↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テロム  作者: 冷凍御飯
ペルム州冒険記
22/22

ペルム州冒険記 その二

「暗い……」


 何も見えない。誰かに両目を塞がれているみたいだ。

 怖くて、とりあえずその場に蹲る。


「……そうだ、懐中電灯を……?」


 背負っていたはずの、大きくて重いリュックサックがなくなっていた。

 それだけじゃない、さっきまで繋いでいたはずの手がなかった。今のボクには、何もない。


「……」


 怖い、とにかく怖い、本当に怖い、ここにいたくない。風の音が微かに聞こえる。

 頭の中を空っぽにしたくない、もし空っぽにしてしまったら何もかもが消え去ってしまう。だから、とにかく考えて、考えて、考える。


「……マキノ、どこ?」


 先程まで一緒にいたはずの人がいない。

 手が冷たくなってきた。思考を巡らせながら、二つの掌を擦り合わせる。

 こういうときは楽しい事を考えよう。ここ最近見始めた映画でかっこいいおじさんが活躍している所でも、映画製作同好会の部室で仲間達と楽しく会話している所でも、楽しい事はいろいろある。


「……」

『おぉ、おもしろい反応だ』


 幻聴だ。両手で両耳を塞いで、首を横に大きく振りながら聞こえないようにする。

 聞きたくない声で、受け入れたくなくて、強く耳を塞ぐ。


『これからが楽しみです』


 いくら耳を塞いでも、声は聞こえてくる。それに、幻覚が見えてきた。背がとても高く、ボクを見下ろしている。目を閉じても、目を開けても、幻覚は消えない。

 そこにいる。目の前にいて、きっと連れ戻そうとしている。

 とりあえず、避難しよう。そう思って、立ち上がる。そして、その場から逃げるように、走る。


「……痛い……!」


 前が見えなくて壁にぶつかってしまった、とても痛い。

 今度はぶつからないように、壁に沿ってゆっくり動こう。そう考えて、背中を壁に擦り合わせながら、両手で耳を塞いで、目を閉じて、逃げた。


◇◇◇◇◇


「あれ、これチオくんのだ」


 光源がないのに明るい道を歩いていると、大きくて重そうなリュックサックを見つけた。


「という事は、ここら辺にいるのかな」


 「おーい! チオくーん!!」って叫ぶ。

 言葉は響かず、遠くに届いている感じはしない。それに、近くにチオくんの気配がない。


「うーん、どうしようかなー……」


 荷物は重くて、私じゃ持ち運びは無理だろう。しかし、せっかく目を輝かせていた少年が持ってきたのだから、しっかりと返してあげたい。


「少し休憩してこうっと」


 何かに導かれているように、チオくんの大きな荷物に腰をかけて座った。

 少し待つ。実はすぐ近くにいました、という展開を期待して、遠くに行かないようにした。


「せっかくだし、匂いでも嗅いじゃおうかなっと……誰もいないし」


 周りに誰もいない事を確認して、かわいい少年の背中とくっついていたであろう所に、鼻を近づけた。

 不思議と良い匂いがしてきた気がする。かつての先輩もこんな匂いであった覚えがある。この匂いにずっと包まれていたい、そう感じさせられるものだ。

 気が付いたら、チオくんの荷物に抱き着いていた。


「誰かに見られたらキモがられるよねー、しかも会ってまだ間もないのに」


 背徳感を感じながらも、離れようとは思わなかった。

 持ち主に見られたら、流石に引かれるだろう。しかし、一度抱き着いてしまって、腕が放してくれない。


「ぐへへ」


 気持ち悪い笑みが出てしまうが、そんな事はどうでもいい。

 私は悪くない。そうだ、チオくんの匂いが魅力的なのが悪いのであって、冤罪だ。


『……マキノ?』

「へあぁ!?」


 不意にチオくんの声が聞こえた気がして、思わず荷物から飛び退く。あまりにも強く飛び退いたので、壁に激突してしまった。

 広い通路って印象は薄かったけど、狭いって事は感じなかったから、自分を恨む。


「こ、こ、ここここ、これ、これは、これは違うの!」


 痛みを我慢しながら、声の聞こえた方を向いて、両手を振りながら否定する。

 しかし、声の主はどこにもいない。


「……あれ?」

『……どこ?』

「……?」


 再度、チオくんの声が聞こえた。その声は震えている。

 何かに怯えていて、涙を流してるみたいだ。早く助けてあげないと。


『……マキノ、どこ?』

「ここだよ!」


 どこから聞こえてくるのか見当がつかないが、自分の居場所を示すように大声を出した。


「私はここにいるよ! チオくん!!」


 しかし、チオくんは声が聞こえなくなってしまった。


「……ここの場所を覚えてっと」


 ここがどのような場所か、しっかりと頭に叩き込む。

 そして、何を恐れている様子である少年の下へ駆け付けるために、狭い通路を奔走した。


◇◇◇◇◇


「……なんか広い場所に出たな」


 しばらく走っていたら、起きた所とは違う、広い場所に出た。

 松明とかの光がなくて、天井があるのにも関わらず明るいのは、歩いてきた道と変わらない。だが、入った場所から少し進んだ所、自分の右手側には鉄格子があり、誰かを閉じ込めるための檻がある。


「……何か聞こえる」


 コン、コンと、何かを床に叩きつける音が耳に入りこんでくる。

 一定間隔で、機械的に鳴るその音は、生命的ではない異様な不気味を演出していて、私の心に不安の種を植えこもうとしているみたいだ。


「誰かいるの?」


 警戒しつつ、檻に近づいていく。

 ここがどこであるのか、出口はどこか、誰かがいたら聞いてみよう、そう思いながら檻の中を覗いた。


「……やっぱりやめようかなぁ」


 檻の中を覗いた瞬間に、計画を躊躇せざるを得なかった。

 中には人がいた。いや、正確には人の形をした何かがいた。

 全身はシミ一つない真っ白な色で、姿形が人であるのでそう判断したけれど、実はまったく関係ない生命体であるかもしれなくて、恐ろしい。


「えっと……」


 勇気を出して、鉄格子の前に立つ。

 真っ白な人は、床に白い石みたいな物を、一定のリズムに沿って床に叩きつけていた。

 膝をついて、前傾姿勢になりながら、手を振りかざしては上げてを繰り返している。何が目的なのか、言葉は通じるのか、実は古代人なのか、いろいろな可能性が頭を巡る。


「……」


 その生命体は、ゆっくりと、頭のようなものを回転させた。

 怖い、そんな感情を揺さぶられる。

 顔に必要なはずの目、鼻、耳、口、まつげといった物がない。しかし、こっちを見ている事だけはわかる。


「……あのー、良いですか?」


 意を決して、不気味な生命体に話しかけた。


「……」

「聞こえてますかー?」

「……」

「おーい」


 白い生命体は全く動かない。言葉を発する事もなく、態勢を変えないままにじっと顔みたいな物をこちらの方に向けている。


「……ガガガガガガガガガ」

「え?」

「ガガガガガ、タチサレ、タチサレ」


 だが、突如として白い生命体が震えだした。


「えっと、立ち去れっていうにも出口が……」

「キェェェェェェェェェ!!!!!」

「うわぁ!?」


 それはこちらに向かって来て、鉄格子を掴んだ。あまりの勢いに、少しだけ飛び退く。

 掴んでガシガシと鉄格子を揺らすその姿には、既視感がある。


「……」


 鉄格子を壊してきそうな勢いで揺らすので、ミニスカートの下に隠し持っていた二丁の拳銃を取り出して、臨戦態勢に入った。


「ェェェェェェェェェェェ!!!!!!!」

「落ち着いて。さもないと、撃つよ」

「ェェェェェェェェェェェ!!!!!」


 拳銃を向けても止まらない白い奴を見て、思わずため息をついてしまった。

 恐怖は既に警戒へと変わっており、いつでも戦える。だが、相手は鉄格子を壊せそうにない。出口の場所を聞こうと思っていたけれど、無理っぽい。


「……わかった、この部屋からは立ち去るよ」

「……」

「急に落ち着くね……」


 対話を諦め、両手を挙げる。すると、白い生命体は元の位置に戻った。そして、先程と同じような態勢になり、再度床に石を一定間隔で叩きつけ始めた。


「出口は自力で探そうっと」


 白い生命体から視線を外して、全身を部屋の入口に向けて、走る。

 今も怖がっているであろう少年を思いつつ、檻がある部屋を後にした。


◇◇◇◇◇


「……」

『どこに行くのですか?』

「……!?」


 自分を捕まえてこようとしている声を聞いて、体が震える。

 幻聴を聞き、幻覚を見て、疲れた。だけど、どこに行っても、きっと逃げられない。どんな場所に隠れても、きっと見つかる。そんなのばっかりで、逃げる気力が体から失われてくる。


「……許して」


 頬に涙が伝っていて、目に水の感覚があった。

 体力が切れたから、その場に座り込む。耳を塞いでも、目を瞑っても、無駄だ。逃げても見つかってしまうのなら、逃げない方が良いのだろう。

 逃げたって無意味、絶対についてくる。だから、もう立たない。


「……誰か、助けて」

「おや、こんな所に人がいるのですね」

「!?」


 突然、暗闇から声が聞こえた。幻聴ではなく、生の声だ。


「そんなに泣いてしまって、どうかしたのですか?」

「ぼ、ボクの事、見えるの……?」

「もちろんです」


 淡々としている声で、救世主みたいな声だと思った。


「……あなた、もしかして……」

「え?」

「『マンゲルス』の息子、確か遥昔の……」

「待って!」

「……ワニカワチオ、でしたかね」

「う、うん……どうして知ってるの……?」


 だけど、聞きたくなかった名前を聞いて、警戒する。

 『マンゲルス』、それは幻聴の、幻覚の主で、自分が一番嫌いな奴。


「……ここに存在する、昔の言葉で言えばシンデンを調べているうちに、ですかね」

「……ここはどこ?」

「おや、あなたの方が詳しいと思うのですが」

「ボクは何も知らない」

「ほう……」


 咄嗟に放った言葉に、相手は疑いの声を発した。

 暗闇に潜んでいる誰かは、ボクの事をよく知っている。もしかしたら、マンゲルスの知り合いで、ボクの事を連れ戻そうと画策しているのかも。


「……どうしてここにいるの?」

「古代遺跡の調査、と言ったところでしょうか」

「さっき、シンデンって言ってたよね。どこで聞いたの?」

「調査の結果です」

「……」


 淡々と、こちらを見透かしているような声で、目の前にいそうな人は言った。

 足音を立てないように、壁に触れながら声の方向から離れる。もう、あいつの所に帰りたくない。せっかく逃げ出したのに。


「おや、どこに行くのですか?」

「……」

「私があなたを視認できている事を忘れていたのですか?」

「っ……」


 不意に、腕を掴まれた。そして、まるで悪魔のように、自分に対して言葉を吐き捨ててきた。

 逃げようとしている事がバレた。やっぱり、相手はボクの事を認識できている。どうにかして逃げ出さないと、また苦しい日々に引き戻されてしまうそうだ。

 必死に抵抗して、相手の腕を引きはがそうとした。


「あなたにはついてきてもらいます。このシンデンの謎を解明するのに、あなたは必須のようですから」

「は、離して……!」

「ダメです」

「やめて……」


 びくともしない腕を持つ悪魔が、ボクを生け捕りにしようとしてくる。また、実験体にされる。もう一度、苦しむ事になってしまう。

 きっと、これは逃れられない運命というやつだ。だから、ボクが捕まってしまうのは当然だ。それが嫌で逃げ出したけど、受け入れないと。運命から、自分は逃げる事ができない。


「大丈夫です、痛くはしませんから」

「……」


 悪魔の囁きが、被食者の本能を刺激してくる。

 やっぱり嫌だ。十分に苦しんだはず、だからもう良い、そう信じて逃げて来たのに、逆戻りなんて絶対に嫌だ。

 苦しみから解放されて、自分を見つけて、幸せになる。そうやって目標に縋り付いて、必死に生きている。まだ幸せとは程遠いけど、いつかは必ずなってみせる。そして――


「あなたにはあなたの役割があるのです。それとも、あなたは周りを不幸にし続けるのですか?」

「それは……」


 悪魔が問いかけてきた。

 言葉には悪意が満ち溢れていた。強い悪意が、土砂崩れのようにボクの心に流れこんでくる。


「ウスキマキノさん、彼女をこんな暗くて怖い場所に連れて来ておいて、それは都合が良すぎるかと」

「マキノは……!」

「あなたは、マキノさんの事をどこまでご存じですか?」

「ぅ……」


 マキノの名前を出して、見えない悪魔は脅迫してきた。言葉に詰まると、更に畳みかけてくる。


「彼女は、冒険が嫌いなのですよ」

「そ、そんな事は……」

「めんどくさがりで、寝るのが好きな彼女を無理矢理連れ出して、さらにこんな暗闇に包まれた所に連れてくる。なんて残酷だ」

「……」

「さすが、マンゲルスの息子なだけありますね」


 ボクの事を責め立てるように、悪魔は冷たく言葉を発した。

 マキノはペルム州を案内してくれた、それはわかる。ボクはこの冒険をとても楽しんでいた。だから、勝手にマキノも楽しんでくれていると、思い込んでいたかも、しれない。


「ペルム高等学校に不法侵入し、一人の少女を誘拐。これはこれは、素晴らしいです。犯罪者として、ですが」


 皮肉を込めた笑いを含んで、悪魔は言い放ってきた。

 一緒に冒険しようって、マキノは言っていた気がする。それが嬉しくて、自分は調子に乗っていたのかもしれない。

 確かに、ボクが都合の良いように認識をして、勝手に行動していた。本当だったらボクは犯罪者として通報されていてもおかしくなかったのに、優しいあの人はそれをしなかった。

 そう考えると、急に罪悪感が湧いてくる。


「彼女は優しいですから、きっとあなたの事が可哀そうであると思ったのでしょう。本当は行きたくないけど、あなたのために一緒に冒険してあげようと、慰めてあげようと、そう思っていたのでしょうね」

「……」

「他人を不幸にして、自分は幸せになる。それ程愉悦な事は、他に存在しませんよね」


 悪魔の嘲笑が、自分の胸を貫いてきた。もう、腕を離そうと抵抗する気が起きない。

 図星だった。高校に入ってから、ボクは多くの人から甘やかされていた気がする。ボクがやりたいと言えば、他の人は構わずやってくれた。

 もしかしたら、もっと他にやりたい事があったのかもしれない。自分がやりたいと思った事を押し付ける事で、その機会を失わせてしまった可能性だってある。そう考えたら、背中が重くなってきた。


「抵抗をやめてくれましたね。では、こちらへ……」


 悪魔の、正義の執行人の言う通りに、暴れるのをやめた。

 逃げ出すべきではなかった。苦しみから逃れようって、思ってはいけなかった。運命を受け入れて、苦しんでいるべきだった。

 クズである自分は、永遠に苦しんでいるべきだ。それに、もう他人を蹴落としてまで、幸せになろうなんて考えていない。だから、元の場所に――


「おや、あなたは……」

「死ね」


 冷え切っていたその声、そしてその直後に来た強い衝撃によって、体が震えた。


◇◇◇◇◇


「あったあった、チオくんの荷物」


 結局、チオくんを見つける事ができずに、荷物が置いてある場所に戻ってきた。


「ふぅ」


 とりあえず荷物に抱き着きながら、思考を巡らせる。

 この謎めいた場所を隅々まで探索してみたのだが、出口も少年も見つからない。唯一見つかっているのはこの荷物で、脱出の糸口が見つからなかった。


「うーん……」

『タチサレェェェェェ!』

「はい?」


 突然、さっきの白い生命体の声が聞こえた。聞こえたというか、頭の中に直接響いた感覚だった。


「……なんか、意識が……?」


 その直後、激しい眩暈に襲われる。


『キエェェェェェェェェェェェェェ!!!!!』

「いや、うるさいな」


 うるさい、頭が痛い。思わず耳を塞ぐ。さらに激しい眩暈のせいで、一瞬意識を失いかける。


「……って暗い!?」


 瞬きをした。目は開けたはずだ。しかし、目を開けていないと錯覚する程に暗かった。

 急いで、チオくんの荷物があるか、手を周りに伸ばす。


「……あるね」


 せっかく堪能していたのに、なくなっていたら悲しかったので、とりあえず安心した。

 という本音は置いておいて、チオくんの荷物がなくなっていなくて、安堵した。

 これがなかったら、あの子はきっと困ってしまうはず。だから、なくさないように注意しなければ。断じて、匂いを嗅げなくなるのが嫌であるわけではない。


「……」


 目を閉じて、集中力を限界まで高める。幸い心地よい匂いに包まれているので、そんなに時間はかからなかった。

 段々と、周りの状況がわかってくる。どうやら、ここはさっきの場所と似たような場所で、暗いか明るいかの違いがあるだけらしい。

 スマホを取り出そうかと思ったが、なくてもわかるし、チオくんもいないので、出さなかった。


「オッケー、理解したよ」


 「おーい!! チオくーーん!!!」と叫んで、チオくんからの返事を待った。だが、まったく返ってくる気配がない。


「……とりあえず捜しに行こう」


 チオくんが持っていたはずの懐中電灯をリュックサックから取り出そうかと考えたけど、見られたくない物が入っているかもしれないと思い、何も持たずに歩き出した。

 あの子の事だから見られたくないのは入ってなさそう、だけど覗く度胸なんてものはない。


「本当に真っ暗だなー」


 あの子は暗い場所が苦手っぽかった。もしここにいるのなら、怯えて動けなくなっている事がありうる。そうしたら、とてもかわいいはず、見たい。

 それは関係ないが、助けたらきっと抱き着いてくれるに違いない。これは邪念ではなく、予測だ。断じて、下心などない。


「……いや、私は何を考えてるんだろう」


 急に正気に戻って、嫌な羞恥心が芽生えそうになった。


「は、離して……!」

「!?」


 突如として、嫌がる少年の声が聞こえた。

 考えるよりも前に、声のした方向へのルートを頭の中で構築し、それに沿って走る。暗闇での戦闘は慣れていたので、それを応用した。

 チオくんは今助けを求めている。だから、とにかく助けたい。いつかの先輩を救えなかった自分にとって、誰かを救えないと、自己嫌悪に陥ってしまう。


「他人を不幸にして幸せになる。それ程愉悦な事は、他に存在しませんよね」

「……は?」


 聞きたくない声だった。不快感を覚えるような音で、私が嫌いな声だ。

 偶然ではあるが嫌な声を聞いて、更に走る速度を上げる。


「あいつ、どうしてここに?」


 考えている暇はない。声の主はチオくんを連れ去ろうとしているに決まっている。

 激しい憎悪に苛まれながら、私は呟きを発した。


「……私の男の子に何してくれようってんだ、あのクズが」


◇◇◇◇◇


「チオくんを離せ。さもないと、殺す」


 憎悪にまみれた声と雰囲気に、圧倒される。誰かがボクを助けに来てくれたらしい。


「そういうわけにはいきません。この方は我々にとって大事な……」

「チッ」


 正義の人が説明を始めて間もなく、強い衝撃が走る。聞く耳を持っていない。

 いつの間にか、誰かに掴まれていたはずの腕が解放されていた。


「おや、力づくで奪うのですね」

「私から先輩を奪っておいて偉そうに」

「……」


 試すように言った人に対して、悪魔みたいな冷酷非道な声の反論が響く。

 今度は、違う誰かに腕を掴まれる。こっちはここに来る前に繋いでいた手と同じく、暖かかった。


「本当によろしいのですか?」

「意味がわからないな」

「あなたは冒険が嫌いなはずです。その冒険によって、大切な人を奪われたのですから」

「お前が奪ったんだ」

「私と出会った原因は冒険でしょう?」

「いい加減にその口を塞いでくれないかな。本当に殺しちゃいそうだよ」


 暗闇で見えないが、今ボクを捕まえている人物、きっとマキノは、見えない何かを睨んでいる、と思う。

 謎の人物の言葉から悪意が消え、冷静に交渉するような、悪徳商人の声になった。そいつはボクを見ているような気がして、思わず暖かい腕に抱き着く。


「あなたとこの方は今日出会ったのでしょう? それなのにどうして、守ろうとするのですか?」

「お前には関係ない」

「左様ですか」

「消えろ」

「まあ、今回は大人しく消えてあげます。次は連れ去りますがね」

「させない」


 力強い声を吐き捨てられた悪魔はそう言って足音を立てる。それは、どんどん遠ざかっていき、次第に聞こえなくなっていった。


「……大丈夫?」


 先程の憎悪が籠った声とは一転、いないはずの母のような優しい声が、ボクにかけられた。


「……マキノ?」

「そうだよ。怖かったね」


 ふっと抱き寄せられて、頭を撫でられる。優しさに溢れた女の人の声が、心地よい。


「……ごめんなさい」


 罪悪感があった。こんな自分に優しくしてくれる女の人に対してここまで迷惑をかけてしまって、謝らないといけないと気が済まない。


「どうしたの?」

「ボクのせいで、こんな所に連れて来られて……」


 「きっと、嫌だったよね」、そう発しようとしたら、手で口を塞がれた。


「私が鉄道を間違えた挙句に寝落ちしちゃったから、こんな所に来て、しかもあんな奴に会っちゃったから、チオくんには謝らないとね」


 「ごめんね」と、暖かい声で言われる。

 口を塞がれているから、声を出す事ができない。一方的に、相手が話し始める。


「私はいつもこうだよー、他人に迷惑をかけてばっかりで、守りたいって強く思ったものも守れなくて……本当に、どうしてこうなったんだろうな」


 段々と重々しくなっていく声で、女の人は言った。

 そもそも、ボクが誘いを断っておけば良かった。それなら鉄道に乗る必要もなく、ここに来る必要は無かった。全ては、自分のせいだ。

 だから、塞がれた手を退けて、言う。


「違う。ボクが、無理矢理誘ったから。最初からこんな事をしなければ……」


 誰かに迷惑をかけてまで、自分の幸せを追いかけ続ける事はできない。

 大人しくしていれば良かった。ボクが所属する映画製作同好会の部室で、静かに映画でも見ていれば良かった。


「ボクが、ここに来なければ……」

「そんな事言わないで」


 小さくて、だけど芯は通っている声で、言われた。


「チオくんが来てくれなかったら、出会えなかったから。君との出会いだけは、否定したくない」

「だけど、ボクは不法侵入者で……犯罪者だよ?」

「かわいいから問題ない……じゃなくて、なかった事にしてあげたじゃん、条件付きで」

「……」

「ここまで連れて来て烏滸がましいかもしれないけどさ……私との出会いを、否定しないでほしいな」


 力強くて、でも弱々しい声が聞こえた。ちょっとだけ、抱きしめる力が強くなった気がする。


「……良いの?」


 上手く声を出せなかったと思う。だけど、頑張って、絞り出す。


「良いよ」


 穏やかな声が、胸に響いた。

 許されて良いのか、本来だったら決して許されないのではないか、そんな考えを、優しい声はかき消してくる。

 ここまで言われて否定するのは、逆に迷惑をかけてしまいそうだ。だから、きっと良い。


「……古代人って……」

「今真面目な話をしてたんじゃないの!?」

「……えへ」


 少しだけ照れくさくて、それを隠したくて、適当な事を言った。


「もう、私は古代人じゃありません」

「でも、かっこいいよ?」

「かっこいいと古代人は関係ないから」

「……うん」


 表情は見えないけど、頬を膨らませながら言っている気がする。


「ありがとう」


 目の前の少女に聞こえないような声で、小さく呟いた。


◇◇◇◇◇


「怖い……」


 体を震わせながら、チオくんはそう言った。

 目論見通り、もとい計算通り、ではなく予測通り、臆病な少年は私にピッタリとくっついている。全然望み通りじゃない(めっちゃ期待してた)状況だ。


「大丈夫だよ」


 そんな男の子を愛おしく思いながら、建前を言葉にして語り掛けた。

 下心などは全くない。誇らしい感覚と似たような物だ。断じて下心などないが、このかわいい少年に頼られるのがとても嬉しい。いつかの先輩はあまり頼ってくれなかったので、新鮮味もある。ちなみにスマホを持っているのだが、使わない。この子も気づいていないようなので、このままで良いだろう。

 そんな事は置いておいて、今はチオくんの荷物を放置している所に向かっている。


「離さないでね」

「私から離す事はないよ」

「うぅ……」


 怯えて声を震わせながら言うチオくんに、少し意地悪っぽく言った。

 暗闇で見えない事を除けば、最高のシチュエーションだ。例えるなら、お花畑で良い匂いに囲まれながら眠っているような状況だ。まあ、暗闇であるからこそ映えるホタルみたいなものでもあるけど。


「ここで右向いて」

「こ、こう?」

「私に合わせて……そう」


 優しく、チオくんをリードしていく。至福な時間で、一か月は続けていたいかも。

 そんな時間は長く続くわけではなく、案内していたらチオくんのリュックサックがある場所にたどり着いてしまった。まあ、手を繋ぐくらいなら継続されるだろう。


「着いたよー」

「ど、どこにあるの?」

「ここだよ」


 チオくんに荷物がある場所を教える。すると、ガサゴソと荷物を漁る音が聞こえた。無事に荷物を見つけたらしい。

 しばらくしたら、激しい光に照らされた。


「おっと」

「はぅ!?」


 強い光により、思わず目を瞑る。少年はかわいらしい悲鳴を上げた。


「大丈夫?」

「う、うん、大丈夫だよ」


 良い声で吠えた少年に声をかける。


「これでよく見えるようになったね」

「そうだね」


 光が道を照らす。先程まで一寸先も見えなかったのに、突き当りまで見れるようになる。

 チオくんの顔も、よく見えるようになった。


「これで一安心だね」

「でも、手を離さないでほしいな」


 懇願するように言う少年の声は魅惑で、下手したら飲み込まれてしまいそうだ。

 かつての先輩も、こういう風なお願いだけは上手かった。


「気が済むまで繋いでて良いからね」

「はーい」


 重いリュックサックを軽々しく背負った少年は、自分の手を握る。

 あわよくば暗闇の時と同じく密着してくれないかと、淡い期待を背負いながら、私は手の感触を噛み締めるように感じた。


◇◇◇◇◇


「出口がない……」


 少年の弱々しい呟きが、空間に響き渡った。

 結構歩いた気がするのだが、出口が見つかる気配が全くない。このままでは懐中電灯の電池が切れてしまい、もう一度暗闇に戻されかねない。(そうしたらまた私にくっついてくれるのだろうか、期待しても良いかな。)

 邪推を振り払うように首を振る。


「あそこかなぁ……」

「どこかわかるの?」

「まあ、ちょっとだけ」


 集中力をあげて、ここの構造を思い浮かべる。どうやら真っ暗なこの場所は、白い生命体と遭遇した場所と同じ構造をしているらしい。


「最初にいた開けた場所か、あいつがいた檻があった場所か、どっちかなのかな」


 もし出口があるのならどちらかであろう。

 可能性が高い方としては、檻のあった場所、即ち白い生命体が閉じ込められていた場所である。一番最初の開けた場所は何か違うと直感で思った。


「どこ?」

「案内するね」


 記憶を頼りに、チオくんを引き連れて檻のあった場所へ向かう。


「こっちだったらいないと思うし」

「?」


 首を傾げた少年を余所に、白い生命体について思い出していた。

 何となくではあるが、最初に来た場所はこことは違う場所、いわゆる異世界であると感じている。光源がないのに明るく狭い道、不気味な生命体、そしてこの場所と酷似している構造、異世界だとしか思えない。


「こっちだよ」

「えっと……」


 繋いだ少年の手を引き、迷いなく道を進んでいく。

 私の良い所を見せたいという気持ちがないわけじゃないけど、記憶力には自信がある。特に道を覚える事に関しては自信満々だ。


「お、あったあった」


 しばらくすると、白い生命体が閉じ込められていた檻がある所に着いた。

 あの不気味な見た目に声が、脳裏に浮かぶ。最初こそはスズメバチのように怖かったが、今はナメクジみたいに気持ち悪さが勝つ。


「ここは……」

「ん?」

「あ、なんでもないよ」

「そう?」


 必死に首を横に振るチオくんに、少し違和感を覚えた。

 暗闇とは違う、自身が知らない何かをこの子は恐れている。必死に首を振っている他に、体が震えないように我慢しているようで、心にモヤモヤが生まれる。

 恐怖の感情を思い起こさせるのは憚られるので、それを見て見ぬふりをして、怯える少年の手を引いた。


「……鉄格子がないな」


 異世界みたいな所とほとんど同じだが、檻があった場所であるはずの所が、鉄格子がなくなっているがために、ただの広い小部屋のような所になっていた。

 繋いでいる少年の手がさらに震えてきた。それが気になって顔を覗いてみると、目を閉じていて、顔を引きつらせていた。

 明らかに、この子はこの場所を知っていて、怖がっている。


「大丈夫?」

「う、う、うぅ……うん」

「ここが怖いの?」

「あ、あぁ、あぁぁ……」


 震えているようで、上手く声を発せられていない。少年が目を開けてこちらを向くと、大粒の涙を流し始めた。


「……」

「……あぇ?」


 無言で、少年を抱き寄せる。一瞬手を離されたために変な声をチオくんは出したが、抱き寄せられたために大人しくなる。

 檻であったはずの場所、そこの奥の方に道が続いていた。白い生命体がいた場所ではなかったはずだが、この場所ではある。


「歩ける?」

「……あそこに、外に抜けるための道があるよ」

「わかった」


 チオくんが私腰に両手を巻いてくる。

 振動がフルで伝わってくるが、密着しているためか少しは震えが小さくなった。


「……」


 心臓の鼓動が激しくなってきた。身体は燃えるように熱くなり、使命感が湧いてくる。それを心に秘めて、奥に続く道に入る。先程まで全く光源がなかったのが、眩しいくらいに光が灯っていた。光源自体は高校にある照明より全然暗いのだが。


「絶対に離さないでよ……?」

「おじさんに任せなさーい」

「……」


 思わず発してしまったので、ツッコミ態勢に入った。しかし、チオくんは無言で頷くだけだったので、とりあえず安心した。


◇◇◇◇◇


「長いなー……」


 なぜ作られたのか不明な、景色がまったく変わらない通路を、淡々と歩いていた。


「誰が何のために作ったんだろう……」

「……」

「どうしてだと思う?」

「意味なんてないよ……趣味が悪いだけ」


 「希望を見せておいて、絶望させるだけ」と、チオくんが小さく呟いた。

 言葉の真意はわからない。だけど、その際にチオくん顔を私と逆の方に向けていて、表情を見せないようにしていた。


「罠があるとか?」

「……ないよ」

「うーん?」


 不意に、チオくんの足取りが速くなった。それに合わせるために、私も足取りを速める。


「わからないなー……」


 率直に思った事を口に出してしまった。

 今現在、チオくんとは密着している状況であるので感覚が狂っていたが、この子と出会ったのは朝である。

 私はこの少年の事を全く知らない。どんな経歴があるのか、どんな思考をしているのか、全てが謎に包まれている。


「何がわからないの?」

「あーいや、何でもないよ」

「ふーん」

「いや、その反応は何?」

「ごめんなさい」

「単純に疑問として訊いただけだったんだけどな……」


 素っ気ない反応に疑問を呈したら、なぜか謝られた。もしかしたら怒りっぽく聞こえてしまったのかもしれない。

 それはそれとして、長い長い道、変わらない景色、ただ歩いているだけでも気が狂ってしまいそうだ。


「えっとね、ボクはかっこいい人が好きなんだよ」

「ほぇー」


 気分を落ち着かせるためなのか、チオくんが突然と話題を振ってくる。


「クソ映画が好きだって、そう言ったと思うけど、本当はかっこいいおじさんが活躍する映画が好き。どんなにクソな映画だって言われてても、かっこいいおじさんが活躍してくれるなら、それで満足なんだ」

「内容はどうでも良いの?」

「うん。ボクにとっては、内容よりもおじさんがかっこいい事の方が大事だからさ……と言っても、映画を見始めたのは最近なんだけどね」

「そうなんだね」

「映画製作同好会を作りたいから入ってなんて言われて、なんとなく入って、それで初めて映画を見たんだよ」


 思い出を懐かしむように、チオくんは穏やかに笑う。

 意外だった。てっきり、かつての先輩みたいに、小さい頃から映画を見ていたのかと思っていた。


「映画を見た事がなかったけど、初めて見た映画は面白かったんだよ」

「『スター・ファイターズ』シリーズとか?」

「それも見たけど、一番最初は『64番出口』だったよ。アキヒと、コウと、ハジメと、一緒に映画館で見たんだ」

「そうだったんだ」

「主人公のおじさんが、お嫁さんとの離婚をきっかけに六十四番出口に迷い込んで、脱出するんだけどさ……居場所を失くしちゃったおじさんが必死に自分の居場所を見つけようと奮闘する姿がかっこよくて……」


 目を細めて、小さな声で言う少年。その姿を見て、ほんの少しだけこの子の事がわかった気がした。


「……それからたくさん映画を見たんだよ。その度に、かっこいいおじさんを見つけて、それを見て、それで……」

「……そっか」

「……あ、いつの間にか出口に着いたね!」


 話しにくい事があったらしい、いかにも話を逸らそうとチオくんは大きな声を出した。

 足早に歩いていたからなのか、会話をしていたからなのか、出口らしき光が見えているのに気が付かなかった。


「出口かな?」

「……ちょっと違うかも」


 しかし、そこは出口とは思えない場所であった。言うならば、ただ別の広い場所に繋がっているだけであるらしい。


「……あ、そっか……どうやって出たんだっけ」

「まあまあ、ゆっくり思い出していけば良いよー」

「……えーと、どうやって出たら良いんだろう」

「わざわざ言い直すって、何かやましい事でもあるのかな?」

「……と、とにかく、早く行こうよ」


 焦るように冷や汗をかく少年に、これ以上言及するのをやめた。

一応プロローグ、ただし二か月目を超えている。この話を合わせて後三話あるけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。