2 最強の魔獣とルンバ
パニックになる私の前で、魔法陣の光が収束していく。
そして、青白い煙の中から、ゆっくりと人影が立ち上がった。
「…………カレンシュ、ようやく、見つけた……容姿は少し変わっているが、紛れもない魂の輝きが同じだ」
かすれきった、けれど鼓膜の奥を甘く震わせるような、低く美しい声。
そこに立っていたのは、ボロボロに引き裂かれたローブを纏い、肩で息をしている長身の男だった。
銀糸のように輝く長髪。
日本人離れした、けれど見間違えようのない、あの冷酷で整った氷の美貌。
「…………えっ?」
私は、息を呑んだ。
心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
恋ではない。圧倒的な恐怖と、逃れられないトラウマのフラッシュバックだ。
ただ――記憶の中の彼と違って、その頬は削げ、目の下には濃い隈が刻まれていた。何年も、いや何十年も眠っていないような顔。整いすぎた造形が、だからこそ余計に痛々しい。
……いやいや、同情するな私。こいつは敵。私を殺した男。
間違いない。
前世で、私を騙し、裏切り、あの断頭台で私を処刑した張本人。
そして、私の重篤なイケメンアレルギーの元凶。
「ど、どちらさま?」
ここは何とか誤魔化そう。
前世の記憶があるとか、生まれ変わりだとかきっとわかんないよね?
しかし、何という執念深いイケメンだろう。
私を殺したことに飽き足らず、生まれ変わった私まで殺しにきたの!?
「わ、私がわからないのか、カレンシュ!」
エリオットは、ふらふらとした足取りで私の方へ手を伸ばしてくる。
その手には、見覚えのある小さな杖が握られていた。
魔法の発動体。あれが前世の私を殺したんだ。
体が勝手に強張る。頭より先に、魂が覚えている。あの杖の先から放たれた光を。世界が白く灼けた、あの瞬間を。
「ああ、カレンシュ、私の愛しい……」
二度に渡る私の前世の名前呼びに、思わず頭に血が上る。
それ、その名前、現代日本だと加齢臭にしか聞こえないんだってっ!!
「エリオットっ! 私のこと加齢臭って、呼ぶなぁぁ!!」
私は思わず怒声を上げ、ベッドサイドに置いてあったスマホに手を伸ばした。
「っ……やはりカレンシュじゃないか。生まれ変わっても私のことを覚えていてくれたんだね」
しまった!! うっかり名前を!!
前世でも今生でもうっかりは私の悪い癖だ!!
公爵家の家庭教師にも「お嬢様は完璧ですが、詰めの一手だけが甘うございます」と言われ続けた。性格は転生しても直らないらしい。
筆頭宮廷魔術師、エリオット・ヴァン・クリフォード。
かつて私が愛し、私を殺した男が、なぜかボロボロの姿で私の部屋に立っていたのだ。
「ああ……カレンシュ、カレンシュ……」
エリオットは、ふらふらとした足取りで私の方へ手を伸ばしてくる。
「いやぁぁぁっ!! 来ないで!!」
私はさらに悲鳴を上げ、ベッドの隅から壁際まで後ずさった。
どういうこと!? なんでこの男が現代日本にいるの!?
もしかして、わざわざ私を魂まで殺しに来たの!? どんだけ執念深いのよこの男!!
しかも相変わらず顔が良すぎて、アレルギーで全身に蕁麻疹が出そう……ッ!
顔がいいのも、声がいいのも、全部知ってる。知ってるからこそ怖いんだってば! この顔に騙された女が、ここに一人いるんだから!!
「聞いてくれ、カレンシュ……ここまで来るのに、長い長い時がかかったんだ……たった一人で孤独に研究を重ねて……」
「言い訳は聞かないわよ! 警察呼ぶからね! 不法侵入で……!」
私が手元のスマホの通話ボタンを押そうとした、その時。
ピロン。
――ウィィィィィン。
「む?」
エリオットの足元で、低い機械音が鳴った。
私が先日ボーナスを叩いて買ったものの、部屋が汚すぎて一度も活躍していないお掃除ロボット(通称ルンバ型)が、なぜか充電器から発進し、エリオットの足首にコツンとぶつかったのだ。
お、この不法イケメンをゴミだと認識したのかな?
やれ、頑張れルンバ!!
初めての役にたっておくれぇぇっ!!
「なっ……!?」
エリオットは、弾かれたように後ろへ飛び退いた。
その顔は、先ほどまでの氷の美貌が嘘のように、完全に青ざめて引き攣っていた。
「ま、魔獣……!? いや、ゴーレムの一種か!? なぜこんな結界も張られていない魔境に……!!」
「さ、下がっていろカレンシュ! ここは私が食い止める……!」
……今、私、ルンバから守られてる?
ガクガクと震えながら、壁際まで追い詰められる異世界最強の大魔法使い。
ウィィィィン、と呑気に反転してゴミを吸い続けるお掃除ロボット。
「くそっ、私の愛しのカレンシュに触れさせるわけには……! 絶無の結界……ッ!」
エリオットは必死に右手を掲げ、呪文を詠唱する。
……が、何も起こらない。
「な、なぜだ!? なぜ魔力が練れない……!? まさか、この世界には魔素が……!」
――コテン。
再びお掃除ロボットがエリオットの足にぶつかる。
「ひっ……!」
異世界最強の男は、情けない短い悲鳴を上げると、白目を剥いてその場にバタリと倒れ込んだ。
「…………え、なにこいつ」
深夜のゴミ屋敷。
白目を剥いて気絶した前世のトラウマ――超絶イケメン――と、彼に勝利したお掃除ロボット。
私はただ呆然と、そのシュールすぎる光景を見下ろしていた。
異世界最強の魔法使い(自称・他称)が、家電に敗北して気絶している。前世であの雷に灼かれた私としては、複雑な気持ちでいっぱいだ。あの絶望は何だったの。この男に殺された私の立場は。
……だが見下ろしている場合ではない。
警察に通報する? バカな、本物の魔法使いだぞ。逆上されてアパートごと吹き飛ばされたらどうする。
というか通報して何て言うの。「異世界から魔法使いが出てきました」? 保護されるのは私の方だ。
追い出す? いや、そもそもどうやってこの長身を引きずり出せというのか。
大家さんに相談する? 「前世で私を処刑した魔法使いが押しかけてきて」――うん、私が大家なら契約更新を断る案件だ。
つまり。
私はここから、前世で私を殺した男(極度のトラウマ)と、この六畳一間・激狭アパートで一緒に過ごさねばならないということ……!?
「……嘘でしょおぉぉっ!?」
深夜のゴミ屋敷に、私の絶望に満ちた叫びが虚しく響き渡るのだった。
……一体私、これからどうすればいいの!?(白目)




