◆第12章:支援者 ――「最初の追い風」
薄い朝の光が、研究室の窓から差し込んでいた。
蛍光灯の白い光とは違う、
ゆっくりと色温度を変えながら存在を主張する光。
亮介はモニターを凝視していた。
再投稿した論文の状況を確認するでもなく、
デスクに開いたままの
LIM:Life Inclusive Modulatorの資料を
山のように積み上げ、
そこに視線を落とし続けていた。
昨夜、息子の声が蘇った。
その余韻はまだ体の奥に燃えている。
だが同時に、
その火は静かに痛みを伴っていた。
「未来はゆっくり進んでくれないのか」
独り言。
胸の奥から漏れた言葉は
いつものように消えていく。
その時、ノック音。
細身のスーツを着た男が立っていた。
黒縁眼鏡、整えられた髪。
どこか疲れを抱えた眼差し。
「木島さん……」
「ちょっと、お話よろしいですか」
彼は教育系スタートアップの創業者。
息子の研究を一度“社会の現実”で見た男。
だがあの時は動かなかった――いや、
動けなかったと言うべきだろう。
◆
会議室。
ガラスの壁越しに、
忙しなく動く職員たちが見える。
透明な仕切りは、
亮介と社会を隔てる象徴のようだった。
「あなたの論文、読ませていただきました」
「……学会からは否定されました」
「ええ。
生きていない第一著者は、科学では信用されにくい。
それが現実です」
「現実……」
その単語は刺のように小さく心に刺さる。
「でもね――
私はあの研究を、ただの技術だとは思っていません」
亮介が顔を上げた瞬間、
木島の視線の奥に、
わずかな熱が宿っているのを感じた。
「あなたの息子さんは――速すぎたんです。
だけど速すぎた者が見た景色は、
きっと誰かを救います」
ゆっくりと、それでも確かに。
父の胸に、小さな追い風が生まれた。
◆
「私は……息子の名前でないと駄目なんです。
息子の未来なんです。
息子が救おうとした誰かのために、
息子の名前で届けたい」
「わかります」
木島は頷き、タブレットを操作した。
「実はもう、一人……
試したいという子がいます」
「……希さん?」
「ええ。
不登校気味の高校生で、
学習継続が難しいタイプです。
集中力の波が激しく、環境差も大きい。
適応障害と診断されています」
亮介は胸の奥で、
息子の研究思想が鼓動するのを感じた。
人に合わせろ。
その脳の速度で走れ。
「……お願いします」
「条件があります。
あなた自身が、直接見てください。
彼女が救われる瞬間を」
「見届けます。
必ず」
◆
希の自宅学習支援室。
小さな机と折りたたみ椅子。
窓の外から鳥の声が聞こえる。
ヘッドセットを装着した希は、
最初、不安げに視線を泳がせていた。
「本当に、できるんですか」
「できるよ。
失敗しても怒られない。
休んでもいい。
君の速さで」
亮介は、息子が生前に好んで使っていた口癖を
自然に口にしていた。
LIMが起動する。
•注意が逸れそうになると「休憩しよう」と促す
•集中のピークを読み取り、数分のチャンスを最大化
•不安や自責の兆候を感情解析で拾い上げ
「大丈夫」と言葉を落とす
希は、声にならない息を飲んだ。
「……できる。
……できる気がする」
そのまま五分。
わずか五分。
だが、
それは彼女にとって奇跡の五分だった。
「すごい……
私、勉強してる」
亮介は、思わず目を伏せた。
まぶしくて見ていられなかった。
そこに――
息子がいた。
◆
帰宅後。
亮介は解凍を進めていた
help_04の解析結果を開いた。
「未再生音声:help_04.mp4a」
「推定録音日時:命日の3日前」
指が止まった。
聞くのが怖かった。
しかし聞かない理由は、もう無い。
「…… son … ? 」
微細なノイズ。
解析技術が補正をかける。
音量が上がる。
「——父さん。
聞こえる?
もしこれ……届くなら」
一瞬で涙腺が揺れる。
亮介は手で口を押さえた。
「ごめんなさい。
俺、たぶん間に合わなかった」
音が歪む。
息が乱れている。
「でもね……
失敗しても怒られないって、
誰か、言ってくれた気がした」
亮介の脳裏に、
希の姿が重なった。
「だから……
父さんお願い。
俺の代わりに、
誰かを……生きさせてあげてください」
亮介の目から涙がこぼれる。
「父さん、母さん……
二人とも、置いていくつもりはなかった。
ほんとだよ」
言葉の間に、
呼吸と啜り泣きが混ざる。
「未来は、俺のせいで止まらないで」
音声は途切れた。
◆
涙は、止まらなかった。
しかし今回は
「どうして死んだんだ」ではなかった。
「どうしてここまで、未来を信じていたんだ」
その問いが、
胸の底を熱く焼いた。
木島の言葉が重なる。
「速すぎた者が見た景色は、
きっと誰かを救う」
息子が見た景色は、
いま確かに希を救った。
ならば、
まだ救える。
「必ず……届ける。
息子の未来を」
その囁きは、
祈りではなく誓いだった。
第12章:支援者 — 完




