王子の内部崩壊
王子は夜の塔に立っていた。
魔法都市の灯は整然と瞬き、穏やかなリズムで呼吸をしている。
それは彼にとって恐怖の光景だった。
乱れがない。
抗議もない。
暴徒もいなければ、憎悪もない。
英雄が登場すべき舞台の炎が、どこにも存在しない。
胸の奥に熱は無い。怒りは眠ったままだ。
それでも彼は自分を奮い立たせようとする。
英雄でなければならない。
それこそが王族の宿命だと教わってきた。
——英雄は常に災厄と対になって登場する。
——勲章は血と決断の跡である。
——悪を討て、救いを与えよ。
幼い頃から何百回と聞かされた王宮の叙事詩が、
いまや彼の中で呪いの呪文のように響く。
怒りがないなら怒りを作ればいい。
悪がいないなら悪を定義すればいい。
その発想はどこか歪なのに、彼は疑わない。
それが王族の統治術だと信じているから。
王子(独白)
「王国史は常に災厄と共にある。
英雄は災厄を討って名を刻む。
ならば私が災厄を定義すればいい。
それが――“統治”だ。」
塔の窓から見下ろす学園都市は、
まるで巨大な水槽の中のように静かで均整だった。
誰も泣かず、誰も怒らず、誰も争わない。
その静寂は安らぎではなく音のない圧力となって王子の鼓膜を刺す。
彼は気づかない。
それがすでに社会の文脈から外れた発想であることに。
彼だけが物語を欲している。
物語の中心に立つ英雄を渇望している。
だが世界はもはや物語を必要としていない。
そして彼は勘違いしている。
自分は戦う者だと思い込んでいるが、
実際は――
**“物語の語り部になりたい観客”**にすぎない。
英雄の剣も、災厄の炎も必要としない世界で、
彼だけが舞台を探している。
喝采を求めている。
その姿は、もはや悲劇ではなかった。
喜劇の主人公の卵だった。
まだ孵らない卵の殻に、ひとりで爪を立て続けているだけなのだ。




