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未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード1
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19/31

第19章:母の言葉 —「生きる理由をもらったのは私たち」



◆1 沈黙を破る声


 日曜の昼下がり。

 さつきは、キッチンの小さな丸椅子に座っていた。


 息子の死後、

 料理はずっと亮介に任せきりだった。


 だが今日は違う。

 エプロンを久しぶりに身につけ、

 新品同様の包丁を手に取った。


「緊張するね、なんか」


 笑って言ったつもりが、

 少し震えていた。


「大丈夫。

 焦らず、息しながら」


 亮介はそう言って、

 コンロの火を弱めた。


 希も手伝いに来てくれていた。

 三人の動きはまだぎこちないけれど、

 食卓の会話という生活のリズムが

 胸の奥を温めていく。


◆2 途切れていた家族の呼吸


 テーブルに並んだ小さな食事。

 焦げが少し目立つ卵焼きと、

 塩気が足りない味噌汁。


「……おいしい」


 亮介が本気で言う。

 希も笑いながら頷いた。


「なんか、久しぶりだな。

 一緒にご飯」


 さつきは箸を置き、

 手の甲でそっと目頭を押さえた。


 息子が生きていた頃、

 三人で笑いながら食べていた夜は

 もうずっと昔になってしまった気がしていた。


 しかし今、

 その 生活 が取り戻されつつあった。


「ありがとうね、亮ちゃん。

 戻ってこられてるの、ちゃんと感じる」


 亮介は笑いながらも、

 噛みしめるように頷いた。


◆3 涙の価値が変わる日


 食後。

 希は勉強の復習に戻り、

 亮介は洗い物へ向かった。


 さつきはテーブルの上の

 家族写真を静かに手に取った。


 白い背景。

 真ん中の余白。

 そこに息子のいた気配。


「……悠人」


 名前を呼ぶ声が、

 悲嘆ではなく会話になっていた。


「ありがとう、ね。

 私を……置いていかなかった」


 涙がひとすじ、

 頬を伝った。


 それは

 “喪失の涙”ではなく

 “存在への感謝”の涙だった。


◆4 母の歩幅で


 夜。

 3人で近所の図書館へ向かった。

 希の勉強習慣のためでもあり、

 家族が外の世界を歩くためでもある。


 さつきは少し遅れて歩く。

 けれど、その歩幅は確かだった。


「ゆっくりでもいいんだよ」


 亮介が振り返って言う。


「うん。

 私の速度で行くよ」


 息子がいつも苦しんでいた

 “世の中の速度”に

 今、母が自分を合わせず、

 自分の速度で未来へ歩いている。


◆5 息子からの贈り物 —「生きる理由」


 図書館の休憩スペース。

 希が集中して問題を解いている。


 さつきは、その姿を眺めながら言った。


「……私たち、

 あの子から生きる理由をもらったんだね」


 亮介は少し驚いた顔をした。


「生きる理由?」


「うん。

 あの子は、

 未来に向かって走っていったでしょう?」


「……ああ」


「だったら、私たちが立ち止まったら……

 あの子が進んだ意味がなくなる」


 さつきは笑った。

 穏やかな強さで。


「だから私は、生きる。

 あの子の未来を見るために」


 亮介は胸が熱くなるのを感じた。


「……ありがとう、さつき」


 その言葉には、

 もう“謝罪”の影がなかった。


◆6 母の宣言


 図書館の帰り道。

 春の夜風が、

 街灯に照らされた歩道を撫でていく。


 さつきは立ち止まり、

 空を見上げた。


「悠人」


 夜空へ向かって呼びかけた。


「あなたがくれた未来を、

 私たちはこれからも生きるよ」


「見ていてね。

 ちゃんと笑うから」


 その瞬間、

 風がそっと吹き抜けた。


(聞いてるよ、母さん)


 そんな声が聞こえた気がした。


◆7 未来へ続く家族写真


 帰宅して、

 玄関の壁に新しい写真が飾られた。


 三人で撮った写真——

 真ん中には、白い余白。


「ここが、悠人の居場所」


 さつきが指でそっと触れた。


「ここから今日まで、

 そして今日から未来へ」


 亮介が言葉を継ぐ。


「もう、

 私たちは置いていかれないね」


「置いていかれないよ。

 三人で行こう」


 希が笑った。


◆章末の一文


喪失は終わった。

求められるのは、

未来を生き続ける勇気だけ。


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