第三十八話
エピローグ
二人が芯太の家に帰り着くと、皆はもう集まっていた。
今日七月七日の七夕は志乃の十七歳の誕生日なので、美紗姫と要佑と妹の継美を呼んでお祝いをする手筈になっていた。
芯太の姉の文絵が、どこから聞きつけたのか芯太に彼女ができたって事でそのお祝いも兼ねて手料理を御馳走するというので皆で芯太の家に集まっていた。
実はその他にもうひとつの目的があった。文絵が志乃の事に気付くかどうか。志乃は自分の素性に気付かなかったのは芯太が鈍いせいで普通なら有り得ないと言っていたが、芯太の言い分としては志乃が昔と変わり過ぎたから当然だって事だった。だったら、昔の志乃をよく知っている文絵と対面して確かめようという事になった。
志乃の素性については皆で取り決めて文絵には、転入生って事以外は内緒とする事にした。美紗姫と要祐はそのちょっとした悪戯に面白がって乗る事にした。
「ただいま」
玄関のドアを開けると、土間には普段見慣れない靴がならんでいる。やはりもうすでに皆は集まっているようだ。
芯太は自分の部屋にバックパックを放り込むと、そのままリビングの方へ向かう。志乃も少しだけ緊張しながらその後を追った。
「おかえりー。遅かったねー。先にやってるよー」
リビングのドアを開けると、唐揚げの刺さったピックを持った美紗姫が空いてる手をひらひらさせながら出迎えてくれた。
「お前は酔っぱらいか? あと誰が主役か解ってるのか?」
芯太は脱力して呆れ顔になる。
「だってね、帰って来るの遅いんだもん。ねー、継美ちゃん」
ペットボトルからジュースを紙コップに注ぎながらそう言って、向かいの席で大人しくジュースを飲んでる継美の方に視線を向ける。継美は急に話を振られて、きょとんとした顔で首を傾げている。
「ほら、要佑も何とか言ったら?」
同じく話を振られた兄も苦笑いを浮かべている。
「まあ、とりあえず駆けつけ一杯って事で」
美紗姫は誤魔化す様にそう言って二人にジュースを注いだ紙コップを渡す。芯太はそれを受け取ると、ジト目で美紗姫を睨みつけながら紙コップに口を付ける。
「……で、チューのひとつぐらいはしてきた?」
唐突の言葉に、口に含んだジュースを勢いよく吹き出した。芯太の後ろで志乃もむせている。
「あはは、冗談よ。芯太にそんな勇気無いもんね。志乃ちゃんも奥手っぽいし」
何も知らないで二人の事をからかっている美紗姫の言葉に、思わず吹き出しそうになる。
後ろで先程の河辺よりさらに耳を真っ赤させた志乃は、体を震わせながら笑いを堪えている芯太の太ももの裏を、皆に見えない角度でぎゅっとつねった。
「どうしたの? 急に変な顔して」
顔色を変えて腰をくねらせてる芯太を見て。美紗姫は怪訝そうな顔をする。
「元々こんな顔だよ!」
よく分からない言い訳をしながら両手で顔を覆って涙目を誤魔化す。
「あら、芯ちゃん帰ってたの? おかえりー」
そんなやり取りをしていると、キッチンにいたエプロン姿の文絵が追加の唐揚げの入った揚げ物ざるを持ってリビングに入ってきた。
「ああ、ただいま」
そう答えた芯太のシャツの背中を志乃がぎゅっと摘まんだ。
八年ぶりに見た文絵は、背丈はそれ程変わらないものの、薄い化粧に髪を茶色に染め、身体つきも随分と大人っぽくなっていた。だけど、少し鼻に掛ったような話し方や仕草、雰囲気があの日のままだったので、志乃は彼女が全然変わっていないように思えて感慨深い気持ちになる。
「あの……お邪魔してます。吉行と言います」
緊張で少し強張りながら志乃は芯太の背中から顔を出して頭を下げる。そんな彼女を見て文絵は少しだけ驚いた顔をした後、うれしそうに笑顔を見せた。
「あらまあ、志乃ちゃんじゃないの。びっくりした! 転入生って志乃ちゃんの事だったの? こっちに帰って来たんだ」
鷹揚な物言いで驚いて見せる文絵に、芯太は「は?」と素で驚いたような声を出した。
「まてまて文姉、さとみだぞ?」
「芯ちゃん、違うでしょ。今は、よしゆき……よしゆき志乃ちゃんだよね」
考えるように少し天井を仰いだ後、頷いてそういった文絵に「はい。吉行志乃です」と返す。
「いや、そういう事じゃなくて……誰か分かってる?」
「? 誰って……だから志乃ちゃんでしょ? お隣に住んでた。全然変わってないからびっくりした」
そう言った後、「あ、ごめんねー。そういう意味じゃなくて随分と別嬪さんになっているわよ」と謎のフォローを入れる。
「いや、変わりすぎだろ!」
芯太はすかさずそうツッコむ。
「えー? 変わってないわよ。だってあの時の写真、部屋に飾ってるもん」
そういってパタパタと自分の部屋に行って写真立てを持って戻って来る。
「ほら」
文絵は写真立てをテーブルに寝かして置いた。皆でそれを覗き込む。
「かわいい!」と美紗姫がまず声を上げた。
写真には無理に笑顔を作っているような微妙な表情の少年と、その半歩程後ろでお尻辺りに手を組んだ俯き加減の眼鏡の少女。そしてその後ろから笑顔で二人の肩に手を乗せている、二人より少し年上の少女が写っている。背景はコンクリート製の建物の壁と植込み。どうやら芯太の住んでいるマンションのエントランスを出た右角辺りのようだ。
「これ、志乃ちゃん?」
「うん」
「眼鏡掛けてたんだ? 髪も短い。あはは、芯太、志乃ちゃんよりもチビ! たしかにこんなだった」
笑って芯太を指差す美紗姫に「うるさい」と口を尖らせて睨む。
「後ろは文絵さんね。やっぱこの頃から美人! いつの写真ですか?」
美紗姫は芯太の不平を無視して目を輝かせている。
「志乃ちゃんが引っ越す当日だから……びっくり! ちょうど八年前の今日ね」
文絵は胸の前で両手を合わせて驚いたように話す。
「お父さんがポラロイドもらってきたからって言って、試しで撮ってもらったの。同じの志乃ちゃんにもあげたよね」
「はい、ちゃんてこっちに持ってきてます」
インスタントカメラで撮った写真は焼き増しができないため、志乃の部屋にあるのは正確には同じものではではなく続けて撮ったものだ。志乃自分の持っている写真と少しだけ違う表情の写真を何だか新鮮に感じた。
「でも、文絵さん。私も志乃ちゃん今と全然違う感じするけど......ねえ要祐?」
「うーん。そうだね。でも雰囲気はあんまり変わってない気がするな。一歩後ろに引いた所にいるところとか」
そう言って曖昧に返事をする。
「そー。要祐君よく解ってる」
文絵は胸の前で手を合わせてそう言った後、芯太の頭をぽんぽん叩いた。
「志乃ちゃん昔はずっとこの子の後ろにくっ付いてたのよ」
「ちょっと文絵さん!」
志乃が慌てて話を遮ろうとする。
「あはは、ごめん、ごめん」
文絵はそう言いながら立ち上がると、胸に付けたエプロンを締め直してキッチンの方に向かった。
「お腹空いたでしょ。残りのお料理準備してくるわね。志乃ちゃん、また後でゆっくり話しましょ」
そう言ってリビングを出た後、ふと思い立ってもう一度入口から顔を覗かせるた。
「ああ、それともうひとつ。芯太、よくやった。今度は志乃ちゃん泣かせないようにね」
「文姉!」
指を立ててウィンクしている文絵を顔を赤くした芯太がにらむ。
「あはは」
文絵は笑いながらキッチンの方へに向かった。
今年の七夕の空は雲ひとつ無く透き通ていた。彦星は満天の光の河に掛かった鵲の橋を渡り、織姫との時間を無事に過ごせただろうか。
あと二週間程で夏休み、志乃達は初夏の陽気をそれぞれの肌に感じ取っていた。




