嫉妬事件
「何よ、あの女」
ウォマはジッとハララカの横に立つ可憐な少女を睨みつけた。それをデュメリルはたしなめる。
「ただ話してるだけだろ? そんな怒んなって」
2人は街の軽食屋で向かい合って食事をしていた。
外にある店なので砂っぽいのが玉に瑕だが食事は美味しい。その美味しい食事を中断させたのがハララカの存在である。
「でも! あれは明らかに気があるでしょ!」
彼女はビシッと、少女を指す。
ハララカとその少女は露店の前に並んで顔を見合わせている。少女は柔らかく微笑みハララカに熱心に話をしていた。
何をそんなに話すことがあるのだ。
ウォマはギュッと拳を握る。
「まあー、気はあるかもな。
でもハララカなら大丈夫だって。どーせ君にしか興味ないだろうし」
「分かんないよ……初めてヤッた人を愛さなくてはと思ってるだけかも」
「ハハ、そんな。そしたら僕は奴隷商人を愛することになるだろ」
「私なんてヤク中だよ。
いやそうじゃない。そうじゃないんですよ。
ハララカさんが靡いちゃうかもしれない危険の話です!」
デュメリルは心底興味無さそうに息を吐いた。
「信じてやれよ。
あいつ、人間嫌いだもん。浮気どころか友達にだってなれない」
「それは! そうだね! そうなんだけど……最近ズグロちゃんとも仲良くしてるし……」
「あの変態美女と?」
「うん。ズグロちゃんは昔から私の恋人を寝取るから、ハララカさんも寝取られちゃうかも」
その言葉にデュメリルは美しい顔をひくつかせた。
「えー、と。
ウォマはズグロちゃんと友達なんだよな?」
「そうですよ」
ウォマはケロリと答える。それに一層デュメリルの顔は引き攣った。
「寝取られるのか、恋人」
「まあねえ。ズグロちゃんは私が男と付き合うの嫌がるから。
でも今までの人は良いんですよ、打算もあったし……。
けどハララカさんはダメだ」
彼女は唇を噛む。打算無しで誰かを好きになったのは初めてだった。
だからこそ、誰にも渡したくない。
「あの女、距離近くない?」
ハララカと少女は何かを熱心に見つめていた。2人の肩と肩はぶつかりそうだ。
「クッソ、身包み剥いで木に逆さに括り付けてやろうか」
「ウォマ……君も大概だな」
デュメリルは整った弧を描く眉を寄せウォマを見る。そもそもハララカが浮気をするわけがないと、デュメリルは分かっていた。
人間嫌いの上に女性恐怖症だ。確かに一定の層の女性からはモテるようだが(それでもデュメリルには遠く及ばない)、本人は全く意に介していない。
ただ1人、ウォマしかハララカの心を動かせないのだ。
「そんなに気になるなら話しかければ良いだろ? 僕まで巻き込むなよ」
「一緒にご飯食べようって誘ったのはそっちじゃないですか」
「そうだけどさあ。
……2人がどうしてるか心配だったし。
ヒバカリも、顔は見てないけど手紙はくれる。でも君たちは何も連絡寄越さないじゃないか」
デュメリルは頬杖ついてウォマをジッと見つめた。
こうして2人が会うのは数ヶ月ぶりのことである。
単に忙しかった……というのもあるがハララカの件でデュメリルは、彼と距離を置くべきだと判断したのだ。
その気持ちはウォマにも分かる。恩人の孫娘とその大事な人を殺そうとしてパーティに入ったのだ。つまり、デュメリルは騙されていた。
いくらデュメリルとはいえ何か思うところはあるのだろう。
「元気にやってますよ。
そっちは? ルソンさんたちはどうしてる?」
「結構調子良いんだ。
仕立て屋業も波に乗れてきてる」
「……ちょっと、押し付けちゃったかなって思ってたんです。お金だけ貰って責任は放棄したって。
やっぱり私はあの館にはいられないし……」
「気にするなよ。僕としては助かった」
「……ハララカさんに会うんですか」
ウォマの問いにデュメリルは輝く目を伏せて、ポツポツと語り出した。
「どうかなあ。
……僕は復讐心とか分からないから。いや、分かる。酷いことをされたら仕返しをしたくなるのは。でも……限度ってものがあるだろうし」
「うん」
「殺し過ぎだ。
でも、アイツのされたことを思うと堪らない気持ちになる。
子供の時にさ……ちゃんと、愛情をくれる人がいないとどうしても……なんか、うまくいかないよなあって。
僕にはルソン姉ちゃんがいた。運が良かった、それだけだ。
僕だってルソン姉ちゃんがいなかったらああなってたかもしれない。奴隷商人を見つけて殺して殺して……」
彼の言葉尻は震えていた。
「ウォマ、君がハララカといるのが不思議だ」
「……ハララカさんのしてきたことの話?」
「そうじゃない。
ウォマは1人が好きだろう。孤独が。
多分君も酷い過去がいくつもあって、それなのにハララカのようにならなかったのは単に孤独が好きだからだ。君にとって孤独以外は全部同じだから、他人に対して何かを抱かない。
誰に対しても同じ評価を付ける……ズグロちゃんにされたことを酷いと思っても怒らないで側にいさせるのも同じ理由か」
いきなりの言葉にウォマは言葉を失った。
孤独が好き。そうなのだろうか。
確かに彼女はいつだって1人で眠りたかった。
生まれた時から1人で生きてきたのだ。人と人は少しくっ付いてやがてすぐに離れて行く。そういうものだと思っていた。
「……ハララカさんは、いくら寄り添ってもダメなんだ」
「ダメ?」
「体温がしないというか……。
虚ろなんですよ。だから側にいても重みがない。
それが凄く寂しい……」
ウォマは両手を見た。どれだけハララカを愛そうとも彼の心の奥深くにまで届いていないのが分かる。
彼のウォマへの感情は重い。だが、それは突如消えてしまいそうな重みだ。
だから側を離れられない。
「……やっぱり僕は会わないでおくよ」
「え?」
「色々、気持ちの整理がつかないしな。
まあ一つ君にアドバイスするとしたら、そこまで不安にならなくても大丈夫ってことぐらいだな」
デュメリルはそう言って立ち上がった。もう帰ることにしたらしい。
「じゃあ、元気で。また会おう」
「はい、じゃあまた……」
「っと、待って、髪に何か……虫かな。なんかヌラヌラしてるけど」
「ゲェ! 取ってください!」
デュメリルは嫌そうに顔をしかめながらウォマの髪に手を伸ばし—彼の横スレスレに矢が飛んできた。
「ヒッ!?」
「ギャ! 矢なんて使わないでくださいませ!?」
「僕じゃない!」
デュメリルとウォマは慄きながら矢の放たれた方向へ顔を向けた。
そう、ハララカである。彼は薄っすら微笑みながらこちらへと歩み寄った。
「お久しぶりですねえ、デュメリルさん」
「お、お、う」
「何しにここへ」
「何って、ウォマと話を……頼むから弓を下ろしてくれ!」
ハララカはあの、例の、星一つ浮かんでいないような暗い空の目でデュメリルを睨みながら弓を下ろした。
「ウォマさんに触らないでください」
「虫を取ってやろうとしただけだ!
なんでそんな怒るんだよ!」
「別にぃ?」
彼はウォマの髪についていた虫をサッと払うと彼女の横に座った。
ウォマはどんな虫が付いていたのか気になったがハララカから放たれるプレッシャーに、それを諦めざるを得なかった。
「なんの話をしてたんですかあ?」
「えっと、近況報告、てきな?」
「ふうん。で? なんの話をしてたんですか」
「ホントだよ!?」
まあ確かにハララカの話もしていたが……ウォマはハララカの顔を覗き込んだ。
「なんで疑うんです」
「随分話し込んでたみたいだから」
「あれ? 私たちのこといつから気付いてました?」
「デュメリルさんが来る前から」
そうなると、ここには1時間以上前からいることとなる。
なぜ声をかけなかったのだろうか、とウォマとデュメリルが顔を見合わせる。
「やっぱりお前も僕と顔を合わせるの気まずかった?」
「え? いえ特には」
「ああそう……」
「気まずく思う必要ありますかあ?」
「僕にはあったんだよ……」
デュメリルが半ばヤケになってそう言うと、ハララカはフンと鼻を鳴らした。
「別に同情しなくても良いんですけど。俺はあなたのこと嫌いですしねえ……同情されても腹が立つだけというかあ……」
「お、お前なあ!」
彼は苛立ち、立ち上がってハララカに何か言おうとしたが、結局溜息を吐いただけだった。
「……もう帰る。今日は僕が奢るから」
「待ってください。俺がまだ食べていません」
「お前にゃ奢らん! じゃあな!」
デュメリルは机の上の伝票を引っ手繰るとさっさと歩き出した。ウォマは何か声を掛けるべきだと思ったのだが、なんと言うべきか分からず、取り敢えず手を振っておいた。
「行っちゃった……。良いんですか、話しないで」
「何を?」
「積もる話があると思ったけどな」
「別にありませんよ」
ハララカはどさっと椅子に背をもたれ、デュメリルの去って行った方向へ顔を向けた。
ウォマは暫く黙っていたがやがて気になっていたことを切り出す。
「それで……あの女の子誰」
「女の子って?」
「……露店で一緒にいた子……」
可愛い子だった。胸は自分の方が勝っているがな! と思いつつもやはり気になるウォマはチラリとハララカを盗み見た。
彼は何故か……酷く嬉しそうに笑っていた。
「な、なんで笑ってるの」
「さあ?」
「さあって……。
け、結局あの子誰なの?」
「……誰でも良いでしょう?」
良くない! ウォマがハララカの方へ体ごと向けると、彼は意地悪な顔でウォマを見つめていた。
ウォマの勘が突如伝えてくる。
こいつ、楽しんでやがる。
「人のことからかって……! ふざけないでよね!」
「ふざけてません。至って大真面目です」
「そんな笑顔でか!?」
「嬉しくてつい」
「なにがっ!」
「……嫉妬してくれて」
彼はウォマの頬に手を伸ばし親指で撫でた。
硬い皮膚の感触にウォマの背筋が震える。
「ちょっと話してただけなのに」
「だって、あの子明らかにイツキさんに気があったしさ」
「そうですかあ? 売れてないみたいだから、俺が興味を持ったのが嬉しかっただけだと思いますよ」
「……店員さんだったの? なんのお店」
フッと笑ったハララカはウォマの頬から手を離すとポケットから銀色の何かを取り出した。
よく見ると、それは髪飾りだった。
「へ」
「髪伸びてきて、また変なのに目を付けられると困るから」
「わ、私の?」
「俺のな訳ないでしょう?
……付けてあげるから後ろ向いて」
ウォマの心臓が大きく鼓動する。腹の底から大きなものが沸き起こる。
嬉しかった。ハララカが外でウォマのことを考えてくれたことが。彼女の為になると考えて物を買ってくれたことが。
「あ、ありがとう……! すっごく嬉しい、です」
「どういたしまして」
ハララカは後ろを向けとウォマの体を動かそうとする。だが彼女は、喜びで周りなど見えなくて、ハララカの胸に飛び込んだ。
「ウォマ、さん?」
彼女は返事をしないでハララカの体をギュッと抱きしめた。彼のことが愛おしくて堪らない。
「このまま髪結んじゃいますからね」
彼はウォマの頭をポンポンと叩くと優しい手つきで髪を結わえ始める。
ふと、ハララカの指がウォマの首にかかる鎖を撫でた。
「これ」
それは以前、ウォマが買ったネックレスだった。ハララカに月の色の瞳だと言われた時に嬉しくて買ったもの。
「付けてたのか……」
「そう。嬉しかったから」
「そりゃ良かった。
ウォマさんのことだからとっくに落としたり無くしたりしてると思ってました」
ウォマは一層強くハララカを抱く。
「私、イツキさんが思ってるよりも遥かにイツキさんのこと好きだよ」
「……そう」
「信じてないでしょ。
でも良いです。嫌ってほど分からせますから」
そう言ってウォマがハララカの顔を見ると、彼は頬を染め、幸せそうな顔でウォマを見下ろしていた。
「ウォマさんは来るもの拒まず去る者追わずって感じだから……嫉妬したり、こうやって言葉にしてもらえると安心する」
「私そんなあっさりして見えるわけ……?」
デュメリルにも似たようなことを言われたのを思い出しウォマは銀色の眉を寄せる。
ハララカはそんなウォマの髪を撫でながら答えた。
「人に対して淡々としている感じがしますねえ。
サヴのこともあっさり裏切ったし、変態女とも適度な距離を守って接して、パーティの皆と離れる結果になっても特に何も言わない」
「うーん。それは……まー、今生の別れってわけじゃないし……。
いつかまた会える気がするからなあ」
現にデュメリルとも会っている。そう思うとウォマとしては別に悲しむことでもなんでもないように思えた。
サヴのことを裏切ったのは単に見切りを付けただけだ。
「……でも、イツキさんは特別だから」
ウォマは小さくそう呟く。
ハララカはウォマのつむじにキスをすると髪の毛を結んだ。
そのハララカの優しい手つきに彼女はウットリと目を閉じた。慈しみの篭った触り方が心地良い。
これからどうなるかは分からない。
だが今はこうして彼に触れてもらえることがウォマにとって幸せだった。




