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あすかの幸せについて  作者: こうた
第10章 定義の圧力

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第5話 不在の影

存在は、そこにいるときよりも、


いないときに強く形を持つことがある。



---


十二月下旬。



---


年末の空気はさらに濃くなっていた。



---


「人生の交差点」。



---


カラン。



---


扉の音がしない夜だった。



---


あすかは席に座る。



---


グラスが置かれる。



---


マスターは何も言わない。



---


いつものように、


静けさだけがある。



---


しかし今日は違った。



---


もう一つの席が空いている。



---


朝比奈が来ていない。



---


それだけのこと。



---


それだけのはずなのに、


空間のバランスがわずかに崩れている。



---


あすかはグラスを見つめる。



---


氷が溶けていく音が、


いつもより大きく感じる。



---


理由は分からない。



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ただ、


“いつもあるものがない”という事実が、


静かに存在している。



---


マスターはグラスを拭いている。



---


何も言わない。



---


その沈黙が逆に、


この不在を強調しているようだった。



---


あすかは思う。



---


来ないことは珍しいことではない。



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しかし今夜は違う。



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この関係の中で、


初めて“空白”が意識されている。



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それは不安ではない。



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しかし軽くもない。



---


説明のつかない重さ。



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やがて閉店が近づく。



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それでも朝比奈は来ない。



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あすかは帰る準備をする。



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扉に手をかける。



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その瞬間、


一瞬だけ迷う。



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理由はない。



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ただ、


ここで終わらせていいのか分からなかった。



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しかし扉は開く。



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外の冷気が入り込む。



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あすかはそのまま外へ出る。



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夜の街は静かだった。



---


いつもと同じ帰り道。



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しかし少しだけ違う。



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何かが足りないような感覚。



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それが何なのかは分かっている。



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しかし認めるにはまだ早い気がした。



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翌日。



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あすかはいつも通り仕事を終える。



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駅へ向かう。



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足は自然に「人生の交差点」へ向く。



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昨日来なかったことを、


意識しないようにしている。



---


しかし扉の前で、


一瞬だけ足が止まる。



---


カラン。



---


扉を開く。



---


「こんばんは」



---


マスターが言う。



---


あすかは答える。



---


「こんばんは」



---


席に座る。



---


グラスが置かれる。



---


しかし、


もう一つの席は空いたままだった。



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あすかは気づく。



---


不在は、時間を引き延ばす。



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昨日と今日をつなげてしまう。



---


朝比奈はまだ来ていない。



---


それだけの事実が、


妙に長く感じる。



---


マスターは何も言わない。



---


しかしその沈黙は、


いつもより少しだけ重い。



---


あすかはグラスを見つめる。



---


関係はまだ終わっていない。



---


しかし、


“続いていること”が保証されていない状態に入っている。



---


それが初めて、


はっきりと分かる。



---


あすかは思う。



---


これは終わりなのか。



---


それとも、


ただの間なのか。



---


答えはまだ来ない。



---


しかし、


待つという状態だけが残っている。



---


(第10章 第6話へ続く)

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