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未来の速度で  作者: 未世遙輝
エピソード1
12/31

◆第12章:支援者 ――「最初の追い風」



 薄い朝の光が、研究室の窓から差し込んでいた。

 蛍光灯の白い光とは違う、

 ゆっくりと色温度を変えながら存在を主張する光。


 亮介はモニターを凝視していた。

 再投稿した論文の状況を確認するでもなく、

 デスクに開いたままの

 LIM:Life Inclusive Modulatorの資料を

 山のように積み上げ、

 そこに視線を落とし続けていた。


 昨夜、息子の声が蘇った。

 その余韻はまだ体の奥に燃えている。

 だが同時に、

 その火は静かに痛みを伴っていた。


「未来はゆっくり進んでくれないのか」


 独り言。

 胸の奥から漏れた言葉は

 いつものように消えていく。


 その時、ノック音。


 細身のスーツを着た男が立っていた。

 黒縁眼鏡、整えられた髪。

 どこか疲れを抱えた眼差し。


「木島さん……」


「ちょっと、お話よろしいですか」


 彼は教育系スタートアップの創業者。

 息子の研究を一度“社会の現実”で見た男。

 だがあの時は動かなかった――いや、

 動けなかったと言うべきだろう。



 会議室。

 ガラスの壁越しに、

 忙しなく動く職員たちが見える。

 透明な仕切りは、

 亮介と社会を隔てる象徴のようだった。


「あなたの論文、読ませていただきました」


「……学会からは否定されました」


「ええ。

 生きていない第一著者は、科学では信用されにくい。

 それが現実です」


「現実……」


 その単語は刺のように小さく心に刺さる。


「でもね――

 私はあの研究を、ただの技術だとは思っていません」


 亮介が顔を上げた瞬間、

 木島の視線の奥に、

 わずかな熱が宿っているのを感じた。


「あなたの息子さんは――速すぎたんです。

 だけど速すぎた者が見た景色は、

 きっと誰かを救います」


 ゆっくりと、それでも確かに。

 父の胸に、小さな追い風が生まれた。



「私は……息子の名前でないと駄目なんです。

 息子の未来なんです。

 息子が救おうとした誰かのために、

 息子の名前で届けたい」


「わかります」


 木島は頷き、タブレットを操作した。


「実はもう、一人……

 試したいという子がいます」


「……希さん?」


「ええ。

 不登校気味の高校生で、

 学習継続が難しいタイプです。

 集中力の波が激しく、環境差も大きい。

 適応障害と診断されています」


 亮介は胸の奥で、

 息子の研究思想が鼓動するのを感じた。


人に合わせろ。

その脳の速度で走れ。


「……お願いします」


「条件があります。

 あなた自身が、直接見てください。

 彼女が救われる瞬間を」


「見届けます。

 必ず」



 希の自宅学習支援室。

 小さな机と折りたたみ椅子。

 窓の外から鳥の声が聞こえる。


 ヘッドセットを装着した希は、

 最初、不安げに視線を泳がせていた。


「本当に、できるんですか」


「できるよ。

 失敗しても怒られない。

 休んでもいい。

 君の速さで」


 亮介は、息子が生前に好んで使っていた口癖を

 自然に口にしていた。


 LIMが起動する。

•注意が逸れそうになると「休憩しよう」と促す

•集中のピークを読み取り、数分のチャンスを最大化

•不安や自責の兆候を感情解析で拾い上げ

 「大丈夫」と言葉を落とす


 希は、声にならない息を飲んだ。


「……できる。

 ……できる気がする」


 そのまま五分。

 わずか五分。


 だが、

 それは彼女にとって奇跡の五分だった。


「すごい……

 私、勉強してる」


 亮介は、思わず目を伏せた。

 まぶしくて見ていられなかった。


 そこに――


息子がいた。



 帰宅後。

 亮介は解凍を進めていた

 help_04の解析結果を開いた。


「未再生音声:help_04.mp4a」

「推定録音日時:命日の3日前」


 指が止まった。


 聞くのが怖かった。

 しかし聞かない理由は、もう無い。


「…… son … ? 」


 微細なノイズ。

 解析技術が補正をかける。

 音量が上がる。


「——父さん。

 聞こえる?

 もしこれ……届くなら」


 一瞬で涙腺が揺れる。

 亮介は手で口を押さえた。


「ごめんなさい。

 俺、たぶん間に合わなかった」


 音が歪む。

 息が乱れている。


「でもね……

 失敗しても怒られないって、

 誰か、言ってくれた気がした」


 亮介の脳裏に、

 希の姿が重なった。


「だから……

 父さんお願い。

 俺の代わりに、

 誰かを……生きさせてあげてください」


 亮介の目から涙がこぼれる。


「父さん、母さん……

 二人とも、置いていくつもりはなかった。

 ほんとだよ」


 言葉の間に、

 呼吸と啜り泣きが混ざる。


「未来は、俺のせいで止まらないで」


 音声は途切れた。



 涙は、止まらなかった。


 しかし今回は

 「どうして死んだんだ」ではなかった。


「どうしてここまで、未来を信じていたんだ」


 その問いが、

 胸の底を熱く焼いた。


 木島の言葉が重なる。


「速すぎた者が見た景色は、

 きっと誰かを救う」


 息子が見た景色は、

 いま確かに希を救った。


 ならば、

 まだ救える。


「必ず……届ける。

 息子の未来を」


 その囁きは、

 祈りではなく誓いだった。


第12章:支援者 — 完


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