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9.天使、あたためますか?

「どうせわたしは、お子様ですから」と、ずんずん歩きながらわたしが言う。

「...どうしたの? いったい、さっきから」と左斜め後ろからついてくる形でケイさんが言う。

 司法試験受験研究会の後の飲み会が終わって、いつものようにケイさんと連れ立って家路に着く。天歌駅前からの最終バスは出た後なので、電車に乗って西天歌駅まで行き、20分ほど歩いて戻る形になる。

 10月も末となると夜は相当冷える。昼間は腕にかけていた薄手のコートを、わたしは羽織っている。


「こうやって送ってくれるのだって、お子様が一人で帰るのが心配なだけで、レディーをエスコートするつもりではないんでしょ?」と、思いっきり険のある言い方で畳みかける。

「あのー...なにか気に障るようなこと言ったかな? そうなら謝るけど」

「謝ってどうなるってことじゃないわ。そうよ。どうせわたしのようなチンチクリンはケイさんにはお似合いじゃないのよ。浅山さんみたいに背が高くてスラっとして、オトナの女性のほうがお似合いなのよ」


「あれは...その、成り行きっていうか」

「あ、そう。成り行きにしては随分と楽しそうだったこと。それに15分も二人一緒に遅れてきて、何してたっていうの?」

「いや、ついつい議論が白熱しちゃって...」

「どうぜわたしじゃ、議論しようにもそのレベルじゃないですからね」


 家の前に着く。ケイさんに背中を向けたまま一瞬立ち止まる。

「しばらく...学校以外で会うのはやめにしましょう...おやすみなさい。気をつけて」

 そう言うとわたしは、振り向きもせずに扉を開けて中に入る。

 ケイさんは、しばらく家の前に立ち尽くしていたようだ。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 オレはしばらくヨッシーの家の前で呆然としていた。


 彼女がこんなに激しい話し方をするなんて...ある意味では「発見」と言えるかもしれないが...それにしても急にどうしたというのだろう。

 西天歌駅から家まで、ずっときつい言葉を投げつけられた。電車の中ではずっと無口。厳しい表情でオレと目を合わせなかった。飲み会の会場から駅へ向かう道は、ずっと別々のグループで歩いてきた。


 飲み会があって送って行ったあとは、終バスはおろか終電も出た後。タクシー代がもったいないので、1時間ほど歩いて帰る。


 今日の飲み会は、ずっと彼女と別の席だった。けれど、これまでもそういうことは珍しくはなかったはず。たしかに、浅山さんとずっと一緒で、二人で遅れてきたのも事実。でも、今までだって浅山さんとはよく話をする間柄だった。


 彼女に、何があったのだろう?


 考えながら歩いていたので、いつも1時間の道のりに1時間半かかってしまった。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 飲み会の翌日、木曜日の2限の天大の講義のあと、カフェテリアに向かう。3限はルミ大に戻って講義に出なければならないので、今日はサッとすませられるように麺類。きつねうどんとお茶をトレーに載せて、カフェテリアの真ん中あたりに向かう。


 ヨッシーが一人で座っている。お互い目を合わせないようにして、わたしは彼女から少し離れたところに、彼女の顔が見える方向で座る。

 しばらくするとウチダくんがやってきて、わたしに背を向ける形でヨッシーの前の席に座る。


 ざわざわしたカフェテリアの中では、仮に二人が言葉を交わしていたとしても聞こえないだろう。実際には、二人は無口で黙々と食事をとっていた。


 昨日の晩、ヨッシーは相当思い切ってトラになったみたい。そのことを確認すると、わたしは早々に食事を終えてルミ大に向かった。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 ルカさんのアドバイスに従い「トラ」になったふりをして、相当いろいろとケイさんにまくし立てた。最初は心にもないことを言っているつもりでいたのが、だんだん本気になってきたようにも思える。今まで抱いてきた物足りなさを「怒り」というフィルターを通して表すと、こういう形になるのだろうか。


 翌日の昼、先にカフェテリアで席に着いていたわたしの向かいに、ケイさんが座った。「学校以外で会うのはやめよう」と言ったので、学内では構わないことになる。

 二人とも無口。さすがに前の日にあれだけぶちまけた手前、そうそう簡単に「怒りモード」を取り下げるわけにはいかない。相当不機嫌な表情に見えただろう。ケイさんは、ときどきこちらの顔色を窺うように視線をわたしのほうに向ける。


 ルカさんが横を通ってカフェテリアを後にするのが見えた。ケイさんより先に食事を終えたわたしも、「じゃ」とひとこと言ってトレーをもって下膳口に向かう。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 それからずっと、ヨッシーと二人で一緒になるのはお昼のカフェテリアだけになり、無口で過ごした。彼女の表情から怒りは薄れてきたようだけれど、その分無表情になった。コンビニで会うことも無くなり、LINEも来なくなった。


 土曜日はルミ大の学園祭だったけれど、彼女は他の人と行ったみたいだった。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 ルミ大の学園祭。ふだんつるんでいる仲間はサークルの催しでみんな忙しいので、わたしは土曜日にヨッシーと出かけた。


 ヨッシーの希望で軽音のライブを見る。ルミ女の軽音部でバンドをやっていた彼女は、ゲスト参加しているルミ女の「ルミッコ」のステージを懐かしそうな顔で見ていた。


 3時過ぎにライブが終わると、カフェテリアでお茶をしながら話をする。


 あの日の帰り道にどんなことを話ししたのかを聞く。そしてその後の彼の反応について。

「ケイさん、わたしのことをイヤにならないか、やはり心配です」

「そうね、それは大丈夫じゃないかな。もしそうだったら、そろそろお昼も一緒にしなくなってると思うよ」


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


「でも、いつまでもこんな状態が続くと、なんかつらくて」とオレンジジュースを口にしながらルカさんに言う。

 ルミ大のカフェテリアは学園祭を見に来た人たちで混んでいる。

「そうだねえ。彼も恋愛経験が乏しそうだから、どうしたらいいか戸惑っているんだろうねえ」とコーヒーをすすりながらルカさん。

「いっそのこと、種明かししてしまったら?」とわたし。

「それは最後の手段。ひとまず様子を見て、学園祭が近づいてもなにもアプローチがなかったら考えよう」


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 翌週水曜日の研究会。ヨッシーと隣同士の席に着いたけれど、会話はない。

 始まる前に浅山さんがやってきて、オレに話しかけようとする。

「ごめん、ちょっと、トイレ」と言って立ち上がり、逃げるような形になる。

 部屋を出るとき、一瞬振り返ってヨッシーのほうを見る。浅山さんと言葉を交わしているようだった。しばらく彼女の顔から消えていたにこやかな表情が見えたような気がした。あれ? 浅山さんのことを敵視しているんじゃないのだろうか。


 土曜日。「自宅待機」の間も考えていた。


 どうしようか。東京にいる妹のタエコにLINEで相談...。

 妹? ...そうか!

 ヨッシーのあのときの言葉を思い出す。「お子様」「レディーをエスコート」「オトナの女性」...オレは彼女のことをずっと「妹の同級生」として扱ってきた。彼女はそのことが不満だったんだ。

 こんな簡単なシグナルに、なんで気づいてあげられなかったんだろう...。


 次の水曜日、研究会の終わったあと、ヨッシーに言った。

「今日は...送って行ってもいい? 学外になるけど」

「...ええ」

 そういうとヨッシーの顔に、微かな笑顔が広がったような気がした。


 バスを降りて、ヨッシーの家へ向かう住宅地の中の道を並んで歩く。右側の歩道の、車道側にオレ、その右に彼女。

 家までの道のりの半ばくらいに来たところで、オレが切り出す。

「あの...」

「はい」

「手...繋いでもいいかな?」

「...うん」

 彼女の意思を確認すると、オレは右手を彼女の横に差し出す。彼女がその手を左手で取る。


 しばらく無言で歩いたあと、彼女に聞く。

「学園祭、一緒に行ってくれるかな?」

「軽音のライブがある土曜日のほうがいいな」

「わかった。そうしよう」


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 水曜の夜遅く、ヨッシーからLINEで速報をもらった。


 翌日、天大で2限が終わってカフェテリアに行くと、向かい合って座ったヨッシーとウチダくん。楽し気に言葉を交わしている。ひとまずホッと胸をなでおろす。


 土曜日に仲間と天大の学園祭に行く。


 小春日和のやわらかな陽ざしの下、メインストリートを歩く二人連れとすれ違う。背の高い男性が右手を隣の女性の右肩に回している。

 身長差はあるけれと、改めてお似合いのカップルだと思う。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 天大の学園祭には、ケイさんと土曜日に行った。


 朝9時に天歌駅の改札前で待ち合わせ。一緒にキャンパスに向かう。

 午前中は展示や催しを見て回って、模擬店をいくつか回ってランチにする。


 午後1時からの軽音のライブに向かうため、メインストリートを歩いているとき、ケイさんが私の肩にそっと手を置いた。

 大きな手を通じて、陽ざしの暖かさが伝わってくるような感じがした。


 嬉しかった。


--------- ◇ ------------------ ◇ ---------


 クリスマス・イブのディナーの予約は、10月初めに入れていた。フィッシャーマンズワーフの展望台のすぐ下の回転レストラン。

 その時点では「その後」のことは考えていなかったけれど、学園祭が終わってすぐにそちらも手配した。


 イブの頃は、物流もひとつの佳境を迎える。オレは例によってその日も「自宅待機」をするわけだけれど「タエコの同級生をご接待する」とじいさんに言って、夕方6時で開放してもらうことになっていた。

 レストランの予約は7時から2時間なので、ヨッシーとの待ち合わせは、展望台の入口で6時45分にした。


 良く晴れているが、北西の季節風が冷たいイブの昼過ぎだった。

 オレは呼ばれて自宅の隣、「栄優えいゆう食品流通」の中央配送センターに行った。


 天歌市内に90ほどあるコンビニのうち約40店舗のチェーン向けの配送で、大きなミスがあったらしい。クリスマスケーキをはじめ、いわゆる「定期行為」の対象となるような商品も多数含まれているとのこと。配送を担当した業者がリカバリーを行っているが、配送センター在庫で対応できるものだけではなく、店舗間で転送しなければならないものもあり、予約した品を受け取れなかったお客様の自宅へ、直接お届けしなければならないものもあるとのこと。


「さきほど支援の要請があった。日頃からお世話になっている取引先なので、人と車を派遣することにした」

 社長である父の恵治がオレを含めて3名の遊軍ドライバーに言った。

「通常配送が終わった者を、順次追加で派遣する。君たちには今からすぐに向かって欲しい」


 先方の配送センターに着いたのは2時少し前。

「...だから最初にしっかり確認しろ、って言っただろ!」

「なんだって? あんな短時間ですませろって言ったのは、そっちだろう!...」

 初動の対応にミスがあったのだろうか。そこここで怒号が飛び交っているの中、女性の副センター長がやってきた。

「栄優さん。面目次第もありません。どうか、力を貸してください」

 オレたちは「副長」と呼ばれている男性管理職の指揮下に入った。


 バンに乗って店から店へ回り、足りないモノを渡して余分なモノを受け取る。センターに取って返すと、今度はケーキやクリスマスの食品とかをバンに乗せて、お客様の自宅へ届ける。ケーキを載せているから、運転も慎重にしないといけない。

 混乱しているので通常配送のフォローにも入らなければならない。息つく暇もなく日は沈み、気がつくと6時を回っていた。まだまだ終わりが見えない。


 6時半頃に、やっとLINEをヨッシーに送った。

「仕事でトラブルがあって、何時に行けるかわからない。ごめん」

「わかった。待ってる」とヨッシーからの返信。


 7時を過ぎた頃にはウチからの応援は合わせて8名になっていた。お店向けの配送は通常に戻り、あとはお客様の自宅へのお届けが残っていた。そして8時少し前。全員戻った応援メンバーが集められ、副センター長からのお礼と労いの言葉をもって支援終了となった。

 栄優の配送センターに戻ると、父の労いの言葉もそこそこに、自宅に戻って速攻で着替えをする。

 家から少し歩いて大通りに出てタクシーを拾う。

 ヨッシーにLINEを送る。「わかった」の返信。


 展望台の前でタクシーを降りる。8時半になっていた。今まで無我夢中だったので気にならなかったけれど、夜に入って一段と冷えてきた。

 入口にヨッシーは立っていた。厚手のコートにマフラーと防寒対策はしているとはいえ、この寒さの中、ずっと外で立って待っていてくれたのだろうか。

「ほんとうにお待たせしちゃった、申し訳ない」とオレ。

「お仕事のほうは?」とヨッシー。心なしか鼻と頬が赤みがかっているようだ。

「なんとか片付いた」

「よかった」


 北風が勢いよく吹き渡る。ふたりブルブルっと震える。

 1階ロビーへ入り、展望台へとエレベーターで上る。

「ずっと外にいたの?」

「うん」

「中で待っていてくれてもよかったのに」とオレ。

「少しでも早く...見つけたかったから」とオレを見上げるヨッシー。


 展望台の山側、夜景のきれいなほうに行って、ヨッシーにちょっと待つように言うと、1フロア下のレストランにオレは向かう。

 実はこの展望台全体は「栄優食品流通」グループが経営している。オレは封印していた「内田家の印籠」を使って、レストランのマネージャーに面会を申し入れた。事情を説明すると、緊急用に1つ確保してあるテーブルがあり、9時の最終予約開始時刻からしばらく様子を見て問題なければ、回してもらえることになった。


 展望台に戻って、ヨッシーのところへ行く。

「どうやら、イブのディナーをコンビニに買いに行かなくてもよくなりそうだ。もうすぐ連絡がくる」

「よかった」


 強い北風が塵を吹き飛ばしたのだろうか。空気が澄んで夜景がとてもくっきりと見える。

 高い建物のない天歌市の街の灯の輝きは、左右に長くゆったりと広がる。そして奥に向けて緩やかに上ると、山裾の闇に溶け込んでいく。


 つぶらな黒い瞳をキラキラ輝かせて夜景を見つめる天使。

 その肩に回した手を引いて、ギュっと抱き寄せる。


 外でずっと待っていたからだろう。まだ外気の冷たさが残っている。


「天使、あたためますか?」


「お願いします...あの、フォークも入れてください」


「かしこまりました」



<完>

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