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ユーフェミアは今日も眠い。  作者: 南蛇井


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需要の崩壊 ——「苦痛産業の死」

老治癒師は、朝の光を背に扉を開けた。

街の広場はいつも通り人で賑わっている。だがここ三ヶ月、彼の待合室は空席のままだ。


釜に火を入れても、薬草の香りは虚空に漂うだけだった。

古びた木製の札──「診察中」──が、今日も使われないまま壁に掛けられている。


「先生、もうここに来る必要はないの」


常連だった娼婦は、恥じらいなくそう言った。

腕に刻まれたユーフェミア式治癒紋は、彼女の肌に静かな光を宿していた。


“痛みは、瞬間で消える”


もはや患者と呼べる者は存在しない。

治癒までの時間を売る商売は、成立しなくなった。


老治癒師は机上の帳面を開く。

そこには三十年前の受付記録が整然と並ぶ。


骨折、毒瘴、闇熱——

誰もが耐え、眠れぬ夜を越え、回復までの時間を生き抜いた。


それは信頼であり、人生の一部だった。


今の記録には、ただ一行だけ。


「予約なし」


罫線だけが、誰にも辿られることのない道のように伸びている。


2. 塾講師の午後


学習塾シグマ。

かつて試験前には生徒で溢れた教室に、椅子が整然と並ぶ。


新人講師・ハワードは、端末の採点機能を恨めしげに眺めた。

ユーフェミア魔法は、理解までの時間を削り取る。


疑問は発生しない


忘却は補正される


集中は機械のように均質に保たれる


試行錯誤の回廊は、存在しない構造になった。


生徒の母親から届いたメールがラップトップに点滅する。


『先生の講義は“遠回り”です。

結果のみ、平均点の安定のみを求めています』


ハワードは苦笑した。

かつてのライバルたちは皆、ユーフェミア適応者の生徒を抱えて伸びていた。


彼は彼らよりも“教える力”があるはずだった。

質問に寄り添い、挫折を導き、成功へと引き上げることに誇りがあった。


だが今、挫折のための時間は「コスト」だ。


「悩み、試行錯誤し、成長する——それは教育ではなく浪費です。」


企業説明会のスローガンが、ネット広告の奥で虚ろに点滅している。


3. コーチの夕刻


体育棟のシャワー室から水音が響く。

女子チームの練習は、先ほど終わったばかりだ。


外周走を指示した瞬間、保護者の保護魔道端末が鳴った。


「痛みに耐える指導は旧時代的で危険です。

ユーフェミア式最適化に沿ってください。」


彼は言葉を失った。

自分が若い頃、走り込みの苦しみを噛み締め、

肉体が悲鳴を上げる限界の先に「自分」を見つけた。


だが生徒たちは違う。


血中酸素は一定、筋肉の微損傷は即時補修、

メンタルの不安定は発生前に抑制される。


努力のプロセスは、魔法に事前に消される。


少女たちは機械のように均整の取れたフォームでボールを打つ。

一様な速度、一様な弾道、一様な笑顔。


練習後の疲労もない。

「次回も頑張ります」と、校則的完璧な敬礼で帰っていく。


コーチは、空になった体育館に立ち尽くした。


勝つための苦しみを教える価値は、完全に無効化されていた。


4. 市場の論理


それは悪意ではない。

誰も彼らを攻撃していない。誰も彼らを嫌っていない。


ただ、最適化された社会は彼らを必要としないのだ。


痛みに耐える時間は商品にならない。

停滞は損失であり、回復は即時であるべき。

感情の波形も、肉体の限界も、人格の揺らぎも——

消去対象。


企業は“才能の爆発”ではなく

**“性能の平均値”**を購入する。


変動はリスク。

不安定な人間は投資に不向き。


「我々は“持続可能な社員”を求めています。」


ポスターの中心には、微笑むユーフェミア適応者がいる。

青白く輝く魔法刻印が、モデルの手首で静かに脈打つ。


5. 老治癒師の夜


治癒院の灯りは、今日も誰を迎えることなく消えた。


老治癒師は戸締まりの前、診察札にそっと触れる。

木の表面には無数の指跡が刻まれていた。

患者たちの震える手、親の心配、戦士の血塗れの拳。


**「治すまでの時間」**が確かに存在した時代の残響だ。


彼は静かに呟いた。


「病める者がいない世界は……良いことのはずだ」


しかし声は揺れていた。


価値を失うのが恐ろしいのではない。

役割を失った自分が、透明になっていくことが——

何よりも、苦しい。

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