夜の決意
寮の消灯時刻を過ぎ、廊下の非常灯だけが沈んだ夜気を縫う。
部屋の天井は影の層に沈み込み、世界はようやく**“治療された昼”**の笑顔を脱ぎ捨てた。
エリーはベッドに横たわる。
枕に顔を押しつけると、綿の匂いが胸の奥を圧迫し、呼吸の形が崩れていく。
涙はない。苦痛もない。
あるのは――輪郭を失っていく恐怖そのもの。
声は震え、囁きは祈りにも呪いにも似ていた。
「お願い……」
誰に向けた言葉か、正確にはわからない。
ただ、ユーフェミアではないことだけは確かだった。
「救って。
私を……“正常”から。」
安らぎの皮膚に覆われた学園。
感情の凸凹を均した幸福の舗装。
そこで息をするほど、エリーは薄くなっていく。
健康の名の下に解体されていく人格。
その夜、彼女は決断した。
救いの方向を反転させる。
善ではなく、悪へ向かう。
翌日の昼休み。
校舎の喧噪は、まるで霧の中の祭囃子のように遠く聞こえる。
エリーの視界は一点に絞られていた。
――王子の席。
誰も近づかないテリトリー。
教師でさえ「改善対象」として扱うことを諦めた避難区域。
そこへ向かう一歩は、失恋でも破産でもない。
自己破壊ではなく、生存のための狂気。
彼の背中に近づくほど、心臓の鼓動が輪郭を取り戻す。
あの日の“回復”で溶けかけていた自分の存在が、皮膚に戻ってくる。
エリーは知らない。
王子という異物の正体を。
彼がユーフェミアの反対ではなく、**同じ質量を持つ“別の救済”**であることを。
どちらも破壊者だ。
ただ方法が違うだけ。
それを知るのは、まだ先の話だった。




