花嫁の真実
茂みの奥からふらふらと現れたのは一人の色白な青年だった。
木箱の蓋を持ち上げたままの私の姿が見えていないのか、ぼんやりしたままこっちに歩いてくる。
水色のひらひらとした丈の長いワンピースのようなものを着ている10代後半から20代前半の彼は裸足だ。
まさか変態か。いや、もしかしたら健康に良いと思ってやってるかもしれないし、私も裸足だし。
それに裸足くらいなんだ。きっとこういうのを美形っていうんだ。
でこの真ん中で分けた、さらさら流れる薄氷色の髪は足首まであるけど不気味じゃない。
目の前まで来た異様に整った顔をまじまじとじっくりとこれでもかと見つめる。
やっと気づいたのか、夜の湖面を思わせる藍色の瞳が自信なさげにゆらゆら揺れて―
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!」
はうはうと半泣きで後退しながら謝ってくる青年の左腕を、蓋をぽいっと放り出してしっかりと掴む。
「何を、謝るのかしら?」
ん?と顔を近づければひいいっ!と冗談のような悲鳴を上げてしゃがみ込む。
この世界、ほんとどうなってんのか知らないけど人を化け物みたいな目で見るんじゃないわよ。まったく。
青年の左腕を掴んだまま木箱から片足ずつ出て、彼の前に同じようにしゃがむ。
口元で握った右手の影で、あうあうと口が開いたり閉じたりしている姿は・・・断然可愛い。
ヒゲ大臣なんて思い出したくもないけど、目の前の彼は比べ物にならないくらい可愛い。
凝視しながら覗き込むと、ぺたんと尻餅をついた彼がぼたぼたと涙を流してえぐえぐ言ってる。
これじゃあイケナイ何かに目覚めても誰も何も言えないって。
少しだけ呼吸を乱してさらに近づくと、彼もわずかに後退しながら緩く首を振る。
「ぃ、生贄な、んていりっ、ませ、んからっ、帰って、くださっ、いっ・・・」
ぐしゅぐしゅ目を擦りながら嗚咽を漏らす。
その中でとても重要で聞き逃してはいけないキーワードを聞いたような気がする。
「ねぇ。私は水龍様とかいうのの花嫁らしいんだけど、生贄って、関係ある?」
うふっと笑って聞くと、青年が慄いたように仰け反って目を見開く。
驚きすぎたのか、最後の涙が一滴伝うとひっくと肩を揺らして泣き止んだ。
「いっ、生贄のことっ、を、にんげ、んは、花嫁、って、呼ぶ・・・」
涙は止まったものの、しゃくりあげながら喋る姿に 萌 え る !
再びはあはあしながらゆっくりと近づく。
「その生贄をいらないって言うあなたは、水龍様なのね?」
違うって言っても構わない。
それに確信のようなものもある。
湖の近くに現れた、こんなに青系で揃った色使いの美形が一般人でいいわけがないのだ。
へっへっへ、と舌舐めずりする。
「そ、そうです!ごめんなさい!下っ端の水龍でごめんなさい!生きててごめんなさい!!」
んぐんぐと再び泣き出し、服と髪に邪魔されてうまく後退できない水龍様。
たまんない。
本能と理性の天秤が、拮抗する間もなく傾いた。
本能の方に。
お皿の底が土台にめり込むくらいの勢いで。
「それじゃあ私が水龍様の本物のお嫁さんになってあげるね?」
腕を放し、にこにこしながら華奢そうな水龍様に飛びつく。
一瞬ぽかんとした水龍様が、骨折もぐえっとか間抜けな悲鳴も上げずに反射的に抱きとめてくれた。
座ったまま呆然としている水龍様の目元に残った涙をぺろっと舐めとる。
特にこれといった味はしなかったが、くすぐったそうに身を捩った水龍様は超絶可愛い。
でもすぐに何をされたのか気づいたみたいで、ぼっと首まで赤くなった。
「ぁ、あの、その・・・」
遠慮がちに離れようとする水龍様にしっかり抱きついてにこっと微笑むと、そわそわとあたりに視線を彷徨わせながらまたも涙目になる。
やっぱたまんない。
こんな可愛い水龍様を放っとくなんてできるはずもない。
そこで気になるのが生贄の存在だ。
どんな存在で何回接触したのか。
水龍様の胸にすりつきながら考える。
まさかエロ方面じゃあるまいな。
「ねぇ水龍様?」
笑って見上げると、水龍様がどぎまぎしながら赤くなった。
「え、と、あの・・・僕、そんな様をつけてもらえるようなものじゃ、ないから、その・・・」
ちょっとだけ俯いてもじもじとしながらそう言うと、ちらっと下から見るようにしてからさっと目を逸らす。
「ぼ、僕のことはリルって、その、呼んでくれたら・・・」
こっちを見ないようにしてるリルの赤いほっぺに手を添える。
「リルかぁ、可愛くてあなたにぴったりね。私は都、これからよろしくね?」
少しだけ背筋を伸ばしてリルのほっぺに軽く触れるだけのキスをした。
とたんにさっきより赤くなってわたわたしているリルは、やはりエロ方面に疎いのではなかろうか。
「それでね?リルにとって生贄って何?ないと困るものなの?」
やっぱり生贄=食事?
生贄を食べるのかどうするのかなんて知らないけど、食事以外でリルに近づくものは排除しよう。
女性は特に念入りに。
骨の髄まで後悔するくらい。
左の人差し指でリルの胸に渦巻きを描きながら、拗ねたようにちらっと見上げる。
目が合った瞬間、真っ赤な顔でぎゅっと目を瞑ったリルが両腕を掴んできてそこから離そうとする。
でもね、これくらいで私が離れるわけないでしょ?
はうはう半泣きになりながら真っ赤な顔を逸らしているリルを見て顔がにやける。
「い、生贄は、その、人柱のようなものなんだ。水害が起こったときに、水龍が鎮めるための・・・」
徐々に腕の力を緩めて、どこか落ち込んだようなリルもそれはそれで頭を撫で回したいくらいに可愛い。
それにしてもリルの言う通りならリルは今回の生贄、つまり私を食べるかどうにかして水害を鎮めなければならないのでは?
「じゃあ・・・リルは私を食べて、水害を鎮めるのね?」
寂しそうに尋ねると、う、と詰まったリルがちらっと視線を向けてくる。
何?隠し事してるなら後で酷いよ?
「その、ミヤコは食べない、よ。僕は生贄なんか、食べたくないんだ・・・」
「でもそれじゃあ水害が・・・」
「うん。だからその水害が起こる前に止めにきたんだ。」
そっと立ち上がろうとするリルから下りて、一緒に立ち上がる。
満月の下、リルの視線が夜の湖を見つめ生温い風が吹き抜けると私の緊張感も一気に高まった。
大きな湖の中心で、最初は静かに、そしてどんどん多くなる泡がたてるブクブクという音がここまで聞こえてくる。
湖の中心が泡ごと盛り上がり、黒くうねるようにしながら持ち上がっていく。
その塊が巨木ほどの高さに達したとき、天辺から水を割りながら一つの影が現れた。
それに対抗するように、リルも風をまとって水龍の姿に戻っていく。
東洋の龍のように細長い体に艶やかで滑らかな氷のような水色の鱗。
角はガラスか氷でできているかのように青く透き通り、たてがみは薄氷色で黒い縦長の瞳孔を持つ目は藍色だった。
耳と思しきところは大小の氷柱のようなものが幾重にも扇状に広がっている。
ここで初めて私はファンタジーを信じた。
湖の上に浮かぶ、一匹の小さな飛び魚と3mほどの水龍を見て。
『もうやめるんだ!』
リルの必死の説得が始まる。
『はん!止められるもんなら止めてみやがれ!その大きさ、生贄も食ってねえんだろ?この激弱水龍が!!』
『なっ!?』
なーるほど。喋る飛び魚のおかげで理解した。
つまり生贄を食べないと水龍はとても弱いのか。
でも生贄ってどうやって選ばれる?選挙か?召喚か?
『お前が食わねぇなら俺が食ってやらぁっ!!』
ぎゅんっとすごいスピードで迫ってきた小さな飛び魚を見て、リルが焦った顔をした、ように思う。
『逃げて!ミヤコ!!』
顔色が変わったようなリルを見て、目前に迫った小さな飛び魚を見る。
拾っておいた木箱の蓋をその横っ面に叩きつけると、木箱の蓋に負けた小さな飛び魚は綺麗な直線を描いて地に落ちた。
ぴくぴくしている飛び魚を拾い上げ、木箱に入れて蓋をする。
『・・・えーーっ!!?』
やはり生贄はそれなりに力があるものが選ばれるようだ。
水害を阻止したことにより、私がリルに食べられる理由が完全になくなったわけだから・・・
にやりと小さく笑って、後ろで驚いているリルを振り返る。
「リル、大丈夫?怪我はない?」
心配げに空中に浮いているリルを見上げると、ふわっと人の姿になったリルが傍に駆け寄ってきた。
「僕のことよりもミヤコの方が危なかったんだよ!?」
「うん、とっても怖かった・・・リル・・・」
リルの胸に縋りつくと、少し迷ったらしいリルの手にそっと抱き締められた。
顔をうずめて、にやあっと笑う。
やはり愛は種族の違いさえ簡単に凌駕するのだ。
「リル、これからも一緒にいてね?」
「ぅ、うん。ミヤコは僕が守るよ・・・!」