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誰かが笑った 3

 空港の外れの、マスターが所有する格納庫の中。タガラ姫の高速飛空艇の中に入った。



 「お帰りなさいませ。ニコラス様」

メインデッキに入るとハルエさんが待っていた。アイロンのかけられたスーツを手にしている。

 「お着替え下さい。それと、お食事を用意してます」

ステージ衣装のままだった。腹も少し減っていた。十三年間生活を支えてきた、彼女の気配りは完璧だ。


 着替えた。

 ジャケットの裾が長いフロックコート風。

 「素材は穿刺に強く、加えて防火仕様。ボタンはちぎって衝撃を与えると相手能力者の遮蔽効果がございます。ある程度の肉体や精神への攻撃を避けることができるそうです」

ニックは腕を動かし、体を捻って動きを確かめた。バイオリンを構える格好もしてみる。悪くない。

 「その眼差し、エドワード様を亡くされた後、何かを決意したときと同じ眼差しですね。まるで氷の刃ですわ」

感慨深げに彼女は言った。言葉を失った。

 あの時は確か、エドワードの思い出と一人で生きていくと決意していた。

 今は、アキラを取り戻すと誓っている。



 「男前じゃのぉ。美人じゃのぉ」

タガラ姫がやって来て眩しそうにニックを見た。すらりと立つ姿は、ステージ映えする美しさだ。デッキの外で女たちが色めいていたのも納得だと姫は思った。

 「俺はどうすればいい?手がかりはあるのか?」

タガラ姫の前に立った。

 姫は見上げてにっこり笑った。右手をあげて手をヒラヒラさせている。撫でらせろということらしい。跪いた。

 「わらわの花嫁達がフィリドの痕跡を探しておる。あやつ、空間の隙間を利用することに長けておる。さすが、マジシャンじゃ」

タガラ姫が感心した素振りを見せた。

 「ニコラスも持てる力を使うがいい。アキラとは力の繋がりができておるのだからな」

幼い手がニックの頭を優しく撫でた。不思議な温もりに頭頂から包み込まれた。

 「声は聴こえなくとも、命は聴こえるじゃろ?感度をあげようか?」


 とくんと、遠く鼓動が聴こえた気がした。不思議な感覚。

 「何かしたのか?」

 「力の繋がりを太くしたのじゃ。あのアホぅをよく聴けるようにな」

 「聴ける?」

 「声は聞こえなんだが、鼓動はどうじゃ?生きている限りは、あやつの心臓の拍動はわかろうぞ。その鼓動の早さでどのような状態かもな」

微かに聴こえる心臓の音。遠い。ここではない、どこかだ。早くも遅くもない。平常ということだろうか?

 「意外とうるせぇな。心臓の音 」

タガラ姫がハハハと面白そうに笑った。

 「では、何か変化の起きた時に聴こえればいいかのぉ?ピンチの時のスーパーヒーローじゃな」

発想が十二歳の子供らしい。

 そうじゃねぇし。思った。

 姫の手の平から微かな光の粒がこぼれて、再びニックを包んだ。



********************


 目が覚めた。チカチカと目の前に白い光が飛び交っている。光が踊れば頭の痛みも脈打つように強弱を繰り返した。

 「うえぇ。まだ吐きそう」

体を起こしかけたが、ひっくり返った。

 どこだろう?場所を特定できるような、何かしら手掛かりになりそうなものは…

 無かった。

 嵐が来そうな重たい色の空の一部に紡錘形に穴が空いて、そこだけ夜空が見えた。星空だった。

 異空間ってやつ?

 フィリドが作った?

 奥歯を噛んだ。分からない自分が歯痒かった。


 子どもたちを見た。

 みんな、不安で泣いている。

 あるいは泣きそう。

 あるいは諦めている?感情を圧し殺したようにぼんやりしている子もいた。

 


 ニックにテレパシーを送ってみるが反応がまだない。届いていない。

 でも、力は使えそうだ。力が使えるのなら、まずは子どもたちを慰めておくのも悪くない。そう思った。

 心配はひとつ。エネルギー補給用のおやつが少ない。おっと、大問題だ。

 

 「なんとかなるっしょ!」

両手で頬をパシッと叩いた。


 「みんな。見てごらん。花火だよ」

フィリドに返された力の影響なのか、超能力を使った遊びを思い出していた。

 電流をバチバチいわせ、炎をまとわせていた。両親に見せると他の子に見せてはダメだと言われた、綺麗な遊びだったのに。

 だからラグリスが褒めてくれた時は嬉しかったんだ。あれ?ラグリスだったかな?

 また記憶が曖昧になってきた。


 「ほら。見て」

電流と火花とが子どもたちの前で飛び散った。青く赤く花のように開いて消えた。

 ひとつ。

 またひとつ。



 『悪くない景色だ』

フィリドは暗い室内で、子どもたちに花火を披露しているアキラを見ていた。

 黒い額縁の中の、荒野のアキラと子どもたち。まるで天使に群がる子ども達のようだ。

 「ポンコツなんて、何の役に立つのさ」

ルトが忌々しげに見ていた。

 「お前の腹に持っていない物を持っているからな。同じ遺伝子なのにどこが違うんだ?」

くくっとフィリドはからかうように笑った。

 「面白いぞ。たくさん壊れるからな」

 「壊してどうするのさ?」

 「また作って、壊して、また作る」

描いた景色が面白くてたまらないとでもいうように、唇の端が歪んだ。冷えた笑顔にルトさえ背筋を寒くした。



 アキラは力尽きた。

 お腹空いた。

 甘いもの出せ。


 「どっかで見てるんだろ?何か食べさせろー!子どもたちに何か食べさせろー!お腹減ったぁー!」

地面に寝転がって叫んだ。よけいにお腹が空いてくる。

 「トイレ出せ。オムツ出せ。ゲロ袋出せー!」


 叫んだ直後、炎の壁がアキラと子どもたちを取り囲んだ。熱風に巻き上げられた砂が、アキラや子どもたちの顔に激しく当たる。


 子どもたちの悲鳴。

 恐怖に、親を呼んで泣き叫ぶ声。


 PKで子どもたちの回りに風の壁を作った。砂塵がアキラに跳ね返ってくる。はっきりいって痛い。でも、子どもたちの前で弱気な顔は見せられない。

 「この炎、ルトだろ?」

 「あたりだよ、ポンコツ」

炎の壁の中から深紅の髪色のルトが現れた。

 にらみ合いが続いた。こんなにお互いを見つめ合うのは初めてだ。

 髪の色が違う。

 血色をした瞳の色もちがう。

 身長も声も笑い方も違う。


 なのに自分に似ている気がした。

 いや、似ている。


 「誰だ、お前?」

言いながらアキラは手の平に静電気をためた。濃く。もっと濃く。

 「親戚はいないし、ボクに兄弟はいないんだけどなぁ?」

軽い口調でアキラが言うと、ルトの顔が厳しくなった。嫌悪を通り越して憎しみが見えた気がした。

 「自分の顔も分からないのかよ。ポンコツ!」

ルトの炎が散った。丸く。無数に。


 「分かるよ。どうして同じ顔をしてるのかって、不思議なんだよっ!」

 手の平の球電を放った。

 続き。

 出てこない。

 力が出ない。

 かくんと膝が地面についた。

 

 「ちくしょー。お腹空いてパワーでない」

アキラの弱音にルトが嘲った。近づいてきて足を蹴られた。バランスを崩して倒れる。

 「やっぱり使えない奴。ポンコツ!」

倒れたところに、腹を蹴られた。

 「ポンコツ!」

さらに蹴られ、アキラの周囲に散った炎が再び集まってくる。

 「今度こそ、焼けてしまえばいい」

悪意に満ちた笑顔と、声が飛んできた。


 が突然、集まった炎が水をかぶったような音を立てておとなしくなった。

 ジィジィと名残惜しそうに崩れていく。


 「何度言ったら分かる?アキラは傷つけるな」

フィリドが現れた。テレビの電源を入れたように突然現れたのだ。



********************



 ニックはアキラや子どもたちが消えた骨組みだけのテントを眺めた。警察が周囲を見回っている。

 が、恐らくは手がかりはないだろう。


 離れて、規制線の外から見る。

 あの大きなテントの布を舐めていった炎。燃えたはずだった。

 化繊の布の焼ける臭いも覚えている。

 しかし骨組みだけ残ったテントの枠には炎の痕跡はなかった。焦げた臭いさえない。


 『ニコ…』


 振り向いた。母親らしい女性が枠だけのテントを見つめて泣いていた。

 イリュージョンとして、百三十人近い子ども達を隠せる所がこの周囲にあるとは思えない。

 市庁舎や上に住居を持つ煉瓦造りの店舗がとり囲む大きな広場。回りにはランドマーク的に大きな噴水。マーケットと、野外劇のステージもある。

 上から見ていた人の証言によれば、炎は丸く浮き上がったように見えたと言っていた。炎の中に光が散ったようだと言う人もいた。しかし、一瞬でアキラや子ども達を隠せる状況ではなかったと誰もが口にする。

 恐ろしいのは、あのテントが無許可で設置されていたこと。誰も許可を出していないと言う。いつから設置されていたのかも、誰も知らないのだ。

 フィリドの能力の巧妙さを見せられている気分だった。


 人々の雑踏の中でニックは目を閉じた。

 アキラの心臓の拍動。

 聞こえない。


 テントの枠組みに触れてみた。やはりどう見ても、炎が嘗めた形跡さえない。枠組みとステージと客席。それ以外は残骸もない。焦げた灰も。

 まるで最初からそれしかなかったように、小道具の一つもなかった。

 《フィリドは空間の隙間を利用する》タガラ姫がそう言っていたのを思い出した。それが事実なら、今のニックには手掛かりを掴むことさえできない。

 アキラを抑えきれず、フィリドに目の前で連れ去られ、悔しくて関節が白くなるほど拳を握りしめた。

 「結局、無力じゃねーか」

ニックの悔しげな呟きが、吹いてきた風に消えた。


 「無力ではないぞ。そなたはそなたの役目を果たしておる。誰が謗ろうか?」

小さな歩幅の足音と共に、タガラ姫が来てニックの隣に立った。

 「福音じゃ。そなた、かぐや姫を迎えに行け」

 「はぁ?」

盛大な『はぁ?』だった。




 月の開発は地殻変動装置が作動してから数十年後、本格的に始まった。

 はじめは月の地下に広がる溶岩チューブを利用し、技術者たちが住まう区域を少しずつ拡げていった。

 やがて、構想が進んでいた「月面グラス」の建造が始まった。月の砂を焼結して作られた透明強化ガラスの巨大ドームで、内部に大気と水を循環させる独立型の生活圏。


 一基目が数年かけて完成すると、技術は急速に進み改良され、次々と十基が建造された。

  今ではさらに改良型の月面グラスが、月表面の一部に並んでいる。遠心力で内部に地球とほぼ同じ重力を発生させたカップ型の月面グラスも完成し、まるで地球にあるどこかの都市のような景観を形作っていた。



 「わらわの花嫁がな、おかしなエネルギーを感じたと。しかも(うえ)からじゃと」

空港で待機している飛空挺の小さな部屋で、タガラ姫は豪華ではないが大きな上質の椅子に片足を座面に上げて言った。いつものような子供らしい笑顔がない。

 一段高い所から見下ろす彼女は気高く威厳があり、幼いが族長らしい佇まいだ。身分など気にしないニックも思わず畏まってしまう。


 その下でイサトゥがプロジェクターを正面に向けた。

 月の地図が投影され、月面の都市が俯瞰で映された。その都市から離れて赤い点が示される。

 「この辺りは初期…地殻変動装置の災害後に月開発が始まった、最初の頃に作られた地下空洞施設です」

今はもう廃墟で酸素の供給も止められているはずだとイサトゥは言った。

 「貴重な酸素を横流ししとる奴がいるのじゃな?」

考えるようにタガラ姫は、コシコシと小さく顎を掻いた。

 「はい。その辺りは引き続き花嫁たちが調査しています」

振り向いたイサトゥは恭しく頭を下げた。

 「そこに行けば、アキラがいるのか?フィリドの方か?」

ニックの目が細められ、剃刀のように厳しくなった。

 「現時点では、行ってみないことには分かりません。確認で飛ばしたドローンは原因不明の動作不良で戻らなかったそうです」

向き直ってイサトゥは言う。

 「で、俺に行ってこいと?」

 「そういうことじゃ。今はニコラスが、いちばん動きやすかろう?」

タガラ姫はテーブルの上にぴょいと飛び乗ると、ニックの前に来て頭をまた撫でた。まるで、子を諭し慈しむような手つき。

 「本当に十二歳かよ?」

 「本当じゃ」

けらけらと笑うタガラ姫に、ニックは再び肝が座った気がした。



********************



 アキラは子ども達を背にしてフィリドと向き合っていた。フィリドの隣には自分とよく似た赤い髪のルト。

 フィリドは感情の見えない薄い笑いを浮かべ、ルトは憎しみと怒りを隠さず射貫くような目をアキラへ向けている。


 「フィリドっていったっけ?お前、何がしたいわけ?」

アキラの眼差しも、周囲の人々に向けるような柔らかさがなかった。闘争心とも違う。

 まるで身を挺して雛を守る親鳥のような決意の眼差し。刺し違えてもいいから、この子たちは今、自分が守らなければならない。そんな気持ちだった。


 「さぁ?教える気はないな」

アキラの眼差しから見える感情に、フィリドは初めて楽しそうに笑った。

 「どうして子ども達の間にいるんだ?」

あえて訊いた。予感があった。

 「子どもは守る」

アキラの言葉に、フィリドの笑顔が深くなった。尖った歯がのぞき、邪悪さが濃くなる。 

 「いい兆候だ」

何がとは言わなかった。

 


 アキラはゆっくりと対峙して力の回復を待った。肉体的な力ではなく超能力の。

 いつもならポケットのあちこちにキャンディやチョコレートが入っているのに、ホテルを出る時、ほんの少しの時間だからと置いてきてしまった。

 なぜ持ってこなかったのだろう。自分の甘さ加減に嫌気がさした。

 フィリドから感じる力は圧倒的で、自分一人で対抗するのはきっと無理なのだ。

 ニックがいてくれたら…そう思った。

 仕事にはめっぽう真面目で、口うるさくて、ちょっと軽口叩こうものなら頭を小突かれて。でも自分の背中を預けるにはこれ以上無いくらい信頼できるニック。

 こっそり、騙すみたいに約束を破ったことを後悔した。


 しかし、そんな後悔ばかりもしていられない。

 いつでも来い。

 大きく息を吸い込んで思った。

 肝が座った気がした。

 とくん。誓うように心臓が跳ねた。



 フィリドが動いた。

 身構える。

 緊張で心拍が跳ね上がった。耳元でその音が大きい。

 フィリドの足音がしない。前もそうだ。蛇のように音もなく滑るように近づいてくるのだ。次の瞬間には目の前に立っている!


 「っ……!」

一歩後退して、迎え撃つ体勢を取ろうとした。

 しかし冷たい指が伸びてきて肩を捕まれる。細い指なのに骨にまで食い込むのではないかと思うほど強い。

 振り払えなかった。

 笑っている。強い力で掴んでいながら、その腕力を感じさせない軽い笑顔。

 まるでただ顔に貼り付けているだけのような、感情が全く読めない笑顔。

 背中がゾワゾワする。


 じっとしていろと言われた。

 ハイそうですかと、言いなりになるほどバカな人間じゃない。もがいた。

 「ルト。お前の好きな嫌がらせの時間だぞ」

笑顔を貼り付けたままフィリドが言った。感情のない平坦な声。

 嫌な予感に、心臓がけたたましく警鐘を鳴らし始めた。

 「離せよ!なにする気だよ。ルト!」

超能力はパワー不足。だけど体力はまだ残っている。肩に食い込むフィリドの指を一本ずつ剥がそうとした。

 「フィリドを甘く見るなよ。ポンコツ」

アキラと同じ顔でルトが意地悪く笑う。

 「あんだけいっぱいいたら、一人二人居なくなったって構わないじゃないか?」


 両手をあげて、ルトは勝ち誇ったように笑った。子ども達に何かする気なんだ。

 察したアキラは渾身の雷撃を、地を這わせてルトの体に送った。雷撃がルトの体を突き抜けた。

 「あの子達に手出しするな!」

それが最後。わずか回復した力も使い果たしてしまった。

 

 限界まで心拍が跳ね上がる。

 目の前の光が白く踊り出した。

 視界が狭くなり、早い呼吸が酸素を送り込めなくなる。顔が痺れる。指も冷たく痺れてくる。

 でも今、気を失うわけにはいかないんだ。

 子ども達を親のもとに。

 親を悲しませちゃいけない。

 子ども達に辛い想いをさせるわけには…


 何も分からなくなった。



*******************



 滞在している空港から高速の垂直離着陸機(VTOL)で軌道エレベーターまで移動。

 手続きから高軌道ステーションまで数日かかるところを、タガラ姫とマスターと某独裁国大統領および他国政府高官面々のゴリ押しによって最短で手続きが終わり、最速で高軌道ステーションに到着し、ひと息つく間もなく、気づけばニックは個人専用の宇宙往還機(RLV)に乗せられていた。

 カウンターウェイトから放出されて月到着までは約一週間。それでも早い方だ。

 遠ざかる地球を眺めながら、この慌ただしい日々に呆然としていた。


 「何なんだ?」

呟いた。

 状況が恐ろしい。

 パスポートも何もあったものじゃない。

 手続きに並ぶとコンシェルジュが恭しく別室へ案内してくれ、待機していたRLVは個人専用機。

 訊けばタガラ姫の物だという。

 加えてパイロットは……

 『どうしましたか?ニコラス?心拍も呼吸も不安定です』

 「なんでお前なんだ…」

あの、アクセルべた踏みの恐怖がよみがえる。アンドロイドのクール。

 『小型機程度であれば、私がすべて制御できますので』

 「無表情で言うな…」

怒っているのか恐怖なのか分からなくなっていた。



 周回軌道を経てルナポートへ降り立ち、ドームへと移動する。そこでアキラの父親が待っているはずだ。

 「久しぶりだね」

笑顔がアキラによく似た父親が出迎えてくれた。滞在するホテルのラウンジで手短に報告と、タガラ姫が示した地点について確認しあった。


 「あの子はきっと自分で何とかするだろう。子ども達が心配だね」

眉を寄せ唇を引き結んでアキラの父は言った。本当はアキラも心配なはずなのに、強い人だと思った。

 「ここへ来るまで、何度かアキラの心拍を感じました。ほぼ平常心のようです」

ニックは笑った。ニックの言葉は彼を安心させる嘘だ。

 移動中、何度か心拍が跳ね上がる音を聴いていた。

 焦った。焦ったが、宇宙空間ではどうしようもない。



 着替えた。ハルエさんが用意してくれた黒いフロックコートのスーツ。白いシャツの襟と袖口にこれでもかとフリルとレースが付いていた。メモ『私の趣味です。ご不要であれば取り外しください』

 何を考えているんだあの人は?いや、知っているが…と、袖と襟はむしり取った。


 着替えて一休みすることもなく、ニックはルナポートの指定された場所に移動。ローバーが待機しているらしい。

 「またお前…」

空を見上げて絶句。多層構造メタ何とかの透明壁から降り注ぐ地球光が眩しい…。

 待機していたのはまたもやアンドロイドのクールだった。


 移動しながら追加の資料に目を通している。

 現在は使用されていない地下空洞。

 コロニーの建設当初、技術者が居住用に使っていた施設は今もいくつかある。

 降り注ぐ宇宙線からの避難用であったり、備蓄倉庫として使われていたり、農業施設なども。

 これから向かうのは、コロニーから最も遠い場所にあった。

 規模も小さく、使い途がないということで放棄されているはずなのだが、誰かが酸素を横流しした上で使われているらしい。



 目的地の入り口に着いた。入り口とローバーのハッチがぎっちりと噛み合う。これで宇宙服なしに中へ移動できる。

 居住スペースだけだった。もっとも最初期に作られた、地下の溶岩チューブに居住用モジュールを繋げただけの施設だ。アリの巣のように数ブロックずつに分かれ、熱を持たない光が点々と並んでいる。迷路で迷っているような気分だ。


 「……っ!」

耳を押さえた。

 早い鼓動。めちゃくちゃに跳ねている。

 限界に近いのではないかと思うほど、耳に打ち付けてくる。

 「いるのか?アキラ?」

声をあげたが、モジュールの壁に反響するだけだ。

 「クール、アキラの心音でかい。そっちでは反応あるか?」

ローバーで待機するアンドロイドへ言った。


 『タガラ姫様より預かった、感応メーターには反応はありません』

クールの声はニックの耳には届く。相変わらずアキラの早い鼓動も感じる。大きく。

 だがその場所だけが特定できなかった。


 空間の隙間を利用すると言ったタガラ姫の言葉を思い出していた。

 どうやってその隙間を見つけたらいいんだ?

 それだけが分からない。



*******************


 過呼吸で倒れたアキラを見下ろしてルトは軽く頭を蹴飛ばした。

 「面白くない。意識とんでばっかじゃないか。ほんっとポンコツ。使えない」

ルトが苛々と文句を言う横で、フィリドは静かだった。

 「変容……近いな。収穫までもう少し。…角砂糖の一つでも口に入れとけ」

今の状態のアキラにフィリドは興味もないらしく、倒れたそのままに置き去りに背中を向けて歩きだした。相変わらず足音は無い。


 歩きながら彼は、四本の指を揃えた手を縦に振り下ろした。空間に一本の黒い線が現れる。

 振り下ろした手を横に払うと布が裂けたように線が広がり、その向こうに無機質な壁が見えた。整然と並ぶ化学発光の照明が、耐用年数もとっくに過ぎているのかうっすらと光っている。

 その奥、スリット窓からかすかに地球光が差し込む、ソファだけの暗い部屋。

 そのソファに深く腰を下ろしたフィリドのはちみつ色の髪が、そこだけはっきりとした照明のようだった。

 にやりと笑う笑顔が周囲を冷やしていた。




 「角砂糖?お前がいなくなれば、フィリドに役に立つって言われるんだ。誰がお前なんかにやるかよ」

アキラの髪を鷲掴みに上向かせてルトは吐き捨てた。

 「死んじまえ」

 「ぎゃーぎゃー、ぅるっさいって…」

ヒューヒューと荒い呼吸音をさせながら、アキラは低い声で言った。

 「言っとけよ…。あいつに。ボクの力も…ニックの力も返せって」

痺れる顔を歪めて笑ってみせた。挑発のつもりだった。

 今までのやり取りから、ルトは感情で動いている。感情的になればどこかに綻びが出るかもしれない。そう考えていた。

 あとは、力さえ復活すれば……。子ども達からおやつを巻き上げるわけにはいかないし、チョコ食べたいよぉ。

 おりび庵のあんこまみれパフェ食べたいよぉ。

 花まるパーラーの生クリームオムレット食べたいよぉ。

 しあわせ堂のみたらしたっぷり団子が食べたいよぉ。


 「何黙ってんだよ。ポンコツ。弱いくせに楯突くなよ」

 「だからぁ、ポンコツ言うなって。こっちもさ、糖分不足でイラついてんだよね」

痺れが消えてきた。立ち上がれる。

 じゃりっと土を踏みしめた。


 相変わらず空の一部には星空。

 もしもここがフィリド(あいつ)の作った空間なら、あそこは何かの目かもしれない。

 もしかすると、綻びの一部かも?


 アキラの考えは間違いとも言えなかった。一部だけの星空から、フィリドは見ているのだ。

 「まだ立ち上がるか?花嫁は負けん気が強い」

呟いたフィリドは指先に溜めた力を額縁のような枠の中に放った。

 「収穫まで楽しませろ」

呟いてククッと笑った。


 腹の底に力が沸いた。

 エネルギー?糖分補給はしていないが、さっきまで感じなかった温かさが指先まで感じる。

 ふらついていた足にも、踏みしめる力があった。


 「ワケわかんないけど、チャンスとーらい!」

スニーカーが地面を激しく噛んだ。

 「ひとつ言っとくよ。分かったこと」

にっと笑って指を一本立てた。

 「お前の力、ボクの足元にも及ばないって」

 「フザけたこと言うなポンコツ!」

ルトが両手に炎をまとわせて突進してくる。

 アキラの右手があがり、念動が風の塊となってルトの動きを直前でいなした。

 今までと違う反応に、ルトがギリッと奥歯を噛んだ。同じ細胞から生まれたのにどこが違う。違うはずがない。自分は揺らぎの無い分、力は安定しているはずだ。

 炎を打ち込みながら再びの猛攻。しかしアキラはその場から動かず、風を走らせてルトの走り込む軌道を逸らすだけ。

 「なんで、お前なんだ?」

ルトの目が血走っている。とにかくアキラを排除したい感情が、大きな炎の激流となった。

 「ぅわ、怖ぁー」

にへらっと笑って、アキラが浮いた。

 「糖分足りないからさ、あんまり力使いたくないんだけど。分かってよ……っても、無理かなぁ」

余裕の笑みを見せた。


 「ふーん。力、使いたくないって?」

炎が収縮していく。極限まで小さくなっていく。

 「使わなきゃ、損だろっ!」

小さな塊となった炎は、しかし凄まじい質量となって身を寄せ合う子ども達の上空に飛んだ。

 そこに空間が裂けた。

 真っ赤な線。

 どんどん広がり、熱気が圧倒する。灼熱の空間が見える。

 大きな音をたてて空気が吸い込まれ、子ども達の悲鳴があがった。

 一人、また一人と繋いだ手が離れて灼熱空間へ吸い寄せられている。


 「卑怯もの!」

アキラは子ども達の方へ飛んだ。

 一人も欠けちゃいけない!


 吸い寄せられた三人の子を抱えて、アキラは炎の空間の裂け目が拡がるのを背中で抑えた。背中が熱い。

 子ども達の泣き声が、アキラの守りたいという意識を大きくさせる。意識だけ。

 これ以上拡がれば、子ども達共々飲み込まれる。ニックどーしていないんだよ!

 自分のせいで離れたとしても、協力者の、相棒の名前を叫ばずにいられなかった。




 突然、空に浮かぶ星空の空間が、暗幕が引き裂かれるように開いた。

  漆黒のグラフェンナイフをフィリドの喉元にあてたニックが現れ、ふわりと地面におり立った。

 「うわ。ニックかっこいい。全身黒に白シャツがお洒落だね」

炎の裂け目の前で、アキラがにっと笑った。しかし冷や汗が吹き出している。

 「ピンチで喋ることかよ」

呆れた声をあげたが、アキラが無事だったことにほっとしていた。


 「あの炎の空間を閉じろ」

ナイフをフィリドの喉元にあてたまま、ニックはルトに言った。

 舌打ちをして、ルトの手付きが閉じる動きする。

 

 「なかなか面白かったな」

ニックに脅された姿のまま、フィリドは禍々しく笑った。

 刹那、ダイヤモンド並みに固く薄いグラフェン素材のナイフにヒビが入った。

 「アキラ、騎士殿がお迎えだ」

ククッと喉の奥で笑う。

 「また会おう。もうすぐだ」


 消えた。照明がふっと消えるように一瞬だった。フィリドを脅していた形のままのニックだけ、取り残された。

 フィリドが消え、アキラは空中からゆっくり降りてきて仰向けに倒れた。急に力が消えたのだ。立っていられない。


 「ほら…」

力尽きてぼろ雑巾のように寝転がるアキラの横に、ニックが膝を折って差し出したのはどら焼きだった。

 「ぅわ!おりび庵の抹茶栗どら!」

パワー不足で腹が減ったとぼやいていたアキラが飛び起きた。笑顔が戻ってきた。

 「…んで、どら焼きまだある?」

 「お前な、探したんだぞ。ここまで来たんだぞ。他に言うことねーのか?」

再会したとたんにいつものアキラで、ニックは呆れ返った。もう少し弱っているとか、憔悴しているかと思ったのだが、別な意味で裏切られた。

 「あー、ありがとう」

 「ごめんは無いのかよ?ツラッと嘘つきやがって」

アキラの頬をつねって、眉をつり上げてニックは言った。

 「ぉもいらひた…ごみぇんごみぇん…あたたた」

相変わらずな奴だ。

 「でさ、あの子たちの分…ある?」

アキラはパクつく姿を子ども達に見せないように、もう一度ニックに囁いた。

 「んな、有るわけねーだろ。一緒にいるのさえ分からなかったんだ」

 「だよねー」

けらけら笑った。それから真顔になり、ニックに詰め寄る。

 「でさ、ここからどうやって出るの?」

 「知るか!」

プイッとそっぽを向かれた。視線の外し方が自分と同じで、アキラはにぃっと笑って言った。

 「あーっ。仕事放棄した」

 「お前じゃねぇ!」

ニックは怒鳴ってみせたが、本心ではない。やっといつものアキラと自分になれた気がして少し嬉しかった。

 しかし、空間を裂いたフィリドがいない今、脱出方法は全く分からない。

 

 あの時、アキラの限界を超えそうな心音に導かれて、ニックはフィリドがいた部屋にたどり着いたのだ。

 フィリドは笑っていた。四角い額縁のような窓の向こうを見て面白そうに。

 背後にニックの気配を感じていたはずなのに、何故ともどうしてとも言わない。

 『ようやく来たのか?遅いな』そう言われカッとなったのは覚えている。

 用心にと渡されていた、漆黒に染めたグラフェンナイフを振りかざしたが、彼は一瞬消えて、ニックの隣に立った。今思えば、まるでどうぞと体を差し出すような絶妙な位置。

 体を躱して腕をつかみ、その腕を背中に捻ってナイフを喉元に当てて脅した。ナイフの薄い刃がヂィン…と何かに共鳴していた。


 降参と手を上げて、何もない目の前に手刀を下ろしたフィリド。

 その手を横に払うと布の裂けるような音と共に、アキラのもとへと空間が開いたのだ。

 しかし冷静に考えると、フィリドには脅されている雰囲気がなかったように感じる。抵抗の力さえも感じられなかった。

 まるで遊びに飽きたというような、冷静で落ち着いた声音だった。



 「えぇぇ、八方塞がりぃ!」

どっと地面に寝転んだ。恨めしく上空をにらんだ。

 どうしよう?

 百と何十人かの大所帯をどうやって……?

 どうやって?

 疑問が湧いた。


 「ニックはどうやってあいつを見つけて、ここまで来たの?」

アキラは首をかしげた。

 大変だったんだぞ。ニックは言った 。


 タガラ姫がアキラの心音を聴けるよう、繋がりを強くしたこと。

 イリュージョンを披露するはずのテントが一瞬で燃え上がり、観客でいるはずだった百数十人の子供たちと、目隠しされているヘラヘラ笑ったアキラが消えたこと。

 「ヘラヘラしてないし」

アキラはむぅっと口を尖らせた。

 「してた」

尖らせた口をニックは摘まんで言った。そして続けた。

 月にある地点から異質なエネルギーをタガラ姫のネットワークがとらえ、ニックが調査に向かった。と、話した時点でまたアキラが口を挟んだ。

 「ニック、月まで行ったの?」

 「はぁ?」

声が裏返った。

 しかし冷静に考えれば、アキラにはここがどこかさえ分からないはずだ。

 「俺は、月の地下モジュールを辿ってフィリドを見つけて、ここまで来たんだ。あいつが裂いた。ここの!」

地面を指さした。それから親指を背中に向けて、

 「向こう側は月なんだよ」

とどめに、分かったか?と耳朶を引っ張った。

 「じゃあさ、どうやってあの子たちを地球に返そうか?…んにゃ?ということは、一週間以上、ボクたちはここにいたの?」

引っ張られた耳をさすりながら、アキラは言った。そういうことになるはずだ。

 自分の中では、一日から一日半の感覚だった。ということは、ここは時間の流れも違うことになる。道理でお腹がすいたと訴える子が少なかったわけだ。


 アキラは脱出後の子ども達の移動をどうすべきか考えた。

 ニックが来た場所へ戻ったとして、月。

 往還機に乗せる?でも、これだけの子供を乗せるチャーター機手配なんて、金銭的に無理。

 しかも大勢をどうして連れているのか、訊かれるだろう。不審者だ。

 答えられなくて間違いなく警察沙汰。無理。

 テレポート?月と地球の距離を考えると、一気に行く自信はない。途中で甘いものが足りなくてテレポートを抜けてしまったら?

 それがまだ宇宙空間だったり、成層圏だったりと、場所を間違えれば子供たちと心中することにもなる。やっぱり無理。


 「うーん……テレポートは点と点の移動だもんなぁ。ここじゃ時間の流れも違う」

不用意にテレポートを使って、さらにおかしな事になったら、これも問題だ。

 考えあぐねて、地面に座り込んでいるニックの背中にもたれ掛かった。

 ニックは黙り考え込んだアキラに、自分が協力できることはないか考えていた。思いつかない。無力だと思った。タガラ姫、クール、イサトゥ、父親。誰かの助けを借りなければ、自分ではどうすることもできない事ばかりだ。

 エドワードがいなければ、大きな判断もできないあの頃と変わらない。

 

 何だか落ち込んでる風だなぁと、アキラも思った。よく黙り込む事はある。真面目だもんなぁ。そう思った。

 大丈夫。ここにいる。そんな気持ちで、背中を預けていた。


 ヒビの入ったナイフを見つめた。

 ダイヤモンドよりも固いこの薄い刃が、一瞬にして使えない物となってしまった。


 結局、自分が一番使えない人間だ。

 耳は役に立たなかった。

 催眠も奪われたまま。

 ナイフを突きつけても、フィリドに一筋さえ傷を付けられなかった。

 空間さえ開くことができない。


 ふぅとため息を吐いた。

 背中を預けてきたアキラの温もりがひろがってきた。ここにいるのだ。

 生きてる感触だ。

 心臓の音が伝わる。目を閉じて、その音を耳だけで感じてみた。

 次第にアキラの心音に、自分のが重なっていく。共鳴していくようだった。


 ジン…!


 ヒビの入ったナイフが突然震えだした。何かに反応している。

 この振動は……アキラと自分の心音と同じ。共鳴?


 アキラが顔を上げた。


 「何だろう?かすかーに流れが違うの。ニック、感じた?」

 「いや。俺はナイフの共鳴を感じた。お前と俺の心音が重なった時」

アキラは否定とも同意ともとれない声をあげ、これからどうしようかと呟いて再び考えた。

 相変わらず気が滅入りそうな空。一ヵ所だけ目を縦にしたような紡錘形の宇宙が見えて…

 「あ…?」

見えている宇宙の一点が光った。揺らいで見えた。遮蔽コンタクトで視界を塞いでいるはずの右目が感じたのだ。

 遮蔽コンタクトを外した。

 どこまでも見えてしまう目が何も映さない。ここが閉じられた異空間だというのがよく分かる。

 しかし、それだけではない。揺らいでいた一点がはっきりと像を結んだ。光っている。

 布の綻びのように歪な穴。アキラは分かった。

 気がついたではない。

 分かったのだ。

 水の底から掬い上げたように、レンズのピントが合ったように、不意に分かった。


 「ニック」

呼んだ。肩に手のひらを乗せた。

 力が光の粒となってニックに流れるイメージ。

 どくんと心臓が同じリズムで打ちだした。

 ヒビの入ったナイフがまた共鳴する。


 「ボクが見ている方向。見える?」

アキラに言われて、ニックは空を仰いだ。

 天気が急変しそうな空の一部が紡錘形に割れて宇宙空間が見えている。

 その紡錘形の下。地面と接する辺りが、歪な丸い形に光っている。

 「見えた…あの光っているやつだろ?」

手の中のナイフの共鳴が指を痺れさせている。それ以上は考えなかった。どうするべきか、ニックにも分かった。

 「投げるぞ」

ナイフをアキラに見せて、ニックは言った。

 コントロールがいいわけではない。しかしナイフはその光めがけて走った。地面のすれすれを、何かで引っ張られていくように。


 切れ味のいいハサミが、布を裂いていくような音。

 光の綻びが縦に伸びた。


 その光の中から、何かがぞろぞろと歩いてくる。

 

 『猫ぉ?』

あまりにも場違いな光景に頓狂な声を二人であげた。

 数十匹の猫たちが、互いに喧嘩するでもなくアキラやニック、子ども達の方へやってくる。

 猫たちの進入が終わったところで、光の向こうから手招きする人物の影。

 誘われるまま近づいた。


 その人はきっちり最敬礼の角度で二人を迎えた。ハルエさん。

 「ここ、どこ?」

 「猫サーカスのテントでございます。タガラ姫様がここの座標に現れると仰って、お待ちしておりました。サーカスはマスターが一時的に借り上げておりますので、人目の心配はございません」

彼女は平然と、当たり前のように語った。まるでよくある事だからとでも言うように。

 「百人以上の子ども達を連れて帰ってきましたら、アキラ様は間違いなく警察の事情聴取対象でございます。色々と揉み消しはマスターとタガラ姫様及び某国大統領がなさいますが余りにも大事。ですので、アキラ様はこちらにお着替えいただいて、子ども達を連れて来てくださいませ」

ニックは某国大統領に頭を抱えていた。


 アキラが渡されたのはクラシックなデザインのこの国の中世庶民のものだというドレス。長いスカートにひらひらエプロン。レースのついたスカーフを被り、編み上げのブーツを履いた。

 右手にはタンバリン。


 「この町には、子ども達が一夜にして行方知れずとなった。との伝説がございます。子ども達は今も帰還していません」

ハルエさんは静かに語った。

 「つまり、ネズミの代わりに今度は猫と帰還?」

アキラは、まぁ理解したかなという顔で首をかしげた。面白そうと思った。


 「じゃ、行って連れてくるね」

女装して、面白そうで、いつものアキラじゃねーか。

 なんだ楽しそうに行きやがって。

 こっちはどれだけ心配したと思ってるんだ?

 

 ニックは心配して苦労した挙げ句に、アキラの嬉々とした姿を見せられて、自分の労力に納得がいかなかった。

 やっぱり振り回されてる…。

 久しぶりに空を仰いだ。  


 「ニコラス様。アキラ様のお顔をよくご覧になりましたか?」

 「え?」

 「頬が心なし丸くなられました。腰や肩にさらにまろみが出たように思います。お着替えを手伝っている時は、布が体に摺れるのを気にしておいででした」

彼女の言葉にニックが緊張した。

 アキラの心音を感じた。

 今を楽しそうに、心臓が跳ねていた。


********************



 一人の少女が手にしたタンバリンを打ち鳴らし多くの猫と子ども達を引き連れて街の広場にやって来た。

 少女の回りを猫たちが飛び回り、タンバリンの音に合わせて宙返りをしたり、人々の肩を飛び移っていく。

 見物の人々の中から我が子の名を叫ぶ者があり、騒ぎを聞き付けた親たちが口々に名を呼んで再会の輪がひろがった。

 『かつての子ども達は帰らなかった。

 今回は一人も欠けることなく帰ってきたぞ』

 誰かが叫んでいた。

 大きな歓声になった。


 少女はひらりと噴水の上に飛び乗った。

 タンバリンを高らかに一度打ち鳴らすと、人々へ向けて優雅に一礼してみせる。

 それから少女は指を一本立てて、空を指さした。噴水にたまっていた水が音を立てて吹き上がる。

 水しぶきがキラキラと舞い、少女が指した空を人々がつられて見上げ……。

 視線を戻した時、少女はもういなかった。



 「ふぃぃ…面白かったぁ!」

アキラが満面の笑みで、どかりと椅子に腰を下ろした。大股開きで背もたれに体を預ける姿はとても先程の少女とは思えない。

 「お前も度胸いいよな」

 「そお?主役っぽかった?」

褒めてねぇ。ニックは言おうと思ったが、嬉しそうなのでやめた。

 代わりに頭をぐしゃぐしゃと撫でて言った。

 「さぁ、報告に戻るぞ」

 


 「よくぞ戻った。安泰か?」

アキラが顔を見せると、タガラ姫はアキラを跪かせて頬をこねくりまわした。

 「そなたが怪我無く戻って、何よりじゃ。ニコラスなぞ、死にそうなほど参っておったぞ」

黒く澄んだ瞳が母親のように見つめて言った。

 「死んでねーし…」

 「例えじゃ。自責で今にも腕を噛み千切らんばかりじゃったがな」

明るい笑顔で言った。

 「もうやらねぇ」

ぷいと顔を背けてニックは呟いた。


 「あいつ…フィリド?強いね。タガラ姫が対抗組織立ち上げたの、分かったよ」

真顔だった。真剣な眼差しでタガラ姫を見つめていた。

 「ボクのこと狙ってるって言うけど、ボクの力奪ったのもあいつでしょ?力を奪ったんならもう関係ないのに、なんで?」

 「……期が熟すを待っておる」

沈黙の後、タガラ姫が言った。

 その瞳は長い年月を見てきたような、熟達した光を放っていた。ふぅと息を吐き、片ひざを折ってテーブルに座る様は、悟ったような畏れ多い雰囲気がある。

 「そなた、奪われた力が、いかほど戻ったのか分かるか?」

問いではなかった。暗に言えと命令された。

 「あとひとつ…だと思う」

頭の中で考えているのか、指を折って数えた。

 「そうか。では約束せよ。今後、一人では行動しないと」

 「え、え、え、なんで?」

 「だから、そなた自身が狙われとるのじゃ。わかれよ。戯けが」

呆れた声が飛んだ。

 最後の『戯け』で、ニックやイサトゥ、ハルエさんまで、その場にいた皆が笑いをこらえた。

 「ひとまず帰るぞ。アキラの故郷へ、ヤマト国へ」

正式名称『蜻蛉洲大和(あきづしま やまと)』国。地殻変動前は『日本』と呼ばれていた国。



 はちみつ色の頭が、飛び去る高速飛空艇を見送っていた。

 その日が間近に来ていることに、彼は初めて心を躍らせていた。

 収穫の祭り舞台をどこに据えようか?花嫁を迎える最高の舞台を……


 楽しみだと、初めて感情の乗った笑い声をあげた。

 

 

 



     〈誰 かが笑った 3  了〉

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