■第18章:救済 ――「最初のユーザー」
◆1 資格試験の朝
希は真っ白な受験票を握りしめていた。
手のひらはじっとり湿って、
文字が滲むんじゃないかと心配になる。
「怖い……な」
亮介がとなりに座っている。
優しいまなざし。
しかしその奥には、何度もの夜を越えた
“祈り”が詰まっていた。
「怖いのは、進んでいる証拠だよ」
希は息を吸い、ゆっくり吐いた。
耳元には、
見えないヘッドセットの記憶。
LIM に支えられた時間の積み重ねが、背中を押す。
「息をする。
止まったら吸って、苦しくなったら吐いて。
ね?」
「……うん」
試験会場の扉が開く。
希は一歩踏み出した。
◆2 教室という戦場
配られる問題用紙。
周りは鉛筆を走らせる音ばかり。
希には、
時計の針の音すら敵に思える。
(落ち着いて。LIM が教えてくれたやり方で)
問題文を
“理解できるリズム”で追いかける。
ゆっくり。
だけど止まらずに。
視界の端に——
父と母の未来の写真が浮かんだ。
(三人で、笑いたい)
手が動いた。
◆3 結果発表の日
教育センター。
瀬尾と木島、そして亮介とさつきが見守る中。
希はスマホ画面に表示された
「結果待機中」の文字を
祈るように見つめていた。
(できてなかったらどうしよう
でも……進みたい)
更新ボタン。
画面が切り替わる。
合格
「……っ!」
希は息を飲んだ。
それは、彼女の未来がひらいた音だった。
瀬尾がガッツポーズ。
木島が何度も頷く。
亮介の膝が震え、
さつきが泣きながら希を抱きしめる。
「よく頑張った!」
「自分で掴んだんだよ、希ちゃん!」
涙の中で希は思う。
(私の未来……
始まったんだ)
◆4 社会実装という名前の「救い」
その報告はすぐに研究室へ届き、
教授陣は動いた。
「LIM の正式採択を
次期学習支援プロジェクトに提案します」
学会での反響も追い風になり、
自治体教育委員会での説明会が設定された。
会議室のスクリーンに
希の実証データが映る。
教育委員の一人が言った。
「一人救える技術は、
十人を、百人を救える可能性がある」
別の委員が応じる。
「テーラーメイド教育の基盤技術になる」
決定は即日だった。
LIM:地域パイロット運用開始
亮介は目を閉じ、
息子の名を胸の中で呼んだ。
(悠人……お前は今、未来を動かしている)
◆5 父の胸に宿る“痛み”の正体
公園のベンチ。
合格祝いの帰り道。
希が自販機の前で悩んでいる間、
亮介は静かにさつきへ言った。
「俺は……本当は、
まだ赦せてない」
「……息子を?」
「違う。
俺自身を」
さつきは小さく首を振る。
「赦さなくていいよ。
生きていけば、だんだん“丸く”なる」
「丸く?」
「だって——
もう尖らせておく必要、
ないでしょ?」
亮介は小さく笑った。
それで充分だった。
◆6 希の願い:息子の速度で
希が、両手にジュースを抱えて戻ってきた。
「ねえ」
「どうした?」
「……あのUSBの音声、
私にも聞かせてくれてありがとう」
亮介とさつきは頷いた。
「私、ちゃんと感じた。
悠人さんは……未来を見てた」
「うん」
「だから、私も——
未来に置いていかれたくない」
その言葉は、
息子が言いたかった言葉そのものだった。
◆7 救済の連鎖が始まる
大学の広報が取材に訪れる。
新聞社から問い合わせが入る。
教育委員会とIT企業が共同会見を準備する。
LIM はすでに、
希の未来だけを支えていない。
(息子が救った“最初の一人”から
救いが増殖している)
亮介は震える手で、
息子の名前が刻まれた論文を見つめた。
「悠人、見えてるか?」
風が吹いて
桜の残り花が舞う。
それはまるで——
息子が拍手を送っているようだった。
◆8 父が、ようやく泣けた夜
その夜。
帰宅した亮介は、
息子の写真の前に立った。
「やっと……
分かったよ」
声を殺して泣いた。
「お前は死んだんじゃない。
未来に先回りしただけなんだな」
初めての、
正しい涙だった。
◆章末の一文
救いは、たった一人から始まる。
生まれた未来は、もう止まらない。
未来は——増殖する。




