兎に尋ねましょう
亜津兎は黙り混んだまま応えない。
「……亜津兎」
ポツリと名前を呼んだ。
彼は応えないーー。
遠くで聞こえる蝉の声。
重苦しい沈黙。
額から流れる汗。
いつまで沈黙が続くのか、いい加減僕が我慢できなくなった頃、ようやく彼が応えた。
『……用件はそれだけか?』
応えた声は、記憶にある声とは少し違っていた。
声変わりしたんですね……。
声から感情を読むことは出来ない。
「はい。……例えば昨日、力を使いましたか?」
あれが亜津兎だと言うのなら、話は早い。
だが、そうでなければーー。
『俺はお前を許したつもりはない』
その言葉に息を飲んだ。
冷たい声が僕を支配する。
「……あ」
『けど、余計な疑いをかけられるのも迷惑だから、教えてやる。俺の蛆は離れたところにいる人間に意思を伝えることも出来る。けどな、距離には限度がある』
亜津兎が、僕の問いに答える。
蝉が遠くで鳴いていた。
『今俺がいる場所から、お前の場所までは無理だ。何か媒介物があれば、話は別だけどな』
「あ、ありがーー」
『勘違いするな』
お礼を言いかけた僕の言葉を亜津兎は遮った。
『余計な疑いをかけられたくなかっただけだ。俺はお前を許すつもりない』
ピシャリと言い放つと、ブツリと通話を切られる。
冷たい言葉が胸に突き刺さり、ズキズキと痛んだ。
あれ?
何でしょうか? この感情は?
受話器を持ったまま、片方の手で胸を抑えた。
酷く胸が痛かった。
忘れたつもりはなかった。
許してもらえるとも思ってはいなかった。
それでも、まだ僕達はーー。
下唇を噛み締める。
これは、結局は僕の甘えだ。
僕が甘えてた。
胡蝶がヒラヒラと舞う。
コール音が数回鳴って電話が繋がった。
あれ? 僕はかけてないんですけど……。
『亜鶴沙。亜津の言うことは気にしなくていい。あいつも意地になってるだけだから』
受話器から聞こえたのは、時雨の声。
「……そうでしょうか? ……よく電話出来ましたね」
能力を使って電話をしていたのに。
『胡蝶の力で電話をかけられるのは、能力の応用だろ? 簡単に言えば、電話回線をハイジャックしてるようなもんだ。能力を使っているってところ以外は普通の電話と変わらないよ。履歴は残るし、公衆電話にかけることは出来るから、こちらからかけるぶんには普通の電話と同じだよ』
そう言って電話の向こうで時雨は笑った。
なるほど。時雨の説明はいつもわかりやすいですね。
『さっきの話だけど、亜津のあれは照れ隠しみたいな部分もあるから。あいつ本当はお前のこと心配してるんだ』
……心配?
『胡蝶の能力を使ったろ? それが確認できてる。おまけに暴走したって』
あ……。ゴールデンウィークの時のことだ。
『それ亜津兎も知ってるんだ。お前がまた傷付くんじゃないかって心配して怒ってるんだ』
本当にそうでしょうか?
僕は二人にとても酷いことをした。
「……時雨は僕のこと怒ってないんですか?」
本当は許してるんですか? そう聞きたかったけれど、勇気がなかった。
蒸し暑い電話ボックスにいるのに、亜津兎の一言で体は凍りついてしまったようです。
『……怒ってる』
少し黙った後、時雨はそう言った。
ドキリと心臓がなった。
『それはね、亜鶴沙がまた胡蝶を使ったからだよ』
あれ? 少し想像とは違った答えが来ました。
「……」
『でも、私は良いことだと思う。力を使ったのは、前に進もうとした証拠だろ? けど、連絡が欲しかった。どうして一人で何でもやろうとするんだ? 私も心配したんだよ。だから怒ってる』
時雨は、僕に伝えようと言葉を紡ぐ。
時雨の言葉は不思議といつも僕の胸に響く。
『亜鶴沙、人に心配かけたら、ごめんなさいって謝るんだよ』
ああ。時雨は、僕のこと心配してくれたんですね。
「……ごめんなさい、時雨。心配してくれてありがとうございます」
ありがとう。時雨ーー。
『うん。いいよ。亜鶴沙、一人で無理するなよ。私は側にいてあげられないけど、皆の力になりたいから。だからーー』
頼ってーー。
その言葉が胸にすーっと入ってくる。
どうして、時雨の言葉は僕の胸に響くのでしょうか?
「分かりました。……亜津兎と話させてくれてありがとうございました」
そのまま、電話を切ろうとすると時雨は待ったをかけた。
『もっと電話して。手紙でも良い。亜津兎も喜ぶ。本当はあいつ寂しがり屋なんだ』
「分かりました」
ガチャリと受話器を置いて、電話を切った。
久しぶりに話す相手だった。
でも、僕のこと見ていてくれてたんですね。
懐かしい友人は、もう友と思ってないかもなんて思ってたのに、頼って、そう言われた。
もっと電話してとも。
それがとても嬉しいのです。
ポタポタと涙の粒が落ちる。
ありがとう。
時雨。
心配してくれてたことが嬉しい。
本当は怖かった。
罵倒される。そう思っていた。
そうされてもおかしくないことを、自分はした。
けれど、心配してくれてた。
「……ごめんなさい」
そして、ありがとうーー。