第17話 強敵
イームクレンは健脚を活かして森の中を疾走する。
獲物の数は全部で六体。
飛行種であるフーガーの役割は斥候だ。標的をどこまでも追跡し、地上にいるメッサーに位置を知らせる。つまり先に空を掃除しない限り、延々と怪物どもにつけ狙われることになる。
だが、フーガーは滅多なことでは地上に降りてこない。
そこで弓矢の出番となる。
イームクレンは上空を旋回するフーガーの群れの真下まで移動すると、空に向けて弓を引き絞る。魔術の明かりのおかげで、しっかりと獲物の姿を捉えることができていた。
勢いよく放たれた矢がフーガーの下顎を貫いた。
鳥の見た目をした怪物が錐揉みしながら地面に墜落していく。
それを見届けることなく、イームクレンは次の獲物を探し求める。そこへ急降下してきた別の個体が、頭上で羽をばたつかせながら瘴気を吐き出してきた。
イームクレンはそれを転がって躱し、至近距離から矢を放つ。落ちてきたところへ素早く剣を抜いて頭を撥ねた。
ようやく自分たちが狩られる側だということに気付いたのか、残りのフーガーが弧を描くように旋回し、一斉に向かってきた。
「そうだ。それでいい」
そう呟くと、イームクレンは躊躇なく背を向けて走り出した。
森での戦闘は幼少の頃から叩き込まれていた。
獲物を可能な限り馬車から引き離しながら、その過程ですべて始末する。言うほど容易くはないが、失敗するとは露ほども思わなかった。
木と木の間を素早く移動し、身を隠しながら矢を射る。そしてまた移動しては矢をつがえ、発射する。その一連の動作をひたすら繰り返す。
イームクレンが矢を放つたび、フーガーが地面に落ちていく。
今この瞬間、彼はオーソシア大陸で最も危険な狩人だった。
馬車の周辺は、人と魔が入り乱れる戦場と化していた。
ラーズとウォーレン、ふたりの騎士が無数の怪物に囲まれながらも、巧みな連携で次々と返り討ちにしていく。
が、いかんせん敵の数が多い。当然、討ち漏らした怪物が馬車めがけて殺到する。
「ここは通さん!」
アイラは剣と盾を構えて立ち塞がった。
奇声をあげながら飛び掛かってくるメッサーを盾で思い切り殴りつけ、体勢が崩れたところへ剣を振り下ろす。
頭を砕かれたメッサーが血と脳漿をまき散らしながらどさりと倒れた。
「ひぃぃっ!」
背後から悲鳴が聞こえてくる。
ダンが馬車の下に隠れてがたがたと震えていた。
最初に出会ったときに情けない悲鳴をあげながら襲い掛かってきたことからも、臆病な性格なのだろうとは思っていたが、予想以上かもしれなかった。もっとも、下手に動き回って邪魔されるよりは遥かにマシである。
「そこでじっとしてろ!」
アイラはそう叫び、すぐさま次の怪物へと斬りかかる。
すると突然、近くで火柱があがった。
二体のメッサーが炎に包まれていた。
おそらくトーキルが魔術を使ったのだろう。
彼のすぐ傍では、騎士オッシが剣を振るっている。
オッシは双剣の使い手で、やや小ぶりの幅広剣を両手で巧みに操り、怪物どもを圧倒している。おそるべき技量と俊敏さだが、真に驚嘆すべきは無尽蔵ともいえる体力だろう。あれだけ派手に動き回っていながら息ひとつ切らせていない。まさにエネルギーの塊のような戦士だった。
彼らは放っておいても大丈夫だと判断し、アイラは己の役割に集中することにした。
すべてにおいて優先すべきは主であるフィリスの守護である。いざというときは他の連中を囮にしてでも主を逃がすつもりでいた。
が、それはあくまでも最終手段である。
主フィリスは、他人を犠牲にして自分が生き残ることを善しとしない。
仕える騎士として、主は守って当たり前。その上で主の望みを叶えるために全力を尽くす。それがアイラの聖騎士としての在り方だった。
アイラは森の奥から現れる怪物を次々と血祭りにあげていく。息を整える間もないほどの激しい戦いが続くが、気力はいささかも衰えない。
「次ッ!」
あらたな獲物を探して視線を巡らせた瞬間、これまでに感じたことのないような悪寒がアイラの背筋を駆けのぼった。
突然現れたそれは、メッサーとは明らかに違った。
全身に甲冑を纏い、手には禍々しい装飾が施された剣を握っている。
兜のせいで顔は見えないが、怪物の一種だということはすぐにわかった。なぜなら甲冑の隙間という隙間から黒い瘴気が漏れ出ているからだ。
鎧の怪物は無言のまま、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「貴様、何者だッ!」
返答はなかった。
まき散らされる瘴気のせいで近くにいるだけでも眩暈がした。長く立ち合っていれば、それだけで戦闘不能になりかねない。
アイラは一気に間合いを詰め、セオリー通りに足を狙って剣を薙いだ。
が、その一撃はあっさりと鎧の怪物の剣に弾かれた。剣と剣を打ち合わせたというより、岩を叩いたような手応えだった。
「おのれッ!」
アイラは立て続けに剣を繰り出すも、その全てがいとも容易く防がれる。
鎧の怪物はおそろしく剣技に長けていた。
その事実はアイラの心胆を寒からしめた。それまで獣程度の知能しか持たないとされていた怪物の中に、剣技を駆使する戦士がいるのだ。
ひょっとしたら、こいつが『魔王』か――そう思った直後、鎧の怪物が剣を振りかざし突進してきた。
アイラは盾で受け止めようと、両足に力を入れる。
が、剣と盾がぶつかり合う直前、咄嗟の判断で転がって斬撃を躱した。
振り下ろされた大剣が地面を抉り、派手に土砂を捲き上げる。
その威力に、アイラは戦慄した。まともに受けていたら、盾を支える腕ごと粉砕されていただろう。
「アイラ!」
その声に振り返ると、いつのまにかフィリスがこちらに駆け寄ろうとしていた。
「お嬢様! 来てはなりません! すぐに神託の子を連れて逃げて下さい!」
再び鎧の怪物が動いた。低い地響きのような唸り声を発しながら、フィリスに向かって突進を開始する。
アイラはそうはさせじと果敢に鎧の怪物に斬りかかった。しかし、彼女の全力の斬撃は、雑に振り回された剣によってあっさりと弾かれる。
そのとき、横合いからオッシが凄まじい速さで飛び込んできた。
鋭い斬撃が、甲冑の隙間を縫って怪物の足を深々と斬り裂く。
自重を支えきれなくなった怪物が片膝を着いた。
「ヤバそうな相手だから手を貸すよ。それとも聖騎士殿は正々堂々たる一騎打ちをお望みかい?」
オッシは言いながら、アイラの横に並んだ。
「あいにくとその手の矜持は持ち合わせていない」
「へぇ、意外と融通が利くんだね。うちの隊長とは大違いだ」
「貴様はもう少し真面目になるんだな」
軽口を叩きながらも、視線は怪物から逸らさない。
やはりと言うべきか、先ほどの斬撃の傷はすでに塞がりつつあった。
「くそっ、治るんなら鎧なんていらないじゃないか」
オッシが口を尖らせて文句を言う。
「馬鹿者が、やるなら頭を狙え」
「兜が邪魔なんだよ。弱点を防具で守るとか卑怯なやつめ」
かなり理不尽な発言だが、気持ちはアイラも同じだった。
「ふたりとも下がってください!」
背後からトーキルの声が響き渡った。
次の瞬間、視界が激しく明滅し、怪物の上半身が炎に包まれた。
だが、怪物は炎を纏ったまま、平然と馬車に向かって歩みを進めていく。
「バケモノめ……」
アイラは憎々しげに呟く。
「やっぱり頭をやるしかなさそうだね」
「言うのは簡単だが、どうやってやる?」
「聖騎士殿に正面から引き付けてもらって、俺が後ろから奴の首を飛ばす。頭と胴体を切り離せばいくらなんでも死ぬでしょ」
「貴様が囮役じゃないのか?」
「だって俺、盾持ってないし」
オッシは事もなげに言ってのけた。
「……いいだろう」
アイラは苦笑すると、正面から鎧の怪物の前に我が身を晒した。
暴風を伴う強烈な斬撃を、ひたすら躱し続ける。ステップを誤れば命を落とす、まさに死のダンスである。
その隙に、オッシが怪物の背後に回り込む。
それを横目で捉えたアイラは、足を止めて盾をかざした。
怪物の足を止めるには、一度は攻撃を受けねばならない。腕を持っていかれるのは覚悟の上だった。
がつっ、という鈍い音と共に衝撃が全身を貫く。同時に、自身の腕の骨が砕ける音をアイラは聞いた。
「ぐぅっ!?」
激痛のあまり、その場に膝を着く。
再び剣を振り上げる鎧の怪物。
その背後からオッシが斬りかかった。
横なぎの剣閃は、狙い違わず怪物の首筋を捉えた――かに見えた。
鎧の怪物はオッシの動きを予測していたかの如く上半身を捻り、剣を持っていない腕を大きく振り回した。
怪物の拳が無防備なオッシの脇腹にめり込む。
勢いよく吹き飛ばされたオッシは木の幹に叩きつけられ、そのままぐったりと動かなくなる。
鎧の怪物はそれには目もくれず、手にした凶刃をアイラに向かって振り下ろした。