第1話 日常のわずかな歪み
安定しているものほど、
変化は音を立てずに始まる。
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気づいたときにはもう、
元の形ではなくなっている。
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年末が近づいていた。
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街は慌ただしいはずなのに、
「人生の交差点」の中だけは相変わらず静かだった。
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カラン。
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扉が開く。
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あすかは顔を上げる。
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朝比奈だった。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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いつもの挨拶。
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それだけで空気が整うはずだった。
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しかしこの夜は、
少しだけ違っていた。
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朝比奈の動きが、
ほんのわずかに遅い。
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席に座るまでの間に、
いつもより一瞬の間がある。
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あすかはそれを見ている。
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しかし指摘しない。
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できない、と言ったほうが近い。
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朝比奈は席に座る。
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グラスが置かれる。
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沈黙。
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いつもなら“安定”と感じる沈黙。
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今日は少しだけ違う。
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形は同じなのに、
空気が微妙に重い。
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理由は分からない。
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ただ、
どこかが揃っていない。
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あすかはグラスを手に取る。
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氷の音がやけに大きく聞こえる。
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朝比奈は本を開く。
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その動作はいつも通り。
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しかしあすかは気づいてしまう。
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“いつも通り”を演じているようにも見える。
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その瞬間、
小さな違和感が生まれる。
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理由のない違和感。
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説明できないズレ。
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あすかは視線を落とす。
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この関係は、
すでに安定しているはずだった。
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少なくとも昨日まではそうだった。
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しかし今夜は違う。
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安定しているものが、
わずかに揺れている。
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朝比奈が言う。
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「年末は、少し立て込んでいて」
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あすかは顔を上げる。
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「そうなんですね」
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「はい」
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短い会話。
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しかしその“はい”の後に、
わずかな間があった。
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以前なら気づかなかった間。
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今は気づいてしまう間。
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あすかは思う。
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関係は変わっていない。
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しかし“見え方”が変わっている。
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同じものを見ているはずなのに、
違うものに見える。
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それが問題なのかどうかも分からない。
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やがて沈黙が戻る。
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いつもの沈黙。
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しかし今日は、
それが少しだけ息苦しい。
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理由は分からない。
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ただ一つだけ確かなのは、
何かが始まってしまったということだった。
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言葉にならないままの変化。
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まだ誰も触れていない変化。
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それでも確かに、
そこにある。
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朝比奈がグラスを回す。
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氷が小さく鳴る。
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あすかはその音を聞きながら、
思ってしまう。
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この関係は、
まだ名前を持っていない。
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しかし、
名前を持たないままでいられる時間は、
もう長くないのかもしれない。
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(第10章 第2話へ続く)




