イベントの開幕 ——「炎のない焚き火」
◆イベントの開幕 ——「炎のない焚き火」
王命による放送が、学園全域の魔導スピーカーへ一斉に流される。
中央ホール、講義棟、研究区画、食堂、寮。
どこにいても王子の宣言は耳へ届く。
「ユーフェミア=アーデルハイドは、
高度最適化によって人間性を侵害した。
故に断罪する。」
響く声はよく訓練された王族特有の低音。
演説は堂々とし、抑揚は劇的で、言葉選びは英雄譚の引用めいている。
だが――返ってくる反応は、空気の沈黙だった。
ブーイングはない。
悲鳴もない。
怒号もない。
SNS的な瞬間拡散もない。
あるのはただ、困惑。
生徒A
「ユーフェミア先生って、昨日また奨学金増やしてたよね?」
生徒B
「罪って、それ逆じゃない?
だって彼女のせいで課題ちゃんと終わるようになったし……」
ホールの椅子に座る生徒たちは顔を見合わせ、
まるで講義の開始時間を誤解した集団のようにそわそわと落ち着かない。
教師陣はメモ帳を開いた手を止め、内容を正確に理解しようとするが、
理解に至る道筋が存在しない。
王子は驚いた。
善なる怒りは自然発火するものだ――そう信じていた。
英雄譚ならば、悪が提示された瞬間に群衆は熱を帯びる。
悪を責める声、罵倒、正義の喝采。
それらが彼の足元に燃え上がるはずだった。
しかし、怒りには燃料が要る。
ユーフェミアはそれを社会から取り除いてしまったのだ。
補助魔法による過度なストレスの緩和、
生活評価に応じた奨学金制度、
実用的な研究枠の拡充――
それらは人々の不満に火種が落ちる前に湿らせ、
摩擦を抑え、憎悪の芽を摘んでいた。
王子の演説は虚空に撒かれた火種だった。
炎を焚きつけるべき草は湿気を帯び、
火は広がることなく、音もなく地に落ちる。
期待していた轟音は訪れない。
英雄譚の転換点は訪れない。
観客すら、存在を拒むように静まり返る。
その静寂は、王子にとって初めての敗北だった。
怒りの欠如は否定ではない。
無関心である。
社会は既に、彼の必要とする物語から降りていた。




