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世界最強を隠したい俺、学校一の冷徹な氷系聖騎士に監視(同棲)されることになった ――中身は激重感情、記録は凍る監視報告書  作者: ざつ
第4章:もう隠しきれない「好き」

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30/30

第30話:氷の聖騎士は、これからも溶かされ続けて。 ――騒がしくて甘い日常は、まだまだ続いていく。

 雪菜が転がり込んできたあの朝から、気づけば半年近くが経っていた。


 正確な日数は、誰も数えていない。数える必要もなかった。


 季節がひとつ、またひとつと過ぎていくうちに、気づけば、この暮らしの方が「普通」になっていた。


 朝。


 いつも通りの、いつも通りではない朝だった。


「蓮……! おはようございます……!」


 寝室から出てきた雪菜が、開口一番、名前を呼んだ。昨夜、ベランダで練習した成果らしい。


「……おはよう、雪菜」


 蓮が名前を返すと、雪菜の顔が、みるみる赤くなった。


「っ……朝から、呼び捨てにされると、破壊力が違います……!」

「よ、呼んでくれって言ったのはお前だろ!?」

「言いましたけど……! 心の準備は、まだ全然足りていません……!」


 足元に、薄く霜が広がった。


 キッチンから、小夜が静かに顔を出した。


「お嬢様、朝から凍らせるのはおやめください。床の耐久性にも限界がございます」

「す、すみません……!」


 慌てて霜を消そうとする雪菜を見ながら、蓮はいつも通り朝食の準備を始めた。


 パンを焼き、卵を焼き、お茶を淹れる。手順は、変わらない。


 ただ、テーブルに着く人数と、交わされる言葉の量だけが、少しずつ増えていた。


 ◇


 朝食を終えて、登校の準備をする。


 制服に着替え、鞄を持ち、玄関に向かう。


 いつも通りの流れの、最後に。


 雪菜が、玄関で足を止めた。


「……あの、蓮」

「なんだ?」


 雪菜が、もじもじと両手を合わせた。


「いってらっしゃいの、ハグを、していただけませんか?」

「……ハグ!?」

「はい。婚約者になったので、その、これくらいは……普通、ですよね?」


 普通なのかどうかは、微妙なところだった。ただ、断る理由もなかった。


「……まあ、いいけど」


 蓮が軽く両腕を広げると、雪菜が勢いよく飛び込んできた。


「っ……」


 思ったより強い力だった。しっかりと抱きついてくる。


「……行ってくる」

「はい……! いってらっしゃいませ……!」


 雪菜の顔が、離れる頃には真っ赤になっていた。それと同時に、玄関の床に、うっすらと霜が広がっていく。


「……また凍らせてるぞ」

「っ、す、すみません……! 嬉しさが制御できなくて……!」


 蓮は、指先を軽く床に向けた。


 ――【極小火力:均一照射】。


 かつて魔神を消し飛ばした炎を、指先ほどに絞る。霜が、音もなく溶けていく。


「凍らせるな、って言っただろ」

「善処します……! でも、蓮がハグしてくださると、どうしても……!」

「そのたびに溶かすのも面倒なんだが……」

「面倒、ですか……」


 雪菜が、しゅんとした。


「……いや言い過ぎた。面倒とは思っていない」


 蓮は、少しだけ付け加えた。


「面倒だが、悪くはない、くらいだ」


 雪菜の顔が、また赤くなった。


「……その言い方、ずるいです」

「褒め言葉のつもりだが……?」

「わかってます……! わかってますけど……! ずるいものはずるいんです……!」


 床に、また霜が広がりかけた。


「……おい」

「あっ、す、すみません……!」


 蓮は、また指先を向けた。


 繰り返しだった。それでも、悪くない繰り返しだった。


 ◇


 玄関で、その様子を見ていたココアが、「わふ」と一声鳴いた。


 ――行ってくるがいい。ここは私が守っておく。


 言葉は通じないが、なんとなく、そういう顔をしていた。


 小夜が、玄関先で静かに一礼した。


「いってらっしゃいませ」

「ああ」

「なお、旦那様」

「なんだ?」


 小夜が淡々と告げた。


「本日の玄関の霜による床材の劣化について、後日、補修費用のご相談をさせていただきたく」

「……それは仕方ない。補修お願いしたい」

「ありがとうございます」


 小夜が、エプロンのポケットから手帳を取り出し、何かを書き足した。日課のようなものだった。


 ◇


 学校への道すがら、雪菜が隣を歩きながら、ふと呟いた。


「……蓮」

「なんだ?」

「名前で呼ぶの、まだ慣れませんが……嫌いじゃないです」

「そうか」

「蓮は、どうですか? 私のことを、名前で呼ぶの?」


 蓮は、少し考えた。


「……悪くない」

「それだけですか?」

「……雪菜」


 呼んでみせると、雪菜の足が、ぴたりと止まった。


「っ……!」


 顔が、一気に赤くなった。


「な、なんですか、急に……! 予告してください、そういうのは……!」

「い、いちいち予告してどうする!?」

「心の準備が……!」

「昨日、同じこと言ってたな」

「毎回、必要なんです……!」


 足元に、また薄く霜が広がりかけた。今度は、雪菜が自分で慌てて踏み消した。


「……できました。今、抑えました」

「……成長したな」

「毎日、頑張っていますので」


 雪菜が、赤い顔のまま、誇らしげに胸を張った。


 学校の門が見えてきた。


 門をくぐれば、また「氷の聖騎士」の顔に戻るのだろう。ただ、以前と違って、それを隠す必要はもうなかった。クラス中が知っている。誰もが、もう驚かない。


「じゃあ、また放課後」

「はい……! 今日も、いってらっしゃい」


 いってらっしゃいと、いってきますが、一日の中で何度も交わされる。おかしな話だが、それが日常になっていた。


 ◇


 放課後、いつも通りアパートに帰ると、ココアが玄関で待っていた。


「わふっ!」

「ただいま」


 小夜が、キッチンから顔を出した。


「おかえりなさいませ。夕食の準備が整っております」

「今日は何だ」

「肉じゃがです。お嬢様が、練習させてほしいと」


 キッチンの奥から、雪菜の声が聞こえた。


「今日こそ、じゃがいもを完璧に煮込んでみせます……!」


 小夜が、静かに補足した。


「なお、現在、鍋の中身が薄く凍結しております」

「……また凍らせたのか?」

「照れが入ると、どうしても」


 蓮は、キッチンに向かった。


 鍋を覗くと、確かに、じゃがいもの表面がうっすら白かった。


「……雪菜」

「っ、はい……! すみません、また……!」

「いい。直す」


 指先を鍋に向ける。


 ――【極小火力:浸透均一照射】。


 氷の魔力を溶かし、程よい温度に戻す。数秒で、湯気が立ち上り始めた。


「……できた」

「っ……ありがとうございます……!」


 雪菜が、ほっとした顔で鍋を覗き込んだ。


「あとは、味付けだけです……! 今度こそ……!」


 小夜が、こめかみを軽く押さえながら、静かに見守っていた。


 ココアが、テーブルの下でじゃがいもの匂いを嗅ぎながら、期待に満ちた目でこちらを見上げていた。


 ◇


 夕食の後、リビングで、いつも通りの時間が流れた。


 雪菜がソファで蓮の肩に寄りかかり、ココアが膝の上で丸まり、小夜がキッチンで洗い物をしている。


 窓の外は、もう暗くなっていた。


「……蓮」

「なんだ?」

「今日も、いい一日でした」

「そうか」


 雪菜が続けた。


「明日も、こうしていられたら嬉しいです」

「おいおい、毎日聞くのか、それ?」

「そうです! 毎日聞きます!!」


 いつかの会話と同じだった。何度目かも分からないくらい、繰り返されている。


 それでも、飽きなかった。


 蓮は、雪菜の頭に、そっと手を乗せた。


「っ……」


 雪菜が、小さく声を漏らした。足元に、また薄く霜が広がりかけたが、今度は自分で慌てて抑え込んでいた。


「……我慢できるようになったな」

「ふふん! 毎日、練習していますので!」


 雪菜が、少し誇らしげに言った。


 ココアが、膝の上で、小さく寝息を立て始めた。


 小夜が、洗い物を終えて、リビングに戻ってきた。


「本日の監視報告書ですが」

「今日はいいのか?」

「いえ、書きます。ただし、本家には送らず、私の手元で保管しておきます」

「……なんでだ?」

「あまりに個人的な記録になってきたため、公的な報告書としての体裁を保てなくなってきました」


 小夜が、静かに手帳を開いた。


「『本日、旦那様がお嬢様の頭を撫でられた。お嬢様は幸せそうな顔をされていた。監視対象に、危険な動向は特になし。ただし、この一年で、家中の霜と氷の被害額は看過できない水準に達している。それでも、悪くない眺めだった』」


 小夜が、そっと手帳を閉じた。


「以上です」


 リビングに、静かな時間が流れた。


 蓮は、それを聞きながら、少しだけ思った。


 ……悪くない眺め、か。


 同感だった。


 窓の外では、いつも通りの夜が更けていく。


 騒がしくて、甘くて、少しだけ凍りついた日常。


 それでも、確かに、ここが帰る場所だった。


 隠したかった最強の男は、今日も、隠しきれないまま、この場所で生きている。




 完


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