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運命ひとつ、

 タワーは二二九階。ニックの家。

 アキラの居候先。

 タガラ姫の高速飛空艇で帰ってきてから、一週間ほど過ぎた。


 いつもの騒がしい日常が戻ってきている。ニックにとってはまだ慣れない日常。今日も朝から何度頭を抱えたらいいのだろう?ベッドの中でうんざり考えていた。


 「ニック!」

主寝室のドアが勢いよく開き、アキラが飛び込んでベッドにダイブした。

 「ちょーっと待て!」

腹にダブル・ニープレスで来るところをすんでで躱してベッドの端へ逃げ延びた。

 「部屋、入るなって言ったろう!」

怒鳴った。怒鳴ったところでどこ吹く風で、帰ってきてからこれで四度目だ。一度目はもろに腹に来て、殺されるかと思った。

 「リビングに俺が行ってから言え!」

 「それじゃいつになるか分かんないじゃん。それより、ニコラス君はいつも色っぽいのぉ。うっへっへっ」

ニックは亡きエドワードさんのシャツを、パジャマがわりに着ている。サイズが大きくて妙に色っぽいのだ。

 「ふざけるな!」

アキラの顎に、横向きからのトラースキックが決まった。

 ゴロゴロとベッドから転がり落ちて、アキラが痛ててと笑いながら立ち上がる。



 「で、何か用だったんだろう?」

ハルエさんが二人のやり取りをニコニコしながら見て朝食を用意している横で、キッチンに入ってきたニックは冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して言った。

 「アナベルが遊びに来るって。ここに来てもらっていい?」

 「嫌だ」

一言だった。

 エドワードとの家にこれ以上人が入り込むのは、たとえアキラが危険だと言われても嫌だった。徹底している。

 代替案。

 「下のカフェ。個室ブースがあるだろ?あそこにしろ。ハルエさん、予約頼む」

 「むむぅ。有無を言わさぬ流れ作業…」

彼女が『かしこまりました』という声を聞きながら、アキラはむくれて言った。


 結局はニックの言われたままに、カフェの個室でアナベルと待ち合わせ。

 しかもニックにしっかり見張られている。まるで過保護の父親然と腕組み中。

 


 カフェの中に少女が入ってきた。明るいオレンジブラウンの髪の女の子。

 デニムのショートパンツ。たまご色のキャミソールにオフホワイトのシアーニットを合わせている。

 ガラス張りの中からアキラが手を振った。キョロキョロしていた少女も、アキラを見つけて駆けてきた。満面の眩しい笑顔。


 「アキラちゃん久しぶり」

 「アナベルもねっ」

まるで女の子同士のように二人は手をとりあってピョンピョンとび跳ねている。とても成人男子とは思えない。

 「新婚生活はどぉ?」

 「束縛ひどいの。一人で外出もさせてくれなくてぇ」

あぁ。また始まった。

 ニックは額をおさえた。この二人、似た者同士だ。

 ニックはただ深く、ため息をついた。


 「…で、ソノコママから聞いたよ。なんかずいぶん迷惑かけてるみたいだから、様子見てきてって言われたの」

しばらく新婚生活云々で盛りあがってから、アナベルは切り出した。

 「そんな迷惑なんて……ないよね?」

多少は自覚があるのか、アキラは最後は尻すぼみにニックの顔を見た。どこまで話していい?テレパシーが無くても分かる顔。

 「ひでぇ迷惑だぜ。入ってくるなって言うのに、俺の部屋に飛び込んできて腹に膝蹴りだ。いまに殺される」

フィリドに連れ去られた話はできない。なのでここ数日の当たり障りの無い話をした。

 「迷惑かけてるじゃない」

眉を寄せて言う様は、姉のようだった。たしかアナベルは、二歳下のはず。

 「人のプライバシー空間まで、踏み込んじゃだめだよぉ」

アキラの鼻先に人差し指を押しあてて言った。やっぱり歳上か?ニックは苦笑した。

 「だって、ニックったら起こさなかったら昼まで寝てるんだよ」

 「寝てねーし。部屋、防音効いてるからバイオリン弾いてんだよ」

ふんと鼻息を荒くしてニックは言った。

 「それにしても昼までって、お腹空くじゃん」

 「空かねーよ。飲んでるし」

バイオリンを弾きながら、練習の合間にウイスキーやブランデーをちびちびするのが仕事の無い時の日課だ。それを崩すつもりはなかった。

 「でもでも、朝からアルコールって。体に悪いわよ」

アナベルが言う。

 「大丈夫。超能力の発動に、ニックはお酒なだけなんだよ」

アキラが説明している。しかも聴力は常時使われている状態なので、発動とエネルギー補給の自転車操業なのだと。

 「飲まねーと吐く」

全ての音は否応なしに聞こえている。

 そして能力は抑えるためにも使っているので、常時発動状態なのだ。キャンセラーである程度は抑えているのだが、それが無ければ全ての音を聞いてしまって吐き気が来る。

 たまに本気で吐く。

 小さい頃はしっかり食べていることもあって、エネルギー不足は気にはなっていなかったそうだ。

 ある日、鼻が魅力的な香りを嗅ぎ付け、それがエドワードさんの秘蔵ウイスキーやらブランデーだったとか。

 「子どものくせに盗み飲みしてたんだって。酔わないんだって!」

アキラが言い、アナベルと声を揃えた。

 『やーねぇ。悪ガキねー!』

 きゃぴきゃぴ。

 「ぅるせ」

ニックがふてくされた声をあげた。いつの間にか保護者が参加している。


 「アキラちゃんと違うのねぇ」

アナベルが笑った。

 「いつもアルコール抜きよね。どうして?」

言われた。秘密にしていたのにバレバレ。

 一滴で酔う。だから成分表を確認して、徹底的にアルコールを抜いてきていたのだが。

 「カッコ悪いとこ知られたー」

嘆いてみせた。

 「いいのよ。アキラちゃんは可愛いから、お酒よりチョコレートパフェだと思う」

アナベルがきゃはっと笑った。

 この流れでアナベルの気持ちを訊いてみたかった。たぶん、アナベルも自分のことが…?でも、まだ自信がない。


 ニックも考えていた。アキラの事は、多くは知らない。一緒に仕事を始めてからまだ一年過ぎていない。

 しかし仕事の中で、強く結び付いてきたのも事実だ。二人のやり取りを見ていて、アキラの事を知っているつもりでいたが、アナベルには敵わない。

 まぁ、勝手にやってろとニックは思った。少しだけ羨ましかった。



 突然、アナベルの通信端末が軽快な音を響かせた。ちらりと目をやり、すぐに画面を閉じる。

 少し残念そうな顔をしてアキラを見つめた。

 「どしたの?」

 「友達。どうしても相談したいことがあるって…いい?」

アナベルの言葉にアキラの心音が不規則になるのをニックは感じた。まだ一緒にいたいと言っているのだ。しかし、

 「いいよいいよ。女の子同士の話は大事だもんね」

アキラは言った。心音は行くなと言っている。

 それをアナベルに伝えてもよかったが、言い難かった。

 何をしでかすか分からない。監視しておかねば…というのが理由だったかもしれない。よく分からない感情が、奥にもあった。



 「フラれたー。他の女の子に奪われたー」

二二九階の家に帰ってからアキラがずっと嘆いている。

 「こんな時は女の子だったらさ、一緒に行けたかもなのにね」

女の子だったら…その言葉に心臓が飛び出るかと思った。

 アキラの心音はいつもより高い。本当に残念で、一緒に行きたい気持ちが伝わってきていた。

 だがお前、本当に女になったらどうするんだ?言ってしまいたい気持ちがあった。


 

*******************



 さっきから、まだふて腐れているアキラを、放っておけと思いながらバイオリンを手に取ったとき、テーブルの上の端末が光った。

 「呼出しか…?」

ニックの声に緊張が乗っていた。



 タワー三十階。

 機器開発工房と超能力研究所の影に『ユグラシル』本部。会議室。

 ドアが開いて、タガラ姫がイサトゥに伴われてやって来た。ニックを見つめ、アキラを見つめてにこりと笑う。

 しかし上座の椅子に腰を下ろすと、瞳の輝きが変わった。十二歳の少女から、組織を統べる鋭い洞察を秘めた眼差し。その場に緊張が走った。


 「例の、酸素横流しの件じゃ」

片膝を座面に立ててそこに肘をあげ、姫が言った。

 月で最初期の地下空間に作られた住居モジュール。そこにフィリドが居たのだが、そのモジュールに酸素を横流ししていた不心得者がいるのだ。クールと姫の花嫁たちとが引き続き調査をしていた。

 たぶん組織であろう。

 だが、動いたのは個人だろう。

 そこまでは想像がつき、詳しい調査が継続中だった。


 「オルタス・テクノロジーという企業は聞いておろう?」

口を開いたタガラ姫に、アキラがすぐに反応した。

 「環境とエネルギー分野で有名だよね?他にもなんか色々と……複合企業?」

そう言って目の前に出されたペットボトルの水を一口。

 こういう真面目な話でも、すぐに回答が出るのはアキラらしいとニックは思った。いつもの軽薄でちゃらんぽらんな雰囲気は、成りをひそめている。

 「そのオルタス・テクノロジーが関わってるの?」

タガラ姫の言葉を待たずにアキラは続けた。クリーン企業なだけに、悪いイメージがわかない。

 「そなたには『ラグナロク』とフィリドの関わりを話しておらんかったな」

そう言ってタガラ姫は椅子からテーブルへ飛び乗ると、アキラの目の前に胡座をかくように腰をおろした。

 「ラグナロクはな、フィリドを首魁としておるが、寄せ集めの組織じゃ。おそらくフィリドの本当の協力者は何人もおるまいぞ。ではなぜ『ラグナロク』か?じゃ…」

タガラ姫の説明にアキラはこくり唾を飲み込んだ。

 フィリドという人間の本質を知った者、その大きな力に魅力を感じる者、ただ暗い目的を持つ者たちが集まった集団なのだという。

 彼らはフィリドを自分達の首魁と呼ぶが、彼らの目的にフィリドが協力することはないらしい。フィリドが自分の目的と一致しない限りは。というのがタガラ姫の見解だった。

 『ラグナロク』という名前もフィリドが付けた名称ではないのだという。



 「今回の酸素の横流しも、たぶんフィリドは直接関わっているわけではないと思われます」

イサトゥがオルタス・テクノロジー本社をスクリーンに映した。

 「知っての通り、月面では『クレイド・システムズ』と並ぶ企業。地球上においても十指に入る複合企業です。月面で酸素の生成はクレイド・システムズが行っていますが、パイプラインはオルタスと分け合っています…」

イサトゥは話を続けた。

 

 そして、本来使われないモジュールにも酸素は供給されてはいる。

 モジュールの保護のためにも、最低限が送られているのだ。

 そのオルタス側が管理するパイプラインから若干の圧力の変化があった。

 保護のために送られる酸素は自然に抜ける。自然減圧ならコンピューターが下がった圧を誤差として送っている。モジュールの圧を保つだけの微量調整だが、その微量を越えていたということだった。

 

 オルタス社側のパイプラインとはいえ、クレイド社が生成した酸素の適正管理のため、誤差データは保管してある。クールはここ数ヵ月の誤差の補正酸素量を精査していた。

 ある期間から誤差の範囲を越えた異常値が出ていたらしい。

 というのが、クールからの報告だった。

 

 タガラ姫の花嫁からの報告では例のモジュール地点から、度々空間の歪みを感じたのだという。

 限定的な歪みという事らしかった。が、いつからそれが起きていたのかは不明だった。


 「ふーん…誰かが勝手にいじってるんだね。きっと」

アキラはあまり興味が無さそうに呟いた。手持ち無沙汰で、手にしたペンを上唇と鼻の間に挟んでモゴモゴさせている。


 「おそらくじゃが、例のモジュールへはフィリドが空間を裂いて移動しておったのじゃろうな?あやつが律儀に手続き踏んで月へ行くとは思えん。花嫁たちが感じた歪みは、フィリドが行き来したそれじゃろう」

タガラ姫はアキラにくすりと笑った。


 アキラがペンを鼻の穴に突っ込んでいた。気付いたニックが後頭部を、パシッと一発。

 「ぃ…ったぁい!」

アキラが睨むのを無視して、ニックが言葉を継いだ。

 「じゃあ、フィリドが供給システムに何かしたとか、か?」

言った。アキラがニックの鼻にペンを突っ込もうとするのを阻止しながらも、声は落ち着いている。


 「そうとも言えるが、そうとも言えんのじゃ」

フィリドは自分の生命維持のために、何らかの方法でモジュールへ酸素を送るようにしていたのかもしれない。

 あるいは第三者が、そこにフィリドがいることを知って意図的に行った。

 「というのが、わらわたちの見解じゃ……やめんか…」

タガラ姫の最後の一言は、生徒の悪戯を呆れて見る教師のような声音だった。

 アキラの両の鼻からスポッとペンが飛び出した。


 「あなた方は全く……」

中座していたクールが戻ってきた。相変わらずふざけてると眉をひそめている。

 「俺は悪くねーぞ」

 「コンビを組んでいる以上、一蓮托生です」

感情を廃した事務的な声。

 「マスターから仕事依頼です」

 「俺たちに?」

ニックが怪訝な顔をした。以前フィリドとアキラの件が落ち着くまでは仕事を依頼しないと聞いたはず。

 「ボクたちにしばらく仕事は振らないってぇ…」

アキラが不満そうに呟いた。

 ニックにはまだ内緒だったが、近々あるファッションショーの依頼を、エンジュさんから受けていたのだ。十代少女をメインとした女の子向けのショー。女装し放題。ここ大事。

 「あなた方に関わることですので」

アキラのぼやきは想定内とばかりに、クールの眉はぴくりともしなかった。



 「先程の話の続きです。酸素の横流しにオルタス社が関わっているのがデータから分かっています。横流しの件はクレイド社経由でも調査を継続しています。あなた方はオルタス社の中の調査を」

クールがスクリーンにデータを入れ換えた。

 一人の男のシルエット。『ラルフ・ベルダー』と名が入れられている。

 「彼を探して下さい。オルタス社の月面酸素供給センターの技術者です。

 不正を告発して異動させられたおりに、どうやら顔写真を削除されたようで、データがありません。

 告発文も揉み消されたようで、それすら見つかりませんでした。

 なので、彼を見つけて直接話を訊いて下さい」

クールが言った。

 「移動部署……本社?左遷なのに?なんか、本社(目の届く所)に置いて監視されてる?」

アキラが嫌な顔をして呟いた。

 「左遷させて飼殺しとか?…ひでぇな…」

ニックも呟いた。



*******************



 「ニック、このドーナツ、スパイス効いてて美味しいよ」

アキラはさっきから買い食い中。

 いい加減仕事モードになってくれ。言っても思ってもアキラはマイペースなので、ニックは空を仰ぐだけにした。もう、なるようになれ。


 二人はオルタス・テクノロジー本社のある街へ来ている。

 タガラ姫の高速飛空艇で四時間近く。


 『ノルディア・ポート』

 年間を通して冷涼な気候の、極に近い街だ。

 地上に二本ある軌道エレベーターの内の一本がこの街にある。


 来て早々、アキラの『美味しいもの探し』が始まって進まない…緊張感のないいつもの仕事風景だった。


 「資料読んだけど、どこもかしこもオルタス・テクノロジーだね」

オープンカフェに飛び込んでカルダモンドーナツを頬張りながら、アキラは周囲の景色をゆったり眺めていた。ニックの苛立ちなどどこ吹く風である。

 あちこちの店のどこかに必ずオルタス社のロゴがあった。この店もコースターやパラソルの角にロゴが入っている。走り去った路面電車やタクシーもだった。

 それもそのはず、この街のインフラ全体をオルタス社が担っているらしい。

 クリーンエネルギーの供給。それを介して利用される上下水道。公共の交通機関も大半がオルタス社が出資しているらしいのだ。

 「こんな貢献してるのに、イケナイ事する人もいるんだねぇ」

アキラが呟いた。アイスコーヒーの氷がカラリと音を立てた。

 「そろそろ行くぞ」

 「待ってよぉ。ベリーケーキ追加オーダーしたの。食べてから」

またこいつは…

 立ち上がりかけて突っ伏して、怒鳴るかわりにアクアビットをイッキ飲みした。

 こういう時酔わないのが恨めしい。



 「間近でみたら、さすが巨大企業って感じだねー」

メタリックガラスの本社ビルを見上げてアキラは言った。太陽の光に白く輝いている様は、氷でできた現代アートの城のようだった。

 「行こうぜ」

フンと鼻を鳴らしてニックが中へ入っていった。



 一階エントランスの床は外壁と同じメタリックガラスだった。センサーが働いているのか、歩くとオーロラのような光が自分を中心に広がる。

 「すげ…」

普段は素っ気ないニックまで、誉め上げた声を出している。

 レセプションには数名のスタッフがアキラたちを見て立ち上がり、最敬礼して出迎えてくれた。


 「当社へようこそ。お取り次ぎいたしますのでご用件を…」

褐色の肌にピンクの唇の女性がにっこりと微笑んだ。

 「お姉さん、唇が可愛いねぇ」

アキラの声のトーンが一段あがった。ニックがまたかと天井を睨む。忘れてたが、アキラはこういう奴だった。

 「おまえは黙れ。アポはないんだが、ラルフ・ベルダーに面会したい」

まだアウアウ言っているアキラを押しのけてニックが言った。

 「申し訳ございません。そのような方は当社に在籍しておりません」

言ったが、彼女が一瞬だけ息を飲んだのをニックは聞き逃さなかった。

 「いや、ここにいると聞いたんだが…?」

食い下がらない。催眠が使えたらすぐに聞き出せただろうが、使えないと回りくどいものだ。奪われたのが悔しい。

 立ち去ろうとしない二人に、彼女は同僚に話しかけている。同僚の彼女はもとは黒髪なのだろう髪を金色に染め上げたショートボブの女性。どっちも可愛い系だと、アキラは2人をにこにこと観察していた。

 何度もチラチラとこちらを見ては話し合っている。

 「やはりどの部署にも、そのような名前の方はいませんが…」

 「えぇ?お父さんいないの?」

言い終わらないうちにアキラが声をはりあげた。またこいつは突拍子もなく…。ニックはやれやれと頭を振った。

 「ここにいるって聞いて来たのにぃ」

その直後。

 「あの人ってこんな大きな子…」

 「しっ!」

二人の会話にアキラが反応した。にんまりと悪戯が成功したような顔をしている。

 「やっぱりいるんじゃない」

振り返ってウインクしてみせる。ニックは呆れつつも、よくやったと親指を立てた。

 「私達が言ったって、内緒ですよ」

ピンクの唇の女性が、カウンターから身を乗り出して囁いた。

 「広報資料管理課…これだけで分かってください」

囁くようにアキラの耳元で言った。

 「ありがと。口止め料、お姉さん達とボクとで……」

ニックが余計なことはいいと、アキラの襟首を引っ張り出した。アキラはまだ喋っている。

 「デートでいいよぉー。きっとだよぉー!」

ずるずる……



 「広報資料管理課って言ったよね。この本社敷地内の地図見てもさ、それっぽい建物無くない?」

ホール入り口に映し出されるエリアマップを指で上下左右に動かしながら探すが、目的の部署も建物も出てこない。

 「広報資料って…このビルの中にそんな部署、無いしな。これか?外れにある情報保管庫…?」

広い敷地の外れをニックは指差した。

 「でも、部署じゃないよねぇ?とりあえず、行ってみる?」

 「ここで、いつまでも迷ってられねーしな」

二人は顔を見合わせ、うんと頷いた。



********************


 情報保管庫。

 日当たりも悪そうな、本社敷地の端にあった。建物の後ろは半ば藪に覆われ、普段はあまり見向きもされていないといった佇まいをしている。

 三階建一軒家ほどの倉庫風。窓は明り取り程度といった感じで大きくはない。

 「人がいる気配、無ぇのな?」

 「だね。ちょっとだけ見てみよっかな?」

右目の遮蔽コンタクトを外そうとしている。

 「まだ訓練始めたばかりだ。やめろって」

ニックの家に同居してから、アキラは透視のコントロール方法をニックから教わっていた。

 研究所で訓練してもよかったのだが、全ての音を聴く自分が受けてきた方法の応用だと、ニックが訓練を買って出たのだ。

 しかしアキラは不真面目この上なく、後悔した。分かっていた。分かっていたはずなのに、なんで自分が出すぎたことをしてしまったのか?

 だが、やると言った以上はやる。

 

 「いいか?壁に触れて感触を確認。その触れてるのが、目の前だってのを意識する。確認できたら、遮蔽コンタクトを取れ」

ニックはアキラの肩に触れながら言った。

 ニックの触れる手は最後のアンカー。アキラが壁の感触を意識できなくなった時の、守り手となる。

 壁の色や質感、温度を左手で確かめながら、アキラはそっと遮蔽コンタクトを外した。

 壁がある。

 その向こう数メートル。

 ドキュメントケースの並ぶ書架。

 キャビネット。

 ファイルチェスト。

 表彰楯や記念品の並ぶ棚。

 閲覧用デスク。

 細い階段。上も…その上も…。


 「誰もいない…よ……?」

集中が途切れたとたん、視界の一直線上のものが全て重なった。

 全てが動いているから目眩のようにぶれて船酔いのようになる。

 「あうぅ……ぎぼぢわるぃぃ…」

吐き気に倒れかけるアキラを、慌ててニックが抱き止めた。

 「おい。こっちに集中!俺の心音、聞け」

ニックは吐き気で口を押さえるアキラの耳を、自分の胸に密着させた。

 「吐くぅ…」

 「吐くなっ!」

ポカッと頭を小突いた。


 「死んじゃうよぉ。ゲボっていい?」

ようやく落ち着いてきたのか、アキラの軽口が始まった。

 「ボクの右目ちょうだい」

視界を次第に近距離に戻しながらアキラは言った。一番近距離のニックに戻る時が二度目の吐き気のピーク。内蔵が見える。

 遮蔽コンタクトを受け取ってようやくほっとした声を上げた。

 「中は書類棚とかばっかり。人が常時いるような雰囲気じゃないよ。あとニック、パンツはいて」

心音をあてがっていたニックは、慌ててアキラを突き放した。

 「どこ見てんだ、あほ!」

 「あれ?ホント?冗談だったのに…」

 「この阿呆ヤロー!」

アキラが痛いと喚くのもかまわず、こめかみグリグリ攻撃。

 ニックの顔がほんのり赤い。

 こめかみ攻撃は地味に痛い。



 「こうしちゃいられね」

最初に自分を取り戻したニックが声を上げた。

 仕切り直し。


 まず次にどうしようか?という話になった。

 プラチナタワーの本社へ行って、あの女性たちに訊ねても、もう話してはくれないだろう。

 人の心を覗くような読心は使いたくない。かといってニックは催眠術を使えないし、地道に訊いて回れば不審者だ。

 「なんかいい案あるぅ?」

 「案ったってなぁ」

困った。

 「うーーーーん?とりあえず、なんか食べよっか?」

ポンと手を叩いてアキラは言った。


 二人とも開発工房で作られた黒いスーツだが、裾の長いフロックコート風。

 いくつか機能があるが、アキラが何より気に入っているのはポケットが深いこと。なんでも入る。特におやつとか、おやつが…

 「どんだけ出てくるんだ?」

近くにあったベンチの座面に次々とポケットから出されるおやつの数々に、ニックは呆れた声をあげた。

 「どんだけ?わかんない。いっぱい入るんだもん…あ…チョコレート、軒並み溶けてる」

ひっくり返したポケット裏がチョコレートまみれになっていた。

 ハルエさんがぼやきそうだ…思う間もなく反対のポケットからは紙パックのりんごジュース、ブドウジュース各二個ずつ

 「重くねーのかよ?ってか、スーツのポケットってそういう使い方でいいのか?」

形が崩れる。見た目が良くない。が、アキラのポケットはいつも遠足にいく幼稚園児並みに詰め込まれていた。

 「重くないよ。大事なおや…つ…!」

紙パックのストロー口を開けそこなって、豪快に吹き飛ばした。ジャケットも手もジュースまみれである。

 「もったいなー!」

 「じゃなくて、ガキ!中まで濡れるから脱げ」

子供の世話か?ニックは眉間に皺を寄せながらアキラの上着を脱がせ、水滴をバサバサと払った。

 「手も。…グローブもだ。ったく、ガキ。本っ当ガキ!」

なんで、でかい幼稚園児の世話しなきゃならねーんだよ。おれは母親か?

 ぼやきたかった。当の本人はニックに世話を焼かせて涼しい顔でミントチョコをつまんで…

 固まっている。

 手、グローブを外していた。


 ミントチョコをつまみ上げながら、次の行動を考えていた。

 『ラルフ・ベルダー』『広報資料管理課』どこだろう?考えるというより、思いながらさりげなく触れたベンチの背もたれ。

 映像が見えた。


 『どこに、誰に言えばいい?』悩んでいるような独り言を呟いている。誰?

 アキラは慌てて手を離したが、断片的なイメージと、ここに座った者の思いが流れ込んできていた。

 『上層部、どこまでグルなんだ?』

 『月』

 『告発文』

 『酸素』

ほんの数秒だったが思いと星空と張り巡らされた配管や見つめる数値。そして最後に出た

 『左遷』

 『ブランドコミュニケーション課』

たぶんラルフ・ベルダー本人の思いだ。触れていたのは数秒。

 ここに座っていた、一番新しい過去だ。


 「ってことは、あの案内スタッフにまんまと騙されたわけか。ちくしょー」

ベンチの上でニックが空を見上げながら悪態をついた。

 「可愛いのに平気で嘘をつくなんてー」

ニックの悪態に合わせるようにアキラも言った。

 「おまえも平然と嘘つくけどな」

言葉につまった。いや、あれは嘘じゃなくて芝居。

 「芝居も嘘も作り話だろうが」

ニックがにぃっと笑った。笑って、ポケットからスペアのグローブを渡してくれた。

 「有り難い。かたじけのぅござる」

両手で捧げ持って芝居をしたら、ニックに頭を小突かれた。

 「その『ブランドコミュニケーション課』ってのがラルフの配属先なのか?」

ミントチョコを口に放り込みながらニックが言った。珍しく甘いものを食べたのに驚いた。

 「長ったらしい名前つけやがる」

二個目。かりっとミントのキャンディ層をかじるとビターチョコの苦味が広がった。



*******************



 ニックが言う長ったらしい名前の課は、本社から数百メートル離れた別棟の地下にあった。

 ただ管理棟と書かれている、五階建てのビル。

 「管理棟って何の管理?離れのビルに地下部署。なんか『隠してます』って感じだよねぇ」


 中を覗くが誰もいない。ちらほら人の姿はあるものの、こちらを気にする風でもなかった。

 「さて、行きますかー」

軽い口調。何かやらかしそうな気配に、ニックはぞわりとした。



 「すみませーん!うちの課にブランドコミュニケーション課の荷物混じってたんで持ってきましたー!」

アキラは手近にあった空の段ボール箱を手に取って声を張り上げた。誰かが地下まで持っていけと応えて、顔を引っ込める。

 「行こ」

上出来でしょ?と言わんばかりの笑顔をニックに向けてアキラは奥の階段を目指した。

 声をかけておけば見つかっても不審者にはならないと、ニックには思いつかない発想だった。


 この時代に地下への通路が階段ひとつ。それが、特段用の無い部署があるのだと雄弁に語っている。

 廊下の天井に有機発光のパネルが等間隔に並んでいる。が、パネルの間隔が長いあたり、常時使われているような施設にも思えない。

 何かの倉庫らしいドアが両側に互い違いに並び、奥にトイレと給湯室。その手前の部屋が『ブランドコニュニケーション課』

 他にも部屋はあるのに、あえていちばん奥。左遷先には持ってこいという感じだ。

 いかにも『いずれ無くなります』という。


 見せられた資料の、顔の無い名前だけの社員。消された告発文。幽霊のような部署。


 彼自身が消される可能性もあるから、早いうちに接触しろとクールに言われたのが、現実味を帯びた。


 部屋のドアは開いたままだった。

 三回ノック。気配がなくてもう二回。


 奥の方から男が一人現れた。

 四十代位の白髪交じりの男。いや、肌の感じはまだ若いかもしれない。

 「ラルフ・ベルダー…さん?」

アキラが声をあげた。

 「そうです…が。…誰ですか?」

声の張りはやはり若そうだ。

 「あんただけか?」

ニックが後ろ手にドアを閉じた。周囲に目を配る。資料の山と人間ひとり。

 「月での件で…」

ニックが言葉を続けようとすると、彼は視線を泳がせて奥の部屋へ二人を引き入れた。


 「誰か知りませんが、月の話はやめて下さい。あっちには監視カメラが回ってます」

ラルフは囁くような早口で言った。

 「ここはカメラは無いの?」

 「ありますが、そこの資料で山をつくって死角を作ってます。外の部屋にも三台あって、入り口のカメラはこっちを向いているので、ここだけが自由なんです」

アキラたちが入ってきたドアの上のカメラは、まっすぐこちらを向いていた。

 この開け放たれた切り出しの入り口の裏の、壁際だけが死角になっているのだ。


 「月面の酸素供給の全体はクレイド社が管理してる。だけどオルタス社側から誰かが廃モジュールに酸素を流してるのをこっちでも掴んだ」

ニックが言った。

 その後誰かがそれを告発したこと、それによって左遷されたらしいこと。

 それが『ラルフ・ベルダー』という人物で、顔は消され、告発文さえ無かったことになっていることも話した。

 「あなた方はクレイド社の方?」

月の酸素供給はクレイド・システムズとオルタス・テクノロジーの二社が行っている。どちらも月面開発の初期からある企業であり、地球上においても十指に入る巨大複合企業だ。資本金においても、この二社は取り立てて大きい。

 「どっちも関係ないよ。ボクたちはあなたが告発した内容が知りたいだけ」

アキラの言葉に、彼は微かに安堵と怯えの表情を浮かべている。

 「本当に関係ないのですか?」

まだ信用できないでいる。

 アキラは名刺サイズの透明な身分証を見せた。自分の顔をかざせば名前や生年月日、居住地や職業など基本情報が表示される。

 公的機関から発行されるので嘘は表示されない…はず。身分証などじっくり読んだことがないのであやふやだ。クールという書き換えに長けた人物がいるので、どこまで本当か分かりかねる。

 が、ラルフはやっと安心した顔をした。

 外部との接触も社の敷地から出ることさえもできず、誰かが来てくれたら?と儚い希望を抱いていたのだ。

 ニックが周囲を見渡した。

 

 何かのセンサーらしいカチカチと低い音。それに集音マイクらしい、かすかな揺らぎを感じる。手近にある紙とペンを取った。

 『会話聴かれている。大事なこと、話すな』

アキラもラルフも頷いた。

 『廃モジュールに酸素を流していた上司、いました。

 流量が多いため、気になったので個人的に調べました。

 月面での酸素供給統括部の副部長でした』

 『名前は?』ニックがペンを走らせる。

 『レナルド・グララース。告発文のデータは家に隠してます。終業までは動けません。

用意します。』数秒、ラルフの手が止まった。

 『明日、朝一でまたここへ』再び思考の後にペンを走らせ、そのまますぐにシュレッダーに会話した紙を投入した。

細かい紙吹雪となりダストボックスに消えていくそれを眺めながら、会話することなく三人は別れた。

 

 

 翌日。

 急遽クールに作成を依頼したオルタス社員証を引っ提げて、二人はラルフのもとへ向かった。

 暗い階段を降り、一番奥をめざす。

 

 昨日同様ドアは開け放たれ、死角の壁の向こうで人影が動いている。

 『データです』再び筆談が始まった。

 数枚の紙とともにメモリーカードが封筒に納められている。

 『あなた自身も保護したい』ラルフも連れ出せとは、タガラ姫からだった。

 昨日、ラルフのいる部署の報告をした際に、タガラ姫が怪訝に思って読んだ先読みがある。

 やはり、いずれ無きものとされるだろう。彼を保護せよとの事だった。

 『カメラがある以上、身動きは取れません』

 『無けりゃいいんだろう?アキラ、この部屋のカメラを壊せよ』ニックの案に、アキラはポンと拳を打った。

 外の部屋に三台。この部屋一台。

 手のひらをカメラへ向ける。

 壊れるイメージ。ぎゅっと手の上で何かを握りつぶすイメージ。

 ごとりと、まず一台が部屋の隅の天井からぶら下がった。

 二台目、三台目、四台目。ごとりごとりと天井からぶら下がったり握りつぶされたような形にひしゃげた。


 「見事だな…」

壊れたカメラを眺めてニックが呟いた。

 「もっと褒めて」

にへらっ!

 「調子に乗るな。ビル入口と階段の登り下りに、カメラ一台ずつは確認したけど、他を見てくる」

そう言ってから言葉を切り、アキラを睨んだ。

 「ここから出るなよ。フラフラ勝手に見学ーなんて、出歩くな」

胸ぐらに人差し指を突き立てた。どこでフィリドに遭遇するか分からない。

 もうあんな、胸がキリキリする思いはごめんだ。

 「分かってるよ。ラルフさんもいるし、ボクはここで彼を守れるようにしとくから」

言った。が、そう言ってもフラフラの自由度が高すぎるのがアキラだ。


 やはりというか、当然のごとく、アキラはニックがいなくなると自分のポケットをガサゴソ始めた。

 「あなた、超能力持ち?」

ラルフが天井からぶら下がるひしゃげたカメラを眺めて言った。

 「うん。そ。でもね、力使うと甘いものが欲しくって…じゃなくってもスイーツ好きだけど」

ケラケラと笑って、ポケットの底からチョコ菓子を取り出した。

 「あちゃー。これもまた溶けてた。でも食べられない訳じゃないけど…」

小学生でもやらないような、指をチョコまみれにして頬張った。一つ二つ、三つ目は生チョコが原型をとどめていない。

 なんだこの子は?ラルフは子供のような行動に言葉を失って、ただ見つめていた。

 「て、手を洗ったらどうです?すぐ隣が給湯室ですから」

チョコまみれの青年が指を一本ずつ嘗めとる姿に頬をひくつかせて言った。

 童顔だが、身分証を持っているということは成人している。しかし行動が子供じみていて、笑っていいのか呆れていいのか分からなかった。

 じゃあ、お言葉に甘えて~などと軽い口調で消えていった。



 アキラは隣の給湯室へ向かおうと部屋を出た。

 長い通路。照明と照明との間隔が開いているので薄暗い。陰気臭い。ラルフはよく我慢していられると思った。

 ニックの姿は階上にあるのかもう見えない。

 通路へ出るときに何か空気の圧のようなものを感じたが、それは一瞬。

 調子っぱずれの鼻歌交じりで手を洗い、給湯室を出る……。

 ところへ黒いスーツ姿の男と鉢合わせした。誰かが来るなんて珍しい。

 

 「あぁ?アキラ?どうしてここに?昨日、アキラのような人影を見たと思ったけど、やっぱりアキラだったんだね」

 「あれ?ラグリス?…こそ、どうして?」

黒い髪、漆黒の瞳のラグリス。アキラと認めてふんわりと優しく微笑んだ。心がほんわり温かくなる。

 「外部委託の広報担当なんだ。時々ここへ出向してきてる。また会えて嬉しいよ」

 「ボクもだよ。ラグリスって色々やってるんだね?」

マジシャンだと言っていた。どういう関係でここにいるのか不思議でしかたがない。

 

 いやそれより、皆がこぞってラグリスに気を付けろと言う意味が分からなかった。

 「いろんな仕事をして、マジックの研究だよ。アキラは?」

にっこりと微笑んだ。こんなに優しく笑う人が何か企む。そんなわけないと、疑う余地はなかった。

 「うん。ボク…も…、ひみつでしたー」

仕事の事を誰にも知られてはいけない。鉄則。てへへと笑って誤魔化した。

 「秘密か…。でも、秘密だって言った時点でアウトじゃないか?」

クスッと笑った。

 「あ…。聞かなかったことにしてぇ」

 「どうしようかな?」

ラグリスがアキラの頬を優しく撫でた。以前よりまろみをおびた柔らかい頬。肩の線も優しくなっている。

 「話をしよう。ここへおいで」

アキラのジャケットの内ポケットへ、ラグリスは何かを押し込んだ。

 「それと、好物。またね」

アキラの手にポップキャンディを持たせ、蕩けそうなほど優しい笑みを残して、ラグリスは去っていった。


 ラグリスが触れた頬を撫でた。持たされたキャンディを見つめた。チョコバナナ味。

 頬にラグリスの温もりはもう無い。けれど、あんな優しいお兄ちゃんがいたらいいな。そう思った。

 どんなわがままも、文句言わずにいてくれそうな気がする。おやつもくれる。

 どこかのバイオリニストと違う。

 いや、あれはあれでいいんだよ。なんていうか、ブレーキ役?

 苦笑した。


 苦笑しながら給湯室を出ようとして、ニックと鉢合わせした。

 「今、来たの?誰かとすれ違った?」

時間的にラグリスとご対面。なんてしていると思ったのだ。

 が、ニックは誰ともすれ違っていないと首を振った。それがかえってニックの勘を鋭くする。

 「誰かいたのか?ここに?」

 「誰も会わないよ」

『会わない』と言った。ニックは『いたのか?』と訊いたのに。問い質したいのを飲み込んだ。

 言うより、心臓が一番正直な反応をしている。アキラの動揺する心音。

 

 またあいつがいたに違いない。

 たぶんラグリスだ。

 アキラの前でしか姿を現さない、黒髪の男。善人面でアキラに近づく、フィリドの仮の姿。

 しかし詮索している暇はない。ラルフを連れてここから出る。

 社の敷地から。

 この街、ノルディア・ポートから。

 空港の端の駐機場ではタガラ姫がもう来ているはずだ。


 「この通路は階段下だけ。階段の下り口に二ヶ所と一階に四ヶ所。あと吹抜けの天井に二ヶ所ある。できるか?」

少し視線を合わせにくそうにしているアキラの目を見て言った。

 「シナモンロールとセムラ。あとラズベリージュース奢ってね」

アキラには『できる』と『スイーツ奢れ』は同義語らしい。ニックはそんなにかよ?と眉を寄せたが拒否はしなかった。

 「誰かに見られたくないから、ここでイメージちょうだい。今見てきたやつ」

両の手のひらを上向かせて出した。

 月から帰ってきて、アキラの能力のパワーが上がってきている。

 フィリドが力をアキラに戻したことで、本来の力が戻っているらしかった。

 あと一つだと、アキラは言っていた。気付くとかの表現は使わず、あと一つで全部戻るのが『分かる』と言っていた。


 「まずは階段下な」

警戒と不信感を振り払って、アキラの手のひらに自分の手を重ねた。

 タガラ姫がアキラと繋がりを太くしてくれたことで、力の交換がスムーズになっている。イメージも然り。

 

 ニックのイメージを受け取る。

 この地下の階段。頭の上。

 奥へ向かってレンズを向けているカメラ。

 赤い小さなランプがチカチカとしている。

 レンズの中心に、金属の針を打ち込むイメージ。中の部品だけ壊す。誰も壊れたことに気がつかないように。

 まずは一つ目。

 次─。また次…。


 全てを破壊し終えたアキラの顔が、相当に青ざめている。

 持参した、溶けたチョコレートもキャンディも底を尽きかけ、さっきのポップキャンディを頬張った。

 「変なんだよ。パワーアップしたはずなのに、おかしく力が削られるんだよなぁ?」

少し震える手でキャンディの包みを開いた。

 そ知らぬ振りをしたが、ニックにはそれが分かる気がした。

 本人は気付いているのかいないのか、顔の造作に少年より少女のような雰囲気を感じる。

 肩の線が優しくなり、腰の肉付きが良くなってきていた。見たくないのに『なんか変わった?』と見せてくるからわかった。

 見せるな。


 「歩けるか?」

 手がかかるとでも言いたげにニックは細い眉をあげた。

 「フラフラするけど、大丈夫だよぉ。ラルフさんも、行こ」

指先がわずか震える手を、アキラは差し出した。少年の姿と、妙に少女らしい手の

アンバランスさに違和感を覚えつつも、それよりは大事な事実をラルフは告げる。

 「まだ人感センサーが作動しています。動きがないと誰かが来ます」

 ニックが盛大に不機嫌になった。

 「監獄かよ?」

 その例えにアキラが笑ったあと、ふと思い出したように言った。

 「たまに動けばいい?」

 言いながら、くいくいと手招き動作。

 「何やってんだ?」

 「うん。猫ちゃん!」

 突然、大型の猫が二匹入ってきた。

 「へ?どこから?」

 「入り口からだよぉ。ここのロビー、人がいないから誰でも入れるね」

 アキラがけらけら笑って言った。論点はそこじゃないのだが……。いつも突拍子もない奴が、今日はひときわぶっ飛んでいる。


 「なんかね、その動物と波長を合わせるっていうか……説明できないけどできる」

 前回、あの異空間でフィリドから返されたのはこの能力らしい。

 あの時も帰りはたくさんの猫を引き連れて子どもたちと空間の裂け目から地球へ帰ってきた。

 猫サーカスの猫達だから、人慣れしているのだろうと、あの時は深く追求はしなかったのだが、この力のせいだったのだろう。

 目を丸くしているニックとラルフの足下で、二匹の猫はぐるぐるとアキラに甘えていた。

 「君たち、ここで適当に遊んでてね。たまにうろついて、寝ててもシッポはパタパタさせてね。終業時間になったら森へ帰るんだよ」

猫に言い聞かせている姿がシュールだ。

 「なんだよそれ?そういや前に俺にダンゴムシくれたのも、鳥の群れが来たのもそれか?」

 『ライフパルス』とアキラは言った。幼いときにダンゴムシを集めて遊んだのはただの遊びではなかったようだ。あの、ルトを襲わせた鳥の群れもそうだったのだろう。あの時はただ、子供の頃を思い出したからできたことだったらしいが、今回は明確な意思でコントロールしている。

 「そだね」

アキラは笑った。

 「って、お前はどんだけ規格外になるつもりだ?」

頬を引っ張った。

 「いだいいだい!わからないよぉ!」

涙目になってニックを睨んだ。

 「ひどいや。ボクだって分からないよ。そんなのさ。それに規格外ってなんだよ。褒めてないでしょ」

ぶぅと口を尖らせた。

 「もう!行くよ」

 「もう。じゃねーよ。頭いてー、胃がいてー、お前の面倒見るの、もう嫌だ」

 ニックが盛大にぼやくのを、この二人には不思議な絆があるようだと思いながら、ラルフは苦笑して見ていた。



*******************

  

 離れのビルの管理棟。


 こんな清々しい気持ちで見上げたのは初めてだとラルフは思った。

 入社してすぐ月面支社へ行く事になった時は、この会社に多く貢献しようと思った。

 しかし上司による不正が部署ぐるみで、もしかすると会社ぐるみかもしれないと思うと、もうこの会社に忠誠は誓えないと思っていた。

 よかった。

 改めて思った。


 「ラルフさん、なんだかスッキリした顔してるよ?」

 並んで、アキラが見上げて言った。ニックとそれほど変わらない背丈。自然光にさらされた顔は、見た目以上に若い。

 「ところで、ラルフさんっていくつ?」

 「三十です……」

 彼が言ったら、ニックが驚いた。おじさん好きはもっと歳上を想像していたらしい。

 「苦労したんだねぇ」

泣き真似。

 「こっちに来てからストレスで白髪がふえました」

苦笑している、

 「あんな所に押し込められてりゃ、そうなるよな。ま、もとに戻るだろ」

なんとか気を取り直したニックは言った。が、頬がひくついているのは見逃がさなかった。絶対迫るパターンだったはずだ…。絶対に…。アキラは思った。



 空港の外れにはマスターが私的に使う格納庫があり、そこに高速飛空艇が駐機している。

 タガラ姫が待っていた。

 

 「タガラちゃん、今回は変なことにならなかったよぉ」

顔を見たとたんに、幼い姿の少女の手を取って小躍りしながらアキラは言った。忘れている。ラグリスに会ったことは絶対に忘れているはずだ。

 「『姫』を付けよと何度言えば分かる?」

対してタガラ姫は幼い黒い眉を寄せて、不機嫌な表情を隠そうともしない。

 それから空気を切り替えるように小さな手がぱん!と打たれる。


 「まずはデータの確認と精査をするでな、しばし時間を潰しておれ」

そう言うとタガラ姫は同行のイサトゥとクールを伴い、ラルフと共に飛空艇の会議室へと消えた。

 「タガラちゃんさ、意外とメンクイだよね。ニックに優しいもん」

ふてくされている。ニックにはいつも可愛い笑みを見せ、頭を撫で回して時に頬を染めているのだ。

 「おまえに振り回される俺に、同情してんだろーよ。少しは黙ってろ」

ニックの眉が吊り上がった。

 はい。ぐぅの音も出ないです。喉の奥で呟いた。覚えがありすぎて軽口が出てこない。



 それを見てニックがふっと笑った。

 「空港のモール、行くか?おまえの好きそうなカフェやら、店がたくさんあったぞ」

言われて、切り替えは早い。

 よし行くぞとニックの手を取って歩きだした。早足でニックの足がもつれる。心臓が慌てている。

 それに今笑った顔、いつものアキラに見えなかった。眩しげな笑顔は、楽しいことを見つけた少女に見えた。

 本人は気付いているのだろうか?

 ここ数日で表情の柔らかさが違ってきている事を。数日前、襟足ほどだった髪の長さがいきなり伸びている事を。



 「ボク、シナモンロール食べたいぞっ」

勇んで進んだ。待っているのはシナモンロールと甘いカフェラテ。ニックに構っていられない。

 マスター所有の格納庫から空港のビルまでは徒歩で数分。並んで歩いた。

 一緒に歩いていると歩幅が違うので、アキラが次第に置いていかれる。

 ちょこちょこと追いかける。

 少し歩いては追い付くのを待って、また歩き出す。

 自分のペースが欲しい。

 「子供を散歩させてる気分だ…」

苦笑した。

 「だったら足!その足長くすんなよもぉ!」

足に文句を言った。ニックはアキラが反論できないのを分かってて、カラカラ笑っている。アキラがちょこちょこ来て蹴飛ばそうとするのを守備の長さでさらりと躱し、畳み掛けるように笑った。

 「悔しかったら、足、長くなってみやがれ。できねーだろー」

笑いながら、この距離感だったとニックは思い出していた。

 日に何度も、目の前で消えたアキラを思い出す。

 月への往還機の中、アキラの跳ねる心音を聞くしかなかった数日は、思い出すだけで腹の底に悔恨の黒い塊がわき上がる。

 アキラをフィリドから守らなければならない。その意識にとらわれてこの数週間は、身の置き所が分からなくなっていた。


 そうだこの絡み方、距離感が心地がいい。



 空港内のテラス席に身体を落ち着けると、アキラが早速注文を始めた。もう事前にリサーチしていたとしか思えなくて苦笑した。

 「ほんっと、こういう注文だけは淀みねぇな」

 「褒めてる?」

セムラのクリームを頬に付けたまま、にしゃっと笑った。

 「ない!」

眉をあげて言いきった。

 「ところでよ。監視カメラを確認に行って戻ってきたとき、俺『誰かいたのか?』って聞いたら、お前『誰にも会わない』って答えたよな?」

言われて、鼻にもクリームを付けたままニックを見つめた。視線があちこちに飛んでかなり挙動不審になっている。

 「居たんじゃないのか?たぶん、ラグリス。お前が一人の時にしか現れない奴」

続けて言うが、アキラは無言のまま。

 

 かちゃりとブランデーの香り漂うコーヒーカップが、皿の上に置かれた。ブラウンの瞳がじっと見つめてくる。

 うっ!見つめないでー。とばかりに、目を閉じた。

 クスッと笑う声。

 「図星か」

にっと笑っている顔が見えた。責めても怒ってもいない。アキラは、やっぱりアキラなんだなというような、事実を確認する笑顔。

 「俺の耳、誤魔化すのは難しいぞ。お前の心拍、速くなったんだぜ。嘘ついてる時の音だった」

こつこつテーブルを叩いている。

 「うーっ。反論の余地もござらん」

焦って、食べてるスイーツの味が分からなくなっている。

 「ラグリスが何を言ったか、今は聞かねぇ。でも、アキラ。あれがフィリドだって、みんなに言われただろ?」

ニックが声を落として言う。

 言われたけれど、自分の中ではイコールで繋がらない。あの、冷えた無機質な藍色の瞳と、ゆらゆら揺れる暖かみのある黒い瞳。同一人物に思えないのだ。

 「俺はお前を監視したいんじゃない。ただ、お前に何かあったら三度目だ。守ってやるって自信なくなる」

何かを飲み込んだような物言いに胸が苦しくなった。

 エドワードさんというパートナーを亡くしているニックには、誰かを失なうという気持ちが耐えられないのかもしれない。

 もしかすると不安なのかもしれない。そう思うと素直な言葉が飛び出した。

 「ごめんね。もっと気を付けるよ」

しばらく見つめられて、無言。

 それからニックがくすりと笑った。アキラへの皮肉めいた笑いだ。

 「もっとじゃねぇよ。『しっかり』『必ず』だ!」

 「いぃぃいひゃいぉぉ」

頬をつねられた。場の空気を変える時の暴力的行為に、アキラは涙目で抗議した。


 「ふんっとにもぉ。暴力反対」

膨れっ面で赤くなった頬を撫でている。

 「暴力じゃねぇ。愛のムチ」

 「その愛、いらないから……」

間髪入れずの言葉の応酬に、ニックはふっと笑った。

 「お前といると、緊張感なくなるな。そろそろ戻るぞ」

 タガラ姫からのテレパシーが届いていた。そろそろ戻ってこいと、ニックへ。



 タガラ姫の飛空艇が格納庫から出ていた。

 『SIL(シル)セラフィム』青いボディの水陸両用高速艇。太陽に晒される姿がイルカをデフォルメしたようで、タガラ姫の愛らしさを思わせて可愛いとアキラは思った。

 中に小さな会議室に仮眠室まで備えられて、アキラ曰く『空飛ぶ札束』だそう。

 SILと頭にあるあたり、アキラたちが副業としている組織のマスターとの共同開発なのだろう。


 ラルフはこのまま、アキラたちと国外へ出るということらしい。技術者としては優秀なので再び月へ、クレイド・システムズ社の社員として行きたいと、彼の希望だ。

 「クールの調査とラルフの独自の調べから、例のモジュールへの酸素供給はフィリドとは関係なく動いたようじゃよ」

タガラ姫は言うと、ニックへ跪けと手をヒラヒラさせた。

 幼い手がニックのブラウンの頭を愛おしそうにわしわし撫でて、ニックは文句も言わずに撫でられている。見ようによっては、姫君に仕える騎士のようだった。やっぱり贔屓だ。アキラはにまっと笑った。

 

 「ところでアキラよ。わらわに隠しておることがあろう?」

タガラ姫に言われ、アキラは首をかしげた。

 ラグリスに会ったことはニックに話したし、なんだろう?全く分からないといった顔だ。

 「その着ているものの、ポケットじゃ」

きょとんと目を丸くしてジャケットを脱いだ。バサバサとひっくり返すと出てくるおやつの数々に、ニックが頭を抱えている

 最後に内ポケットからはらりと、二匹の蛇が絡んだカードが出てきた。ジョーカー。

 ニックが見覚えのあるカードに眉を寄せたが、アキラは初めて見る。拾い上げようとしてタガラ姫が厳しく制した。

 「何が仕掛けられておるか、分からんぞ」

手をカードにかざした。しかしアキラは警戒も怯えもなくそれを拾った。

 「うん。ただのカードだよ」

なにも感じるものがない。なにか細工がされているようなものが、指先からは伝わってこないのだ。自分でそれが不思議だった。どうしてそう分かるのかも分からない。

 これがただの紙切れで、それ以上でも以下でもない。

 ただ分かる。

 その感覚が不思議だった。


 タガラ姫が見つめてくる。幼いのにその瞳は年を経た熟達した光が宿り、見透かされているようで落ち着かなくなる。まるで教師に悪戯を見咎められたようだった。

 「ま、そなたが言うならそうなのじゃろ」

あっさり、それだけで終わった。『あほぅ』も『たわけ』も言われなくてほっとしている。

 「帰るぞ。ハルエのダシマキが食べたいものじゃ」

 くるりと踵を返し、高速飛空艇へ乗り込んだ。

アキラはカードをくしゃっと丸めた。ただのカードに用はない。ぽいっと放り投げた。

 それからニックと飛空艇に乗り込み、数日滞在したノルディアポートの街を後にした。



 蛇の絡んだジョーカーのカード。気付いていなかった。

 『あと一つ』そのメッセージがあることを。

アルファポリスにあげてる話に追い付きました。


ここから後の更新、不定期になります。

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