91 バナナトースト
「シャッツシャ……」
なるべくテンポよく壁と床のなんか直角のところを掃く。慎重になりすぎると一ヶ所に時間がかかり過ぎて進まなくなっちゃうんだよね。大掃除じゃないので日々のお掃除はささっと。
毎朝やっているとは言え二人分の埃にしては少ない。
ひょっとしたら茉里奈は埃なんてたまらないと思っていて、私は最初に佐藤さんに埃はたまると聞いてしまったので、一人分って事なのかな。
毎日する作業があった方があの時も今も良い様な気もするし、良いんだけど、釈然としない。
のれんを出し、カウンターを拭き、またメモを発見。
『ごちそうさまでした。美味しかったです。今夜も食べたいです。持ち帰れると助かります。空』
そう言えば食器は完璧に片付けられている。
炊飯器を見たら炊きたて状態。炊いたのか。
というか食べきったのか。
五合炊きなんだけど、この炊飯器。
やっぱりこの人が私の彼氏だった人っぽい。
文面は他人行儀な感じだけど、こっちからのメモをフランクな感じにしたら態度は崩れるのかな。
お腹が空っぽなのかと思ってたんだけど、空は空腹で空っぽって事かと思ってたんだけれど、署名かもしれない。
なんて読むんだろう? 普通にソラでいいのかしら? クウにカラ、空き室、空ろ、空しい。
「おはようございます」
「おはよう。これ、署名っぽいんだけど、なんて読むと思う?」
茉里奈が降りて来たのでメモを渡してから厨房に回って手を洗う。
「署名みたいですね。改行無しで続けて書いてありますし、文字も整っているので署名という感じがしませんでしたけれど、文章にしてはおかしいですもんね」
一読してそう言って、うーんと唇を尖らせる。
「署名って考えると下の名前で一文字……ソラかコウでしょうか?」
「ああ、コウとも読むんだっけ」
「そうも読めると言うだけで特に熟語は思いつかないんですけれど、読みませんでしたっけ?」
茉里奈は携帯端末ですぐに調べて、読むみたいです、と画面を見せてくれた。
「やっぱりソラかしらね……」
「そうですかねぇ……」
なんとなく二人ともしっくりこないのだが、記憶が消されている以上知らない人の事である。
あー、そんな名前だったね、となるわけもなく、ご飯を作り過ぎちゃうみたいに、記憶以外でしっくりこないとしたら、口の動かし方が違うから、とか? と話し合いながら朝食の準備。
今日はバナナトースト。
私はパンにバターを塗って輪切りにしたバナナを並べ、シナモンと砂糖をかけて焼くだけ。
茉里奈は縦切りしたバナナを並べてその上にバターと砂糖少々をかけて焼く。
食べる時にメープルシロップをかけるらしい。甘そうだ。
ピーナッツバターをたっぷり塗ってバナナを置いたものが好きだったそうだが生憎ピーナッツバターがない。
どちらにしても甘そうだと言えば、ピーナッツクリームだと甘いけれど、ピーナッツバターは甘くないという。
まだやるの? というくらいピーナッツをミキサーにかけ続けると突然ピーナッツバターになるのだそうだ。すりごまが練りごまになるみたいな話だろうか。確かにそれなら甘くはないだろう。今度試そう。
サラダミックスとミニトマトの簡単なサラダと、ミックスベジタブルのコンソメスープも用意して二人でカウンターに並んで食べる。
「山田さんの分はいいんですか?」
「忘れてた」
すぐに出来るので来たら聞いてみて作るよ、と言いながら、さっきのメモを思い出す。
「持ち帰りも手よね」
「さっきのメモですか? 深夜に人の家で食べることに抵抗があったんでしょうか」
「……普通にやりたくないかも」
「でも、ご飯を食べつくして片付けをして炊飯器を新たにセットしてメモも残して帰られたんですよね?」
「家人を起こしそうという遠慮は感じられないよね。起きなかったけど」
「時間が取れない……お忙しいとかなんですかね?」
「さぁ。でも忙しいならおにぎりとかサンドイッチがいいかしら」
「普通にお弁当で良いのでは?」
「サイズがなぁ。後で峰岸さんに重箱借りに行ってみようかな。様子も見たいし」
茉里奈はこちらをまじまじと見てきた。
「心配していたんですか?」
驚く事かな。まぁ心配はしてないけど。
「心配はしてないけど、なるようにしかならないし。ついで?」
はぁ、とため息をついて、茉里奈はスープをひと口。
「正直になるの難しいです。関わらなければいいのに」
「それは峰岸さんを嫌いと言う話? 私を物凄く好きって話?」
「両方です」
恥ずかしげもなく茉里奈は笑う。
ふふん、って感じの笑顔だ。
負けず嫌いで、潔癖で、寂しがり屋で、ちょっとだけわがままなのだろう。
いいなぁ。
***
配達に来た山田さんに朝食について聞いたら、それならカウンターのおやつを下さいというので、ギフトボックスに詰めて渡し、代わりに今日の荷物を受け取った。
展望台のチケットと竹と谷中生姜。
谷中生姜って地域によっては謎野菜に入ってしまうんだろうか。葉生姜みたいな感じで、油性マジックの太い方の蓋くらいのサイズの生姜に茎みたいなのがデーっと伸びてるやつ。
一手間加えて焼き魚の上にのせたりとかもする。あれは本当は矢生姜だけど、スーパーで見たことがないので扱いが良く分からなかったのでこっち。味噌をつけてお酒のツマミにしたりもする。
茉里奈からはペコロス。名前はすぐ忘れるけどこれは知ってる野菜。小さな玉ねぎで洋食屋さんのスープなんかに丸ごと入っているやつ。展望台のチケットと交換した。前に貰ったから返すとも言うのかな。
教育部に出かける茉里奈を見送って、まずは峰岸さんに連絡を入れる。すぐに返事が来て、重箱はあげるのでお昼がてら取に来てと言うので、時間を決めて約束完了。
お邪魔するまでにはまだ時間があるので、竹を持って一階の……呼び名を考えないといつまでもあっちとかこっちとか言わないといけないんだけど、これはなんて言う場所なんだろうか。フリースペース? テーブルも椅子もまとめて壁際に寄せたので、そこそこ広い。
二階から工具箱を取ってきて、軍手にのこぎりで、竹を切る。
板を切るように片側から切り進めると最後の最後でぴぴぴっと縦に千切れると言うかさけるというか、まぁよろしくない感じになるので、ウッドデッキの所で竹を転がしながら満遍なく切っていく。
こういう作業って、よく無心になれていいとか聞くけれど私の場合はむしろ考え事によい。
気がそれて客観的にみられる気がする。どうでもよさに拍車がかかることもあるけど。
そう言えば展望台に行こうと思っていたんだけれど、考えてみたら土曜日か。
前回もお元気そうでなによりですって割とさっぱり目だったから、夕飯を食べてからゆっくり見に行ってみよう。夜なら家に居そうだし、あちこち見なくて済むかもしれない。
ウチの両親は、よくイチャイチャしていて、どこかへ行けば父と母は必ず手をつなぐ。
父の左手と母の右手は繋がれて、行くわよ? と母が伸ばした左手を兄が握り、私は後ろをついて行く。
別に父の右手を私が握れば……それだと横に広がりすぎて通行の邪魔か。
私は私で言われないとつながないし、兄は兄で見つめあうご夫婦にほぼ空気状態で、ついて行くのに必死だったと思う。
父は基本的に自分以外は他人の人なので、事前に当日のスケジュールと、地図による移動箇所の説明をすると後は気にしなかったんだよね。
迷子になろうが転んで怪我をしようが、こちらからアクションを起こさなければ対応しない。
迷子になっても行き先は知っていたから、その辺の人に行き先だけ告げて、連れて行こうか? という申し出を首を振って断り、ダッシュで目的地を目指してちゃんと合流したし、転んで怪我をした時は確か、膝から下を血まみれにしながら走って追いかけたような記憶がある。
かなり不気味な子供だな。
誘拐とか大きな事故に巻き込まれたりしなくて良かったとしか言いようがないんだけど。
私は私で、年相応に泣いたりはしてたと思うけれど、あんまり喋りはしなかったかな。
兄が母との手つなぎを嫌がる頃には当然妹ともつなぎたくないお年頃で、私が中学生になる頃には家族旅行も無くなって夫婦旅行へ移行。
お留守番兄妹は現金支給で各々食事をして各々寝て起きた。あれはあれで快適で、仲が良い夫婦の子供が幸せとは限らないし、不幸せとも限らない。
当事者としては、普通の基準が元々違うのでこの場合は虐待ですとか言われても、ちょっと分からないし、虐待自体連鎖すると言われている以上、その一族の常識が基準からズレているわけで、結婚とかで他家の常識が混じったりもしただろうし、じゃあ諸悪の根源はどこにあって、誰かが責任を取らないといけないような話なのかってことで。
竹の節から節を節の外側で切って長さ調整。
鉈とか斧がないので出刃包丁でいいかな。
刃こぼれしても戻るとは言え、ちょっと形状的に危ないけど。
切った竹を立てて真ん中に包丁を当て、コンコンとゴムハンマーで刃を喰い込ませたら、包丁の背を持って体重をかけると、コッと軽い音を立てて節まで割れる。
節の部分はまたゴムハンマーでコンコンと叩いて……叩いたら割れた。
非常にうまく行ったので良いのだけれど拍子抜け。
皿にしたいので、転がらないように丸い背の部分にも刃を入れて、接地面を作ったら、手触りを確認して気になるところにやすりをかける。
作業的には問題ないかな。
裁判では極端に感情を掘り起こされただけで、実際の所、私ももういい大人なので、折り合いはついていると思う。
心の中で悪い風に思っても表面上笑顔なんて、当たり前に出来る。
やり場のない感情とかが積もり積もって、多分それがストレスとか呼ばれるもので、それぞれ、食べたり、飲んだり、体を動かしたり、寝たりして、解決せずにやり過ごしている。
神様的にそれが嘘だと言うなら、そんな世界にした人間が悪いってことなのか、神様が嘘がある世界をつくっちゃったってことなのか、どっちなんだろう。
家畜が柵を壊して脱走した場合、可哀そうな家畜は問題児として早々に食べられてしまうかもしれないけど、逃げ出したくなる環境を作った飼い主だって悪いのかも知れない。
ごちゃごちゃ考えていたら訳が分からなくなってきた。
熱くも寒くもないにプラスして肉体的に疲れたりしないし、喉も乾かないって全然休憩する気持ちにならなくて危険。
うーん、と伸びをして、手を洗い、水を一杯。
多分凄く美味しいはず。
もう一節分切って仕上げたら片付けをして峰岸さんの所に行くくらいの時間かな?
切るのは楽しくなかったけど、割るのはちょっと気持ち良かったな。
そんな事を思いながら、今度は考え事もそこそこに、竹の皿作りに没頭してしまった。
おかしい。
考え事に良い作業だったはずなのに。




