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あすかの幸せについて  作者: こうた
第6章 寂しさを思い出す春

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第2話 距離のはじまり

距離というものは、目に見えないまま始まる。



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ある日突然離れるのではなく、


気づいた時には、もう少し前から開いている。



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あすかはそれを、次の日から実感することになった。



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三月の終わり。



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春の空気は確かに混ざっているのに、


朝はまだ少しだけ冷たい。



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その温度差が、今の心とよく似ていた。



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「人生の交差点」



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夜。



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扉を開ける。



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カラン。



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マスターは軽くうなずく。



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「昨日は大丈夫だった?」



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あすかは少しだけ間を置く。



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「大丈夫、というより」



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「まだ実感がないです」



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マスターはそれ以上聞かない。



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グラスが置かれる。



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今日は少しだけ軽い味だった。



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でもその軽さは、安らぎではない。



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空白に近い軽さだった。



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悠真は来ない。



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今日は“会う日”ではない。



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それがもう決まっていることだった。



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その事実が、静かに重い。



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あすかはスマートフォンを一度見る。



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何も来ていない。



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それだけで十分だった。



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「連絡がない」という状態が、


これほど静かなものだとは思わなかった。



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マスターは何も言わない。



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ただグラスを拭いている。



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その音が少しだけ大きく聞こえる。



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あすかは視線を落とす。



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距離。



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それは物理的なものではない。



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しかし確実に存在している。



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昨日からではない。



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もっと前から。



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それでも、今になってはっきり見えるようになっただけだ。



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扉は開かない。



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誰も来ない夜。



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あすかは一人で座っている。



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その状態は初めてではない。



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しかし今日は違う。



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“誰も来ない”ことが意味を持っている。



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時間がゆっくり過ぎる。



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グラスの中の液体だけが少しずつ減っていく。



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それ以外はほとんど動かない。



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やがて店を出る時間になる。



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マスターは何も言わない。



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ただ軽くうなずくだけ。



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外に出る。



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春の風が少しだけ暖かい。



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でも心は冷たいままだった。



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駅までの道を歩く。



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いつもと同じ道。



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でも今日は少しだけ長く感じる。



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距離が伸びているわけではない。



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ただ、ひとりで歩いているという事実が重い。



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あすかは思う。



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距離は、時間と一緒にできていく。



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そして壊れる時も、


一気ではないのかもしれない。



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駅に着く。



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ホームには人がいる。



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日常の音が戻ってくる。



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それでも、自分の中だけが少しだけ遅れている。



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電車が来る。



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光が近づく。



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その瞬間、あすかは気づく。



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これは別れではない。



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まだ何も終わっていない。



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ただ、位置が変わっただけだ。



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しかしその“だけ”が、


思っていたよりも大きい。



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電車に乗る。



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扉が閉まる。



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カランという音はない。



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代わりに無音の圧がある。



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あすかは窓の外を見る。



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春の街は変わらずそこにある。



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でも、もう同じ距離では見えない。



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スマートフォンが一度だけ震える。



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見ない。



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見なくても分かる。



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それは「また連絡する」という種類のものだ。



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あすかは思う。



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距離は始まった。



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でもまだ終わりではない。



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ただ形が変わっただけ。



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それだけが、今の現実だった。



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(第6章 第3話へ続く)

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