5 ウィーンのつがい作戦 前篇
ルイーザストーンを出立する日がいよいよ一週間後にせまった日の夜、ほとんどの家具を売り払い伽藍堂となった家で三兄弟とノアにサラとイブの四人が集まり、少し豪華な食事をしていた。
「イブが旅についてきてくれるというのはありがたいよね、エド。甲斐性なしのキミでもこんなに小生意気ないいつがいに巡り合えた」
「甲斐性なしってなんだよ」
「小生意気って褒めてるのかしら」
「よく、大公さま許してくださったよね」
穏やかなウィーンの言葉にイブはつんとした表情を見せる。
「いいのよ、わたしの人生なんだから好きにする」
「幸せなことにつがいに恵まれた二組の結婚式は五日後だけれど、この失態どうするつもりだいウィーン」
ノアに問われてウィーンはドリアを喉に詰まらせる。食道が焼けそうになり、慌てて水に手を伸ばした。
「今さら神さまの命に従うことはないでしょう。つがいは必要かな」
「我々は神を欺くんだよ、理解してなかったのかい。ブルーローザへの道はつがいを連れていかなければ開かれない」
「困ったな」
アーサーが左ほど困っていない様子でつぶやいた。皆にちょっと冷たい目で見られているような気がした。仕方がなかったのだ、ウィーンはこの町でずっと本を読んだり、本を読んだり、やっぱり本を読んだりしていたのだから。
ノアはおもむろにジャケットの懐に手を突っこむと三つの小袋を取り出した。革でできた小さなアクセサリーの用の巾着だ。
「なんだよ、ソレ」
「一年の放浪の旅のついでに用意したのさ、幻獣の革でできた布袋だ。犠牲になった幻獣に感謝して」
「えっ」
五人は声を揃えた。冗談だよといってノアはそれを三兄弟に配る。
「近くで購入した安い革袋だよ。それより大事なのは中身さ」
三人は紐を解いて、中身を手のひらに取り出した。ことんと小さな感触がある。皆、目を見開いた。
「指輪だ」
アーサーは指輪を燭台で燃えるロウソクにかざした。とてもきらきらとした彩光を放ち高貴な輝きがある。
「南の産地であつらえた特別なダイヤモンドの指輪だよ。この星で結婚といえば愛より硬いダイヤモンドなんだろう」
「ダイヤモンドより硬い愛じゃないのか」
アーサーのつっこみにノアはにやにやと笑う。ウィーンはますますイヤな気持ちになった。
「キミたちに差しあげるよ。それは最愛の人に愛の証として贈るといい。でも、困ったことに本のブイブイ虫のウィーンにはつがいがいない。さて、どうしたものか」
「ブイブイ虫ってやめてよ」
すねたようにいうウィーンをふふんとノアは笑う。
「一週間以内につがいを見つけて連れておいで。これは揺るぎない絶対の命令だ。それまでキミは本の解読はお預けだよ」
* * *
ノアに叱責されて、次の日からウィーンの半ばやけっぱちな恋人探しが始まった。恋人といってもただの恋人ではない。なにせ人生の旅を一緒に歩む人だ。
短時間で使命に理解を示し、この地を離れて一緒にブルーローザへといってくれる心の広い女性――
「一週間じゃムリだよ」
ウィーンは公園で頭を抱えた。本当は自宅でブルーローザの章の続きを読みたい。それもノアのためだというのに。でも、その本もノアに取りあげられてしまった。出会いは外の世界にしかないのだよといって蹴りだされてしまったのだ。
彼にいったい恋愛のなにが分かるというのだろう。もっとも自分も人のことはいえないけれど。
公園を見渡してみると恋人たちもいるが、大抵自分よりひと回り以上大人だ。「十二歳は若すぎるよ、ノア」とつぶやく。
時間が勿体ないな、本が読みたい。
ウィーンは途中まで読んだ本のことを思い出した。
ブルーローザの章にはブルーローザに関する秘密のいくつかが書かれていた。天空都市ブルーローザはノアの命と連動して彼の命に呼応するようにその浮力を保っている。ガリバルダ号があの巨体で空に浮いていて、ノアが水晶に力を送りこむことによって稼働することを思えばその説明もつく。
そして、本ではもっとも気になる大洪水の正体についても言及されていた。
――大洪水の正体、それはブルーローザの涙だ。
神が大陸中枢に命令をくだすことによって、ブルーローザが世界の空と連動を始める。ブルーローザから指令を受けた雷雲が世界全土を覆い尽くし、地上が水没するまで膨大な雨を降らせ続ける。それを阻止するためにはブルーローザそのものを消す必要性があるわけだけれど。それにはノアを殺すのがもっとも手っ取り早かった、だからこそヨハンたち兄弟はその選択をしたのだろうけれども……
「ええ、やだあ!」
「大丈夫だって。ほらほら」
ふいに恋人たちの声が思考を割った。ふるふると頭を振る。いけない、今は恋人探しだ。ノアをどうこうするよりも、まずは無事にたどり着いて、先に神さまと話して説得を試みる。それでもダメならば……ダメならばなんだというのだろう。再び黙考に陥る。
公園という場所がどうも物思いにふけっていけないのかもしれない。立ち上がると町中へと足を向けた。恋人探しというのに訪れたくなるのはどうしても本屋だったりする。心の底から恋人を探す気なんてないのだなと自身に呆れた。
「すみません、後ろを失礼します」
恐縮しきった声が聞こえて後ろに注意を向けると、女性が顔が見えぬほどうず高く積んだ本を抱えてすれ違おうとしていた。
「あっ、すみません」
ウィーンは即座に避ける。
「すみません、すみません」
いったい何回すみませんといって誰に謝っているのだろう。しかも、どこかで聞いたような声だけれど。
「すみません、ホントにすみません。きゃっ」
どさどさと本が崩れ落ちて女性はとウィーンは尻もちをつく。崩れ落ちた本の真ん中で彼女が腰をさすっていた。
「あっ」
「あっ」
二人の声が思わず重なる。眼鏡を直そうと彼女が手をあげると長いおさげ髪が揺れた。彼女は国立図書館の司書、エリーだった。




