第5話 不在の影
存在は、そこにいるときよりも、
いないときに強く形を持つことがある。
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十二月下旬。
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年末の空気はさらに濃くなっていた。
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「人生の交差点」。
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カラン。
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扉の音がしない夜だった。
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あすかは席に座る。
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グラスが置かれる。
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マスターは何も言わない。
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いつものように、
静けさだけがある。
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しかし今日は違った。
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もう一つの席が空いている。
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朝比奈が来ていない。
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それだけのこと。
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それだけのはずなのに、
空間のバランスがわずかに崩れている。
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あすかはグラスを見つめる。
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氷が溶けていく音が、
いつもより大きく感じる。
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理由は分からない。
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ただ、
“いつもあるものがない”という事実が、
静かに存在している。
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マスターはグラスを拭いている。
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何も言わない。
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その沈黙が逆に、
この不在を強調しているようだった。
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あすかは思う。
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来ないことは珍しいことではない。
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しかし今夜は違う。
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この関係の中で、
初めて“空白”が意識されている。
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それは不安ではない。
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しかし軽くもない。
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説明のつかない重さ。
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やがて閉店が近づく。
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それでも朝比奈は来ない。
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あすかは帰る準備をする。
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扉に手をかける。
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その瞬間、
一瞬だけ迷う。
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理由はない。
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ただ、
ここで終わらせていいのか分からなかった。
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しかし扉は開く。
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外の冷気が入り込む。
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あすかはそのまま外へ出る。
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夜の街は静かだった。
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いつもと同じ帰り道。
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しかし少しだけ違う。
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何かが足りないような感覚。
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それが何なのかは分かっている。
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しかし認めるにはまだ早い気がした。
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翌日。
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あすかはいつも通り仕事を終える。
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駅へ向かう。
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足は自然に「人生の交差点」へ向く。
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昨日来なかったことを、
意識しないようにしている。
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しかし扉の前で、
一瞬だけ足が止まる。
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カラン。
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扉を開く。
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「こんばんは」
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マスターが言う。
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あすかは答える。
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「こんばんは」
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席に座る。
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グラスが置かれる。
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しかし、
もう一つの席は空いたままだった。
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あすかは気づく。
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不在は、時間を引き延ばす。
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昨日と今日をつなげてしまう。
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朝比奈はまだ来ていない。
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それだけの事実が、
妙に長く感じる。
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マスターは何も言わない。
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しかしその沈黙は、
いつもより少しだけ重い。
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あすかはグラスを見つめる。
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関係はまだ終わっていない。
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しかし、
“続いていること”が保証されていない状態に入っている。
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それが初めて、
はっきりと分かる。
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あすかは思う。
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これは終わりなのか。
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それとも、
ただの間なのか。
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答えはまだ来ない。
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しかし、
待つという状態だけが残っている。
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(第10章 第6話へ続く)




