第5話 ハルディ
聖者一行への同行が決まると、ラーズはフィリスと具体的な行動計画について話し合った。
神託の子の居場所を大テーブルにある地図で確認する。フィリスが指し示したのはガラトの北部、山岳地帯あたりだった。そこに点在している集落のどれかに、神託の子がいる可能性が高いという。
たしかに、その付近はまだ黒い霧の勢力圏外である。
ただ、目的地までは馬を飛ばしても四日は掛かる。その間に集落が怪物どもの襲撃を受けないとも限らない。
幸い、聖者一行は全員が馬に乗れるとのことなので、護衛の数は最少にとどめ、とにかく行軍速度を優先することにした。
問題はどのルートを通って行くかだった。
安全面を考慮するなら北の山脈に添って進むルートだが、それで間に合わなくなってしまっては元も子もない。「一刻も早く神託の子を保護したい」というフィリスの意向を汲んだ結果、東のボタモイ平原を一気に抜け、そこから北上するルートを選んだ。怪物と遭遇する可能性は高まるが、こればかりはやむを得ないだろう。
出発は明朝となった。
ラーズはてっきりフィリスがすぐに出発すると言い出すかと思っていたが、意外なことに彼女の方からそう申し出があったのだ。
それについてはラーズも賛成だった。むしろ彼女が言わなければ、自分から提案するつもりでいた。聖者一行が長旅で疲れ切っているのは一目瞭然で、そんな状態では一日ももたないだろう。
どうやら目の前の少女は、冷静さと賢明さを兼ね備えているらしい。ラーズにとってそれは歓迎すべきことだった。
話し合いに区切りがついたところで、ハイマンがぱんぱんと手を鳴らした。
「聖者殿。あちらに部屋と食事の用意があります。今宵はゆっくりと休み、長旅の疲れを落とされるとよろしかろう」
「お心遣い、感謝いたします」
従者に案内され、聖者一行が広間を出て行く。
それに続こうとするハイマンの行く手を、ラーズは遮った。
「司令、お話があります」
「なんだ、わしはこれから聖者殿を歓待せねばならんのだぞ」
ハイマンは煩わしそうに言った。
「さほど時間は取らせません」
「あとにしろ」
「ハイマン司令」
ラーズは静かに、だが力を込めて上官の名を呼んだ。
ハイマンは諦めたようにため息を吐いた。
「……わかったわかった。話してみろ。ただし、手短にな」
「本国からの援軍の目途は立ったのですか?」
単刀直入に、ラーズは尋ねた。
結果、ハイマンの顔がみるみる不機嫌になった。
「……援軍は来ぬ。今朝方、総督府から届いた書簡にそう書かれてあった」
ラーズは耳を疑った。
「援軍が来ないとは……いったいどういうことですか?」
「帝国が西のプルトゥスと戦の只中にあることは知っていよう。今下手に軍を動かせば、国内で異変が起きたことを察知される恐れがある。本国はそれを避けたいのだ」
「ですが、戦が終わるのを待っていては手遅れになります」
「そんなことは本国の連中もわかっておる。だが、一度始まってしまった戦はそう簡単にやめることはできん。軍を退くにしても有利な条件で講和を結んでからだ。そのためにも一定の戦果が必要となる。その程度の理屈がわからんお前ではあるまい」
「では、我々はどうなるのですか?」
ラーズの問いに、ハイマンは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……上層部は防衛困難な東の地からの撤退を視野に入れているとのことだ」
思わぬ発言に、ラーズは目を剥いた。
「撤退!? このハルディの地を放棄するというのですか!?」
「落ち着け。まだ正式に決まったわけではない。だが、そうなる可能性は高い。アンカヤーレ城塞に戦力を集結させた方が運用も補給も遥かに楽になるからな。総督府からはこれまで通り敵の動向を警戒しつつ、いつでも撤退できるよう準備を進めておけとのありがたいご命令だ」
「我々が長年必死に守り続けてきたこの地を捨てて逃げよと……上層部の連中はそう言っているのですか?」
「言葉を慎め。捨てるのではない。撤退は一時的なものだ」
発言とは裏腹に、ハイマンの声色がそれが方便であることを雄弁に語っていた。
「こう考えるのだ、ラーズ。お前たちが必死に集めた情報のおかげで上層部は早期撤退を決断し、我々は誰ひとり犠牲を出すことなく撤退できるのだと」
「……」
「お前の気持ちはわかる。わしとて納得しているわけではない。だが、我々は帝国騎士だ。皇帝陛下と帝国のために戦うことが本分だということを忘れるな」
ハイマンの言葉が容赦なく心を抉ってくる。
ラーズは表情筋を総動員して感情が表に出るのをなんとか防いだ。
「……心得ております」
「わかっているならそれでいい。今は目の前の任務のことだけを考えろ。かの地の恐ろしさはお前が一番よく知っていよう。聖者殿の身に万が一のことがないよう、全力でお守りするのだ」
「司令は聖者殿のおっしゃる神託の子が世界を救うという啓示を本気で信じておられるのですか?」
ラーズの問いに、ハイマンはやや間を置いてから答えた。
「むろんだ。だからこそお前を推挙した」
「……わかりました。最善を尽くします」
「随員の選抜はお前に一任する。くれぐれも頼んだぞ」
ハイマンはそう言うと、背を向けて広間から出ていった。
ハイマンと別れたラーズは、気持ちを落ち着けようとバルコニーに向かった。
ハルディ砦は小高い丘の上にあり、ここから景色を一望できる。
ラーズはバルコニーから眺める景色が昔から好きだった。
麓の村では夕餉の支度をする家々から煙が立ち昇っているのが見える。そこから少し離れた場所に、ガラトからの避難民を受け入れるための区画が設けられてあった。
散々煮え湯を飲まされてきたガラト人を受け入れることについては、村人たちから不満が噴出し、実際にいくつか揉め事も発生していた。
ただ、エレニール帝国は恭順を示す者に対しては寛容である。
寛容の精神はロセヌの御心に適うものとして貴ばれている。
むろん、帝国のそれは無制限、無条件ではない。ガラトの男たちは、いずれ兵士として遠い異国の地へと送られることになるだろう。
この十年、ハルディの民は常に隣国ガラトからの侵略に怯えて暮らしてきた。
そのガラトが滅びたことで、この数か月は信じられないほどの穏やかな日々を送ることができていた。
ただ、所詮それは仮初の平和に過ぎない。
あらたな、それも強大な脅威がすぐそこまで迫っているのだ。
(本当にこの地を捨てねばならないのか……)
それはラーズにとって、身を削られるよりも辛い選択だった。
ラーズは帝国本国から派遣された騎士ではない。
生まれた時からずっとこの地で暮らしてきた土着の民だった。このハルディ砦も帝国が建てたものではなく、元々はこの地を治めていた王の居城として使われていたものだ。
そして、その王の息子がラーズだった。
ラーズは王族として幼少期からこのハルディ砦で過ごしてきたのである。
ハルディ王国は人口一万人にも満たない小国であった。
父王モーテンのもと、民が一致団結して周辺諸国からの圧力に屈することなく、独立を維持してきた。
当時、ハルディ王国には優れた戦士が数多くいた。小国であるハルディが独立を維持できていたのも、屈強な彼らの存在があったればこそだった。
だが、十二年前にエレニール帝国が侵攻してきたことで、ハルディは窮地に立たされた。
戦士たちは果敢に立ち向かったが、数万の大軍を率いる帝国軍を相手に勝てる見込みは万に一つもなかった。
帝国は侵略地に対し、ふたつの選択肢を突きつける。
服従か、滅亡か。
戦士たちは最後のひとりになるまで徹底抗戦することを望んだ。
だが、モーテン王は帝国に降伏する道を選んだ。
はたして帝国は降伏を受け入れ、民の虐殺は行われなかった。
その代わりに王をはじめとする戦士たちには長い兵役が課され、遠い異国の地へと連れていかれた。
戦地へ派遣された者は、死に物狂いで戦うことを強要される。そうしなければ故郷に残してきた家族が殺されてしまうからだ。
家族を引き離し、人質として利用する。
それが帝国のやり方なのだ。そして、一度戦地に派遣されたが最後、無事に故郷の地を踏むことができた者は誰もいない……。
ハルディの優秀な戦士たちを手に入れることができた帝国は、大陸の覇権を握るべく、西方へ侵攻を開始した。
結果、ハルディの地は戦略的価値が薄れ、あっさりと忘れ去られた。残された民は外敵からの侵略に対してほとんど独力で防衛しなければならなくなった。
父王から民を託されたラーズは、十四歳になると自ら志願して帝国騎士となった。
帝国への憎しみを心の内に秘め、命懸けで外敵と戦い続けた。
父と戦士たちが命と自由を引き換えにして守った大切な故郷を、なにがあっても守り通す。それがラーズを戦いに赴かせる唯一無二の理由だった。
だが、帝国にとってハルディは支配地のごく一部に過ぎない。この危機に際し、まるで蜥蜴の尻尾のように切り捨てようとしている。
そして、それを止める手立ては今のところ見いだせない。
無力感が、ラーズの胸中を埋め尽くしていた。




