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あすかの幸せについて  作者: こうた
第1章 温もりを得た冬

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第4話 名前のない習慣

四日目の夜は、もう偶然ではなかった。


あすかはそう思いながら、駅の階段を降りた。


足が自然に同じ方向へ向かう。

考える前に体が動いていることに、少しだけ怖さと安心が混ざっていた。



---


街はいつも通り流れている。


笑っている人、急いでいる人、立ち止まる人。


そのどれにも完全には属していない自分が、少しだけ浮いている。


けれどその浮き方は、昨日より軽かった。



---


「人生の交差点」


看板の文字は、もはや確認するものではなくなっていた。


そこにあるのが当たり前の風景になりつつある。


あすかは立ち止まらず、扉に手をかける。



---


カラン、と音。


その音を聞いた瞬間、体の中の緊張が一段ほど落ちる。


まるで合図のようだった。


マスターは顔を上げる。


「今日は、少し遅かったね」


「気づくんですね」


「時間は、だいたい顔に出る」


あすかは少しだけ笑った。



---


カウンターに座る。


もう、動作に迷いはない。


この店の空気に入るまでの流れを、体が覚え始めていた。


それが「習慣」と呼べるものだと気づいたとき、少しだけ不思議な気分になった。



---


グラスが置かれる。


今日の飲み物は、昨日よりもさらに柔らかい色をしていた。


「あの、これって毎日違うんですね」


「同じ日に二度とならないからね」


「お酒がですか?」


「人が」


その答えに、あすかは言葉を止める。



---


人が違うから、同じ日はない。


その考え方は、少しだけ怖いのに、どこか救いでもあった。


会社では、毎日同じ顔が並ぶ。


同じように見える日々の中で、自分だけが変わっていないような気がしていたからだ。



---


グラスに口をつける。


今日は少しだけ甘い。


「ここに来ると、時間の感覚が変わる気がします」


あすかは自然に言っていた。


マスターはうなずく。


「外が速すぎるだけかもしれないね」



---


その言葉は、妙に現実的だった。


速すぎる世界。


気づかないうちに置いていかれる感覚。


あすかはそれを否定できなかった。



---


店の奥では、昨日と同じ男が座っている。


だが今日は、スマホを見ていない。


ただグラスを見つめているだけだった。


その姿は、何かを待っているようにも、何かを終えたようにも見えた。



---


あすかは視線をそらす。


他人の時間に踏み込んではいけない気がした。


この店では、それが暗黙のルールのように感じられる。



---


「最近、ここに来るのが普通になってきました」


あすかはぽつりと言う。


マスターは少しだけ手を止める。


「それはいいこと?」


「分からないです」


正直な答えだった。



---


「習慣って、安心にもなるし、鈍くもなる」


マスターは静かに言う。


あすかはその言葉を反芻する。


習慣。


気づかないうちに繰り返している行動。


それは、自分の意思なのか、それともただの流れなのか。



---


「じゃあ、私はどっちなんでしょう」


思わず出た言葉だった。


マスターは少しだけ考える。


「まだ、選んでる途中だと思うよ」



---


その答えは、少しだけ肩の力を抜いた。


決まっていないということが、こんなに許されるものだとは思わなかった。



---


グラスの中の氷が、静かに音を立てる。


その音がやけに大きく聞こえる。


あすかはその音を聞きながら、自分の中に小さな変化が積み重なっているのを感じていた。



---


この店に来ること。


それはもう偶然ではない。


でもまだ、必然とも言い切れない。


その中間にいる自分。



---


「また来ます」


気づけば、そう言っていた。


昨日よりも自然に。


マスターは軽くうなずく。


「習慣になる前に、ちゃんと気づいてるなら大丈夫だよ」



---


その言葉の意味は、よく分からなかった。


けれど、悪い意味ではないことだけは伝わった。



---


店を出る。


外は変わらず寒い。


でも、その寒さの中に立っている自分は、もう昨日とは少し違っていた。



---


あすかは歩きながら思う。


これは何かが始まっているのか、それともただ同じ場所を回っているだけなのか。


まだ答えは出ない。



---


ただ一つだけ分かるのは、


この「名前のない習慣」が、確かに自分の一部になり始めているということだった。

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