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EP 8

死を覚悟し、俺がギュッと目を閉じた静寂の空間。

そこに響き渡ったのは、冷酷な処刑宣告でも、肉を裂く剣の音でもなかった。

――ギュルルルルルルルルルルルゥゥゥゥゥゥゥ〜〜〜……ッ!

ポポロ村に駐留する軍の巨大な突撃ラッパかと錯覚するほど、長く、低く、そして切実な『腹の虫の音』だった。

俺の首筋にピタリと当てられていた天魔竜聖剣の刃が、カタカタと震え出す。

そっと片目を開けると、紅蓮の鎧をまとった凄腕の賞金稼ぎダイヤ・カギタが、顔をトマトのように真っ赤にしてワナワナと震えていた。

「こ、これは違うぞ! 闘気が体内で高まり、大気に共鳴している音だ! 決して腹が減っているわけでは……ッ!」

――キュルルルルルゥゥゥ。

必死の弁明を、彼女自身の胃袋が残酷にも裏切る。

机の陰に隠れていたリベラが、呆れたようにため息をつきながら立ち上がった。

「やれやれ。ダイヤ、あんたまたテント生活してルナミス軍の廃棄寸前の缶詰しか食っとらんのじゃろ。Sクラスの賞金稼ぎが、なんちゅうひもじい暮らしをしとるんね」

「う、うるさい! 武器と弾薬のメンテナンスには金がかかるのだ! 正義を貫くためには、清貧こそが至高……っ!」

「でも、さっき拙者が出した石焼きビビンバの匂いを嗅いで、思いっきり涎を飲み込んでいたでござるよな?」

「なっ、貴様! 見ていたのか!」

図星を突かれたダイヤが再び剣を振り上げようとしたが、その足取りはフラフラだった。空腹に加え、極限まで熱せられた石鍋とコチュジャン、ごま油が放つ暴力的な香りが、彼女の理性と体力をゴリゴリと削り取っていたのだ。

(勝機……いや、善行ポイントの匂いがするでござる!)

俺はゆっくりと立ち上がり、彼女に向かってビシッと指を突きつけた。

「ダイヤ殿。お主は拙者を違法薬物の売人だと疑っている。ならば、その真偽を確かめるための『取り調べ』といこうではないか!」

「取り調べだと……? 売人自らが望むというのか?」

「いかにも! 日本の警察機構における最強の自白強要メソッド……『取調室の概念』を、ここに展開するでござる!」

俺はリベラの机の上の書類を乱暴に押しのけ、天井の魔導ランプを引き寄せて、ダイヤの顔だけを煌々と照らし出した。薄暗い部屋に、裸電球一つが浮かび上がるような錯覚。

そして、これ見よがしに机の前にパイプ椅子を引き、彼女を座らせる。

「【丼マスター】! 『極上ロースカツ丼』を召喚!」

ポンッ!

机の中央に、重厚な漆黒の丼が現れた。

蓋を開けた瞬間、閉じ込められていた黄金色の湯気が、圧倒的な存在感を持って解き放たれる。

「なっ……なんだこの暴力的な黄金の輝きは……!?」

ダイヤが目を剥いた。

丼の上には、分厚く切り出された豚ロース肉にサクサクの衣を纏わせたトンカツが、鎮座している。それは、甘辛い醤油ベースの割り下で煮込まれ、絶妙な半熟状態の卵でふんわりと閉じられていた。

ツヤツヤの白米に染み込む、出汁と豚の脂。

上に乗せられた三つ葉の香りが、食欲を限界まで引き上げる。

「な、なんて凶悪な兵器だ……。衣が煮込まれているのに、まだサクサクとした音を立てているだと? なぜだ、なぜそんな不条理が許される!」

「日本の『カツ丼』の概念でござる! 揚げるという暴力的な調理法に、あえて出汁で煮るという真逆の優しさをぶつける! さらに、卵で全てを包み込むという母性! これぞ、日本の取り調べにおいて数多の凶悪犯を泣き落としてきた、究極の贖罪アイテムでござるよ!」

ダイヤはゴクリと生唾を飲んだ。

「騙されないぞ……これが兵士たちを狂わせた違法薬物……! 食べれば最後、私も廃人にされてしまう……っ!」

「故郷のお母さんは、お主がそんなひもじい思いをして毎日缶詰をすする姿を見て、喜ぶでござるか?」

「母さん……!」

俺の放った『故郷の母ちゃん効果(刑事ドラマのお約束)』が、彼女の心にクリティカルヒットした。

ダイヤは震える手で箸を握り、黄金色に輝くカツ切れを一つ、ゆっくりと口に運んだ。

サクッ……ジュワァァァァ。

その瞬間。

ダイヤの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「おいひぃ……! なにこれ、おいひいよぉぉぉっ!!」

彼女は剣を床に取り落とし、カツ丼を狂ったようにかき込み始めた。

「甘くて、しょっぱくて、お肉が分厚いのに歯でスッと噛み切れて……! 私、ずっとルナミス軍の『戦闘糧食1型・2型』を安く買い叩いてローテーションしてたんだ! しかもハズレの『ネタキャベツ』を引き当てちゃって、食事中に近所のオバチャンの不倫話を聞かされるという拷問を受け続けて……うわぁぁぁん!」

【刑事ドラマのカツ丼効果】×【異世界の極貧レーション事情】=【完全なる強制自供と謝罪】

PART3の公式が、完璧に機能した瞬間だった。

「私が間違っていた……こんな温かくて優しい味を作る人間が、悪党のはずがない! ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ!」

ダイヤは涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、最後の一粒までカツ丼を平らげた。

《ピコン♪ 飢えと極貧に苦しむ賞金稼ぎを救い、真実を証明しました。善行ポイント800P獲得!》

(よし! Sクラスの賞金稼ぎ、チョロいでござる!)

食後、リベラが淹れた紅茶をすすりながら、ダイヤはすっかり落ち着きを取り戻していた。あの紅蓮の戦乙女の面影はなく、まるで部活帰りにお腹いっぱいになってくつろぐ女子高生のような顔つきだ。

「……すまなかった、佐須賀殿。私が早計だった。あなたの出すこの料理は、確かに素晴らしいものだ」

「誤解が解けたなら重畳でござる。しかし、なぜ拙者の丼が違法薬物だなどという物騒な噂が立っているでござるか?」

俺の問いに、ダイヤは神妙な顔つきになった。

「ポポロ村周辺の緩衝地帯……あそこは今、三大国の兵士たちが睨み合う一触即発の地だ。だが、その実態は『食の格差』による地獄絵図になっているのだよ」

「食の格差?」

「あぁ。ルナミス帝国軍の兵士は、タイヤのような『ゲロオムレツ』で胃を壊し、天使族は『聖なるレンガ黒パンと致死量の青汁』で涙を流している。一方で、アバロン魔皇国の兵士は、魔法で温かいまま提供される極上の『ガチャ弁当』を食べ、食後には高級葉巻を吹かしているのだ」

ニャングルが算盤を弾きながら割って入る。

「せや。その格差でルナミス兵のストレスは限界突破寸前や。そこに、兄さんが『牛丼』を配ってしもうた。あまりの美味さに脳が焼かれた兵士らが『あの肉とタレのクスリをよこせ!』って暴れ出しとるんや」

「拙者のせいで暴動寸前でござるか!?」

「そうなる前に、ウチが兄さんの丼を正規のデリバリーとして両軍に売り込む。これが一番の平和解決やろ?」

ニャングルの言葉に、リベラも頷く。

「法的な認可と契約は私がまとめる。これでポポロ村の経済も回るし、私のかわいい息子の憂にも、平和な未来を残せるっちゅうもんじゃ」

極道弁護士の顔に、一瞬だけ母親の優しい微笑みが浮かんだ。

「なるほど……兵士たちに美味い丼を食わせれば、争いも無くなり、大量の善行ポイントも稼げる。完璧なビジネスモデルでござるな!」

俺の中二病心と、社畜時代の働き蜂の血が騒ぎ出した。

だが、平穏なビジネスの幕開けは、さらなる波乱の引き金に過ぎなかった。

ドゴォォォォォォンッ!!!

突如、ポポロ村の地鳴りのような爆発音が響き渡り、窓ガラスがビリビリと震えた。

「なんだ!? 敵襲か!?」ダイヤが素早く天魔竜聖剣を構える。

魔導通信石が赤く点滅し、村長のキャルルから切迫した声が届いた。

『良樹さん、大変です! 国境地帯で、レーションの格差にキレたルナミス軍とアバロン軍が、ついに武力衝突を始めちゃいました!』

ついに、恐れていた「食の恨み」が火を噴いたのだ。

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