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夜陰に浮かぶ ※流血表現あり※

 ―― 嫌だねぇ……

 

 随分と遅くなっちまったョ。 女は三味線しゃみを抱えて解れ髪を撫でつけた。 足早に歩きながらも、 先程のお座敷の狸親父への愚痴が口をつきそうになって歯がみする。

 こんな夜遅い路地だとて、 何処に顔見知りが居るかもしれない。 天城屋あまぎやの芸妓の姐さんが、 夜道で客の旦那の悪口を言ってるだなんて噂が立っては…… 置屋のお母さんに申し訳が立ちゃしないと言う訳だ。

 

 ―― まったくあの狸―― 煙草をスパスパ飲むもんだから、 髪まで煙草の匂いがするじゃあないか…… 


 歩くたびに匂うその煙草の匂いが、 先程の客を嫌でも思い起させた。 遊女と芸妓を同じものだと考えている物知らず―― 確か、 貿易か何かで儲けて大層な店を構えているらしいが、 芸妓遊びの遊び方も良く知らない成金だ。

 『嫌だわぁ、 旦那サン―― 冗談ばっかり』 そう言って適当にかわしていたけれども、 正直言って握られる手を振り払いたい位には気持ちが悪かった。 


 ―― あの御面相じゃあ、 潰れた蟇蛙の方がマシってもんだよ。


 金で頬を叩くように妾になれと暗に迫られて、 思わず張り倒したくなったのはつい先刻の事だ。 芸妓には芸妓の矜持がある。 金を見せれば尻尾を振って妾になると思ったら大間違いだ。

 

 『嫌だわぁ―― 旦那さん、 お酒が弱くてらっしゃるのねぇ。 次があったら遊び方―― 覚えてから来て下さいな』


 文句を言う蟇蛙を振り払って出てきたものの、 客相手に我慢が利かなかった事は少々悔やまれたけれど、 お母さんは寧ろ褒めてくれる筈だ。

 口説き文句が冗談や遊びの物ならまぁ良い。 嘘事とお互い了解しての恋愛の駆け引きであるならば、 その場だけの戯れだ。 けれど―― 本気で押し倒そうとしたり、 妾になれと言うのは頂けない。 

 確かに、 茶屋で出会った旦那さんに見初められて嫁いだり―― 妾になった娘が居ないじゃあないけれど、 なじみ客になって初めてのこの日にいきなり妾になれとは、 正直人を馬鹿にしているとしか思えない言動である。

 腹立たしさを胸に抱えたまま、 女は夜道を急いだ。 最近巷では神隠しなるものが流行っていたからである。 ガス灯はあれども、 新月の夜は暗い。 夜闇の中から白く細長い手がスルリと出てきそうな不気味さがある。 

 カッカしながら歩いていたせいで、 あまり気にならなかったけれど、 まだ寒い季節にしてはやけに生ぬるい風を感じて女は眉を潜めた。


 ――…… ッ


 ふと見えた行く先の街灯の後ろの闇に浮かぶものを見て、 女は思わず立ち止った。

 面である。 ガス灯の薄明りを反射して鈍く光る黒い狐の―― 幽霊――? いやその面の下には身体があった。


 ―― なんだっていうのさ! 紛らわしい男だね!! 


 黒い洋装を着ていた為に、 女からは面が浮いているように見えたのだ。 とは言え、 面を被っている以上、 この男は人買いであるはずだった。 

 一体、 こんな時間に突っ立って何をしていると言うのだろう…… そんな疑問よりも女は男に驚かされたのが気恥ずかしく、 腹立たしくもあったので、 文句の一つも言って横を通り過ぎてやろうと身構えた。


 「ちょっとあんた―― 」


 その言葉の後だった。 何かが頭上から落ちてきた。 ツ―― と視線を下に落とせば、 赤い鼻緒の下駄が一つ。


 「――え? 」


 何でこんな物が上から落ちて来るのだろうと女は上を見た。 ガス灯の光に一瞬目が眩む―― その上に、 それこそ宙に浮かぶように白い毬があった。 大きな毬だ―― その毬から不自然に飛び出している物がある。 白い足だ―― 白く細い足袋を履いた足が、 痙攣するように震えた。 

 ポツリ、 ポツリと雨が降る。 女は頬に落ちた雫を指で拭った。 見慣れた自分の指が朱に染まる。


 血だ―― 


 白い足を伝う赤を認識した瞬間、 女の目がぐるりと白目を剥いた。 意識は暗闇に―― 狐面の男の行方も、 宙に浮かぶ白い毬の行方も気絶した女が知る事は終ぞ無かった。 


 ※※※


 妻を抱きしめて眠る至福の時間は、 突然に破られた。 魔那にそっと起され、 離れがたい温もりを残して別室で呉緒から至急の連絡を聞く。 

 それは放置出来るような話でも無く、 結果、 着がえて夜中に街に出る羽目になってしまった。


 「―― 白い毬と狐面の男ですか…… 」


 神隠しと噂されていた話はてっきり人攫いが横行しているものと思っていたのですが―― どうやら違うようだと思わず渋面を晒してしてしまう。

 帝が坐す帝都で妖騒ぎとは有り得ない事態だ。 ここは帝の力が届きにくい遠方ではない。 帝のお膝元である。 邪なものが入れない筈のこの場所で今何がおこってるというのでしょうね。


 お座敷に呼ばれた芸妓が帰って来ない―― 


 置屋の女将が下男を連れて探しに出たのが昨日の夜―― 倒れている芸妓を発見して直ぐに警察に届けたようだったけれど―― (血塗れだったので死んだと思ったらしい…… ) 当の芸妓の目が覚めるまで一体何があったのかと言う事が分からなかったらしい。 

 それはそうだろう。 残されたのは気絶した女と血の痕だけだったのだから。 お陰で、 こんな時間に現場に呼び出される羽目になった。 

 この件を担当した巡査は当初、 目を覚ました女が酒を飲み過ぎて幻覚でも見たのだと思ったらしい…… じゃあこの大量の血は何だ! となるのだけれど、 悪戯じゃあ無いのかと。 倒れてる女を見つけて、 誰かが鶏の血でも撒いたのでは―― と思ったと言うのだ。 随分とぼうっとした男である。 

 モチロン、 この帝都でそんな事がある筈がないと言う先入観があっての事だとは理解ができるんですがね……。 

 結局我が家に連絡を寄こしたのは、 警察署に事務として務めている男が、 夜勤で署内に居た為に、 報告をしにきた巡査が話すこの話を聞いていたからだ。 

 この男の妻は蒼龍院の家に勤める通いの女中で、 この話を聞いてもし芸妓が話した事が『真実』 だった場合、 大変な事であると妻に連絡を入れたのだと言う。

 その妻も『万が一』 を考えて、 夜分遅くの事ではあるがと呉緒に連絡を寄こしたらしい。

 偶然、 彼がその場に居てくれて助かった。 そうでなかったら、 この事件は酔った芸妓が幻覚を見ただけの事件として僕の耳に入る事は無かったでしょうし。

 当の芸妓は心痛で寝込んでいると言うし、 今日の所は他の三家に連絡を入れて帰る位しかなさそうだ。


 『気が付いたか? 継直』

 「えぇ―― 本当に微かですけど、 妖の気配だ」

 『そうだ。 だがおかし過ぎる。 人を喰うような妖であれば、 気配が此処まで希薄な筈が無いからな』

 「そこですよ…… 悪戯をするような妖や善き隣人としての妖ならともかく、 人を喰らうような大物が帝都に入って来られる筈がそもそも無い。 ましてやこんなに気配が希薄だなんて―― 」

 『ありえんな』


 継護にそう指摘され、 思わず眉間に皺が寄った。 今上帝きんじょうてい―― 近仁さまはまだお若く、 その神威しんいも怖ろしく強い。 それなのに――。


 「有り得ないと斬って捨てるのは簡単ですが、 それはしない方がいいでしょう。 頭の痛い話ですがね」

 『確かに。 頭の痛い話だ』


 帝都の人間は、 妖に対する恐怖心に欠ける。 何故なら、 帝都に居る多くの妖が『良い妖』 であるからだ―― 悪意を持って人を害する妖は、 帝都には入って来ないと思っている。

 知識として、 そう言った妖が存在する事は知っては居るでしょうが――…… 人を害する妖が身近に潜んでいると言って、 一体誰がそれを信じると言うでしょうね。

 かと言って、 大々的にそれを周囲に触れて回る訳にもいかない。 想定外の事態と言うものは、 民衆に不安と混乱を与えるからだ。

 取り敢えずは、 先に流れている噂の通り―― 人攫いが出ている事と…… 通り魔が出ている―― と言う事にでもするしか方法が無かった。


 「本当に、 頭が痛い話ですね…… 」

 

人攫いかと思いきや、 妖騒ぎに発展しました。

黒い狐のお面の人物が怪しさを微妙に醸し出していますが(出せてますかね……?)、 まぁ、 あの場に居たのだから白い毬と無関係では無いですよね……。


次回は多分、 黒狐と継直さまが対面します―― 対決じゃないですよ……。

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