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あすかの幸せについて  作者: こうた
第10章 定義の圧力

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第1話 日常のわずかな歪み

安定しているものほど、


変化は音を立てずに始まる。



---


気づいたときにはもう、


元の形ではなくなっている。



---


年末が近づいていた。



---


街は慌ただしいはずなのに、


「人生の交差点」の中だけは相変わらず静かだった。



---


カラン。



---


扉が開く。



---


あすかは顔を上げる。



---


朝比奈だった。



---


「こんばんは」



---


「こんばんは」



---


いつもの挨拶。



---


それだけで空気が整うはずだった。



---


しかしこの夜は、


少しだけ違っていた。



---


朝比奈の動きが、


ほんのわずかに遅い。



---


席に座るまでの間に、


いつもより一瞬の間がある。



---


あすかはそれを見ている。



---


しかし指摘しない。



---


できない、と言ったほうが近い。



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朝比奈は席に座る。



---


グラスが置かれる。



---


沈黙。



---


いつもなら“安定”と感じる沈黙。



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今日は少しだけ違う。



---


形は同じなのに、


空気が微妙に重い。



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理由は分からない。



---


ただ、


どこかが揃っていない。



---


あすかはグラスを手に取る。



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氷の音がやけに大きく聞こえる。



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朝比奈は本を開く。



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その動作はいつも通り。



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しかしあすかは気づいてしまう。



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“いつも通り”を演じているようにも見える。



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その瞬間、


小さな違和感が生まれる。



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理由のない違和感。



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説明できないズレ。



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あすかは視線を落とす。



---


この関係は、


すでに安定しているはずだった。



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少なくとも昨日まではそうだった。



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しかし今夜は違う。



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安定しているものが、


わずかに揺れている。



---


朝比奈が言う。



---


「年末は、少し立て込んでいて」



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あすかは顔を上げる。



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「そうなんですね」



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「はい」



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短い会話。



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しかしその“はい”の後に、


わずかな間があった。



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以前なら気づかなかった間。



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今は気づいてしまう間。



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あすかは思う。



---


関係は変わっていない。



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しかし“見え方”が変わっている。



---


同じものを見ているはずなのに、


違うものに見える。



---


それが問題なのかどうかも分からない。



---


やがて沈黙が戻る。



---


いつもの沈黙。



---


しかし今日は、


それが少しだけ息苦しい。



---


理由は分からない。



---


ただ一つだけ確かなのは、


何かが始まってしまったということだった。



---


言葉にならないままの変化。



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まだ誰も触れていない変化。



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それでも確かに、


そこにある。



---


朝比奈がグラスを回す。



---


氷が小さく鳴る。



---


あすかはその音を聞きながら、


思ってしまう。



---


この関係は、


まだ名前を持っていない。



---


しかし、


名前を持たないままでいられる時間は、


もう長くないのかもしれない。



---


(第10章 第2話へ続く)

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