた。鉄砲で城壁に向かってうちかけるだけという簡易なものだったが。やがて、織田・徳川軍が長篠の地に着陣、川の向こうに陣を築き始めた。


武田軍は織田・徳川軍が陣を作り始めても沈黙を保った。その最中に織田・徳川軍の奇襲隊が武田の陣を襲ったが、待ち受けていた馬場信春、内藤昌豊らにより敗北、奇襲隊は多数の将兵を失い、指揮官の酒井忠次は負傷して撤退した。


此れを受け、遂に武田は動き始めた。




長篠、設楽原武田陣



「遂に織田・徳川が痺れを切らし、我が陣に奇襲を仕掛けて来た。織田・徳川軍に焦りの兆候見えはじめ、我が武田は充分な休憩により、士気も高い、戦機は熟した。」


抑揚がない声で勝頼は勢揃いしている諸将に言った。


僕も勿論この軍議に参加しているが、勝頼、なんか無口だな…それだけ勝つ自信があるという事なんだな…


勝頼の言葉に山県昌景が応えた。


「御屋形様の申す通りよ、明日は我等の真紅の赤備えの戦振りをとくと、織田・徳川軍に見せてやろうぞ。」


続いて昌景の隣に座っていた大柄な男が立ち上がり、周りに良く響く大音声を出した。


「おお!時は今ぞ!明日は六文銭、真田の戦を織田・徳川の弱兵共に示してやるわ!!」


そう言って、男はがははと笑った。


この大柄な男の名前は真田源太左衛門信綱、信濃の上田城城主であり、信玄存命時から活躍した人である。父は『鬼弾正』と呼ばれた真田幸隆が居る。真田信綱は190cmを優に超える身長を有し、その力も凄まじく、2mの大太刀を片手で悠々と振るい、敵兵を薙ぎ払う事から『真田の黒鬼』と呼ばれ、恐れられている剛勇無双の将だ。


「信綱に手柄を取られては堪らぬのう、儂も老骨に鞭打ち、奮起せねばならぬの。」


立ち上がったのは馬場信春であった。自分の事を老骨と言っているが、その身体は引き締まっており、両腕の筋肉も盛り上がっていて、髭は黒く、老骨には似合わない鍛えられた体をしていた。


次に、凛々しい顔付きをした武将が勢い良く立ち上がった。顎に生えた髭が若年ながらもその武将を落ち着いた雰囲気のある風格にさせていた。


「何を言われ申すか!一番槍はこの土屋昌次が貰い申す!」


土屋昌次、天王山の戦いで片手千人斬りをした土屋昌恒の兄であり、信玄・勝頼に仕え、常に戦場では山県昌景と一番槍を争い、山県からは「昌次は、文武に優れ、力に奢らず、常に冷静に物事を見、命を捨つる時はその武勇及ぶ者無し。」と激賞される程の武功を上げた押しも押されもせぬ武田の猛将だ。


長篠の戦いでは敗退する武田軍を無事に撤退させる為に土屋隊だけ織田・徳川軍の馬防柵に突撃して玉砕した人でもある。


明日も同じ様な結果になるのだろうか?其れを少しでも防ぐ為にここにいるんだけどな。


黙って諸将の言葉を聞いていた勝頼はおもむろに立ち上がり、唱えた。


「疾きこと風の如く」


山県昌景が続け、


「静かなること林の如く」


馬場信春も其れに応え、


「侵掠すること火の如く」


真田信綱も、


「知りがたきこと陰の如く」


土屋昌次も唱和し、


「動かざること山の如く」


最後に僕が引き継ぎ、


「動くこと雷霆の如く」


武将達は最後を僕が締めた事に驚いたが、直ぐに普通の表情に戻った。


あら、空気壊しちゃったかな?


「景勝殿、最後を締めて下さり、感謝致す。明日は武田と上杉が共に戦う記念すべき日となろう、皆の者、我らが武田に勝利を!御旗楯無もご覧あれ。」


勝頼が頭を地面に付けると諸将も頭を下げ、唱和しはじめた。


「「「楯無もご覧あれ!!」」



唱和が終わると、勝頼は先程の無表情を一転させ、闘志溢れる顔になり、叫んだ。


「皆の者、時の声を上げよ!」


「おおおおおおっ!!!!」


勝頼と諸将が声を揃えて叫び、その声は陣幕を超え、武田陣内に響き渡り、其れを聞いた兵や将達も奮い立ち、声を出しはじめ、武田軍議が上げた叫びは雄叫びとなり、対岸にある織田・徳川の陣に届き、織田・徳川の心を震わせ、恐れさせる魂を揺さぶる声となった。



その頃、武田軍から対岸にある織田・徳川陣内に一人の男が座っていた。


男は目を閉じていて表情は伺い知れないが、彫りが深い顔立ちをしていて被っている兜はこの時代では珍しい南蛮兜だ、鎧も南蛮鎧で、仮に銃弾を受けたとしても鋼鉄の鎧に弾かれるだろう。


おおおおおっ、と雄叫びが響くと男は閉じていた目を開けた。そして、薄く笑った。


「勝頼めが遂に動きおったか、わざわざ奇襲隊を出したかいがあったものよ。」


酷薄な薄い笑いを浮かべ、男はキッと顔を歪めると陣幕のそばに控えて居た近習に下知を下した。


「直ぐに戦評定じゃ、権六やハゲネズミらを呼べい、家康もじゃ。」


近習が下知を受け、陣幕を出て行き、気配が消えると男は対岸を見た。その目は爛々と光り、目の中には全てを焼き尽くさんとする苛烈なる焰が燃え盛っていた。


やがて、複数の足音が聞こえてくると男は対岸を見るのを止め、陣幕の暖簾に視線を向けた。


何人か武将が入ってきた、織田・徳川軍の中でも重要な位置にある武将で、何れも歴戦の将の風格が漂っていた。


武将達の中でも立派な気風を漂わせた武将が進み出て口を開いた。


「只今参りました、御屋形様におかれては、如何なる仰せでしょうか?」


「キンカン、戦評定じゃ。」


男にキンカンと呼ばれた男は明智光秀、通称は十兵衛ともいうが、織田家重臣筆頭であり、先の比叡山延暦寺焼き討ち、小谷城攻めなどで戦果を上げ、京の隣にある坂本城城主でもある男だ。


明智光秀は口角を吊り上げ、


「遂に武田が動いたので御座いますね。」


「然り、者共、席につけい。」


男の言葉に従い、武将達は席についた。


そして席についた諸将の中でもでっぷりと太っており、頬の垂れ下がった贅肉はまさに狸を思わせる男が明智光秀が御屋形様と呼んだ男に話しかけた。


「信長殿、遂に武田が動きましたな。」


信長と呼ばれた男こそ、織田・徳川軍の総大将の織田信長である。


織田信長は1560年の桶狭間の戦いで今川義元を田楽狭間で討ち取り、その後1568年に美濃を掌握し、1570年には形骸化していた室町幕府の将軍足利義昭を奉じて京に上洛し、敵対する者は悉く潰し、滅した。特に1570年の延暦寺焼き討ちと1574年の長島攻めでは武士以外の農民、女子供も虐殺し、灰塵にきした為、天下の人々からは第六天魔王と呼ばれ、恐れられる魔王である。


織田信長の事を信長殿と呼んだ男であるが、この男の名前は徳川家康、徳川の当主で、織田信長とは幼少の頃より関係があり、桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られたのちは織田と結び、今、徳川領を侵略せんとする武田と雌雄を決さんとしている。


信長は家康に薄く笑い、


「三河殿の懐刀は良く遣りおるわ。」


三河殿とは家康の事で懐刀は酒井忠次の事だ。忠次は武田の陣に奇襲をしかけ、忠次も負傷して敗退したが、此れは武田を釣り出す為にわざと無謀な奇襲を仕掛けたのだ。


「忠次は良くやってくれました、今浜松城で休養しておりもうす。」


「明日は武田を完全に殲滅する、猿、キンカン、信盛、励めい。」


「「「ははっ!」」」











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