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20話 ヤン・ヴァランタンの追想

 あの日のことは、一生忘れないだろう。


 ガリア王国と帝国の国境近く。父と母が、シャンブル侯爵閣下から「極秘の直命」を受けたと言って、商隊を組んで出かけた後ろ姿を。


「どうしても自分たちが行くしかないんだ」


 そう誇らしげに笑った父上は二度と戻らず、残されたのは、人伝に伝えられた事故死という冷酷な事実と、火事場泥棒のように押し寄せた同業者や、借金取りだけだった。


 商会は潰れ、俺は一着きりのまともな……高貴な取引相手であっても失礼にあたらないような服を抱えて、泥にまみれた貧民街へ落ちた。「あの時、侯爵が無理な仕事を命じさえしなければ」そんな黒い呪詛だけが、空腹を紛らわす唯一の糧だった。


 生きるために、俺は「禁忌」に手を出した。誰もが忌み嫌う執行人、バルテルミたちの買い物代行や薬草の仲介だ。

彼らと関われば、まともな商売には二度と戻れない。覚悟の上だった。


 だが、その縁が、一人の「おかしな坊ちゃん」を連れてきた。


 アルノー・モレル様 。執行人の家を「腕がいいんですね!」と輝く瞳で訪れ、泥だらけの子供たちに「掃除をしたらプリュノをあげる」と笑いかける、理解不能な貴族の子。


 彼がプリエールの取引の際に差し出してきた書簡を見た時、俺の指先は凍り付いた。


(……この透かし、シャンブル侯爵家の紋章か!?)


 上質な紙に浮かぶ、簡略化された侯爵家の意匠。モレル家がその分家だとは知らなかった俺は、彼を「侯爵の飼い犬」か何かだと警戒した。だが、彼の行動はいつも俺の予想を裏切った。


「生活改善請負所(何でも屋)」なんて看板を掲げ、俺に居場所を与え、バルテルミたちに光を当てた。


 そして、あの日が来た。


 シャンブル侯爵からの呼び出し。


 恐怖と憎しみが入り混じる心境で出向いた俺を待っていたのは、冷酷な主君ではなく、痛ましげに目を伏せる一人の男だった。


「……これは君の両親のものだ。借りたまま、返せなくなっていた」


 差し出されたのは、父上の懐中時計。


 語られた真実は、さらに衝撃的だった。両親は、帝国の皇女であったエレーヌ夫人の亡命を助けるため、検問で盾となって命を散らしたのだという。


「あなたのご両親は、信頼に足る方々でした。私はそれを、ずっと知っていました」


 現れたエレーヌ夫人のその言葉に、俺の中で張り詰めていた何かが、音を立てて崩れ去った。視界が涙で歪み、止まらない。侯爵への恨みは、行き場を失い、複雑な感謝へと塗り替えられていった。


 その後、侯爵と夫人は一度席を外し、落ち着いた俺にアルノー様のことを尋ねてきた。


 俺が語るアルノー様の「奇行」……いや「救済の足跡」を聞くお二人の目は、まるで伝説の英雄譚でも聞くかのように輝いていた。


「彼は間違いなく、この腐敗した時代が遣わした聖人だわ」


「彼の功績、そのあまりに眩い魂の軌跡を、この国の隅々にまで知らしめなければならない」


 そう言って、本人には内緒でことを進めてしまおうと盛り上がるお二人の声をぼんやり聞きながら、俺は震える手で懐中時計を握りしめる。


 最初の取引内容を相談したあの時、わざわざ侯爵家と同じ紙、侯爵家のそれを簡略化した透かしが入った、縁があることがわかる子爵家専用の紙を俺に渡したのは、「お前の両親のことは忘れていない」という無言のメッセージだったのではないか、なんてことさえ思った。


   * * *


 当日、調査官に任命されたアルノー様の晴れ姿を、俺は群衆の中から見上げていた。


 領地へ帰る挨拶に来たあの日、計画を隠すために目を泳がせていた俺を、アルノー様はどう見ていただろうか。


「普段は何考えてるかわからん坊ちゃんたが、さすがに立派だったな」


 広場の隅で見守っていたバルテルミが、いつの間にか近くに来ていた。


「ああ、本当に……」


よくわからない言動も多いが、俺を救い、貧民街を救い、忌み嫌われる執行人たちの名誉まで回復させてしまった彼。


 真っ白な、死装束にも見える潔い服を纏い、端正を極めたその歩く姿を、俺は生涯忘れることはないだろう。

これにて完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

続編はじめました→https://ncode.syosetu.com/n2130mc/

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