九冊目
拾ってきた子供は二階の部屋で寝かせてあるという。
少女にその部屋まで案内をさせる。
「その見つけた時の状況とかって分かるか?」
「ううん。チェシャはおじいを呼んでくるように頼まれただけだから分かんない……」
少女の名はチェシャ。
チェシャ猫を知っているだろうか。
不思議の国のアリスで登場する架空の猫である。
常にニヤニヤと笑いを浮かべ、人の言葉を話し、自分の身体を自由に消したり出現させたりできる不思議な性質を持つ猫のことだ。
この俺の目の前にいるチェシャの本体は、チェシャ猫を模して作られたぬいぐるみである。
ある子供は童話を片手に親に「この子が欲しい!」と強請った。
親は猫を飼いたいと言っているのかと思い、ペットショップへその子を連れて行った。
しかし子供は童話に指をさし、「この子がいいの!」と言って聞かなかったという。
親はその子にこれは創作物であることを納得させ、「ぬいぐるみなら買って来れるよ」と教えた。
子供は我慢し、そのぬいぐるみは大人になった今でも手元にあるという。
これだけを聞くと何ともいい思い出のように聞こえる。
だが、この子供は大人になり、ぬいぐるみを手放すことが多くなった。
勿論、職場に置いておくこともできない。
ある日の朝一人の女性が交通事故で亡くなってしまった。
悲しみに暮れた両親は、子供の頃ずっと大事にしていたぬいぐるみを同じ棺桶の中に入れた。
葬儀が終わり、思い出の品も中にはあるだろう娘の部屋を片付けようとしたとき、娘の部屋の家具一式が跡形もなく消え去っており、部屋の中央には娘と一緒にいるはずのぬいぐるみが置いてあった。
鍵も閉められ、誰にも入らないよう注意していた母親は恐ろしくなり事情を説明し、父親を呼びに行くことに。
父親は嘘だろう、君が疲れているんだ、と何度も説得したが妻の顔色は良くない。
ならばもう一度見に行こうと言い、娘の部屋のドアを開ける。
父親の目にも母親の目にもそこには、事故当時のままであり、家具も写真も服ですらも散らかったままだった。
ほら、君が疲れているんだろう、と妻に向かって言った。
妻はぬいぐるみを探す。
見つからない。
当たり前である。
自分の手で棺桶に入れたのだから。
その様子を見て父親は神父に連絡をした。
棺桶にぬいぐるみがちゃんと入っているかの確認である。
後にその確認は特別な許可の下、入っていると確認された。
母親はその幻覚を見たのはこれっきりだという。
これだけではチェシャ猫のぬいぐるみは預からないのだが、事件は起こった。
娘の火葬に立ち会った際、棺桶を開けても、娘の身体がないのだ。
神父確認の下で行われたソレは現実ではありえなかった。
その場は騒然。
事の次第は警察に一任し、一旦お開きとなった。
憔悴しきった両親は警察を娘の部屋に案内することに。
何か手掛かりを見つけられれば、と思ったのだろう。
しかし、数名の警察官と両親は目を疑うこととなる。
がらんとした部屋の中央には可愛らしいベッドとその上に静かに眠る娘、その傍らにはあのぬいぐるみが置いてあった。
母親はそれを見るなり半狂乱になり、親父を訪ねた。
「引き取ってください」
その一言だけだったという。
娘さんの死体は丁重に弔い、ぬいぐるみは引き取った。
今やそれが浮きながら案内する少女に変わると誰が予想しただろうか。
「ウーバン!!おじい連れてきた!」
「ああ……お、私ではこの者をどうすることも出来ず、メイドさんたちに任せていたところです」
部屋に入るとそこにはベッドに眠る十五~十六程の少年がいた。
青みがかった髪に赤褐色の肌、眠っている顔は年相応と言ったところか。
見つけた際に武器を持っていたと聞いたが、どこにあるのだろうか。
子供とはいえ、侵入者に武器は持たせたくない。
「子供が持っていたとされる短剣とはこちらでしょうか?」
「ああ、それです」
イリスがウーバンに聞く。
ウーランの手の中にあった。
短剣。
なんの装飾もされておらず、ただただ相手を殺す為の無難な短剣だ。
毒が付いているということも何か術式が組み込まれているということもない。
事情を聞く為に、メイドたちが忙しなく動く中、ウーバンとウーランを連れて、隣の部屋に入る。
「拾った時の状況を教えてくれるか」
「はい。お、私は門番としてウーランと正面玄関に立っていました。長の城は大きいので、見回りというか、兵の周りをぐるぐる回っていたんです。すると突如空間が捩じったように歪曲し、黒い渦の中から子供が吐き出されました。どうすればいいか分からないので、ウーランと仲が良く、その場にいたチェシャに長への伝言を頼みました。それからはあの通りです」
成程?
話を聞く限りじゃ、何らかの事故っぽいな。
何らかの拍子に空間と空間がつながってその空間の座標にいた少年が、こちらへと吐き出されてしまった、と考えるのが妥当か。
まあなんにせよ、あの少年が目覚め、事情を聞かない限りは何も始まらないな。
「旦那様、あの子の身体には何者かと戦った跡や見たこともない印が身体にあったそうです」
「なに?印?」
「印はお、私の痣とはまた異なるものでした」
「印は生まれた後から身体に付けられたものらしく、印の部分だけ焼き爛れていました。何者かに何らかの焼き印を施されたということですが、恐らく奴隷印のような気がします」
「奴隷印?そう思った根拠は?」
「この城の中にも同じような印をした者が働いていたことがあります。その者はありとあらゆる方法で虐げられていたと思います」
そういや、ここのメイドは城が出来てからずっといたっけ?
知っていてもおかしくはないか。
まあ外れていても構わないが……。
「成程。その可能性もあるが……まあそういう話はこいつが目を覚ましてからだな」
「承知しました」
「ウーラン、その短剣はお前が持っておけ」
「は、はい」
さて吉と出るか凶と出るか……。