考え
岐阜城の主、織田信長は天正4年の現在、機内に巣食っていた敵対勢力を殆ど一掃して居城を安土城に移して居た。
安土城はまだ作り始めてる途中であるので仮染めの館から建設中の城を眺めて見ると、土台は雄大な広さがあり、付近で忙しなく人々が動き回っていた。
激励の声が響き渡る。
「早く安土城を完成させるぞ!上様の居る城になられるのだぞ、皆奮起せよ!」
おう、と威勢の良い声が木材を運ぶ大工達から発され、それに触発されたか、大工達は唾を飛ばして一層張り切って作業を進める。
それを仮城から見つめて居る目があった。
織田信長である。彼は部下達の働き振りに満足していた。
我が部下達は良くやって居る……安土城が完成した織には宴会でも開くか。少しでも道楽を入れないと寂しいからの。
柔らかい目でしばらく作業を眺めていたが、背後の気配の変化を悟るやいなや、憂鬱そうな表情を垣間に見せた。
だが、それも一瞬の事だ、振り返った信長は畏怖を抱かせる覇王の顔に成った。
「首尾はいかに、左近」
「北畠、六角、三好、越前一向一揆らの残党はほぼ石山に追いやりました。また、上様の仰せの通りに北畠の剣豪被れめは誅殺致しました。」
左近と呼ばれた武士は伊勢・志摩を領地としている滝川左近将監一益である。この男は甲賀出身、即ち忍者と呼ばれていた。元々は美濃の斎藤道三の下で諜報働きを担い、尾張に間者として入った事もある。
斎藤道三が義龍に討たれた後は各地を放浪して武者修行に明け暮れていた所を信長に勧誘され、仕えたと言う経歴を持つ。
元忍者と言う経歴を活かし、織田の諜報、謀略を担っている。
一益は諜報だけでなく鉄砲の扱い、知識にも長け、長篠では猛攻を仕掛ける武田を洗練された指揮で互角に戦った。
滝川一益は織田信長の命を受けて畿内に散らばっていた織田に敵対する勢力を根こそぎ刈り取った。
この一年で織田は大きく勢力を強くした。長篠の戦後、越前に急行し一向一揆らに包囲戦を仕掛けた。其れだけなら普通の包囲戦だが、規模が違った。文字通り越前全てを包囲したのである。
越前を包囲するには数万の兵でも足りない、最低でも五万以上の兵が必要だ。それを織田は自国防御に配置していた兵を全て掻き集めて実現した。常識はずれの戦法を受けた越前の一向一揆は20万人はいた兵、農民兵、女子供、老人、皆等しく死を迎えた。
虐殺したのだ。例外なく、二度立ち直り、反旗を翻さない様に。
この辺りが織田信長の恐ろしい所である。彼には領土と言う概念が無いのだ。普通の大名は領土を守り、落とさせないと考えるのだが、信長は守りは負け。攻めてこそ初めて勝機が見えると考えている。
こんな考えを持つ人は景勝が居た現代日本にも中々居ない。まさしく、信長は戦国時代においても異端だったのだ。
「して、アゴ、キンカン、ハゲらは如何している。」
「はっ、柴田殿は越前より北陸に進出する軍備を整え、一ヶ月後には軍を発します。明智殿は既に石山攻めに加わり只今調略に力をいれております。秀吉は今、播磨を秀長と共に統治しています。」
「問題はないか、よかろう。左近、主は奇妙めの補佐に戻れ。」
「ははっ」
滝川一益が退出した後、信長は書状を書き始めた。流暢に腕が動き、秀麗な文が紙に書かれる。書きながら信長の頭には思考が泡の様に次々と浮かんで来る。
ーー越前の一向一揆は制圧、六角、三好ら残党らも石山に押し込めた。石山の顕如めは手強い、暫くは持久戦に徹する様に信盛、三七に言い聞かせるか……差し当たって問題なのは毛利だ。毛利傘下の村上水軍が使う安宅船と火矢、あれに我が織田は大敗を喫した。
幾度挑んでも結果は同じになる。前に左馬助が提案した鉄甲船と大筒を生産して毛利の船団を海の藻屑とせしめてやるか。
左馬助とは九鬼左馬助義隆の事で織田海軍を一手に統括する役目を担っていたが、信長は義隆に海戦の常識を覆す兵器を作らせようとしている。
毛利を破ったら本格的に石山を包囲する。小煩い雑賀・根来の鉄砲使い共は内部に協力者が現れ始めているからその者共に出兵を反対させる。それで暫くの間は動けぬであろう。
目の上のたんこぶと言えばやはり山陽道に近い所を支配している波多野兄弟と赤井、籾井らの豪族らだ。
表面上は儂に膝を屈してるが、裏では毛利と繋がっておる。何れ機を見て十兵衛に潰させるか。
さて、忌々しいが、上杉と武田……今の所は手を出せぬ。まだ不識庵が居るから静観の姿勢にする。最も同盟は長篠の折に事実上手切れになったがな。武田、長篠で勝頼ずれを討ち取れなかったのが痛い。しかも内藤、高坂らが健在で、北条がこの前二万の大軍を持って甲斐に攻め込んだが、武田得意の山岳戦で敗退した。
もっとも、北条の陣容を見るに主要な部将…北条綱成、幻魔、氏照・氏邦兄弟の四将は参陣してなかった。恐らく威力偵察と言う所だろう。
威力偵察で二万の軍を動員させる北条の底力は侮れぬ。その気になれば五万の大兵も動員出来る力が北条にはある。
ここで北条、武田、上杉を同時に敵に回したら未だ包囲網のさなかにある織田は再び四面楚歌になり、今度こそ負ける。
今はまだ雌伏の時よ……
書状を書き終えた信長は部屋を出て作業に勤しんでいる農夫らに視線を移した。
農夫を見詰めている信長だが、その目は農夫を見て居なかった。別の何かを瞳は映していた。
それは何処だろうか。視線の先を見ると光を発して明るく輝く球体があった。
それは日輪だった。日輪は常に見ている。壮大な世界を。
信長は世界を見る事を夢見ている。
ーーこんなちっぽけな日本など、直ぐに統一して世界に俺は行く。遠く、天竺には奇っ怪な動物や人や道具がある。更にその先にはこの世の全ての美を結集した建造物、美術物がある。それらも越えた先には氷が永遠に溶けない地獄を顕現させた生き地獄がある。
儂はそれを見たい、実際に見てみたい
信長の目は誰よりも無垢な輝きを放ち、乱世において闇を照らす光となっている。
彼の歩みは誰にも止められない。
彼は進む、親兄弟の屍、修羅達の血塗られた道、妬み、嫉妬、殺意、それさえも呑み込む。
彼は何処までも進む。その先にあるのが如何なる道であろうとも、生きる事はこんなにも楽しいのだ、それを自らの身で体現する信長は時代の原動力となる。
時代は動く、彼を中心として
次はいよいよアノ人物が動きます。