ウルスラの企みと陛下の優しさ
それから、アリソンは陛下を避けるようになった。
と言っても、晩餐や公務では顔を合わせているが、極力顔合わせをしなくなった。
陛下も何かと忙しいらしく、夜の訪れはなくなった。
まだアリソンを許せないかもしれない。
今夜の晩餐で、アリソンは陛下と一緒に食事をしていた。
数メートルある長机の上で、二人のカチャカチャという食器の音が部屋に響く。
アリソンは極力音をたてないようにするが、広く静かな部屋では小さな音でさえも拾う。
アリソンが王宮に帰って来た時から、陛下とはあまり話をしていない。
なので、何を話せばいいか分からず、晩餐でも黙々と食事を進めるのだった。
食後の紅茶とデザートを目で愛でながら、アリソンは無意識に口に弧を描きながら食べていた。
それを陛下がじっと見ていたのにも気づかず、アリソンは晩餐を終えた。
「ごちそうさまでした」
アリソンが席を立ち、私室に戻ろうとすると、陛下が呼び止める。
「王妃」
どきんとして、落ち着いて…と自分に言い聞かせながら振り向く。
「はい」
「今夜は行く」
短い言葉だが、はっきりとした口調の低い声がアリソンの耳に届く。
動揺を隠しながらも、平静に頷いた。
「…はい」
アリソンは静かにその場を去った。
◇◇◇
今夜、陛下が来られる。
アリソンは落ち着かない素振りで、部屋をうろうろとする。
もう身を清め、真っ白な長衣の上に羽織を着ている格好で、髪は下ろしたままだ。
後は寝るだけなのだが、陛下の訪れがないままでは寝れない。
しかし、夜の訪れの時間はとっくに過ぎており、まだ仕事が長引いているのか中々訪れなかった。
アリソンは仕方なく、目を覚まそうとし庭園を散歩をするために部屋を出た。
月明かりで庭園の花々が、美しく輝いている。
アリソンはこの風景が好きで、嫁いでから何度も訪れていた。
アリソンの心が癒され、いつの日か陛下と腕を組みながら歩いていたことを思い出す。
あの時は陛下が、散歩をしているアリソンを見つけ二人で並んで歩いたのだ。
その時の幸せは一生忘れないだろう。
もう二度とあの幸せがないのかと思うと、寂しくなるが自分が招いたことだから仕方がない。
癒されたはずが、またモヤモヤし始め、アリソンは部屋に戻ろうと踵を返した。
すると、建物の影で人が小声で話すのが聞こえた。
そこを通らなければ王宮の中に入れないので、アリソンは木の茂みに隠れる。
耳を澄ませば、女性の甘ったるい声が聞こえた。
アリソンがそうっと除くと、ウルスラが男性の耳に顔を近づけ、くすくす笑い合っている。
(ウルスラ様…!)
「ねえ。お願いがあるの。あの女を殺してほしいの」
ウルスラは誘うように男性の胸元を両手で撫でている。
その官能的な動きに、アリソンは真っ赤になる。
「あの女?」
男性の色気を含んだ掠れた低い声が、アリソンの耳に届きゾクッとした。
男性の片手がウルスラの腰を撫でており、ウルスラは男性の首筋に顔を埋めている。
男女の交わりを連想させ、アリソンは目をそらす。
その時、ウルスラの熟れた真っ赤な唇から耳を疑う言葉が聞こえた。
「王妃よ」
アリソンは目を見開く。
「せっかく追い出したのに、また戻ってきちゃって。もう同じ手は使えないわ。だから、あなたに頼もうと思って」
「……ばれたら重罪だ」
「ばれないようにするのが、あなたの仕事でしょう?上手く殺るのよ。報酬はたっぷりとあげるわ。それか私の部屋に来る?」
「どっちも魅力的だな」
くすくす笑い合う男女に、アリソンは呆然とする。
(私を…殺す…?)
前々からウルスラは何かとアリソンを目の敵にしていた。
でも、王宮を出るように仕組んだのはウルスラだったなんて。
じゃあ、あの時の夜、陛下の言っていたことは本当だったのだ。
ウルスラが勝手に陛下の腕に絡ませ、アリソンが見ていることに気づいて見せつけたのかもしれない。
それに、ウルスラは陛下を好きではなかったの?
何故、他の男性の首に腕を絡ませているのだろう。
アリソンが口を両手で押さえたまま、再びちらっと二人を見ると男性がこちらを見た気がした。
暗闇で確かではないが、男性の唇がにやっと不気味に笑った。
アリソンはギクッとし、木の茂みに慌てて身体を縮こませる。
「どうしたの?」
ウルスラが不振に思ったのか、男性を見上げる。
アリソンはどくどくと不規則な胸を押さえ、ぎゅうっと目を瞑る。
「いや…、子猫が迷い込んだみたいだ」
「…は?」
「部屋に戻ろう。寒くなってきたしな」
男性はアリソンに気づいているはずなのに言わず、ウルスラを連れて王宮に入っていく。
二人がいなくなったことで、アリソンは服が汚れるのも構わず、その場に崩れ落ちた。
(どうしよう)
初めてこの身が危険にさらされていることに、アリソンは身体が震え始めるのを感じた。
(怖い…。陛下)
無意識に陛下を呼び、ポロポロと涙を溢す。
この場から動くことが出来ないまま、気温が低くなって身体がぶるっと震えた時…。
「王妃」
陛下の声がアリソンを呼ぶ。
「王妃、いるか?」
(陛下!)
心では叫んでいるのに、口が開かなかった。
動きたいのに、手が悴んで動けなかった。
「っ…」
涙で視界がぼやけている。
暗闇で何も見えない。
恐怖に包まれていると…。
「見つけた」
陛下がアリソンを立ったまま見下ろしながら言い、正面に回ってきてしゃがんでくれた。
暗闇の中の陛下は髪は隠さず、ありのままの陛下が潤んだ視界に映り、アリソンは安堵する。
「何で泣いているんだ?それに、何でここにいる?」
少し怒っている様子の陛下に、アリソンは嗚咽を漏らす。
「ひっく、ひっく…ふぇ」
声を上げながら泣き始めたアリソンに、陛下はひどく動揺しおろおろとし始めた。
「え…、ど、どうした?どこか痛むのか?」
アリソンがふるふると首を横に振ると、陛下は益々どうすればよいか分からない感じだった。
「俺が中々来なかったからか?すまない、今日中に終わらせなければならない書類があって…」
アリソンが再び首を横に振る。
「……誰かに何か言われたのか?」
「っ…」
核心をつく陛下にアリソンは首を振れなかった。
それを肯定と受け止めた陛下は、「誰だ?」と低い声で言う。
「っく…、え…?」
「誰が君を泣かせた?」
怒気を含んだ声で言われると、びくっとしてしまい陛下の表情が固まる。
「…すまない。怖がらないでくれ。君を怯えさせるつもりはないんだ」
項垂れた陛下にアリソンは首を振る。
「ちがっ、いま、す」
しゃくりを上げながら言うと、陛下はゆっくりと顔を上げる。
アリソンと目を合わせると、手が伸びてきて頬に伝う涙を拭う。
「もう俺は、何度君の涙を拭っているんだろうな」
優しく…、優しくアリソンの頬を撫でると、最後にくいっと目尻を親指で涙を拭った。
「部屋に戻ろう。冷えている」
頬が冷たかったのか陛下は言い切り、アリソンを両手で抱き上げた。
「っあ…」
脳が揺れる感覚に慌てて陛下の首に腕を絡ませた。
陛下の太い腕がしっかりとアリソンの背中と膝裏を抱え、ゆっくりと歩き始める。
暗闇から王宮の明かりが見えてくると、陛下のさらりとした黒髪が見えて、少し顔をずらすと間近に陛下の顔があった。
力強い瞳が正面を見据え、アリソンの視線を感じたのかこちらを見る。
鼻が触れる程の距離で見つめ合い、アリソンは真っ赤になり慌てて陛下の肩に顔を埋めた。
少しずつ冷静になってくると、いくら重ね着をしても寝間着は薄く、陛下の手のひらの体温が分かる程だった。
恥ずかしさに陛下の首に絡ませていた腕を肩に置くと、耳元で囁かれる。
「首に絡ませた方が歩きやすい」
大人の男性の声に、目眩がするほどのびりびりとした感覚に、アリソンはもう何も考えられなかった。
素直に従うと、陛下の腕がアリソンを抱え直し先程よりも引き寄せられた。
アリソンの私室に入ると、そのままバスルームに直行する。
アリソンが動揺するのにも構わず、陛下はバスルームの中にアリソンを下ろし、着替えとタオルを用意してくれた。
「もう一度暖まった方がいい。今夜はもう部屋に戻るが、明日の朝また来る」
「お休み」と言い、アリソンの頭を触れるか触れないかぐらいの優しさで撫でてバスルームを出ていった。
陛下の優しさにアリソンは寝間着を脱ぎ、シャワーを浴びながら考える。
(陛下は私を嫌ってはいないと思う。でも、時折怖いぐらいの眼差しで見られることがあるから、好かれてもいないと思う)
でも、だったらあまり優しくしないでほしい。
勘違いしてしまう――――…。
しゃーっとシャワーの音と共に、アリソンは目を閉じた。
すれ違いなのか分からなくなりました(汗)




