第一章 ハズレスキル【丼マスター】で、三国の胃袋と平和を握ることになった件
深夜の牛丼屋、ワンオペ明けのまかない牛丼(特盛・ネギだく)を口に運ぼうとした瞬間だった。
ズルッ、という間の抜けた音が、静かな店内に響いた。
床にこぼれていた「牛丼のタレ」で足を滑らせた俺は宙を舞い、そのまま熱湯煮えたぎる寸胴鍋に頭からダイブした。
「アッッッッツゥゥゥウウウ!?」
享年二十歳。
タレに滑って溺れた、情けない社畜人生だった。
*
「あー、お亡くなりになりましたねー。はい、じゃあスマホのガチャ感覚で転生させますねー。ポチッとな」
「えっ?」
目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。
目の前には、ピンク色の初心者マークが刺繍されたジャージを着て、健康サンダルを突っ掛けた小柄な美少女がいた。
彼女はみたらし団子をモチャモチャと齧りながら、キラキラと輝くスマートフォン――『エンジェルすまーとふぉん』を適当に操作している。
「ええと、私は見習い女神のリリスです。過労死……じゃなくてタレ死の佐須賀良樹さんには、アナスタシア世界へ転生してもらいますね」
「待って! 拙者、今どうなったでござるか!? ていうか女神様、なんでジャージなの!?」
「これが正装だからです。はい、じゃあ初期スキルを付与しまーす」
リリスがすまーとふぉんをスワイプすると、俺の頭の中にポンッという軽快な音が響いた。
『ユニークスキル【丼マスター】を獲得しました』
「……どんぶりますたー?」
「はい! 色んな丼ぶりを出せるスキルです! 一杯100ポイント消費しますけど、良いことをして『善行ポイント』を貯めれば、無限に牛丼とかカツ丼が出せますよ! やったね!」
「やったね、じゃないでござる!!」
俺は素に戻って叫んだ。
「なんで丼なの!? 異世界転生って言ったら、聖剣とか! 伝説の魔法とか! 圧倒的なステータスとかあるでしょ!」
「いやー、だって良樹さん、牛丼屋のバイトリーダーだったじゃないですか。適材適所ですよ。あ、ちなみに初期ポイントは1000Pあげておくので、大事に使ってくださいね」
「そんなふざけたスキルでどうやってモンスターと戦えっていうのさ! 剣とか魔法は!?」
「それは現地で頑張ってくださーい。じゃ、次の転生者が詰まってるんで、いってらっしゃーい!」
ガンッ!!
「ぐはぁっ!?」
リリスがエンジェルすまーとふぉんの角で俺の額を強打した(ホーリー・スマッシュというらしい)。
視界がグニャリと歪み、俺の体は真っ逆さまに異世界へと落下していった。
「理不尽すぎるでござるゥゥゥゥゥ!!」
*
ドスゥゥゥンッ!
「いってぇぇ……」
気がつくと、俺は土の匂いがする森の中の街道に倒れていた。
頭を振って起き上がろうとした、その時だ。
「こんなゲロオムレツ食えるかァァァァァァッ!!」
鼓膜が破れそうな絶叫が響き渡った。
ビクッとして顔を上げると、少し離れた場所で、深緑色の軍服を着た男たちが揉み合っていた。
ルナミス帝国軍の兵士たちだ。
その中の一人、血走った目をした若い兵士が、黄色くて四角いスポンジのような塊――『戦闘糧食3型(通称:ゲロオムレツ)』を地面に叩きつけていた。
「俺たちは三日三晩、塹壕で戦ったんだぞ! なんで支給されるのが、腐った靴下の匂いがするコレなんだよォォォ!」
「落ち着け! 軍規違反になるぞ!」
「うるせぇ! もう限界だ! こんな国、滅んじまえェェェ!」
兵士の体から、目に見えるほどの凄まじいオーラ(闘気)が噴き出した。
彼は腰の剣を抜き放ち、止めようとする仲間の兵士に向かって狂乱のままに斬りかかろうとする。
「ヤバいヤバいヤバい! 拙者、着地数分で修羅場に遭遇したでござる!?」
慌てて逃げようとしたが、運悪く小枝を踏んでしまった。パキッという音が響く。
「あ?」
血走った目をした狂乱兵士と、バッチリ目が合った。
「貴様ァ! 敵国のスパイかァァァ!」
「ヒィィィィッ!? 違う違う! ただの通りすがりの……ええと、一般人でござる!」
「問答無用! 死ねェェェェ!」
兵士が恐ろしいスピードで距離を詰め、鋼の剣を振り上げた。
死ぬ。また死ぬ。今度はタレじゃなくて剣で死ぬ!
剣が振り下ろされるコンマ一秒。俺の脳裏に、女神リリスの言葉がフラッシュバックした。
『一杯100ポイント消費しますけど、丼が出せますよ!』
これしかない!
「【丼マスター】! 『特盛牛丼』を召喚!!」
ポンッ! と俺の手に、どんぶりが現れた。
アツアツのご飯の上に、甘辛い特製タレで煮込まれた牛肉と玉ねぎがたっぷりと乗った、日本の至高のファストフード。
それを俺は、全力で、
「これでも食って落ち着くでござるゥゥゥゥゥ!!」
狂乱して口を大きく開けていた兵士の顔面に、丼ごと押し込んだ。
ボフゥッ!
「フガッ!?」
兵士の口内に、アツアツの特盛牛丼が強引に叩き込まれる。
「しまった、殺される!」と俺が頭を抱えてしゃがみ込んだ、次の瞬間。
「…………な、に、これ……?」
剣を振り下ろそうとしていた兵士の動きが、ピタリと止まった。
彼の口から、モチャ……モチャ……と咀嚼音が漏れる。
兵士の目から、殺意がスッと消え失せ、代わりに驚愕が見開かれた。
「肉が……柔らかい。甘辛い汁が、米の一粒一粒に染み込んで……噛めば噛むほど、肉の脂とタレの旨味が口の中で爆発する……!」
「えっ?」
兵士の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うわァァァァァァァァン! 美味い! 美味いよォォォォ! 俺、今までタイヤのゴムみたいなゲロオムレツしか食べてなかったのに……! なんだよこれ、神の食べ物かよォォォォ!」
ズザァァァッ! と、兵士は俺の目の前で土下座した。
「あ、ありがとうございます……! こんな素晴らしい食事を与えてくださり……!」
その途端、俺の頭の中にシステム音が響いた。
《ピコン♪ 争いを止め、飢えた者を救いました。善行ポイント1000P獲得!》
えっ。
これだけで? 牛丼一杯食わせただけで!?
周囲の兵士たちも、凄まじい匂いに引き寄せられて集まってきた。
「な、なんだその神々しい香りは……!」
「お、俺にも! 俺にもそれを恵んでくだせぇ!」
屈強な兵士たちが、涙とヨダレを流しながら俺にすがりついてくる。
(……これ、いけるのでは?)
俺は中二病のスイッチを入れ、尊大な態度で立ち上がった。
「フッ……よかろう。拙者の【丼マスター】の力、とくと味わうが良い!」
ポポポンッ!
俺は残りの初期ポイントを使い、次々と牛丼を召喚して兵士たちに配った。
「うおォォォォ! 豚神屋の二郎系ラーメンの百倍美味ェェェ!」
「故郷の母ちゃん……俺、生きてて良かったよォォォ!」
阿鼻叫喚の狂乱地帯は、一瞬にして至福の食事会場へと変貌した。
日本の常識である「ジャンクな旨味」は、異世界の劣悪なレーション事情において、物理法則すら凌駕する精神安定剤として機能したのだ。
兵士たちから「食の神様!」「いや、丼の天使だ!」と崇められながら、俺はふと足元に落ちている四角いバッグに気づいた。
『ルナ・イーツ』とロゴが書かれた、保温・保冷に優れたデリバリー用のバッグ。
なぜか転生時に一緒に持たされていたらしい。
兵士たちから神のように崇められ、なぜか手元にあった『ルナ・イーツ』の専用バッグを背負わされた俺の、成り上がりデリバリー生活が幕を開けた。
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