第1話 初めて昼に会う日
人は不思議なもので、
夜にしか会ったことがない相手を昼に見ると、別人のように感じることがある。
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待ち合わせの日の朝。
あすかは目覚まし時計が鳴る前に起きてしまった。
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時計を見る。
午前六時十二分。
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待ち合わせは午後一時。
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まだ何時間もある。
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それなのに眠れない。
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天井を見上げながら苦笑する。
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三十歳を過ぎてから、こんな気持ちになるとは思わなかった。
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学生時代の遠足の前日みたいだ。
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いや。
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もっと落ち着かない。
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遠足は失敗しても笑い話になる。
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でも今日は違う。
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今日を境に何かが変わるかもしれない。
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そんな予感がある。
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スマートフォンを見る。
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昨夜、悠真から届いたメッセージ。
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『明日、よろしく』
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たったそれだけ。
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たったそれだけなのに、
何度も読み返してしまった。
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自分でも呆れる。
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午前十一時。
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服を選ぶ。
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クローゼットの前で立ち尽くす。
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普段なら五分で終わる作業。
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今日は三十分経っても終わらない。
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派手すぎるのは嫌だ。
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でも地味すぎるのも嫌だ。
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頑張ったと思われたくない。
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でも適当に見られたくもない。
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面倒くさい。
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そう思いながら、
結局いつもより少しだけ明るい色の服を選んだ。
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鏡を見る。
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悪くない。
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そう思う。
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駅前に着く。
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待ち合わせの十分前。
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あすかは少し早く来すぎたことを後悔する。
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緊張する時間が長くなるからだ。
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周囲を見る。
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休日の街。
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家族連れ。
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買い物帰りの人。
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学生たち。
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平日の夜とはまるで違う世界。
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そして、その中に悠真がいた。
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「おはよう」
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その声に振り向く。
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あすかは一瞬だけ言葉を失った。
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見慣れたはずの顔。
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なのに全然違う。
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夜のバーで見る悠真ではない。
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太陽の下にいる悠真だった。
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「おはようございます」
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なんとか答える。
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悠真が少し笑う。
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「緊張してる?」
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「してません」
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即答する。
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「してるじゃん」
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図星だった。
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二人で歩き始める。
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最初は少しぎこちない。
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夜の店では自然に話せたのに、
昼の街では妙に照れる。
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不思議だった。
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「昼に会うと変な感じですね」
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あすかが言う。
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「俺も思った」
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悠真は笑う。
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「別人みたい」
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「それ、失礼じゃないですか」
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「褒めてる」
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「本当に?」
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「本当に」
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そんな会話をしているうちに、
少しずつ緊張がほぐれていく。
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昼食を食べる。
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カフェに入る。
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コーヒーを飲む。
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店を出る。
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ただそれだけのこと。
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特別なことは何もない。
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でも。
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不思議なくらい楽しい。
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会話が途切れても苦しくない。
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沈黙があっても焦らない。
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それは安心だった。
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夕方。
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公園のベンチに座る。
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風が吹く。
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木々が揺れる。
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空は青い。
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悠真が言う。
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「なんか安心した」
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「何がですか」
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「店の外でも同じだったから」
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あすかは少しだけ笑う。
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実は自分も同じことを思っていた。
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店という特別な場所がなくなったら、
何かが壊れる気がしていた。
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でも違った。
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二人の会話は、
場所が変わっても続いていた。
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それが嬉しい。
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「私も少し安心しました」
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そう言う。
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悠真は驚いた顔をする。
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「珍しい」
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「何がですか」
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「そういうこと素直に言うの」
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あすかは少しだけ恥ずかしくなる。
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でも否定はしなかった。
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以前なら絶対に言えなかった。
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変わったのかもしれない。
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少しだけ。
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夕焼けが見える。
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空が赤く染まる。
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その光景を見ながら、
あすかはふと思う。
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春は終わった。
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でも終わったからこそ、
今ここにいる。
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もし春のままだったら、
きっと今日の約束はなかった。
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季節が進むように、
人の関係も進む。
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戻ることはできない。
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だからこそ価値がある。
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帰り道。
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駅の改札前。
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「今日はありがとう」
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悠真が言う。
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「こちらこそ」
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少しだけ沈黙。
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そして悠真が笑う。
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「また会おう」
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あすかも笑う。
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今度は迷わなかった。
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「はい」
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その返事は、
春の頃よりずっと自然だった。
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二人は別々のホームへ向かう。
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振り返らない。
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でも心は少しだけ軽かった。
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こうして、
二人の最初の夏が始まった。
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そしてこの夏は、
これまでの穏やかな時間とは違う顔を見せ始める。
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まだ誰も気づいていない。
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幸せは、
手に入れるよりも、
守るほうがずっと難しいということに。
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第3章 第2話「近づくほど見えてくるもの」へ続く




