彩也子と家族
彩也子は兄を探したが、兄は昨日から帰ってきていないらしい。その代わりに珍しく父がいるらしいので、彩也子は父の私室に向かった。父の私室には義母の紀井子もいた。
「なんだ。彩也子。」
文也は無愛想に声をかける。彩也子は父から目を逸らさなかった。いつも彩也子は怯えてばかりだった。紡の話を聞いてから、きちんと父と向き合おうと思ったのだ。
「お話があります。お時間いただけませんか?」
彩也子が聞くと、文也はちらりと時計を見る。紀井子は珍しそうに彩也子を見ているが、何も言わなかった。紀井子は彩也子に無関心なのだ。
「わかった。少しだけなら構わん。なんだ。」
「ええ。すぐ終わりますわ。...お父様。私、紡様から全て聞きました。お父様と亡くなられたお母様の事も。私の事も。それからお兄様の事も。」
彩也子がそれだけ言うと、文也は目を大きく見開いてからすぐに眉間にシワを寄せる。
「あの枢木の若造が。」
文也は苛立たしそうにそうやって吐き捨てた。
「お父様。今まで申し訳ありませんでした。私は何も知ろうとしませんでした。自分が何もしていないのに人にばかりそれを求めていた。人の上辺しか見ていなかったんです。それを謝りたくて来ました。」
彩也子はそう言うと、文也は何も言わずに黙っている。
「彩也子さん。私とお父様が何故再婚したかも聞いたの?」
ずっと黙っていた紀井子が口を開いた。彩也子は頷く。
「ええと、はい。お義母様がその、亡くなられた大叔父様の縁のある方だとお聞きしました。」
彩也子がそう言うと、紀井子は多分今までで初めて彩也子に優しく微笑みかけた。
「そう。文也さん。もう隠す必要もありませんやろ。彩也子さんはもう全部ご存知のようやもの。」
紀井子は急に西の方の訛りで喋り出す。彩也子は不思議そうに紀井子を見た。今まで紀井子は関西の訛りで喋っていたことはなかったからだ。
「ああ。彩也子さんには言ってへんだけどね、私は都京の出なんや。そう。全て知ったの。彩也子さん。ずっと冷たく接してしまって貴女には謝らなあかんなあ。ごめんなさい。でも、これだけは知っていてほしいわ。文也さんも一也君も貴女を騙そうとしたわけやない。貴女の事を思ってそうしたんや。」
紀井子はそう言う。
「どうして、お義母様。そんなに、その雰囲気が変わったんです?」
「ああ。私ね、すっごい隠し事が下手なん。だから、貴女と接して文也さん達の隠してた事を言わんように彩也子さんとは必要以上接しないようにしてたんや。でも、その必要もありませんやろ?これからは距離が近くなると嬉しいわ。...じゃあ、私はこの辺でお暇いたします。後は父娘で喋ってください。」
紀井子は意味ありげに微笑みながら部屋を出て行った。文也と彩也子の間に沈黙が落ちる。
「お父様。紡様がおっしゃってました。お父様とお母様は政略結婚じゃないって。2人は仲が良かったんだって。」
彩也子が沈黙を破り、話しかける。文也はおもむろに引き出しを開けて写真立てを取り出す。そして、彩也子に差し出した。その写真には1人の女性が中心に写っている。母だ。片腕で、幼い彩也子を抱きかかえ、もう片方の手で幼い兄の手を繋いでいる。母はとてもとても幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「お前が2歳の時に私が撮ったものだ。」
「えっ。お父様が撮ったんですか?」
彩也子は驚いて声を上げると、文也はじろりと彩也子を睨む。
「なんだ、素っ頓狂な声を出して。」
「申し訳ありません。お父様に写真を撮るご趣味があったとは思いませんでしたので。」
彩也子の言葉に文也はため息をつく。
「私の趣味は読書だ。...彩由子が写真を撮れとうるさいから写真を撮っていただけだ。彩由子が死んでからはとんと撮らなくなったがな。彩由子はいつも言っていた。一也とお前は宝物だと。......私にとってもそうだ。お前達には苦労をかけたくなかったのだ。一也にはこの家を、お前には素晴らしい夫を与えたかった。何かを私と彩由子の子どもであるお前達に残してやりたかったんだ。」
文也は遠い日を思い出すかのように言う。
「お父様。どうして言って下さらなかったのですか。」
彩也子はたまらなくなって言う。言えばもっと良い関係を築けたかもしれないのに。
「後宮などに行かせないためだ。陛下はお前を早乙女の次位の妃にとおっしゃってはくれているが、東宮様の妃などいらぬ苦労をするだけだ。お前のことだけを大事にしてくれる者に嫁ぐ方が良いだろう。それに私は娘を差し出してまで栄誉を得ようとは思わない。父の関心を得ていない子どもだと周りが思えばそんな娘を後宮にと言わないと思ったのだ。それに六花以外の妃なら他に適任者がいる。...あと、耐えられなかったのだ。彩由子はお前達の成長を本当に楽しみにしていたのに。私が仕事にかまけているうちにいなくなってしまった。そんな私がいまさらどんな顔をさらしてお前達に接すればいいんだ。」
文也はどんどん顔を歪めながら言う。文也は泣きそうな、優しい表情を浮かべた。
「これからもこの生き方を変えないだろう。彩也子。お前は幸せになれ。私の事は今まで通りだ。それがお前のためであり、私のためにもそうしてくれ。」
文也はその表情を変えないままに言う。彩也子は一瞬辛そうな表情を浮かべる。やっと和解できたと思ったが、それは違ったらしい。父が一番気にしているのは恐らく母の事なのだ。
「もう行きなさい。この部屋を出たら、私とは知らなかった今までの通りに接するんだ。わかったな。」
文也は机の上に視線を落としながら言う。彩也子はその父を見て、何か言いかけたが、それは言わなかった、いや言えなかった。
「...はい。お父様。」
いつも通りに返事をしただけだ。