第7話 聖者一行
聖者フィリスが案内されたのは、辺境の砦とは思えない立派な客間だった。
室内にある調度品はどれも凝った装飾が施されており、壁には美しい風景画まで飾られている。ハイマンから聞いた話によると、この砦は以前、とある小国の王城だったのだという。
奥の扉は寝室に通じていた。
フィリスはそこに控えていた三人の侍女――おそらく近くの村から急遽呼び出されたのであろう――によって裸にされ、用意された湯につかり、身体の汚れをきれいに洗い落とした。
見れば、脱いだ衣服も泥だらけである。長旅の後なのだから仕方がないとはいえ、つい先ほどまでこんな薄汚れた格好で殿方と相対していたのだ。今年で十七歳になる年頃の娘としては、顔から火が出そうなほどに恥ずかしかった。
湯から上がり、用意された真新しい服に袖を通す。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる侍女たちの服には何度も繕い直したあとがあり、お世辞にも上等とは言えない。砦に来る途中で近隣の村に立ち寄ったが、余裕のある暮らしをしているようには見えなかった。
この辺りの住民は土着の神を信仰する者が多いと聞く。ロセヌ神への信仰が薄いこの地では、聖者だからといってありがたがる者はあまりいないだろう。にもかかわらず、これだけ特別扱いされるのは、やはり自身の出自と無関係とは思えなかった。
着替えを済ませて客間に戻ると、さっそく食事が用意されていた。
室内にいるのは数人の給仕と、旅の同行者であるふたりの仲間。
そのうちのひとり、甲冑を纏った女性が恭しい態度でフィリスを席へと招きいれる。
「――お嬢様、こちらへ」
「ありがとう」
フィリスは礼を言って席に座ってから、不満を込めた視線を女性に向けた。
「……ところでアイラ、この旅の間はお嬢様と呼ぶのはやめるよう何度も言っているはずですが」
「はっ、しかしお嬢様は――」
アイラと呼ばれた女は何か抗弁しようとしたが、フィリスに真っ直ぐに見つめられると、すぐに「フィリス殿」と言い直した。
それに満足したフィリスは、にこりと微笑んでから「アイラも隣で着替えてきてはいかがですか?」と勧めた。
「いえ、私はこのままで大丈夫です」
アイラはそう答えると、フィリスの後ろにぴたりと張り付いた。
聖者はロセヌ神の教えを広めるため、世界各地を旅する。聖霊術と呼ばれる神の力を使って人々の病や怪我を癒し、ときには悪霊を祓ったりもする。それゆえに危険に晒されることも多い。
教団にとって聖者は貴重な人的資源である。そのため、聖者には特殊な訓練を積んだ聖騎士を必ず護衛に就かせることが決まりとなっている。
アイラは数少ない女性の聖騎士で、フィリスの専属護衛として常に傍にいることが義務付けられていた。もっとも、彼女の場合は少し事情が異なり、フィリスが聖者となるずっと以前から傍に仕えている。
年齢が十歳離れていることもあって、フィリスはアイラをとても頼りにしていた。
「アイラも一緒に食べませんか?」
食前の祈りを終えたフィリスは、振り返って声を掛けた。
「お嬢――フィリス殿、どうか私のことは気になさらず、先にお召し上がりください。せっかくの料理が冷めてしまいます」
「でしたら、なおのこと一緒に食べましょう」
「いえ、私はフィリス殿がお召し上がりになった後にいただきます」
「でも――」
フィリスは反論しかけて、結局やめた。
アイラの頑固さは筋金入りである。彼女はいつだって護衛としての役目を優先する。そんな生真面目なところは頼もしくもあるが、この旅のあいだくらいは、もっと気さくに接してほしいというのが、フィリスのささやかな願いである。
もっとも、この調子だと願いが成就する日は永遠にこないのではないかと不安になってくるわけだが……。
その後、食事を終えたフィリスは、クッションの効いたソファーに身体を沈め、のんびりとした時間を過ごした。長旅の疲れからか、ついうとうとしてしまう。
するとアイラが遠慮がちに声を掛けてきた。
「お嬢様、お疲れのところ申し訳ございません。少しよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
フィリスは目をこすりながら尋ね返した。
「本当にあのラーズとかいう騎士を同行させるおつもりですか?」
アイラならば絶対に後で苦言を呈してくるだろうな、と予想していたフィリスは姿勢を正して会話に応じた。
「もちろんです。わたくしたちは東の地で起きている脅威について何も知りません。現地に何度も赴いている方の案内は必須でしょう?」
「しかし、なにも指揮権まで渡す必要はなかったのではありませんか?」
「こちらは協力をお願いする立場です。円滑に話を進めるためには可能な限り先方の要望に応じる必要があると判断しました」
「それはわかりますが、譲歩しすぎではないかと……」
「そんなことはありません。危険な旅に赴く以上、互いに信頼し合うことこそが肝要です。先方の信頼を得るためにも、まずはこちらから歩み寄るのは当然のことです」
「本当にあの騎士を信頼してよろしいのですか? いくらハイマン殿の推薦とはいえ、お父君の手の者が紛れていないとも限りません」
「それはないはずです。わたくしが教団になにも告げずにここに来たのも、それを防ぐためなのですから」
「ですが――」
「まぁまぁ、その辺にしておきましょう」
別の声が会話に割り込んできた。
声の主はもうひとりの協力者、魔術師トーキルだった。
会談の時にはフードを目深に被っていたが、今は素顔を晒している。
その顔を見て驚かぬ者はいないだろう。
トーキルの顔は半分近くが黒く変色し、岩のようなごつごつとした皮膚に覆われてるのだ。身体も同様で、ローブの袖から覗く腕は節くれだち、黒い斑点模様がいくつもできていた。本人曰く、年齢は三十代とのことだが、とてもそうは見えなかった。
魔術師は大気中にある魔素というエネルギーを体内に取り込み、呪文によって世界の法則を改変する力を操ると言われている。
ただ、魔素には強い毒性があり、魔術を扱う者は取り込んだ魔素のせいで身体に様々な障害を負うことになる。トーキルの顔も、まさにその症例のひとつだという。
もっとも、彼はそんなことなど気にしていないとばかりに、穏やかな微笑を湛えてアイラに話しかけている。
「アイラ殿、決定したことについて後から口出しするのは、あまり建設的とは言えませんよ」
「私は今、お嬢様と話をしているのだ。邪魔をしないでもらおう」
アイラは冷たく言い放った。
「まぁまぁそう言わずに。聞けば、あのラーズという御仁は獰猛なガラト人を相手に十年以上も国境を守り続けている英雄だそうじゃないですか。その能力は十分に信頼に足ると考えていいでしょう」
「能力の有無と人格的に信頼できるかどうかは別の話だ。人は欲に憑りつかれると簡単に道を踏み外す。貴様ら魔術師のようにな」
「これは手厳しい。ですが、話を伺った限り、今のガラトの地に我々三人だけで赴いて使命を果たすのは極めて困難だと言わざるを得ません。であれば、この砦の戦力は最大限に有効活用すべきです。なにかあれば、そのときはあなたがフィリス殿をお守りすればよろしいではありませんか」
「そんなことは貴様に言われるまでもない! 私はただ念のためお嬢様にご忠告申し上げたまでだ」
アイラは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
その横顔に向かって、フィリスは話しかける。
「アイラには感謝しています。あなたがいつも傍にいてくれるから、わたくしは安心して使命に立ち向かうことができるのです」
その言葉に、アイラは姿勢を正した。
「はっ、もったいないお言葉……」
「トーキル殿もです。あなたの協力をとても心強く感じております」
「いえいえ、私はあなたの亡きおじいさまと交わした盟約に従っているだけですから、どうかお気になさらず……」
トーキルは何の気負いもなさそうに軽く手を振った。
彼の素性について、フィリスは詳しく知らない。
祖父と旧知の仲だということは知っていたが、幼い頃に祖父に会いに来ていたのを何度か見かけたことがあるくらいで、直接の面識はなかった。
フィリスが神の啓示を受けて旅立とうとしていたところ、ふらりと現れ『盟約』を理由に半ば強引についてきたのである。
そんな事情もあって、アイラは未だにトーキルを信用していないようだが、フィリスは帝都からここまでの旅路で、彼の人となりについては十分に信頼に足ると判断していた。なにより、鋭敏な思考力と幅広い知識を持ち合わせており、話をしていて楽しいのだ。
旅を通じて心を通わせ、使命を果たすことでその恩に報いることができたら……そんなふうにフィリスは考えていた。
「それでは、わたくしは明日に備えて先に部屋で休ませていただきます。あなたがたも今夜は早めに休んでください」
フィリスはそう告げて寝室へと向かった。当然のようにアイラが付いてくる。彼女のことだから扉の前で番をするつもりなのだろう。
「アイラも今夜はもう休みなさい」
無駄と知りつつフィリスは命じた。
「はっ……」
一礼したものの、アイラの顔はまだなにか言いたげだった。
「どうかしましたか、アイラ?」
「……恐れながら、私は今でもお嬢様にはこの砦に残っていただきたいと思っています。神託の子は私が必ず探して出して連れて参ります。ですから、どうかお嬢様はこの場にて吉報をお待ちいただけませんでしょうか?」
アイラの言葉に、フィリスは静かに首を振った。
「あなたの心遣いは嬉しく思います。ですが、神託の子の居場所は、わたくしでなければわかりません。それに今、東の地で何が起きているのか、どうしてもこの目で見ておきたいのです。わがままばかり言って申し訳ないけど、わかってください」
フィリスは信頼する聖騎士の手を優しく握った。アイラが心から納得することがないことも、こうすれば引き下がってくれることも、長い付き合いからよくわかっていた。
「……承知しました。お嬢様は命に代えてもお守りいたします」
「ありがとう、アイラ」
フィリスは寝室に入ると、就寝前の祈りを捧げ、早々にベッドへ潜り込んだ。
明日からの旅に備えてゆっくり休む。それが今できる唯一にして最善のことだった。




