1. 8月31日〜いつもの日常〜
拙作『兄妹シリーズ』のメインキャラを久しぶりに書いてみました。
一応読んでいなくても楽しめるように書いたつもりですが、読んでいるかたにはもっと楽しめるようなボーナストラックのようなものです
8月31日。今年の夏休み最終日を憂う心は、今までで一番希薄だった。
僕こと寺井晴輝は現在高校3年生。学校に行く行かないの違いは大きいが、休みらしい休みを過ごせた訳でもない。世の受験生の御多分に洩れず勉強の毎日だった。
去年から交際している彼女とあまり遊べなかったのは残念だったが、将来の目標を叶えるためにも今は勉学に励まなければならない。彼女も理解して応援してくれている。
「受験が終わったら、たくさんイイコトをしようね」
と、妖しく微笑みながら言われたのはおっかないのだが。来年は、今度はあなたが受験生でしょうに……。
ともあれ、今年の夏休みは、平和に終えることができそうだ。訊かれるまでもなく宿題も終えている。
一つ歳下の妹・優雨に、宿題は大丈夫かと訊ねてみたが、
「ふふん、わたしを誰だと思ってるの。余裕で終わってるに決まってるでしょ。のび太くんやまる子ちゃんやカツオくんじゃないんだから、夏休み最終日に宿題が終わらなくて大慌てになるなんて、そんなベタなことある訳ないじゃん」
という、いつも通りの小生意気な返答があったので、きっと大丈夫だろう。奔放に見えて要領が良い妹である。
よって、31日の今日も、これまでの約1ヶ月間と変わらず、エアコンの効いた部屋で集中して勉強していた。
……心理的には油断していた夕方のことである。
「ぎゃああああぁぁぁぁああああ!!!!」
隣の優雨の部屋から悲鳴が上がった。
僕はペンを机に放って自室を飛び出し、優雨の部屋に駆け込んだ。ノックもしなかった。
「優雨、どうした!?」
訊きつつ本人と部屋の様子を窺った。部屋は平時と特に変わりない。通学鞄を出して、ノートとプリントの束が側に置かれているから、明日からの新学期の支度をしていたところなのだろう。
問題は。
床に膝から崩れ落ち、唇を震わせ青褪めた表情の優雨。その手には何も書かれていない400字詰め原稿用紙があった。
……お前、まさか。
「読書感想文やってなかったぁぁぁぁああああ!!!!」
要領は良いが、詰めが甘い。
いつまでもブレないキャラで何よりだよ。
聞けば、夏休みの宿題で自由研究と読書感想文が選択制だと勘違いしていたらしい。
「去年まではそうだったのっ! でも、今宿題のプリントを見たら、両方やることになってたんだよ! やばいよマジ油断してた」
そんなたった今プリントの内容が書き変わった訳じゃあるまいし。
今から新たに本を読む時間もないだろうから、
「最近読んだ本から適当に書けば良いんじゃないか?」
「わたしに読書習慣があるとでも⁉︎」
「威張るな‼︎」
「で、でも大丈夫、わたしにはラブリーマイエンジェル・香純ちゃんが居るから……」
既に親友に助けを求めるメッセージを出していたらしい。すぐに優雨のスマホにメッセージの通知が入った。 二人揃ってスマホの画面を覗き込む。
『自分で頑張りなさい』
「そんなああ!!」
バッサリと切り捨てられていた。
「将来を見据えて優雨ちゃんを甘やかさないようにする、って言ってたからなぁ……」
香純ちゃんーー雲居香純は優雨の同級生にして親友。
そして、僕の彼女でもある。
頭脳明晰。かつては慇懃無礼にコミカルな振る舞いを見せていた彼女だったが、最近はボーイッシュな素の性格を表に出してくれている。
親友を義妹にする意欲に満ち満ちている彼女は、飴ばかりでなく鞭も必要だと悟ったらしく、この甘えん坊を甘やかすばかりではいけない、と考えを改めたらしい。
それにしても、僕と生涯添い遂げるつもりという香純ちゃんの強い意思は、未だ学生の身空の僕からしてみればこそばゆくはあるのだけれど、やはり嬉しいのは確かであって、彼女のことを一層大切にしたいと思えてきて……。
「惚気てるんじゃあないよ! 可愛い妹のピンチなんだよ、兄さん!」
「自分で頑張りなさい」
「香純ちゃんの引用すな! 肉親を見捨てるというの……。兄さん、そんな冷たい人だったの……。くすんくすん……」
「……………………」
あからさまな嘘泣きには不快感しかないが、本当に泣かせてしまっても寝覚めが悪い。
しょうがない。
「はぁ、わかったよ。手伝うから、ちゃんと自分で終わらせろよ」
「さっすが兄さん! さすおに!」
もうとっくに死語になってしまっているけどな、「さすおに」って。
「で、本当に何も読んでないのか? 香純ちゃんから何か勧められたりしなかったのか?」
香純ちゃんはかなりの読書家でもある。優雨にも本の話を振ることがあったと思うのだが。
「読んだよ。香純ちゃんに貸してもらったこともあったし。でも、“はー面白かったー”ってなって忘れちゃうの」
「忘れちゃうのか……」
香純ちゃんのおかげで読書習慣のついた僕からしてみれば寂しい話だ。
そういう割り切り方も良いが、長く印象に残る物語もあって良いと思う。
「わたしにだって、そういうお話くらいあるよ。この前テレビでやってた『容疑者Xの献身』とかさ。アレしばらく引き摺ったもん」
「ん、それ使えるんじゃないか?」
「え?」
優雨が挙げたタイトル『容疑者Xの献身』は映画を指している。
この映画には原作があって、それは東野圭吾先生の代表作の一つとして挙げられる小説だ。
ミステリとしての出来や直木賞受賞という世間的評価だけでなく、物語の結末についても賛否両論ある作品として有名だ。
「話の筋は映画と小説で一緒だから、それで書けるんじゃないか」
内海刑事は小説の方では『容疑者Xの献身』の時点ではまだ登場していなかったけどな。
「やったぁっ! 兄さんナイスゥ!」
声を弾ませて言うと、優雨は机に向かってペンを走らせ始めた。
作品さえ決まれば、すぐに取り掛かることができたようだ。映画の主題歌を機嫌よく口ずさんでいる。そんなに明るい曲ではなかったような……。
「湯川先生と石神の登山のシーンとか印象的だったなぁ。吹雪の中で湯川先生が置き去りにされちゃうんじゃないかってヒヤヒヤしたもん」
「アレ、映画オリジナルのシーンだから、原作小説にはないぞ」
「マジで!?」
などと言うやり取りもあったが、夜には何とか優雨は読書感想文を書き上げることができた。
「助かったよっ! 兄さんえらいっ! 感謝感激雨アラモード!」
何だか時代を先取りしたようなお礼を言われたが、結局今年も夏休み最終日は慌ただしくなってしまったな。
これもまたいつものことなので、悪い気はしないのだが。
そんなこんなで、日付が変わる前に僕は寝床についた。
31日の夜が過ぎて、9月1日が始まる。
微睡みの中で、僕は何の疑いもなくそう思い込んでいたのだ。
ーーーー翌朝目覚めた日付がどうなっているかも知らずに。




