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2 ノアの約束

 刻一刻と時間が過ぎゆくなか、ウィーンとエリーは図書室にこもりきりとなり、ノアを苦しめる病の原因を調べていた。もしかするとノアの方舟伝説のどこかにそのヒントがあるかもしれないと推理したからだ。

 ウィーンは本に目を落としながら、ルイーザストーンを出立した直後の彼とのやりとりを鮮明に思い出した。



       *   *   *



「これはキミたち夫妻に預けることにするよ」


 ノアはノアの方舟伝説七冊をすべて抱えて、図書室で読書をするウィーンとエリーの元を訪れた。本人は満悦ですでに全巻読み終えたらしい。


「夫妻じゃないです」

「おっと失礼。未来の夫妻さ」


 そういって分厚い紙の束を机に積みあげた。


「ボクは自身と世界の未来をキミたちに託す」


 とても嬉しい言葉だったけれど同時に重責も感じた。


 ノアはそれぞれの本について、エリーはすでに知っているかもしれないけれど、と付け加えて改めての解説を始めた。


「この『物語の章』は舞台ノアの方舟伝説の原著だけれど、世界の運命と神の苦悩が素晴らしい物語調で劇的に描かれている」


 これが物語と心でつぶやき、ほとばしる文体のひどさを思い出して苦笑した。ルイーザストーンでも触り部分だけ読んだが、エリーが要約しなければあの崩壊しそうな文脈は物語にもなり得なかったはずだ。


 次に、といってノアは積み重ねた別の一冊を手にする。


「これはボクの生活への大きなこだわりと小さなこだわりを書いた『生活の章』、船で取るべき行動の全てが詳細に書かれている。もしかするとみんなで食事を摂らなければならないそもそもの理由についても書いてあるかもしれない」

「かもしれないって。読んだんでしょ?」

「ボクは時々、分からない言葉を使ってあってね。ひどく混乱したよ。自分ではすべての真相を事細かに理解できなかったんだ。だからその理解はキミたちに任せる」

「ノアは食事の時間は家族の唯一のコミュニケーションの時間だと書いてましたよ」

「おっと、そうかい。なんの意外性もない理由だったね」


 ウィーンはなるほど、とうなづきながら受け取る。


「それから、これが『幻獣の章』。これは物語じゃないね。図鑑だ。幻獣のことを細かに観察して、彼らの特徴や性格、好み、鳴き声、まあ色んなことが書いてある」


 ウィーンは一読したときほとんど子供の落書きだと呆れたことを思い返す。だが、無理に褒めるとすれば特徴はよく捉えてあるともいえる。


 それから、とノアが次に手にしたのはブルーローザの章だった。


「『ブルーローザの章』については知っていると思うので割愛するよ。ボクたちの物語において一番重要かもしれないね。あとは『地上の章』について」


 ぱらぱらとページをめくる。ミミズが這ったような線で大陸の地図が書かれている。これも始めなにを表したものかよく分からなかったのだ。


「これは世界が滅ぶ前の大陸のことを事細かに書いてある。くれぐれもいっておくけれど今の世界のことじゃないからね、ほとんど参考にはならない。ボクも流し読みでちゃんと読んでないよ」

「丁寧に読んでみるよ」

「お気遣いありがとう。あとはヨハンたち三兄弟のそれぞれのこなした試練について記した『学びの章』と彼らの絆について記した『三人兄弟の章』だね。この物語なんかとても美しいんじゃないかな」


 屈折した文章を楽しめればの話だよね、とウィーンは心でつけ加える。ノアはそんな風に各々の章について楽しく説明したあと、すべてを真っ直ぐに積み重ね誇らしく語った。


「知的好奇心を見たす十分な読み物であると自負しているよ。ああ、読み聞かせはもういい。キミたちは子供じゃないからね」


 かつての読み聞かせはいったい誰のためだったのかウィーンは苦笑した。そしてなにを思ったかノアはちょいちょいと手招きすると二人にこっそり囁く。


「それとこの本のこと。彼には内緒だよ」

「彼って?」

「か・み・さ・ま」


 ノアはにやにやと笑いながら「頑張りたまえ」と図書室をあとにした。

 


       *   *   *



 記録を受け取ってから三年も時間はあったけれど、ウィーンは残念ながらそのすべてを読破することはできなかった。文体が混乱し、分からない独自の単語も多くて、それをいちいち図書室の本で調べながらだったので思うように読み進められなかったのだ。これをほとんど読破しているエリーはやっぱり本物の才女だと思う。


「ウィーンさん、コレ」


 熱心に調べていたエリーが眼鏡をくいっと上げて、開いたページを見せた。彼女が今調べ直しているのは生活の章だ。


「ノアは時々、熱を出す三男のために薬を作ったんですが」

「えっ、本当?」


 ウィーンは本をのぞき込む。


「材料は……」


 カエルの肝とグリフォンのツメとサメの生き血。冗談でしょう、と心でつぶやく。


「これは材料がないから作れませんね」


 坦々とした様子のエリーを見ていると知的好心ってときに危うい物じゃないかなと思う。飲まされる方の身にもなってみよという話だ。

 しかし、これだけ章があるとどこをどう調べていいのかも分からない。無作為に調べている間にもノアは苦しんでいる。彼を貶める病の正体はなんなのか。


「寿命がきたってことはないかな」

「おお、なるほど!」


 エリーが大仰に相槌をうった。冗談だよと引いてウィーンはこぼす。


「ノアってさ。ほんとうに何万年も生きているのかな」

「何万年とはいわないんじゃないでしょうか」

「もっと多いってこと? そんな生き物がいるのかな」

「分かりませんけれど。たとえば――」


 ウィーンは彼女の話に耳を傾ける。


「世界を終わらせるたびに神が目覚めさせて、年を取るのがその活動期間だけというならば、まだ人間と同じくらいしか生きていない可能性はありますし」

「冬眠しているってこと?」

「可能性の話だと思うのです」

「そうだよね」


 ウィーンは本に目を落とす。ぱらりとめくるとエリーが再び話し出した。


「それより重要なのはノアの正体ではないでしょうか」

「エリーは知らない?」

「私が知っている方舟伝説にはノア自身のことは意外と書かれていないんです。あとは解読途中のブルーローザの章を最後まで調べないと分からないですけれど」

「ノアは自分のことを神の獣だっていってるね。それがなんなのかもちゃんと確かめた方がいいのかも」


 思いついた疑問をさらさらとメモすると再び本に目を這わせた。




 その晩になってもノアの容体は変化することはなかった。たくさんいる幻獣たちは皆食堂にやってこず、動物たちと六人だけ。料理はサラとイブが作り、それを皆で運んだ。


「お祈りする?」


 サラが優しく問いかける。恒例のあいさつも遊興であったとは思うけれど、もう身に染みついてしまっているのだ。吐息したアーサーが静かに頷いて手を組んだ。


「皆でノアの容体が良くなるように祈ろう。ヒポポータマス」

「ヒポポータマス」


 これまでは楽しい食事の時間を過ごすことが多かった。人数がいることもそうだけれど、それを盛りたてたのはあくまで賑やかなノアだった。すごく変だけれど、とても心優しい明るい人物なのだ。それを皆言葉にしないけれどよく分かっている。

 だから、話題も自然とノアのことになった。


「お医者さまが近くに居ればいいのだけれど」

「着陸した場所が悪かったな」


 アーサーも悩んでいる様子だった。


「ここってどこなのかしら」

「森の中」

「バカね、そんなの分かっているわよ」


 イブの疑問にエドが茶化したように答えるから空気が少し軽くなる。ただ、かちゃかちゃと食器が擦れ合う音も今日に至っては虚しかった。


「ノアも訳の分からないことずっといっているし」


 心配そうにするサラにウィーンは問いかける。


「なんていっているの」

「約束だよ、皆約束だって」

「なんの約束かしら」


 アーサーがふるふると首を振った。


「ノアに関してはさすがに分からないな、聞ければ手がかりになるかもしれないけれど」

「ボク、ご飯が済んだらノアと話してみるよ」


 ウィーンはスープに口を運びながら苦しむ彼のことを思った。


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